残す期間は一週間
「Bmo――――!」
街外れにある、普段とは打って変わり禍々しい雰囲気を持つ森の中が巨大な雄叫びによって騒然となる。
体の周りに黒い霧に似た不可解なものを纏ったイノシシが、目の前に立ちはだかる少年に対して威嚇しているのだ。
「…………」
一方、威嚇されている少年は“余物”と成ったイノシシを前にしても表情に怯えは無い。
ただただ無感情の眼差しで、大楯と片手剣を構えながら突進の準備をする余物を見つめているだけだった。
「Bmo――ッ!」
痺れを切らしたのか、余物はイノシシと同じ形で突進を行い少年に突撃するため走り出す。
イノシシの身体からは到底考えもつかない速度で少年の元へ突き進む余物。
普通の人ならば成す術無く横に逃れるほかないだろう――
「ッふ!」
――“普通の人”ならば。
少年は余物の牙を鋼で出来た大楯で一瞬受け止めると、そのまま流れるように大楯の構えをずらして牙を滑らせる。
そうしてしまえば、今少年の目に映るのはただ巨大な隙を晒しているだけの敵に過ぎない。
迷いなく少年は予め振り上げておいた片手剣を勢いのまま下ろし、切れ味のない刃で半ば無理矢理切り裂いた。
肉を断つ音、骨を砕く音、肉を潰す音、内臓を壊す音。
体制のない人ならば一瞬で吐いてしまうだろう音を聞きながら、少年は特徴的な緑の髪を血に濡らす。
「……ま、こんなものか」
深翠の瞳に“イノシシだったものであり、余物だったもの”を映しながら、緑の少年……ウィリアムはそう呟いた。
未だ禍々しい雰囲気を漂わせる森に、僅かな間の静寂が訪れる。
ウィリアムがクェンテに来てから今日で3週間が経とうとしていた。
“呪病”の治癒はかなり進んでおり、未だ能力や大楯は出せないものの身体能力は殆ど本来のものに戻っている。
いや、倍率的には未だ全開ではないのだが常日頃の鍛錬の結果として素の身体能力が上がっているので、今の段階で殆ど元に戻っていると表現しているのだが。
「ウィリアム、どうやらキミも終わったらしいね」
「あ、はい。今終わりました」
森の奥から現れた人影……スキンヘッドの厳つい顔をしたエレベンテに多少驚きつつ、ウィリアムは無事終わったことを報告する。
同時に、無傷で余物を倒せたと言う事実に改めてウィリアムは『騎士の力』に対して驚く他なかった。
一度は完全に『騎士の力』を失っているウィリアムにとって、どれほどこの力が凄まじいかを再確認する良い機会だったのである。
また過剰な自身の力に頼らず、本来の人間が持つ技術のみを駆使して闘う最低限の経験も得られた。
特にその中でも“盾流し”は、敵の攻撃を受け流しつつカウンターに持って行ける為にウィリアムが最も重宝していると言って良い。
「ふむ、流石は『騎士の力』と言うべきか。無論キミの技量もかなりのスピードで上がってはいるが、余物と一対一で戦ったにも関わらず無傷なのは『騎士の力』に違いはないからな」
「えぇ、それについては俺も重々把握しています」
確かに余物は強いだろう。
だが、その名の通り“余り物”なので禍族に比べれば天と地の差だ。
故にウィリアムにとって今の自身の強さでも“まだまだ”という判定である。
全てを護る為には、圧倒的に力が足りなかった。
「ギリギリまで体を苛めているのですが、やはり一定以上の効果は見込めなくて……」
どこか焦るように頭をポリポリ掻くウィリアムを見たエレベンテは、一つため息をつくと半目で少年を睨む。
「鍛錬は辛く苦しいものだが、やりすぎると逆効果だ。あまり自身の体を苛めすぎるな」
「……はい」
反省したのか、顔を伏せるウィリアム。
だが彼はこういう忠告は聞かないということを、何度も同じ忠告をしたエレベンテ自身が知っていた。
ため息を無意識につこうとして、すぐさま自身がため息をまた吐こうとしていたことに気付きエレベンテは慌てて鼻から息を出す。
(若気の至り、だと良いんだが)
自分で思っておきながら、それはないなとエレベンテは思い直した。
その後、ウィリアムはエレベンテから日給/一応、余物を駆除しているのである程度の賃金を渡される/を貰い宿に泊まった。
眠気眼をこすりながら硬い黒パンと昨日倒した余物と成っていたイノシシの肉を焼いたものを食べ、街へと出て鍛錬を始める。
襲い来る眠気を振り払うため何週も街を走り、筋トレを十二分に行ってから大楯と片手剣の戦い方を復習。
日の上がり方から時間を見極めて、ある程度朝日が昇ればアニータの元へ治癒に行く。
――それがこの三週間で培われた日々だった。
「こんにちは、アニータ。今日もよろしくな」
「えぇ、分かったわ。いつもの場所で待っていなさい」
治療院を経営している彼女だが、夕方になるまでは基本暇を持て余していることが多い。
衛兵たちの訓練も基本は昼頃から日が落ちるめいっぱいしているからである。
今では余物が出現している為その駆除に訓練の時間を使っている訳なので、結局は怪我人が出るのは夕方からなのだ。
「待たせたわね、ウィリアム」
院の奥にある部屋で大人しく座って待機していたウィリアムの元に、とてもではないが治療院を経営しているとは思えない姿をしたアニータが現れる。
白衣などの白を基調とした服は一切着ておらず、真逆の黒を基調とした上半身に青のスカートを履いているのだから違和感が凄まじい。
「最初の頃はちゃんと白い服だったのに、今じゃ完全に私服だな」
「うるさいわね、あの制服はピッチリしてて嫌いなのよ」
アニータの治療院に勤めているとは思えない言動に苦笑しつつ、ウィリアムは心の中で頬を緩める。
何せ最初は来ていた制服を今は着ていないのだから、それだけ信頼されているとわかってしまうから。
そうやって頬を緩めるウィリアムも、今では完全にアニータのことを信頼していた。
何だかんだ言って、最初は王女と下僕レベルの関係だった二人がここまで互いを信頼するということは、相性が良かったのだろう。
今の関係をエンテに見せてれば、恐らく白目を剥いて驚くはずだ。
私服だと指摘された羞恥心でアニータは顔を赤らめるが、それを振り払うかのように水之治癒を出現させる。
「それじゃあ始めるわよ?」
「あぁ、頼む」
慣れた手捌きでウィリアムは上半身を脱ぐと、比べ物にならないほどついた筋肉を外に晒す。
よく三週間でここまで鍛えあげたものだとアニータは思いながら、他人を癒す能力である“治癒よ、体を治せ”を発動させた。
「…………」
「…………」
互いに信頼したとはいえこの静寂は変わらない。
それは二人ともがこの静寂を壊したくないと考えているからこそだ。
癒し、癒される者にとってこの静かな雰囲気は心地良いものだったのである。
また同時にウィリアムは待ち、アニータは勇気を振り絞る時間でもあった。
信頼する相手だからこそ、“この”想いを受け止めてくれると信じていたから。
信頼する相手だからこそ、“その”想いを話してくれるのだと信じていたから。
「……ウィリアム」
「あぁ」
打ち解けあってから一週間が過ぎた今日。
“呪病”が完全に消えるまで後一週間となった今日。
――アニータは、ようやく口を開く。
「聞いてほしいの。何故私が自分を“人嫌い”なのだと押し込めているのか、その理由を」
「ちゃんと受け止める」
たった一言。
それだけで彼女は安堵の息を漏らすと、徐々に語り始める。
彼女が矛盾した望みを持ち、“人嫌い”だと思い込むようになった始まりの過去を。




