2-1 抱きしめられて
深夜になっても、沙蓮は目が冴えて眠ることができずにいた。
深迦もアシアも、何か大事なことを隠している。
寝台の布団の中、まぶたを閉じても一向に眠りは訪れない。この辺りでは床にじかに布団を敷くのが主流だが、沙蓮の家では寝台を用いている。
かたん……。
隣の部屋から音が聞こえた。
「深迦もまだ起きてるんだ」
寝台から這いだして、廊下へと出る。深迦の部屋の扉を開けようとして、ためらった。
子どもの頃なら、怖い夢を見たとか眠れないからと、彼の布団に度々もぐりこんでいたけど。
さすがにもう十七歳で、それは変だろう。
その時、急に扉が派手に開いた。
「きゃあ」
ごつん、と鼻の頭が扉にぶつかった。
「なんだ、沙蓮か。曲者かと思ったぞ」
「なによ、曲者って」
「まぁ、平たく言えば泥棒だな」
この家に盗まれるようなものなんて、ないじゃない。
鼻をさすりながら、沙蓮は深迦をにらみつけるように見上げた。
「怪我をしたのか?」
「してませんっ」
「鼻血が出てるぞ」
「えっ?」
てのひらを見ると、べったりと赤い血がついていた。沙蓮は自分の血にびっくりして、その場にへたりこんでしまった。
「おい、嘘だろ? しっかりしろ」
平気、と言いたいのに。貧血を起こしたみたいで、しゃべることもできない。
急に体がふわっと持ち上がったと思うと、沙蓮は深迦に抱き上げらられていた。そのまま室内に入り、寝台に横たえられる。
深迦のにおいのする布団と枕。彼の好きな薄荷の香油だ。
まるで深迦に包まれているみたい。
そう思ったとき、本当に抱きしめられていた。
(え? なに? なんで?)
頭の中が混乱して、訳が分からなくなる。
「体温が少し低いようだ」
柔らかな布で、顔を拭かれる。深迦の腕の中に閉じ込められたままの沙蓮は、動くこともできなかった。
ぽつ……ぽつ、と雨が屋根を叩く音が聞こえた。
土の湿ったにおいが、開いた窓から流れ込んでくる。
「紅水河が現れるかもしれないな」
深迦のつぶやく声が、耳元で聞こえた。
二十八歳になる深迦の声は、低くて。こんなに近くでささやかれると、ぞくぞくする。
沙蓮の記憶にある深迦は、いつも大人びていたけれど。年の差を考えれば、一緒に暮らし始めた当時は十三、四歳ほどだったはずだ。
どうして自分にも深迦にも両親がおらず、まだ少年だった深迦が幼い沙蓮を引き取ったのか。その理由は知らない。
「もう平気」
「まだ手が冷たい」
握られた右手に、深迦の唇が触れる。
(これは……体温を計るためよね)
抱きしめられたままの沙蓮は、瞼を閉じた。
「このまま眠りなさい。体力が落ちていては、檻から逃げ出すことができても砂京に戻ってこられない」
「帰ってくるわ」
「ああ、待っている」
沙蓮の指に、深迦が長い指をからめる。
何を? とぼんやり考えていると、指を開かれた。
てのひらにそっと載せられる、ひんやりと硬いもの。
「授与式には、これをつけるといい」
深迦の手に包まれ、再び指を閉じられる。手の中を確認しようと思っても、瞼が重くて開けられない。
「部屋に……戻らなきゃ」
「このままでいい。おやすみ、沙蓮」
その声に導かれ、深迦の腕の中で眠りに落ちていった。
翌朝、雨の音で沙蓮は目覚めた。
(あれ? 壁が違う。なんでこんなに本が積みあがってるの?)
ふわりと漂う薄荷の香りをかいだとたん、はっきりと目が覚めた。
「ここ、深迦の部屋だわ」
起き上がろうとすると、何かに体を押さえつけられた。見れば、自分のお腹の辺りに深迦が腕をのせている。っていうか、同じ枕で深迦が眠っている。
意外と長い睫毛、すっきりとした顔立ち。
こんなに間近で深迦の顔を見ることって、めったにないから。
つい見とれてしまう。
(いや、そうじゃないって。どうしよう。子どもの頃ならともかく、一緒に寝ちゃったよー)
がんばっても、身動きが取れない。
いくら保護者で兄のような存在とはいえ、同じ布団で男女が寝ていいはずがない。
「待て待て。落ち着け、わたし」
深迦が目を覚ます前に、自分の部屋に戻ればいいだのだ。
アシアにばれたら、きっとすっごく怒られる。というか、むしろ深迦の方が責められる。
それも、ねちねちと。
「ふぐぐ……」
そんなに筋肉質でもないと思うのに、深迦の腕は重くて、抜け出すことができない。
その時、ふと沙蓮は自分の左手に何かがのせられているのに気づいた。
見れば、それは薄紅の水晶でできた花だった。澄んだ花びらの重なりは、どうやら髪飾りのようだ。
「これをつければいいって、聞いたような」
思いだそうとしても、記憶は曖昧だ。あとで深迦に尋ねてみよう。そう思ったとき、深迦が寝返りを打った。
よし、これで部屋に戻れるぞ。
明るい気持ちになったのは、一瞬だった。
「洛花……許して……くれ」
ささやくような寝言に、沙蓮は凍りついた。




