「民草」用例、「民草」の使い方
Web上の辞書で「民草」について調べるとネガティブな文脈の用例ばかり出てきます。
「民草」が侮蔑的蔑称だと誤解している人がいる要因になっていると思います。
とくにgoo辞書の宮本百合子の文章!
「民草」の項目で「民草」という言葉をディスっている文章を用例にもってくるとか何考えているのよ!編集さん!
多分、著作権の問題をクリアしている青空文庫からランダムにもってきただけだと思うけど!
あの宮本百合子の文章、全文読んだことあります?
あれは「天皇制」や「資本主義社会」を批判している文章ですよ!
戦争に負けても「天皇制」「資本主義」を止めない日本国民を批判しているんです、宮本先生は。
日本国民を「資本主義」をこやす「かいば」(草)にたとえて批判しているんです。
こんな偏った文章を辞書の用例にもってくるとか何考えてるの!
……共産党関係者の方で不快に思われる方がいらっしゃったら申し訳ありません。私の実家は「しんぶん赤旗」を購読しております。どうかお許しください。
というわけで、私が独断で選んだ「民草」の用例集です。
民衆に寄り添うキャラクターや民衆側の人間のセリフに「民草」があるのはおかしい、という意見を見ましたので、そういったキャラクターのセリフを集めました。
谷津矢車『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』徳間時代小説文庫(2018)
p365
黙っていると、義輝は言葉を選ぶかのように目を泳がせた。
「子供の頃、京の町をよく歩いた。そこで、予は闘鶏を見た。町の民草を見た。その二つが目から離れぬ。闘鶏から予は天下の法を学んだ。町の民草からは、家族を見た」
(中略)
「源四郎。予はな、最初、お前たち町衆が羨ましゅうて仕方がなかった。しかし、予にはどうしても手に入らなんだ」
(中略)
「しかしな源四郎。予はこう思うようになったのだ。予が手に入らなんだものを持っている者たちを、なんとしても守らねばならぬ、とな。(以下略)」
浅田次郎『壬生義士伝 上巻』文藝春秋(2000)
p103 何となれば、武士のつとめは民草の暮らしを安んずることなのす。まずもって養うべき民草とは、おのれの妻と子だと思うのす。
孔子様は仁と申され義と言われるが、人の道はまずもって、妻子への仁と義より始まるのではござらぬか。
浅田次郎『壬生義士伝 下巻』文藝春秋(2000)
p94
それは不断の努力によっておのれの命の値打ちを高めたのち、民草のために死することです。義の戦のために死することです。
駒田信二訳『中国古典文学大系第28巻 水滸伝(上)』(1967)
p4
かくて民草は楽しい日々を送り迎えていた。ところが、はからずもここに、楽しみの果てに悲しみが生じたのである。嘉祐三年の春さき、天下に悪疫が流行し、江南から東西の両京(開封と洛陽)にかけて、どこの民草もこの病におかされぬものはなく、天下の各州各府から雪の降りしきるように奏上文が舞いこむ始末。
原案 李學仁 画 王欣太『蒼天航路4』講談社漫画文庫(2001)
劉備のセリフ
p201
いかに戦を少なくし世の民草を泣かさずに 天下をおさめるか!
それが真の覇業ってもんでしょう!
『蒼天航路2』
p422
黄巾党のモブのセリフ(黄巾党は民衆の中から出た反乱軍、つまり民衆側の人間)
ま 待てい!
き 貴様 侠でありながら瀕死の民草を捨て腐った朝廷におもねるか!
《引用おわり》
複数の校閲さんがついているであろうプロの作家先生たちが「民草」という言葉を「民に寄り添うキャラクター」や「民衆側の人間」に言わせているのです。
ですから「小説家になろう」でセリフに「民草」を使っている作者様がいても怒らないであげてほしいのです。
というわけで、引用元の小説についてちょっと語らせてください(*^_^*)
まず谷津矢車さんの作品。
谷津さんの歴史小説は軽い感じの文章でさわやかな読後感があります。歴史小説が苦手な方にもおすすめです。
引用したセリフは将軍義輝のセリフです。史実の義輝はどうか知らないけれど、この作品内では義輝は民草を思いやるキャラクターです。ネタバレしないように引用したので、興味のある方はぜひお読みになってください。
次に浅田次郎さんの『壬生義士伝』について。
個人的にこの作品は思い入れが強い作品です。語りだせばとまらなくなる(笑)
ある新撰組の隊士を主人公にしています。
映画化もされて大ヒットしました。
映画もよかったのですが、ぜひ原作を読んでほしいです。
原作を読めばわかります。これは「民草」のための物語であると。
人は「民草」のために生きたいと思った時に「義士」になる。『壬生義士伝』の主題はそれだと私は思っています。
「国民」や「領民」「市民」ではなく「民草」という言葉でなければこの主題は伝わらないのです。
「草莽」という言葉も『壬生義士伝』には出てきます。
「草莽」「民草」
この二つの言葉を効果的に浅田先生は使ったと私は考えています。
とにかく、読んで……!
では次に、駒田信二さんが訳した『水滸伝』
原文(中国語)では「民草」ではなく「万民」とか「百姓」と書かれています。
駒田さんがどういう意図で「民草」と訳したかはわかりません。
しかし、「水滸伝」のストーリーを思えば、けして侮蔑的な文脈で使ったのではないとわかります。
最後に『蒼天航路』
小説ではなく漫画ですが。
この漫画は「民草」がしょっちゅう出てきます。
もしかしたら原案者の李學仁さんが在日コリアンだからなのかな、と深読みしています。というのも、「民草」は韓国語にもあるのです。
クリエイターの出自でその作品を語るのは色眼鏡をかけて見るようでよくないことだとはわかっていますが……。
日本語にも韓国語にもある「人々」を意味する「民草」という言葉。李さんはどんな思いを込めて登場人物たちのセリフに「民草」と入れたのか。
うーん、やっぱり私の深読みのしすぎかもしれませんね(^_^;)
単に「民衆」の昔風の言い方と思っていただけもしれません。そもそも李さんの一存でセリフを決めていたかもわからないですし。
韓国語の「民草」について調べたことはまた今度書きますね。
現在、韓国人の知り合いがいる友人にお願いして調査中です。
前書きで宮本百合子先生の文章をdisりましたが、私は投票日には眠っていたい無党派層です。
また、共産主義を批判する意図はありません。
辞書に載せる用例にするには不適切だと言いたいのです。
辞書に立項した言葉そのものを独自解釈している文章を載せるのはおかしいでしょう。
たとえば、「人」という言葉を辞書でひいたとします。その用例として金八先生の「人という字は〜」という文章を載せていたらどう思います?編集さん何ややこしいことしとんねん、て思いません?