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恋悪魔コントラクト!  作者: 鴨志田千緋色
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プロローグ in july

 



「鮮やかな世界を手に入れた、あの日を境に」

 一つの出会いが運命を変え、彼は色とりどりの世界を得た。それまでのなに一つ変わらない退屈な白い世界から解き放たれたのだ。

 白夜の中で一人ぼっちでいる必要はもうない。望んだものは手に入った。どんなに望んでも手に入らなかったものが今はある。


 ――しかし、なにかを得るには代償が必要だ――


 より高価なものになればなるほど代償は大きくなる。

 それでも人は犠牲を顧みず、欲しがらずにはいられない。

 努力を惜しまず、できることならなんでもする。血みどろになっても、泥水を啜ってでも。


 ただ己のために。


 例えどんな犠牲を払ってでも……人間は渇望し続ける生き物である。

 



***


 物憂げだった梅雨は終わりを迎え、太陽がジリジリと身を焦がす日が続くようになった。

 教室の窓からは青葉の茂った樹々が間近に見える。おかげで日照りが軽減しているように彼は感じた。

「じゃ、気をつけて夏休みを迎えるように! あと、羽目を外し過ぎないように! はい、解散!」

 担任の草刈がそう言うと、生徒たちは各々下校の準備に取りかかった。

 季節は夏。

 終業式を終えた高校生たちは夏休みを迎えようとしていた。周りには友人と明日からの予定を立てるものや放課後どこに行くかを話している生徒で溢れかえっていた。

 その中で一人、彼は呆然としていた。

拓海たくみー! 帰ろうよ!」

 独りきりだった彼の世界に声が迷い混んできた。元気で明るいという表現がまさに相応しい女の子の声だった。

「うん? ああ、もう放課後か……」

 拓海――窓側の席で外の景色を眺めていた男子生徒の名前だ。

 拓海は声の聞こえた方に顔を向けた。振り返ると数センチもない距離のところに声の主の顔がある。

「うわっと! 近っ! 近けーよ! 俺の顔を眺めるならあと二、三メートル離れろよ!」

「だって終業式終わったのに上の空だったしさぁ。ってか二メートルって遠くない?! もしかして私のこと嫌い?!」

「はあ。嫌いとかそういうことじゃじゃなくて優姫ゆうきはいつも近いんだよ。心構えとしては二、三メートル離れるくらいにしろってこと」

 優姫と呼ばれた少女は「ごめんごめん」と顔の前で手を合わせながら謝罪した。彼女の淡い栗色に染められた髪の毛は拓海の目に明るく映る。

「で! なに見てたの?」

 先ほどの注意などお構いなしに優姫は顔を寄せてくる。

 拓海は反射的に彼女の頭を手の平で押し返した。「見えない! 見えないよー!」という言葉が指と指の間から漏れ聞こえてくる。

「いや、木が綺麗だなって思ってさ。忘れないように焼き付けておこうって」

「木? 別にこの木普通の木じゃない? それにこんな景色ならいつでも観れるよ? 明日でも来週でも来月でも来年でも」

 諦めて距離を置いた優姫があっけらかんと言った。

 彼女の言葉を聞いた拓海の目はどこか遠くを見ていた。なにか特定のものを見るわけでもなく、ただただ虚空を見つめていた。

「そうはいかないんだよなぁ、これが。今の一瞬はもう二度と訪れないし。それに思い出は多い方がいいだろ?」

「そうだね!」

「じゃあ帰るか。結衣ちゃんと剛も一緒にさ」

 拓海は荷物をスクールバックにとっとと詰め、自分の座席をあとにした。

 もう彼の目は虚空を見つめてはいなかった。



***


「またボケっとしてたの、拓海? 君の悪い癖だよ」

「別にボケっとしてた訳じゃないっての!」

「本当かなぁ」

「なんでこんなことで嘘つく必要あるんだよ! 俺は景色をだな……!」

 学校から駅に向かう道すがら。

 拓海は隣を歩いている友人と言い争いをしていた。

 彼の名前は松島剛まつしまごう

 釣り目で愛想のない顔の拓海とは違い、剛は端正な甘いマスクをした面立ちであった。そのルックスのおかげで学校での彼の人気は限界を知らない。

 拓海は常々「なぜこいつが自分の友達なのだろう?」と思っていた。

「はいはい。拓海の言い訳は分かったから」

「言い訳じゃないっての!」

「優姫ちゃーん! ちょっと来て!」

 話を耳に通す気のない剛は数歩先を歩いている優姫を呼んだ。その隣をクラスのマドンナと称される結衣ゆいが歩いている。

 結衣も剛と同じく容姿端麗で人気が高い。しかも彼女の場合は学力を伴っているという有様。文武両道、才色兼備。拓海や剛や優姫とは大違いだった。

「なになに?」

 剛に呼ばれた優姫が嬉しそうに駆け寄ってくる。同時に彼女の隣を歩いていた結衣の足も止まった。

 拓海は心の内で「近寄って来なくても良いだろうに」とぼやいた。

「拓海またボーッとしてたんでしょ?」

「うん! してた! チョーしてた!」

「やっぱりなー」

「おい! 俺よりこんな単純の言うことを信じるのか?!」

 剛は無言で首肯する。彼はどうしてもボーッとしていたということにしたいようだった。

 拓海は思わずため息をつく。この時にはもうどっちでもいい気がしていた。

「結衣ちゃんはどう思う? 俺ってボーッとしてる人間?」

「たまにボーッとしていたい時ってあるよね!」

「ごめん……結衣ちゃんに聞いた俺が間違いだった……」

 結衣の的はずれな返答に拓海は片手で顔を覆った。彼女と話しているとこういうことが多々ある。

 結衣はどこか抜けていて少しおっとりした子であった。こんな子がイマドキの高校生の化身のような優姫と親友というのが拓海からしたら嘘にしか思えなかった。

「ともかく拓海はボーッとし過ぎ。優姫は元気過ぎ。結衣は間が抜け過ぎ。ってことだね」

「お前は面倒臭過ぎ。その性格さえなんとかなれば男として百点満点だっての」

 明るい顔でさらっと鋭いことを言ってくる剛に拓海が笑顔で毒づいた。

「えー! 酷いぞ、拓海ぃ!」

 剛の話に耳を貸さず、立ち止まっている三人を置いていくように拓海が先を歩いていく。「待ってよー」という優姫の声が背後から聞こえても足を止めることは決してなかった。

「早くしないと電車行っちゃうぜ?」

 振り向いてそう言うと拓海は再び前を向いてひたすら駅へと歩いていった。



***


 向かいのホームにはよく見知った美男美女がにこやかに微笑んでいた。知らない人から見たら理想のカップルで羨ましいと錯覚してしまうかもしれない。

 だが、拓海は知っている――彼らはそういう仲ではないことを。

 以前、剛に結衣のことをどう思っているか聞いたことがある。答えは「異性としてはどうも思ってない」。

 それを聞いて安堵したことを拓海はよく覚えている。一番敵にしたくない相手が味方でいてくれる……これほど心強いことはないと思った。

 わかっているからか、目の前で談笑している彼らを見ても負の感情は湧き上がらない。そもそも好意が薄いのかもしれないとも彼は思った。

「また結衣のことばかり見てるね、拓海」

 ふと、拓海のそばにいた優姫から声が漏れた。

 彼女とは電車の方面が一緒でいつも二人で帰ることが多い。だが、剛と結衣の関係と同じように彼らもそういう関係ではない。ただ仲がいい。それだけだった。

「いいだろ? 結衣ちゃん可愛いんだし」

「ふーん」

 剛と結衣のホームに電車が舞い込んできた。同時に彼らの姿が陰に隠れて見えなくなる。

 それで拓海が気落ちすることはなかった。さっきまでの結衣の表情は脳裏に刻んでいる。見えなくなってもいつでも思い出せるように。

 二人を乗せた電車は視界の右側へと消えていった。目の前のホームには電車から降りて改札に向かう人しかおらず、待っている人間は見当たらない。

 再び車両が視界を遮った。今度は拓海たちのホームに電車がやってきた。二人はなにを喋るわけでもなく、無言で乗車した。



***


「最近、結衣とどんな感じ?」

 各駅停車に乗ってから数駅が過ぎた頃。拓海の目の前の席に腰掛けていた優姫が上目遣いで尋ねてきた。

 車内は座席に座れない人が数人いる程度には混んでいる。彼らが乗った時には一人分の席しか空いてなかった。

「なんだよいきなり。別にどうもないよ。普通に仲よくしてる感じだよ」

 拓海は表情を変えずに言う。視線も優姫ではなく窓の外に向かっていた。シーンが目まぐるしく変わる。速過ぎる世界では景色らしい景色は見えない。

「それでいいの?! 結衣のこと好きならもっとアタックしないと! 私だって手伝うし!」

「余計なお世話だっての! そっちこそ寺坂先輩とはどうなんだよ? 今日も誘われてたじゃん。今度の試合、結衣ちゃんと一緒に行くのか?」

 勢いよく言う優姫に釣られないように話題をそらした。

 寺坂先輩とは優姫が好意を抱いているバスケ部の先輩であった。最近めきめきと頭角を表した選手らしく、今では部の主将を預かっているという。

「うーん、私は行くけど結衣はどうかな……でも、あれって結衣目当てだよね……って話そらしたなぁ?!」

「ッチ、上手く誤魔化したと思ったのにな」

 気づいた優姫に舌打ちをして悪態をつける。

 けれど、優姫のことを悪く思っているわけではない。拓海はむしろ波長が合う人物だと感じていた。悪気のない悪態や皮肉が言える数少ない人物である。

「もう夏休みだよ! ちゃんとここでアピールしないと! なんだったら四人でどっか行こうよ! 海とか海とか海とか!」

「は? ちょっと待てよ。なんで夏休み=海なんだよ?! 普通山だろ! 山!」

「山とか虫多くて嫌だよー! 絶対海!」

「海とか日焼けして、体力ごっそり持っていかれるだけだっての! 絶対山!」

 人目をはばからず、電車内で論争を始める拓海と優姫。

 彼らにとってそれは日常茶飯事だった。拓海自身も喧嘩するほど仲がいいのだと自負している。

 それでもこの話題は譲れない戦いであった。二人の会話が一気にヒートアップしていく。

「海でしょ! 海って言ってよ!」

「山だろ! 山なら日焼けは少ないし、静かにゆっくり過ごせんだろ!」

「海なら拓海のだーい好きな結衣の水着姿だって拝めるんだよ?!」

「うっ……!」

 拓海が一瞬でたじろいだ。

 クラスの高嶺の花……結衣の水着姿で釣られないわけがなかった。彼のターゲットであるのだからなおさらである。

 不意に次の停車駅を知らせるアナウンスが流れた。拓海の降車駅を知らせていた。

 彼はスクールバックを持ち直し、降りる準備を始める。同時に彼の頭の中ではある決断を迫られていた。

 乗降口のドアが開く。拓海はそれを確認するとおもむろにドアの方へと足を進める。

「……海でいいぞ。それじゃあ」

 降りる直前、振り返らず拓海がつぶやく。

 彼が乗降口から降りた瞬間、扉は鈍い音を立てて閉じた。

 優姫が拓海の言葉にどんな表情をしたのかは知るよしもない。ただ、彼自身は嬉しそうな顔をしていたに違いないと予想していた。

「僕もまだまだ単純だな。結衣ちゃんを手に入れるためにも努力しないとな……」

 過ぎ去っていく電車を見送りながら、人気の少ないホームで拓海は独り言ちた。

 電車が見えなくなったのを確認すると、再び彼は帰路に足を運ぶ……。



***


「ただいま」

 普通の高校生としてなに気ない一日を終え、拓海は帰宅した。

 家の中からは彼の言葉への返答はなく、薄暗い空間だけが目の前に広がっている。彼以外の家族はまだ帰っていないようだった。

 家の所々が古くなっており、薄暗がりの中で床の軋む音がする。住み慣れた拓海でも気味が悪かった。電気をつけながら、彼は二階にある自室をそそくさと目指す。

 階段を上り、目の前の扉を勢いよく開ける。そこが彼の部屋だった。

 部屋は出た時と変わらず床は散らかっていて、出た時と変わらずフィギュアやプラモデル類がきっちりと棚に並べられている。唯一の変化は――

「なんだ。来てたのか。いるなら先に言ってよ」


 ――宙に黒装束の男が寝そべっていることだった――


「『なんだ。来てたのか』じゃないだろ? それがこの俺様に対する態度か?」

「悪かったよ。今日は誰もいないからゆっくり夕焼けなり夜空なりを眺められると思っていたんだ」

 拓海は宙に浮く男をぞんざいに扱った。

 男が特異なのは宙を浮いていることだけではない。長く歪な角や関節の捩れた翼が背中に生えていた。

 だが、拓海は怖がる素振りも驚く素振りも見せない。

 拓海はまるで部屋に自分以外の者がいないかのように部屋着に着替え始めた。男とはだいぶ長い付き合いで、もう慣れてしまっていたのだ。

「まあいいさ。で、進捗の方はどうだ? やつは落とせそうか?」

「ああ。邪魔者がまたいるみたいだけど契約の履行に支障はないよ、アクセル。約束通り僕が桐嶋結衣きりしまゆいを落としてみせる……」

 よそ行きの気取ったヘアスタイルを崩し、ラフな格好に着替え終えた拓海が男に言った。


 黒装束の男の名はアクセル――拓海が契約した恋悪魔こあくまである……。


「俺様との契約の履行に勤しんでいるならそれで構わないさ。もし不履行となった時は――」

「わかってる。みなまで言うなよ。あんな生活に戻るつもりはないよ……」

 教科書やプリントが散在している部屋に二人の声だけが響く。同じ部屋にいる彼らは友達でもなければ、仲がいいわけでもない。


 二人を繋ぐのは『契約』という二文字。


「わかっていればいいんだ、わかっていれば。それじゃあ今宵は邪魔な契約者コントラクターの抹殺と行こうか! 排除対象のDの契約内容は把握してるな?」

 黒装束の男は愉悦を楽しむかのようにケタケタと笑った。

「バスケ部の寺坂が契約した悪魔だろ? あんな安直な願望すぐにわかったさ」

 そう言うとアクセルは「それは結構」としたり顔をみせる。

 拓海は眼鏡をかけ、ペンを手に取って机に向かった。机の上には赤黒い表紙をした禍々しいノートが置かれている。

『契約者名:寺坂斗真

 契約内容:バスケットボールの技術向上

 不履行時のペナルティ:恋悪魔に関する記憶の抹消及び再度契約不可。靭帯損傷』

 ノートの真新しいページにそれだけを書くと、拓海は勢いよく十字に破り捨てた。

 寺坂が悪魔と交わした契約は『今』破られた。

 これで寺坂はもう二度とバスケットができないだろう。彼は知らないうちに自分が契約した悪魔から全てを奪われたのだ。


 拓海は一息ついて、部屋の窓から空を見上げた。


 ――契約者コントラクター同士の争奪戦が始まる――


 その渦中に拓海はいる。


 一人はどこにでもいる男子高校生を装っているわけありの人間。

 もう一人は彼の欲望とともに自身の欲望を満たすために契約した悪魔。

 二人が結んだ契約の末路は『履行』か『不履行』か……

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