戦時中、「民草」以外に国民は何と呼ばれた?
以前、「民草」という言葉を嫌う人は戦時中の天皇制をイメージして嫌っているのでは?という仮説を私はたてました。
では、戦時中、国民は他にどんな言葉で表現されていたのか?そのことについて調べようとして見つけた本がこちら↓
遠藤織枝 木村拓 桜井隆 鈴木智映子 早川治子 安田敏朗 著
『戦時中の話しことば ラジオドラマ台本から』ひつじ書房
p75~77に戦時中における「国民」の呼び方について書いてあります。
当時の新聞記事を参考に調べたようです。(どの新聞社のものを調べたかは残念ながら不明)以下にこの本で紹介されていた当時の「国民」の呼び方をならべます。
「民」、「民草」、「一億蒼生」、「臣民」、「臣子」、「赤子」、「一億臣民」、「一億赤子」、「民一億」
国民については多様な呼称が使われていたようですね。
「赤子」というのは国民はみんな等しく天皇の子であるという考えです。
サヨク系のブログは「国民は民草と呼ばれ草と思われていた。国民の命なんて草みたいなものだった」というようなことを書いていますが、「天皇の赤子だった。国民は子として大事に思われていた」と言うことも可能なのです。(そんなこと言う予定は私にはありませんが)
この本に掲載されていた新聞記事の用例も引用しますね。
「孜々(しし)として精勵しつつある民草の赤誠を視察せしめ」(1943.1.1)
「われら一億蒼生は天長の佳節を迎へ」(1942.4.30)
なんか、難しい漢字が並んでいます(^_^;)
恥ずかしながら私は読めなかったので漢字辞典ひきました。(引用したものにあるフリガナは私がつけたしました)
当時の人はふつうに読めたんでしょうか?
「孜々として精勵」とか「一億蒼生」とかツイッタ―で少し前に流行った「パワーワード」て感じがします。
他に、ラジオドラマの台本から、「醜のみ盾」、「股肱」といった今日の日常生活では絶対使うことのない言葉も。
※醜の御楯
天皇の楯となって外敵を防ぐ防人を自身を卑下していう語(広辞苑より)
万葉集にある言葉です。
※股肱
ももとひじ。転じて、手足となって働く、君主が最もたよりとする家臣。(広辞苑より)
この言葉は『太平記』にあります。
新聞記事やラジオの台本ですから、ふだんの話し言葉とは違うところもあったとは思いますが、興味深いですね。
2019.10.18追記
戦前戦時中の朝日新聞を見ると、「国民」という語が圧倒的に多いです。