ネコを責めるを下策、胃袋を攻めるを上策?
「では、こちらが御注文の紅茶になります。お料理の方は只今、作っておりますので、もう暫くお持ちください」
「はい、ありがとうございます」
手慣れた所作で持っていたトレーからテーブルの上に注文した紅茶のポットとカップを移す女給仕さんに、俺は労いの意味を込めて謝辞を告げる。
カップを手に取り軽く紅茶の香りを楽しんでから、俺はそれを口に含む。
・・・うむ、運動した後だからでしょうか、いつもに増して紅茶が美味しいです。
元々の茶葉自体も良い物を使っているであろうその味に満足して、俺は一服の清涼剤を飲み下した。
一心地ついて寛いだ俺がふとネコ娘に視線をやると、彼女は場に緊張してるのか所在無さげに周囲を見回していた。
「そう言えばまだ名乗っていなかったが、俺はサカキ・エン。因みに姓がサカキで名がエン、気軽にサカキとでも呼んでくれれば良い。それで君の名は?」
既に鑑定によって彼女がスィージーという名前である事は知っているが、流石にその事実を表に出す訳にもいかないので、素知らぬ顔で尋ねる。
「……スィージー……です」
恐らく本当の名前を告げるかどうかを考えたのだろう、少しの躊躇の後、『ネコ娘』改めスィージ―は正直に本当の名前を答えた。
「お互いの名前を知って知り合いとなった事だし、訊いておきたいのだが、何故、君はあんな事をしているのかな?」
『あんな事』とは、勿論、『掏り』の事である。
「…、……」
心にある疾しさからか、スィージーは俺の質問に答えようとはせず、無言で俯き押し黙ってしまう。
「まぁ、それ相応の事情もあるのだろうから無理に訊こうとは思わないが、あんな事を続けていればいつか自分の身を滅ぼす事になるぞ」
・・・そもそも俺自身が自分の愚かさを悔い改めなかったが故に、異世界転生なんていう贖罪の道を歩んでいるのだから、他者に説教をしている場合ではないが、それでも言わねばならない事もあるか……。
正直、他者に偉そうな説教をするのは趣味ではないが、罪を悔い改めない事で破滅した存在は古今東西の至る所に存在しているので、敢えてここは偉そうに振舞っておく事にする。
「……私も自分が悪い事をしているのは分かっている。でも、仕方がないじゃない。貴方みたいに恵まれた人間には分からないかもしれないけれど、私たちみたいに例え惨めでも薄汚れても地べたを這いずり回って生きなきゃならない人間もこの世界には沢山いるのよ。只、裕福な家に生れただけで望む物を当たり前に与えられる人間もいれば、私たちみたいにどんなに辛くて苦しくても誰からも何も与えられない所か、当たり前のように切り捨てられる人間もいる。何も知らずに偉そうな事を言わないで…、……」
スィージーは、その想いの全てを吐きだすと再び無言で俯く。
その瞳から零れ落ちる涙が、彼女に代わって抑えきれない気持ちを語っていた。
自分の理不尽な境遇に堪え、生きる為に罪の存在を知りながらそれを犯す少女。
その少女が流す涙が俺の傲慢とも言える浅はかさを責める。
彼女に流させた涙への代償として、懐にある金品を差し出す事は簡単な事かもしれない。
しかし、それが本当の意味での解決になるとは思えなかった。
・・・確かに俺はこの世界の事を余りにも知らな過ぎるのかもしれないな。
『何も知らない』のは、この世界に訪れて過ごした時間が余りのも短すぎるから、でも『偉そうな事を言った』のは、俺の愚かさなのだろう。
人間に限らず、生きとし生ける者は等しく他者のモノを奪わなければ、その存在を生かし続ける事は出来ない。
それは生きる為に必要な糧を得る為の必然であり、決して逃れられない当然の定めである。
その定めの中で本能を以って自分が生きる為に他者の物を奪うのでは無く、理性を以って自分と他者を生かす為に分かち合うからこその人間である。
そして『知らない』からこそ、『知りたい』と思うのも又、人間である。
だが、相手が抱えるモノの大きさを知らないのに、そこに気安く踏み込んで良いモノかという躊躇いを抱かずにはいられなかった。
「済みません、お待たせしました」
スィージーが抱える事情に踏み込むかどうかを俺が思案していると、注文した料理を持って女給仕さんが現れた。
・・・腹が減っては戦は出来ぬというし、ここは一旦、休戦としておくとしよう。
前菜である数種の野菜を使った炒め物と焼いた肉にタレを掛けた肉料理、それと螺旋状に撒いて焼いてあるパンの其々を乗せた皿をテーブルの上に配した後、最後に果実の搾り汁が注がれた大きなグラスをスィージーの前に置き終えると、女給仕さんは一瞬だけ俺を睨み、次の瞬間には満面の営業スマイルを浮かべ、『残りのお料理は出来次第、持って参ります』と告げて去って行った。
・・・うぬぅ、アレは完全に何かを誤解しているな。
少しやるせない気持ちもあるが、最後に見せた接客スキルの高さの方に感心するだけに止めて、取り敢えず料理が冷めないうちに手を付ける事にする。
「俺一人じゃ到底食べきれないから、遠慮せずに食べてくれ」
実際、俺は元々が小食な性質なので、下手に遠慮される方が迷惑である。
自分が手を出さなければ相手も出し辛いかと考え、俺は簡単に合掌してから用意されていた箸を使って野菜の炒め物を取り皿に移す。
・・・あれ、この世界にも『箸』という物が普通に存在するのですね。
西洋チックな文化にそぐわないその存在に軽い違和感を覚えるが、生前に馴染んだ便利な道具なので逆に有り難いくらいの気持ちで受け入れておく。
・・・それでは、改めて頂きます!
箸で摘まんで口に入れた野菜炒めの味は、想像していたよりも遥かに美味しかった。
それは単純に野菜を炒めて味付けしただけのモノでは無いらしく、噛み締めると野菜本来の風味に加え深く濃厚な味わいが口の中に広がり、大いに食欲を刺激してくれる正に前菜としての役割を果たす逸品であった。
・・・好し、ならばこちらはどうだ!
前菜に刺激された食欲以上に高まった期待を込めて、俺は次に肉料理の方へと箸を向ける。
所謂、スペアリブと呼ばれる骨付き肉を焼いて、タレで味付けしてあるだけの簡素な料理であるが、こちらも先程の野菜炒めと同様に食べた瞬間、こちらの予想を遥かに裏切ってくれた
焼き具合、肉の柔らかさ、そして何より味付けのタレが絶品である。
そのタレはピリリと辛いアクセントを加える事によって、素材が持つ油の濃い味を全くクドくさせない絶妙な味わいを醸し出していた。
前世で得た知識によれば、肉の味を決める重大な要素の一つが肉が持つ脂の質で、それは食べている物が大きく影響するらしい。
この肉の主は間違いなく生前良い物を食べていたに違いない。
そして、その最高の食材を活かせる料理人の腕も又、最高のモノなのだろう。
正に『トラ、恐るべし!』である。
その感動を胸に抱きながら、俺は無意識とも言える動きで螺旋パンに手を伸ばし、それを食む。
・・・うぬぅ、すごくモチモチしていて美味しいです。
バームクーヘンを剥くようにして食べるのが好きな俺は、螺旋パンの端を咥えて反対の端を掴んだ手で伸ばすようにして一本のヒモ状にすると、リスの如くはむはむと咀嚼しながら胃袋に納める。
最後に紅茶を飲んで一息吐いた俺は、美食の虜となっった所為で完全に忘却していた同伴者の存在を思い出す。
視線を向けてみれば、スィージーは呆けた様子で俺の顔を見詰めていた。
・・・何々? 俺の顔に何か付いていますか?
恐らく俺の素敵な食べっぷりに感心しているのだろうが、正直、そんなにマジマジと見られると食べ辛かった。
「どうした? 遠慮はいらないから食べなさい」
先刻と同様に食べるように勧めて、彼女の方へと料理が乗った皿を寄せてやる。
するとスィージーは、小さく頷きおずおずと野菜炒めに手を伸ばす。
「美味しい……」
その言葉通りに喜色を浮かべたスィージーは、次に肉料理へと手を伸ばした。
・・・今だ!
俺は、この時を待っていましたと言わんばかりに歓喜して、素早く手にした箸を繰り出し、彼女が取ろうとしていた肉を横取りする。
「えっ!」
・・・ふっ、勝った!
驚き唖然とするスィージーに対し、俺は勝利の笑みで応えた。
「っ!」
俺の態度を目の当たりにして、プルプルと小刻みに震えるスィージーを見詰めつつ、俺はわざとらしく見せつけるように箸に刺さった肉を齧る。
「…、……意地悪、……(くすん)」
恨めしそうに見詰めるスィージーの視線を受けた俺は、口の中にある肉の欠片を素早く粗食して飲み下す。
「ゴメン」
俺は手にしていた箸を皿に置くと、素直に彼女へと謝った。
「でも、別に意地悪でこんな事をしている訳では無いよ」
「……嘘つき…」
・・・うぬぅ、信用が無いですね。まぁ、確かに先刻のアレじゃ信用も失われますね。
自分自身でも説得力に欠ける事は分かっているが、本当に意地悪をした訳では無かった。
「スィージー、君は先刻、俺に対し『物好き』だと言ったね。それで逆に尋ねるが、例えば今、俺が君に対しした事が君に対しされた事に対する仕返しだと言われれば、君は素直にそれを受け入れる事が出来るかな?」
「……出来ない」
差し詰め俺がした報復に対し理解は出来るが、納得は出来ないという気持ちなのだろう。
「では、もう一つ尋ねるが、かなり強引なやり方ではあったが俺にここへ連れて来られて、好きな物を食べて良いと言われた時はどんな気持だった?」
「……嬉しかった」
「では、最後にもう一つ尋ねるが、先刻、俺に食べようとしていた物を横取りされた時はどんな気持ちだった?」
「……凄く哀しかった」
・・・好し、これで俺の復讐が果たせる。
「話しを戻すと、君は俺が素直に反省してそれを詫びる為に示した誠意を『物好き』と言った。そして、君は俺のその態度に対し『おかしい』とも言ったね?」
「…うん、言った……、ごめんなさい」
俺が言いたい事を汲み取ったのか、スィージーは素直に自分の非を認めて謝罪の言葉を口にした。
「受けた痛みに対し痛みで返す。それを互いに繰り返せば、いつかはどちらも身を滅ぼす結果になりかねない。だから、受けた恨みなんてものは、それがどうしようもなく深くなる前に忘れてしまった方が良いし、それを許せるなら許した方が自分の為にもなる筈だ。まぁ、確かに君が言う通り、俺は『物好き』で『少しおかしい』のかもしれないな」
その昔、或る国と国の境にある桑畑で、そこに生えている桑の葉を廻った些細な諍いが発展して国同士の争いとなったという説話がある。
亡き祖父もその昔、些細な諍いが原因となって生じた争いの中に身を置いた事があると話してくれ、その経験から時に他者を許す事の大切さを教え諭された。
それでも全ての憎しみを許せる程に俺は寛容ではないし、この胸に今も尚、前世で受けた痛みに対する恨みが残されているのも事実である。
だから、俺が彼女に対し示した態度は、俺にしては『物好き』で『少しおかしい』モノと言えるのかも知れなかった。
「うん、やっぱりサカキは、物好きで少し変わっているわ。でも……ね」
「うん、何? 最後の所がよく聞こえなかった」
「……『ありがとう』って言っただけ」
はっきりとは聞こえなかったが、彼女が口にした台詞はもう少し違う言葉だった様な気がする。
しかし、それを確かめるのは無粋な気がして『どういたしまして』とだけ応えておく。
それにどうやら、本当の意味で彼女と和解できたみたいだし、それ以上の事を求めるのは欲張り過ぎというものだろう。
・・・藪をつついて蛇を出すのも莫迦らしいですしね。
だから、俺は無事に得られた今の平穏に満足する事にした。