(新装)街でリスと戯れました。②
「頂きます」
借りた手拭布を礼と共に女将に返した俺は、既に自分の為の朝食が用意されていた席に着き、早速、合掌してそれを頂く事にした。
『腹八分目は医者いらず』という訳ではないが、基本、小食にして特に朝は軽い量を好む俺だが、宣言通りに昨夜の料理に劣らぬその美味さに釣られて、ついつい満腹の一歩手前まで食べてしまう。
満たされた腹の満足感に一息ついて周囲に視線を遣ると、アーテが俺より先に食べ終えた食事客達に食後のお茶を注いで回っていた。
それぞれのテーブルをちょこまかと廻って、足りない背丈を補う為に背伸びをする形で茶器を傾けるその様子は、森を駆け回っている栗鼠の姿にどこか似ていて微笑ましかった。
「サカキさん、何でアーテを見て笑ってるんですか?」
自分を見ている俺の視線に気が付いてたアーテが、俺の許にやってくると他のお客さんにしていたようにお茶を注ぎながら、不思議そうに尋ねてくる。
「否、一生懸命に働いているアーテの姿が栗鼠みたいで可愛いなと思ってね」
「むぅ、アーテは、そんな子供じゃないです! サカキさんは、ゆうべからいじわるです!」
俺の返事を受けたアーテは、羞恥心を刺激された様に、機嫌を損ねてしまった。
・・・確かに昨夜の寝る前の一言は大人げなかった様な気がするが、今の一言はそれ程には意地が悪い訳でもないと思いますが、これが所謂、文化の違いというヤツでしょうか?
俺は、予想外のアーテの反応に困惑すると同時に、怒って頬を膨らませるその姿が益々、栗鼠に似ていると感じて笑いそうになってしまうが、これ以上は彼女を怒らせてはいけないと思い必死に表情を抑える。
「何かまだ目が笑っています。全然、反省してないです」
「アーテ、男の子は好きな女の子をからかって喜ぶ生き物なのよ。私も結婚前は貴女のお父さんによくそうされたモノよ」
仕事も一段落して余裕が出来たのか、いつの間にか現れた女将がある種の爆弾を投下してくれた。
・・・女将、貴女の中の俺のキャラは、素直になれない思春期の少年ですか? そして、朝っぱらから他者の惚気話を聞かされるのはきついのでそれ以上はご勘弁を……。
「済みません、調子に乗っていました。朝早くから起きて家の仕事の手伝いをする勤労な女性であるアーテ嬢は、立派な淑女です。軽い気持ちで変な事を言ってごめんなさい(ぺこり)」
『病は口から入り、災いは口から出ず』、正に『口は災いの元』という事で、知らぬ事とは言え失礼があったのならと思い、ここは素直に謝ておく。
そこでふと以前にもこれと似たような出来事があった様な気がするが、俺の中の第六感が今はそれを思い出すべきではないという忠告をしていた。
「分かれば良いです。サカキさんが言う通り、アーテは立派なシュクジョです、れでぃーです』
胸を張って言うアーテの姿に『立派な淑女は、オネショをしません』という言葉が俺の脳裏を過るが、それを口にする勇気は当然なかった。
「しかし、女将達を含め、この国の人達は凄く早起きなんですね」
「この王国に限らず、帝国でも大体これが普通なんですが、サカキさんがいらっしゃった国では、違われたのですか?」
「ええ、基本、夜が明ける頃に起きて、それから食事をして働く準備を整えてから、それぞれの仕事に出かけるという感じですね」
「夜が明けるまで寝てるってことは、サカキさんが暮らしていた所では、皆すごくいっぱい眠るんだね」
・・・アレ、何か凄い違和感というか、誤解ともいえる行き違いが存在していませんか?
単純に計算しても7時間から8時間の睡眠とその他諸々であるから、『すごくいっぱい』というには大げさである。
「ここでは一日の睡眠の休息時間が短いとか?」
「人それぞれで違いますが、大体は6時間ぐらいですね」
・・・うぬぅ、特に睡眠に割く時間に大きな違いは無しですか。とすると早寝早起きが徹底されているのでしょうか? あと普通に『時間』という単位が存在してるんですね(或いはスキルの《異世界言語習得》の恩恵でしょうか?)
とすると、世も更けた時間に現れて食事を御馳走になった上に、その後も余計な時間を割かせた昨夜の俺の行為は迷惑以外の何物でもなかった。
「重ね重ね昨夜はご迷惑をお掛けしました(ぺこり)」
そうとは露知らずとはいえ親切な母子を散々煩わせた上に、軽い冗談の積もりでアーテをからかってしまった事を猛省する。
「いえ、いつもよりほんの少しだけ遅くなっただけですし、普段ならアーテに勉強を教えたり、寝る前のお話をせがまれるので、こちらが助かったくらいです」
俺が口にした謝意を受けた女将の返事からは、それがお客に対する気遣いとしての社交辞令では無く、本心からの言葉である事が感じ取れた。
しかし、それが偽りない本心からくる言葉であるとすると、この世界の住人が特別な早寝早起きの習慣を持っているという俺の先刻の考えは違っており、これまでの遣り取りで俺の中に生まれた違和感は更に大きくなる。
俺と女将達の間には、確かに何か大きな認識の違いがあるが、それを解消する為の根本的な材料が不足していた。
その解消されない違和感に対するもどかしさに気持ち悪さを覚える俺の脳裏に、頼りになる存在の事が浮かび上がる。
・・・そうだ、こういう時こそ、『困った時の神頼み』ならぬ『天の声』サンの出番である(営業開始時間になっていると良いな)
「(『天の声』サン、聞こえますか?)」
【はい、聞こえています】
・・・良かった、営業時間になっている。
「(生活習慣の認識というか、時間的な認識というか、なにかその辺りでこちらの世界との間にズレを感じるのですが、その理由が分かりますか?)」
【それは恐らく、生前に貴方がいた世界に於ける一日の長さとこの世界に於ける一日の長さの違いがもたらした認識の齟齬だと推測されます】
「(……えーと、それはこの世界における一日は24時間ではないという理解で宜しいのですか?)」
【はい、正確にいうと『時間』という単位は、言語翻訳に際する当て嵌めになりますので、正しい知識という意味での説明にはなりませんが、概ねの理解を促す為の内容であると予めご理解ください】
「(はい、了解いたしました)」
【この世界における一日を『時間』という単位で計算して表しますと、貴方が生前に居た世界に於ける凡そ48時間となります】
・・・うぬぅ、一気に二倍ですか……。
【更に付け加えますと、この世界では一日を朝・昼・夕・夜の四つに分け、其々の時間帯を凡そ12時間として扱っています】
「(という事は、この世界に於ける一年も365日ではないという事ですか?)」
【はい、そうです。こちらも正しい知識ではありませんが、この世界に於ける一年を『日数』という単位で計算して表しますと、貴方の前世における凡そ360日となり、一月が30日からなる12の月に分けられます。更に付け加えますと、この世界では一年を三ケ月ごとに青・赤・白・黒の四つの時節に分けています。更に付け加えますと、今日は『白の2月22日』になります】
・・・おぉー、ゾロ目の日だ!
と一瞬妙な事で盛り上がりかける自分を鎮静化させ、『天の声』サンが授けてくれた情報を整理し思考する。
その結果として解った事がいくつかあった。
その① 昨日の俺は自分でも気が付かない内にかなりの時間を歩き続けており、単純計算で一日弱の間に100キロ以上の距離を移動した事になる。更に言えばまともな食事を取らない状態でそれを行った事になる。
その② 俺がこのファシアンの街に到着したのは実際の所、「夜更け」ではなく「宵の口」を少し過ぎたくらいの時刻である。恐らく街の門が閉められる直前に運良く辿り着いたので無事に中に入る事が出来たが、時間的に少し遅かった所為で、食事時を逃して夕食を食いっぱぐれそうになった。
その③ 文化的な違いとして、やはりこの世界の住人には基本的に早寝早起きの習慣がある。
その④ 転生後の俺の年齢が『19才』として設定されたのは、転生前後の二つの世界に於ける時間の差異を計算し調整した結果である。
それらの結論が正しいとすれば、その中でも特異ともいえるのは、最初と最後の二つである。
『空腹状態で一日中動き続けられる体力』と『転生前後の二つの世界の現実時間の差異による若返り現象に加え、三度の食事と充分な睡眠と休憩の時間を取ったとしても、一日の活動可能な時間が30時間以上ある』という二つの事実は、前世の常識を遥かに逸脱していた。
特に前者に至っては、そこに『更には生死を懸けた戦闘行為の継続』も可能にするという前世の常識で考えたら超人的と言える要素が加わるのである。
それを『異世界の幻想』という言葉で片付けるのは簡単だが、実際に経験した戦闘の記憶とサリーシェやカルミアーナさん達が見せた悲しみが、そんな安易な言葉では済まされないこの世界の現実を教えてくれる。
『多くの危険に満ちた世界』、俺をこの世界に導いた『彼女』は此処をそう言い表わした。
だが俺にとってこの世界は、『多くの希望と多くの危険に満ちた世界』である。
『夢は見るモノではなく、自らの手に掴むモノだ』
それは嘗て祖父の盟友であった人が好んだ言葉であり、そして、今の俺自身が同じ想いを重ねられる言葉であった。
『漢なら大きな志を抱かなければならないし、一度それを抱いたなら必ず果たさなくてはならない』
祖父が残した遺言の一つである。
描いた夢を掴み、抱いた志を果たす、それは容易な事ではないが、決して不可能な事でもない。
大きな希望を胸に大きな危険に挑む者、それを人は『冒険者』と呼ぶ。
お伽噺に語られる『英雄』という存在へと至る者にして、『夢への挑戦者』である彼等が実在する世界に、俺は新たな生命を与えられて導かれた。
此処は俺自身が望んだ世界、だからそれに挑まない理由は無い。
新たなる世界、新たなる生命、そして、新たなる人生、それらの全てが紛れもない確かなモノであると知り、俺の心は目の前にある現実に奮い立っていた。
「サカキさん、ボーとしてるとお茶が冷めちゃうよ」
アーテの言葉が俺の意識を夢想から現実に引き戻す。
因みに俺は猫舌なので、温いお茶も気にせず飲める性質である。
しかし、折角の気遣いの言葉なので、俺はアーテに対し笑顔で応えると素直に残ったお茶を飲み干した。
食後の一服を済ませた俺は、これからの一日をどう過ごすのかを決める為、改めて思考する。
懐具合からいえば充分過ぎる余裕があるので焦って直ぐに生活費を稼ぐ術を見付ける必要はないし、更に言えば昨日の戦いで得た魔石や素材が完全に残っているので、当面は生活するのに困る事は無いであろう。
とはいえ、この世界に於ける物価事情を理解してない立場上、油断していると生活苦になる可能性があるのは否めないので、早いうちに最低限の生活ができる基盤を築く必要はある。
取り敢えず今の俺に必要な事を頭のメモに書き出してみる。
① この街で生活する為の基本的な知識を得る。
② 生活に必要な最低限必要な物を揃える。
③ いざという時に身動きを封じられない為の身分を手に入れる。
思い当たるのはこれくらいだが、後は必要に応じて対処していくしかないだろう。
今日の予定は、この三つを行う事で決定である。
・・・ああ、そう言えば一つ遣り忘れてる事があった。
俺は、ふと昨夜の睡魔との戦いに負けて、先送りにしていた称号の件を思い出し、早速、鑑定する事にした。
『《聖霊獣と縁を結びし者》、聖域に棲む大地の守護者である聖霊獣と真の友誼を結び、その証を授けられた者に与えられる誉れ』
・・・成る程、麒麟さんや鳳凰さんとの友好に対するモノですか。序でにもう一つの方も鑑定をば。
『《亜竜殺し》、竜に属する者を討ち滅ぼした偉業の証である誉れ。下級竜種との戦闘に於いて有利となる肉体的感覚を得られる』
・・・『竜に属する者』、……?
いきなりの『竜』などというファンタジー世界に於ける『大物キャラ』の出現に戸惑った俺は、この称号を得た時の事を思い出してみる。
確かリフィナ達と知りあう切っ掛けとなった『鬼蛇百足』とかいう『希少種』を倒した時に、獲得した称号だった。
・・・ああ、確かに『角と腕を持つ蛇』=『竜』という事でならその範疇に入る存在ではあったな。
言葉の響き的には中々に格好の良い称号ではあるが、それに浮かれて自分で『《亜竜殺し》のサカキ』とか安易に名乗ったりすると、他者からは『ナンチャッテ竜殺し』とか『竜殺しモドキ(笑)』とかいう感じの生温かい評価を受けて、草ボーボーの雑草畑扱いされるんだろうか。
・・・うーん、ここは自嘲……じゃない、自重だな。
ここでもう一つ残っている『アレ』な称号を確認すると変な妄想で無駄に削ってしまった俺のSAN値が限界を超える可能性があるので、それこそ自重する事にした(『触らぬ神に崇り無し』っていうしね)
といことで、遣り残しを片付けた俺は、本日の予定を果たすべく早速、行動に移った。
・・・といってもこの街で唯一のまともな知り合いである女将とアーテに、大まかな街の造りと店の場所を教えて貰っただけですが……。
女将達の説明によると、ファシアンの街は凡そ正八角形に近い形をしており、その八つの角を縦横二本、斜め二本の大通りによって大きく八つの区画に分かたれ、縦横の中央通りを挟んで隣接する二つの区画同士を合わせて、其々を『北区』・『南区』という風に東西南北で呼び分けているらしい。
この宿屋が在る辺りが丁度、街の西区の入り口に当たり、この区画には、一般市民が暮らす場所が集中し、反対側の東区には、様々な店が集まる商店街や鍛冶・紡織・加工などをする工房が連なる商業区になっているので、俺の用事を果たすならそちらに行けばい良いと教えられ、その辺りに良い店があるので序でに昼食も食べてくれば良いとも勧められた。
女将達に礼を告げて早速出かけようとすると、モノすごく真剣な様子で、北区の一部には貧民街と化した危険な場所があり、その反対にある南区は貴族を始めとする富裕層が多く暮らす場所になっている事を教えられ、何故か北区には絶対に近付いてはいけないとしつこいくらいに念を押された。
俺も無用な揉め事に巻き込まれたくは無いので素直にそれを受け入れ、今日は大人しく東区に行って用事だけを済ませて戻ってくる積りで宿を後にする。
因みにこの宿の名前は、『森の憩い亭』という名前らしく、「リスっ娘が暮らす場所に相応しい名前ですね」と益体もない事を考えて苦笑してたら、何かを誤解した女将が、『この宿が出来た頃には、この周囲にはちょっとした森が広がっていて、それに由来して名付けられたんです』と教えてくれた。
「行ってらっしゃい、サカキさん~! ぜったいに北区には近付いちゃダメだよぉ~!」
女将と共に見送ってくれるアーテの今一度の念押しのしつこさに、そんなに危険なのかと微妙な疑問を抱きつつ、俺は手を振ってそれに応えた。
・・・俺の戦いはまだまだ続く!