表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋煩い  作者:
君の思い出
4/5

4 shake hands

すぐには声が出なかった。糸織に会おうという決心が嘘だったわけじゃない。ただ、糸織が目の前に居て、普通に、前と同じように話しかけてくれたことに驚いた。たった一ヶ月なのに、糸織の声を聞くのは、もっと久しいように感じた。

黙り込んでいると、糸織は、今日は月が綺麗だよ、と言った。

俺は伏せていた目を上げて、糸織と同じように夜空を仰ぐ。真上から、まるで二人を照らしているような、丸い大きな、とても綺麗な満月だった。

「ほんとだ」

生温い夜風と、虫の声に消されてしまうほどの声で、呟く。少しの間、月を眺めていた。

私はね、と糸織の声が、生温い風を切った。糸織は小学生の頃から、自分のことを私と言った。そんな他の子とは少し違った部分も、好きだった。

視線を糸織の方へ下ろすと、糸織はこっちを見て笑っていた。糸織は続けた。

「会いに来たんだよ」

その意味がよくわからなかった。ただ、糸織の頬が少し赤い気がする。

「俺に?」

すぐに返した。そう言ってすぐに、糸織の少しの笑顔と、当たり前じゃん、と言う少し低い声が想像できた。

「うん。結也(ゆうや)に会いに」

想像と、実際の糸織は全く違っていた。糸織が俺のことを結也と呼ぶことは、声を聞くことよりも、ずっと懐かしい。それに、糸織の笑顔は俺の想像していたものと違って、下唇を噛んで微笑む、初めて見る顔だった。

生温かった空気が、一気に温度を上げたように感じた。

「俺も、糸織に会いに行こうと思ってた」

糸織、と声に出すのは、俺も久しいことだと、言ってから気がついて恥ずかしくなった。そして、初めて見た糸織の顔がどういうものか、少しわかった。

糸織は、ちょっと歩こう、と嬉しそうに笑った。

「糸織、って呼ばれたの久しぶり」

糸織は俺の前を、跳ねるように大きく手を振って歩いた。

「俺だって」

俺はまた、前を跳ねる糸織に届くかわからないような声で、呟いた。

どうして、俺に会いに?という言葉が、喉で詰まった。もしかして、実咲と何かあったのだろうか。また想像の渦に呑まれそうになる。

「ねえ」

楽しそうに跳ねていたかと思うと、糸織はこっちを向いて真面目な顔をした。この顔は小学校の卒業式で、見た事のあるものだった。

「どうして、避けてたの」

虫の声に同調しそうな、悲しい震えた声で言った。俺はまた黙ってしまう。

その理由を言ってしまえば、俺の気持ちを告白しているのと同じだと思った。そうすれば、糸織が困った顔になるのは目に見えていた。

「私は、ずっと結也と、一緒に居ると思ってた。結也のことなら、なんでもわかると思ってた」

月の光が、糸織の涙に揺れている。

「でも、結也のいない夏休みが、こんなつまらないこと、知らなかった。みんなの前では笑っていられても、一人で、家にいると、悲しくて泣きそうになったの」

あんなに楽しそうに見えたのは、そう見えるように糸織が努力していたからだったのか、わからない。でも、糸織が嘘を吐いているようには見えない。今にも、糸織の焼けた頬に涙が溢れそうだ。

しおり。俺は糸織の目を見て、静かに糸織に言った。糸織は涙を手で拭った。いつもの、無邪気な笑顔が、糸織に戻った。

「結也、私が、何を言いたいかわかる?」

見当はついていた。だけど、もし間違っていたらどうする?

「わからないよ」

恐怖が勝ってしまった。糸織は、優しく微笑んで、右手を前に出した。

「じゃあ、仲直りしてくれたら、教えてあげる」

優しい声。声だけじゃない、こんな俺に糸織から仲直りのチャンスを与えてくれるなんて。

断る理由はなかった。糸織が誰を好きでも、もう嫌な思いをさせないと誓う。

握った糸織の手は、熱く、そして震えていた。そう感じて糸織の顔を見る。糸織は握った手をじっと見つめて、口をゆっくりと開いた。

「……好き、だよ」

糸織の声は弱く、澄んでいた。反対に、俺の手を握る糸織の力が強くなる。

驚きを超えて、夢じゃないかと思った。それも、すぐに手から伝わる熱が否定した。

「え……」

言葉が続かない。

途端、糸織は手を離してしまった。

「別に、だからどうってわけじゃないけどね。言いたかっただけだから」

糸織は笑った。悲しく、嬉しそうに笑った。その顔を、俺は忘れることは出来ないだろう。複雑な、そして今までで1番美しい顔だった。

俺は、何も言えないまま、糸織を家まで送った。

「じゃあね、また明日」

「また明日」

今日で夏休みは終わる。夏休み最終日、俺は初めて女の子に告白された。

好きな人に、好かれる事の喜びを知った。

この時はただ、手に残った熱が、愛しくてたまらなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ