昭和天皇は民草とは言っていない
今回は昭和天皇がテーマです。いろいろなお考えがあるかとは思いますが、感想欄に戦争責任に関すること、それから皇室へのヘイト、政治家へのヘイト、特定の思想へのヘイトは書かないようにお願いします。このエッセイはそういうことが目的ではないのです。ご理解くださいますようお願いします。 ★このページの最後の方に牧野富太郎と昭和天皇について書いています。
ネットを見ると
「昭和天皇は国民を民草と呼んでいた」
「戦時中、最高権力者は国民を民草と呼んでいた」
「民草と呼び、国民の命を草のように軽んじていた」
というような言説がチラホラあります。
上記の言説はアンチ天皇制のサヨク系の人ですが、右寄りぽい人も「昭和天皇は民草と言っていた」とツイッタ―で書いていました。
右も左も「昭和天皇は民草と言っていた」と思っている人がいるようです。
ところが、『昭和天皇実録』『『昭和天皇発言記録集成』『昭和天皇独白録』などの資料を確認してみますと、昭和天皇が「民草」と言った記録がないのです。
「勅語」や「詔書」では「帝國臣民」あるいは「國民」という語を用いています。終戦以降の「勅語」「御言葉」では「臣民」という語はなくなり、一貫して「国民」と言っています。
政治家や側近に語っている記録を見ますと、「国民」と言っていることが多いですね。
「国民」以外では
「人民」
「万民」
という語を使っています。
『昭和天皇発言記録集成 下巻』を見てみますと↓
p388
八月10日 御前会議
「忍び難きを忍び人民を破局より救い世界人類の幸福のためかく決心する」
同書p392
八月十二日(木戸内大臣上奏時)
「仮令連合国が天皇統治を認めて来ても人民が離反したのではしようがない。人民の自由意思によって決めて貰って少しも差支えないと思ふ。」
同書p397
八月十四日 御前会議
「万民にこれ以上苦悩をなめさせることは、私としては実に忍び難い。」
他には皇太子(今の上皇様)にあてた手紙の中で「我が国人」という語を使っています。
p415
「我が国人が あまり皇国を信じ過ぎて 英米をあなどったことである」
それから「赤子」という語を使っているケースが一件ありました。
p487
詳細な年月日は不明だが木下道雄の日記抜粋 戦後の御回顧
「当時私の決心は第一に日本民族は亡びて終う。
私は赤子を保護することができない。」
《引用おわり》
「国民」「人民」「万民」「赤子」という発言はありましたが、「民草」という発言は見つけられませんでした。
もしかしたら、私が見つけられなかっただけかもしれませんが。
少なくとも「民草」という語を「よく使っていた」ということはないと思います。
では、御製、つまり「歌」はどうだろう。
「民草」という語を用いて歌を詠んだりしていたのではないか?
と思い、巷間に伝わっている御製を調べましたが、ありませんでした。
「民草」という語を用いた歌はなく、
「国民」「民」「人びと」
という語を用いて詠んでいました。
昭和天皇が「民草」と国民を言い表していた記録がないのに、なぜ、ネット上では「民草と言っていた」と信じている人がいるのでしょう?
(佐藤尚武駐ソ連大使の「七千万の民草枯れて上御一人御安泰なるを得べきや」という電報を昭和天皇の発言だと勘違いしている人もいました。※「国民すべてが死んで天皇一人が生き残って何の意味があるのか」ということを佐藤は東郷外相へ電報で打っています。参考・長谷川毅『暗闘』P241~242)
私が推察するに……
「雑草という草はない」
という昭和天皇の有名な発言が影響しているのではないかと思うのです。
では、「雑草」に関する発言を示す資料を見ていきましょう↓
昭和天皇の侍従長入江相政が編纂した本。内容は侍従たちが執筆したエッセイ集です。
入江相政編『宮中侍従物語』(昭和55年)
田中 直侍従筆
p227~228
今から十五年近く前の、私が侍従を拝命してから間もなくの出来事。
暑かった夏もそろそろ峠を越えて、朝晩ややしのぎやすくなってきた九月初旬のことである。
庭園課の係から、「吹上広芝の御庭の草が茂りすぎたので、那須からのお帰りまでに手を入れたいのだが」との申し込み。
(中略)
さっそく係と相談して、建物から十メートルくらいの雑草は全部刈ってしまうように頼んだ。係の人は少々変に思っていたようでもあったが。
(中略)
やっと刈り払いも終わり、九月中旬、両陛下は那須からお帰りになった。
ところが、吹上からすぐ来るようにとの連絡、陛下からのお召しだという。
私は、お庭をきれいにしたのでおほめのお言葉でもと期待しつつ。……
「どうして庭を刈ったのかね」。
「雑草が生い茂ってまいりましたので、一部お刈りいたしました。」
「雑草ということはない。」
私は、とっさに陛下のおっしゃった意味がよくわからなかった。
「どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方でこれを雑草としてきめつけてしまうのはいけない。注意するように」というような内容のお叱りであったと記憶している。
私はこうべを深くたれてお部屋を出た。
なるほど、その後、陛下のお言葉に雑草ということをお聞きしたことがない。
『雑草の科学』(沼田真編、研成社)の中に、「雑草は、作物に対する一群の植物のカテゴリーであって、植物学的ないし生物学的概念ではない。人間が自分のために栽培し収穫しようとする作物に対して、作物以外のすべての植物、招かれざる客として作物栽培の場に入りこむ植物である。(中略)」と。
吹上地区には、招かれざる客として入りこむ植物はありえないのである。そういえば、先人たちはうまい言葉を考えた。吹上の植物はご愛草であって、雑草ではないと。
(中略)
ただ、吹上にも招かれざる客が来る。それはヒメジョオンであり、ハルジョオンであり、ヒメムカシヨモギの類である。つまり、これらは外来の繁殖力の旺盛な植物であって、他の植物の害となる。これが陛下の雑草といってよいだろう。これらの植物は、陛下もご自身でできるだけお抜きになるのである。
《引用おわり》
この『宮中侍従物語』が初出のようです。
書き手である田中直が侍従になったのは昭和四十年(1965年)ですから、その頃の発言ですね。
田中侍従だけでなく、他にも「雑草」発言を聞いた人がいます。安倍晋太郎、現在の安倍総理の父です↓
辻田真佐憲『天皇のお言葉』幻冬舎新書
p287
三木武夫内閣の安倍晋太郎農林相が、旅行先で天皇の案内役をつとめたときのことだった。天皇は安倍から「ここから先は雑草です」と説明を受けるや、
雑草という草はない。
と異議を唱えたという。このエピソードが政界で有名になり、のち福田赳夫内閣の田村元運輸相が天皇に直接「非常に感動致しました」と伝えた。天皇はここでも言葉の意味をあらためて説明することになった。(『陛下のご質問』)。
そんなに感動されても恥ずかしいのだけれども、ただ、雑草というのは人間のエゴからつけている呼び名である。かわいそうだよね。猛獣という言葉もあるけど、ライオンやトラから見たら、一番の猛獣はあるいは人間かもしれないね。
《引用おわり》
安倍晋太郎が農林相だったのは1974年から1976年ごろですね。その頃の発言です。
「雑草」発言は有名だったようで、1984年、那須御用邸でひらかれた定例記者会見で質問をうけています↓
1984年(昭和59年)9月1日 朝日新聞朝刊
〝雑草〟の言葉好まない 天皇陛下 那須でご会見 近況などご披露
陛下がかねがね「雑草という草はない」といわれている理由を記者団が尋ねると、「私は植物を好んで観察するせいかもしれないが、どうもこの名前は少し侮辱的な感じがして好まないのです。水田、畑にはえ、栽培植物の生長を妨げる植物や、道端に雑然とはえている植物のうちにも、花が咲いたり、役に立つものもあり、どうも、そう呼ぶのはおもしろくない名前だと思っています」と答えられた。
《引用おわり》
昭和天皇の名言といわれていますよね。「雑草という草はない」。
植物の研究をしていた昭和天皇。
植物を愛する人だったのですね。(昔は「昭和の日」を「みどりの日」といいましたね。)
昭和天皇はあくまで「植物」「草」について話していて、「国民を草になぞらえている」ということは一言も言っていないのです。
でも、「雑草という草はない」という言葉を受け止める側は感動しますよね。
どんなものにも名があって、一生懸命生きているのだ。
と、ハッとさせられます。
それを「我々民草ひとりひとりには名があって、みんな一生懸命生きているのだ」
と、無意識のうちに置き換えていたということはないでしょうか?
この感動をアンチ天皇の人は面白くないでしょう。
アンチの人たちもまた、無意識のうちに「昭和天皇は国民を草だと思って軽んじていたのだ」と、ちょっと意地悪な解釈をしてしまっていたのではないかと思うのです。
昭和天皇の「雑草」発言を右の人たちは好意的に拡大解釈をして、左の人たちは意地悪く拡大解釈をしてしまった結果、「昭和天皇は国民を民草と呼んだ」という勘違いが生まれたのではないのでしょうか?
そしてアンチ天皇の人たちにしてみれば、自分たちの主張に合わせるため「民草は蔑称だ」という思い込みも生まれたのではないかな……?
……どうでしょう? 私の推察。 ちょっと、無理があるかな?
◇◇◇
ここから先はオマケです。
昭和天皇の植物愛がわかるエピソードを。
長年、昭和天皇の侍従長をつとめた入江相政の日記より。
『入江相政日記』昭和24年9月1日
御散策の御供をする。所謂野分のあとではあつたが、それでもお楽しみ被遊つつゆるゆる御散策であつたが、駐春閣前のちがやを刈り過ぎてあり、いい物を大分刈つて了つてあつたので非常に御立腹であった。毎々のことで困つて了つた
《引用おわり》
昭和天皇はふだんから「ご愛草」に関してうるさい人だったのかもしれませんね。
『昭和天皇実録』を見ると庭で「御採集」をしたという記録がしょっちゅう出てきます。もしかしたら、採集を楽しみにしていたのに、刈られてしまってガッカリして御立腹だったのかもしれませんね。
ところで、昭和天皇の「雑草という草はない」という発言。
ネット上では「実は植物学者牧野富太郎の発言だ」という情報をよく見かけます。
いろんなバリエーションがあって多く見られるのは
側近が昭和天皇に「ここから先は雑草です」と言って、牧野が「雑草という草はない」と咎めた。
というもの。
んん?
私が紹介した資料にあるエピソードには牧野博士は登場していませんでしたよね。
そもそも、牧野博士は昭和32年(1957年)に亡くなっています。
田中侍従のエピソードは1965年ごろ、安倍晋太郎のエピソードは1974年~1976年。
んん?
牧野博士が時を超えてしまいます。
「雑草発言」は昭和天皇のものなのか、牧野富太郎のものなのか。
謎です。
ウィキペディアの「牧野富太郎」の項を見ると、「雑草という草はないと発言した」とありますが、いつ、どこで発言したものか記されていません。
編集履歴をみると2015年12月24日、匿名の編集者が「雑草発言は元は牧野のもので昭和天皇がそれを知って発言した」という旨を書き込んでいます。
しかし、2017年8月4日、whatsfb氏という編集者によって出典不明だと指摘が入り、修正されました。この編集者は入江侍従長の著作を確認したうえで指摘しています。
(ウィキペディア、出典不明の話が書き込まれるので注意が必要ですね……。)
※2020年7月21日現在Wikipediaにある牧野の雑草発言の出典は平凡社の『牧野富太郎 植物博士の人生図鑑』だとしています。平凡社のサイトではこの本のキャッチコピーに「雑草という草はない」という一文を使っています。しかし、本の内容を確認しましたが、牧野博士がそう発言したことは書かれていません。
Wikipediaの編集者様が内容を確認せずに出典にあげたのでしょうか?
私も牧野富太郎関連の本をいくつか読んだのですが、「雑草という草はない」という発言を見つけることができませんでした。(関連本をすべて確認したわけではありません。これからも時間があるときに調べたいと思っています)
牧野富太郎と昭和天皇の間に交流があったのは事実です。
昭和23年10月7日、二人は会っています。牧野博士は昭和天皇に謁見しています。
しかし、その謁見の際に牧野が「雑草という草はない」と言った話が入江相政日記に見当たらないのです。
『入江相政日記』昭和23年10月7日
一時前に御研究所へ行き牧野富太郎博士を案内して吹上の御苑を拝観させる。(中略)一寸拝謁されたらとも思つたので御文庫で小憩の後、お上が御研究所へ成らせられる御供をしてもらふ。コメナモミとかムクの木など申し上げ、非常に御参考にもなつたらう。
《引用おわり》
また、この謁見の様子を『天皇と生物学研究』(昭和24年出版)という本に詳しく載っています。この本にも牧野の雑草発言はありませんでした。
入江侍従長の日記にあるように庭を散歩しながら植物観察をしたという内容です。
牧野が「雑草という草はない」と昭和天皇に言ったかどうかはともかく……
昭和天皇は日頃から牧野博士のことを尊敬し、著書を熱心に読んでいたそうです。
『天皇と生物学研究』p31
天皇陛下が、日頃著書を通じて尊敬し、信頼しておられる人に、生物学者牧野富太郎博士がある。
陛下は三十年来、博士の日本植物図鑑をはじめ、多くの著書を研究しつくされているが、(以下略
《引用おわり》
しかも、昭和天皇が採集した植物の鑑定を牧野博士がおこなったりしたそうです。
(『昭和天皇実録』より)
「雑草という草はない」
という発言は牧野の受け売りだったのか。それとも、昭和天皇のオリジナルだったのかはわかりません。
仮に、受け売りだったとしても、私は「人間」としての昭和天皇を知る貴重なエピソードだと思っています。
時系列を考えてみてください。もし、もともとは牧野博士の発言だったとしたら……
昭和天皇は植物学の師ともいうべき牧野の発言を死後数年経ってから引用したことになるのです。ずっと心のどこかに残っていた(無意識にしても、です)、ということですよね。
ちょっと、いい話じゃないですか?
実は、牧野を詠んだ歌を昭和天皇はのこしています。
「さまざまの草木をみつつ歩みきて牧野の銅像の前に立ちたり」
牧野植物園を訪問したときの歌ですが、植物を愛する二人の交流の日々を思い返して詠んだ歌だと私は思うのです。
追記(令和元年5月5日)
牧野博士の雑草発言については現在調査続行中です。結果はまた別のエッセイでまとめたいと思っています。
追記(令和二年5月28日)
探しましたが、昭和天皇の発言と牧野博士を関連づける確実な一次情報がありません。
山本周五郎に対して牧野が「雑草という草はない」発言をしたという話を見つけましたが、昭和天皇との関わりが証明できないエピソードです。この話には昭和天皇が登場していないんですよ。(『週刊教育資料』「名言に学ぶ」笠間達男2001.9.10)
おそらく、この山本周五郎とのエピソードがもとになってネット上で昭和天皇と関連づけられた噂話が出回り、Wikipediaに書かれたことによりあたかも真実であるかのようになってしまったのではないかと。
(このエピソードが載っている『週刊教育資料』は学校関係者向けの雑誌なんですね。私の想像ですが、このエピソードを全国の校長先生が朝礼などで話して、それが伝言ゲームのように伝わって昭和天皇の話と混ざっていったのでは?)
今のところ、「もとは牧野博士の発言で、それを昭和天皇が知った」という話の確実な一次情報はない……
また、牧野博士の「雑草という草はない」発言の一次ソースがあったとしても、昭和天皇が引用したことの証明にはなりません。
牧野博士「も」昭和天皇「も」言っていた、という証明になるだけの話ですね。
(牧野博士は著作のタイトルに「雑草」という語を使用しているので、「雑草」自体を使わない派ではなかったみたいですが)
そもそも、田中侍従がエッセイで言及しているように、植物学における「雑草」の定義は曖昧で、人間が不要だと思う植物は雑草になるし、有用だと思えば雑草ではなくなるんですね。
何が言いたいかというと、植物学をやっている昭和天皇も牧野博士も、いや、すべての植物学者にとって、「雑草という草はない」というのは当たり前の感覚だったのではないでしょうか?
▲追記▲令和4年8月20日
高知新聞に牧野博士の雑草発言の一次ソースが見つかった記事が出ていました!
でも、やはり昭和天皇が牧野博士の影響で発言したという証明にはならないみたいです。
牧野博士「も」昭和天皇「も」同じような発言をしたということがわかっただけです、、
確認した主な資料
鈴木正男『昭和天皇のおほみうた』
『おほうなばら 昭和天皇御製集』(1990年)
由利静夫 東邦彦『天皇語録』(1974年)
高橋紘『昭和天皇発言録 大正9年~昭和64年の真実』小学館(1989年)
寺崎英成 マリコ・テラサキ・ミラー『昭和天皇独白録 寺崎英成・御用掛日記』文芸春秋 (1991年)
岩見隆夫『陛下の御質問』文春文庫
『昭和天皇実録』
『入江相政日記』
入江相政『宮中侍従物語』
辻田真佐憲『天皇のお言葉』
長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』
防衛庁防衛研究所戦史部『昭和天皇発言記録集成』
『牧野富太郎 植物博士の人生図鑑』平凡社
『牧野富太郎 なぜ花は匂うか』平凡社
『牧野植物随筆』国立国会図書館デジタルコレクション
田中徳『天皇と生物学研究』




