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(新装)武士は食わねど高楊枝、されど正直なヤツが鳴く

「お待たせしました。お部屋の方の準備ができましたのでこちらへどうぞ」

 俺が泊まる部屋の用意を終え、二階へと続く階段の下まで降りてきた女将に促され、俺は階段へと歩み寄る。

『ぐぅぎゅるるぅー……』

・・・静まれ! 俺の中の小宇宙ハラのムシ

 『武士は食わねど高楊枝』という伝家の宝刀たる座右の銘(?)に従い、俺は平然とした表情を浮かべる。

「おサムライさんは、お腹が空いてるのですか?」

「いや、これは……『ぐぅぎゅるるるるぅー』……っ!」

 三十六の秘技の内の一つ『何食わぬ顔で誤魔化す』でその場をやり過ごそうとする俺に逆らい、『口や目よりもモノを言う』腹の虫がアーテの質問に返事を返した。

 俺は、純真な少女が向ける憐憫の眼差しにどう応えるか悩み必死に次の言葉を探す。

「ねぇーねぇーお母さん、おサムライさんと一緒にご飯食べようよ」

「そうですね、特別なモノは出せませんが、それでよければ一緒にいかがですか? 勿論、お代とかは要りませんよ」

 俺の腹の虫の悲鳴か娘の優しさにか、女将は微笑を浮かべて家族の団欒だんらんへの同席を勧めてくれた。

・・・ああ、真の女神、否、天使はここにいた!

 俺は、ありがたく二人の厚意に甘える事にした。


「はい、どうぞ」

 告げて女将は手際よく料理の器をテーブルの上に並べていく。

 三種類のパンが載せられた大皿に、肉と野菜を煮込んだスープの入った大振りな鍋、角切りにされた色とりどりの野菜を中心としたサラダが山のように盛られた器、そして、ゴーヤに似た真っ赤な三日月型の果物が乗った皿。

 そのシンプルな料理は、所謂、『まかない料理』というモノなのだろうが、決して粗末とは言えない素朴さを感じさせた。

「お母さんの料理は、とっーても美味しいんだよ!」

「そうか、それはすごく楽しみだ」

 俺とアーテが交わすやり取りに目を細めながら、女将は、手慣れた手付きでそれぞれの料理を器に分けて配ってくれる。

 スープ、サラダ、果物の器が全員に行き渡ると、女将は自分の席に着き、両の掌を合わせ互いの指を絡ませると、こうべを傾け神に対する感謝の祈りを捧げた。

 その傍らでアーテも母親にならって手を合わせ祈りを捧げる。

 俺は、二人に倣い、祈りを捧げるべきかと考えるが、見様見真似だけで信心も無くこの世界の神に祈るのも礼に反すると思い、自分が知る最高の作法である合掌をすると、糧となる命に感謝し、そして、その糧を分け与えてくれる心優しき母子に出会わせてくれた存在に対し礼を伝えた。

「では、頂きましょうか」

「頂きます」

 『天が与えた物を取らねば、後々後悔す』という言葉に従い、俺は遠慮なく目の前にある皿に乗ったパンの一つに手を伸ばす。

 ラグビーボールに似た形をしたフランスパンの硬さを持つそれは、甘みと塩加減が絶妙なハーモニーを奏でる絶品の味をしていた。

 正直、手にした硬い感触から、『硬くてスープに浸さなくては食べられない手強さ』を想像していた俺は、素晴らし過ぎるその味わいに、逆に裏切られた気分になる。

 そして、俺は次に手を出し口に含んだ煮込みスープに、更なる衝撃を与えられる。

 一言で言うなら、『美味しい』、二言で言うなら、『凄く美味しい』、それ以上の言葉で表現するなら、『言葉に出来ないくらいに美味しい』である。

 『空腹は最高の調味料』とは言うが、それを差し引いても最高に美味い料理であった。

「……」

「お口に合いませんでしたか?」

 『女将、この料理を作った料理人シェフを呼べ』とか、料理に対する称賛の言葉と共に怪光線を口から出す芸当をする自分を想像して、半ば硬直している俺の反応をいぶかり、女将が困惑気味に尋ねてきた。

「余りの美味しさに、称賛の言葉すら出てきません」

 相手が人妻で無ければ、勢い(調子?)にのって求婚プローポーズしそうな程に感動する俺がいた。

 そこで俺は、ある事実に気が付いてそれを尋ねてみる。

「そういえば、ご主人はいらっしゃらないのですか?」

 微塵みじんやましい心は無いが、こんな夜分遅くに家族の団欒に邪魔してる今の俺の姿は、傍目はためには、間男みたいな構図に映りるだろう。

「……」

 俺の言葉を受けた女将の顔が無言で曇る。

 その反応から前世で『空気を読まない男』と自らを評していた俺も、触れてはいけないモノに触れてしまった事を悟る。

「お父さんは、おサムライさんとして街の皆を護ったんだよ」

「?」

 女将に代わって答えるアーテの言葉の意味を一瞬図り兼ねる俺だったが、ここが侍という存在がいない筈の世界である事から、それが先刻交わした会話に繋がるのだと思い至った。


『侍とは、困っている者を助ける為に戦う誇り高く勇敢な戦士だよ』


『お父さんは、おサムライさんとして街の皆を護ったんだよ』


 その二つの言葉を繋げ、女将が見せた表情から察すれば、アーテの父親は、この街が何者かに襲われた際に戦い、それが原因で生命を失ったのだろう。

「済みません。余計な事を訊いてしまいましたね」

 俺自身も大切な存在を突然亡くす悲しみは知っている。

 今もなお癒えないのであろうその苦しみを考えれば、悪意が無かったとはいえびるべき事であろうと思い、俺はそれを素直に口にした。

「いえ、お気になさらないでください」

 心中の辛さを堪え微笑む女将の姿に、俺は胸を締め付けられる想いでもう一度、軽く頭を下げる。

「このが言った様に、主人は五年前に起きた魔物達の大氾濫の時、この街を護る義勇兵として戦い、その戦いの最中に仲間を助ける為に生命を落としたそうです。正義感の強い人で誰よりも勇敢に戦ったと聞かされましたが、例え臆病と言われても良いから私達の為に生きて欲しかった……」

 それはまだ幼い娘と共に残される者となった女将の偽らざる想いなのだろう。

 だから、俺は自分を誤魔化さない正直な言葉を口にする。

「貴女の御主人は、本当に誇り高く、そして何よりも優しいおとこだった。だから、貴女達に誇れる自分でありたいと思い、その結果、貴女達を悲しませる事となってしまった。それに御主人が目の前の敵から退く事が出来なかったのは、本当に護りたかったモノがこの街ではなく、貴女達だったからだと思います」

 人間ひとは大切なモノを護る為に強くなれると同時に、それが大切であればある程、失う事を恐れ臆病になるモノだと俺は思っている。

「アーテ、君は先刻、俺の事を『かっこいい』と言ってくれたけれど、君のお父さんの方が俺の何倍も格好良いよ。俺にも君のお父さんのように自らの大切なモノを護る為に戦い、そして、その戦いの中で生命を失った大切な存在がいる。俺は、その人が遺した想いに応える為に、彼と同じ『侍』として生きる道を望んだ。アーテのお父さんも君に幸せになって欲しいと望んだ筈だ。だから、君はそのお父さんの分まで生きて幸せになければいけない。女将、勿論それは貴女に対しても同じだと思います」

 ライシンさんが俺に対し注いでくれた想いの深さを思えば、アーテの父親が彼女達に対し抱いた愛情はそれに負けないくらいに深い筈である。

 大切な存在の死を悼むのは人間ひととして当たり前の事であるが、その悲しみに捉われて遺された者が苦しむ事を死んだ者達は望みはしないだろう。

 俺は、それに自らの死の間際になって初めて気が付き後悔する事しかできなかった。

 だから、この心優しき母娘おやこには、自分と同じ思いをして欲しくなかった。

「ありがとうございます。貴方の仰るようにきっと主人あのひとも同じ想いを持っていたと思います。だから、私は主人の分までもアーテを幸せにしてみます。この娘の幸せが主人の最後の望みであり、私にとっての幸せでもありますから」

 そう告げて笑う女将の表情は、とても穏やかでありながら、その内に力強さを持った晴れやかなモノであった。

「おサムライさんもちゃんと幸せにならないとだめだよ」

「ええ、そうですね。貴方も私達と同じように、大切な存在から遺された想いを叶える為に生きて幸せにならなければいけませんよ。貴方も主人と同じように勇敢な方なのでしょうから、危険を冒さないでくださいとは言えませんが、どんな時でも生命だけは大切にしてください。こうして同じ卓で食事を共にし言葉を交わし合った貴方は、私達にとってもう他人ではないのですから、貴方にもしもの事があれば、私もこの娘もきっと悲しむことになります。だから、約束してください、どんなに困難な窮地に陥ろうとも決して生きる事を諦めないと」

 二人の真剣な眼差しに俺は、『袖すりあうも多生の縁』と言う言葉を思い出す。

「分かりました。俺の生まれ育った国には、『武士に二言なし』という侍である武士は、自分が口にした事を決して違えないという言葉が在ります。だから、貴女達を悲しませない為にも自分の生命を必ず大切にします」

 俺は、そのことわざが持つ、『生命を賭しても約束を守る』という矛盾とも為りかねない真意を知りながらも、この場に最も相応しい応えとして口にする。

 それは自分の身を案じてくれる二人を騙す為ではなく、これから先、自らの信念を貫く為には、自らの生命を惜しんではならない事があると知ればこそであった。


『真の武士とは、名こそ惜しむ者なり』


『死ぬ勇気が在るのなら、生きる勇気を持て』


 それは誰の言葉だったのだろうか、遠い過去に聞いた相反しながら、それでも矛盾してるとは言えない言葉を思い出す。

 人間は、時に限られた選択肢の中から、自分が最善と思う答えを選ばなければならない事がある。

 己を恥じぬ為に生命を捨てる事でる事、恥辱に堪え生きて成し遂げなければならない事、その二つはどちらも容易に決断出来る事ではなく、選び行う為には確かな勇気がいるのであろう。


『この世界には、物語ドラマに描かれるような他者の窮地ピンチ颯爽さっそうと現れ救ってくれる英雄ヒーローなんて実在しない。だから、俺は多少無様で格好悪くても、目の前に困っている人間がいれば、それを助ける為に戦える存在になりたいんだ』


 幼き日に、愛する肉親の生命を暴漢によって奪われた少年は、嘗ての自分と同じ苦しみから他者を救う為に、その信念に自らの生命を捧げた。

 特別な縁も無き『誰か』を守る為に国防の徒となり、それでは本当に救いたい者を救えない事を知った彼は、そこで嘱望しょくぼうされた自らの将来を捨て、祖国すらも捨てて無辜むこの民を救う為に義勇の士として戦い、自らの誓いと志を貫いて異国の地でその生命を失った。

 ライシンさんと結んだ縁の深さから彼を慕い、その生涯を調べつづった存在が遺した彼の伝記によれば、彼の最後は、テロリストによってさらわれた少女を救う為に敵の巣窟に乗り込み、そこで行った壮絶な戦いの結果である相討ちだったらしい。

 多勢に無勢という言葉では足りない困難な状況を知りながら、彼は、たった一振りの愛刀のみを武器に敵陣に乗り込み、数多あまたの敵を退けて人質である少女を救い、そして、最後は敵の凶弾から少女とその父親を庇って果てたと記されていた。

 『彼』を知る俺には、彼がその戦いの中で本当に救おうとしたのは、愛する者を失い世界に絶望した幼き日の自分自身だったのだと思う。

 そして、彼は自らの言葉を曲げる事無く、その信念を最後の最後まで真っ直ぐに貫いた。

 若し、再び彼に会う事が出来、その決断を後悔しているかと尋ねる事が出来たなら、彼は、常に見せる困ったような笑みとは違う晴れやかな笑顔を浮かべて言うだろう。

『武士道とは死ぬ事と見つけたり』と。


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