Ⅱ
黒猫に教えられた次のスタンプがある場所は、インフォメーションセンターの下――三階のフロアにある一つの教室だった。幸い周囲に恐ろしいモンスターはいない。私はギュッとオマモリを握り締め、その教室のドアに手をかけた。
(焦ってる時ほど冷静になるんだ、自分。元の世界に帰れないなんて――絶対にない!)
バクバクと鳴り止まない心臓を必死に落ち着け、覚悟を決めて教室のドアを引くと、中は真っ暗だった。目が慣れていないこともあり、しばらくそのまま中の様子をうかがっていると、教室の闇の中にぼうっと淡く白い光を発する仮面が浮かび、息が止まりそうになる。
「あ、あのう……企画に参加されている方でしょうか?」
笑っているような表情の仮面から聞こえた可愛らしい声に、ホッと息をつく。そこで初めて、仮面の形がナキのものと似ていることに気付いた。
「……はい、そうです」
深く呼吸を整え、暗闇へと眼を凝らす。ドアから差し込む外の明かりのせいか、教室の中がどうも見えにくい……。
「あ、すみませんが、扉……閉めてもらえませんか? 明かりがあるとちょっと――」
「その、こ、こちらこそすみません!」
ワタワタとドアを閉めると、本当に真っ暗闇になってしまい、目の前の白い仮面の存在感がやけに増した気がした。
「今、蝋燭の明かりつけますね」
少々上ずった可愛らしい声からして、多分彼女(?)の言葉に反応するように、暗闇のあちこちでゆらゆらと揺らめく明かりが灯る。
「ええとですね……その、エミです。よろしくお願いします」
照れたようにぺこりと頭を下げたのは、ナキと同じフード付きの黒いズルズルしたローブに身を包んだ仮面のモンスターだった。ローブの中に隠れていた手には、やはりナキと同様の白い手袋をしており、胸元には蝋燭の明かりのせいで茶色がかって見える赤い星がゆらゆらと揺れていた。
「それとですね。スタンプはこの教室の上を飛び回っている千羽鶴のうちのどれか一羽なので、頑張って他と違う折り鶴を探してください!」
両手でガッツポーズをし、ガンバレアピールをしてくれるエミの言葉に、私は思わず首をかしげてしまう。
「千羽――鶴?」
蝋燭の明かりが届いていない暗い天井をじぃっと見つめる。エミの言葉を信じるならば、上を飛び回っている鶴が千羽いることになるが――
「ッ――」
暗闇に慣れてきた私の目が捉えたのは、無数の折り鶴。大きさが手乗りサイズに統一されたカラフルな鶴達は互いに接触することなく、キラキラと優雅に空中を舞い続ける。そのありえない――美しい光景に、思わず自分の置かれた状況も忘れて魅入ってしまう。
「あ、このテーブルの上にあるものは好きに使ってください」
エミの言葉で正気に戻った私は頭を軽く振り、現実へと目を向ける。教室の端には、それこそ学校の教室で見慣れた木とパイプの机が置かれており、その上には見覚えのある様々な物が用意されていた。
「虫取り網、虫取りカゴ、虫除けスプレー、サングラス、マスク、軍手、風船、うちわ、鏡、水鉄砲に――釣竿?」
鶴とは全く関係がなさそうな物がぎゅうぎゅう詰めで並べられており、それらを照らしている蝋燭が今にも机から落ちそうになっていた。
「あ、あと、折り鶴には魔法がかかっているので、うっかり壊してしまっても、いくらでも元に戻るようになってます。だからですね、安心して色々試してください」
「あ、はい、分かりました……」
数分間考えた末、手始めに虫取り網の柄の長さを調節し、飛び交う折り鶴を数十羽捕まえることにする。何をするにしても、まずはここに存在する折り鶴がどんな物なのかを知る必要がある。他と違う鶴を発見するためにも、この行為は必要だろう。
(……なんて思ってたけど――どうしよう、どれも色が違うだけでまったく同じに見える。そもそも、千もあるのに一つだけ違うって言われても、見つけ出せるのかどうか――)
これからの長い道のりに頭を抱えそうになり、思わずオマモリを握り締めてしまう。そんな時、ふと、閃いた。
(わざわざ魔法までかけて修復するってことは、折り鶴を使えなくして見分けをつけるってことにならない? それなら――)
たっぷりと水が入って重い水鉄砲を噴射し、空中の折り鶴を全て落としていく。気分はガンマンだ。
……なかなかに楽しい時間を過ごし、全ての鶴が地に伏す。その後、地に落ちた鶴の残骸の中、スタンプを必死に探したが、ついに見つけることはできなかった……。その数分後には、修復した折り鶴達が優雅に私の周りを舞い、エミが水鉄砲のせいで消えてしまった私の周囲の蝋燭へと丁寧に火をつけて回っていた。
自信があっただけに、スタンプが見つからなかったことに落ち込んでしまう。そんな私をあざ笑うかのように、綺麗な折り鶴達は私の目の前を行ったり来たりしている。
(あ――れ?)
そこで感じた違和感。そう、【何故折り鶴は私の手が届くこの距離にいるのか?】だ。最初は確かに天井にしかいなかったはずだ。だからこそ、机の上にある虫取り網の柄は最長の長さに調節してある。
周囲を見回すと、折り鶴は私の周囲と天井にしかいない。
(まさか――)
咄嗟に机の上を確認し、目標の物を見つける。この時ほど自分の観察力の無さを呪ったことはないかもしれない。見つけた物を持ち上げ鶴へと近づけると、案の定、サッと上空へと逃げられた。
「蝋燭――つまり、火が弱点ってこと?」
エミは私の言葉に何も言わず、一際短い蝋燭に火を灯した。
(たぶん、折り鶴の行動からもこれが正解――でも、蝋燭の火だけだと天井の折り鶴に届かないのも事実……)
もう一度、机の上に目を向ける。
(危険だけど、ここは化物の世界――むしろ、元の世界ではなかなか体験できないことだし、やってみる価値はある……)
私は念のためしっかりと軍手をはめ、サングラスとマスクをし、右手に虫除けスプレー、左手に火が灯った長い蝋燭を持った。……いわゆる、簡易火炎放射器の構えだ。正直、かなり危険なので、絶対に真似はしないでほしい。そして、今、実際にやろうとしている自分がめちゃくちゃ怖い。
(でも、元の世界に帰るためだし――)
意を決してスプレーを使用すると想像以上に強い火力が出て余計に腰が引けてしまうが、なんとか全ての鶴を焼き落とす。幸い、化物の世界に火災報知機やスプリンクラーはないようだった。後で思ったことだが、こういう場合はきちんと確認を取ってから行動に移すべきだろう。
(うん……次は気をつけよう。まあ、次なんかない方がいいけど――)
そっとスプレーとロウソクを机の上に戻し、床に落ちた残骸を注意深く見る。灰になった折り鶴達の燃え残り部分ではまだ火が燻っているようで、チラホラと煙が上がっている。また、魔法の効果なのか、辺りではキャンディーのように甘い香りが漂っていた。その匂いにクラクラする中、一際鮮やかな赤い物体を発見し、迷わず軍手ごしの手で引っ掴む。まだそれなりに熱かったが、最初に黒猫が押してくれたスタンプの形状と酷似している。
「わあ、おめでとうございます。それでは、その朱雀のスタンプを押させてもらいますね」
「あ、お願いします。ただ、熱いので――」
熱さのあまり、自身の軍手の上で転がしていたスタンプだったが、エミはそんな熱さなど感じていないのだろう。私の言葉を気にも止めず、サッとスタンプを受け取り、お守りの後ろに羽を広げた綺麗な鳥が描かれている赤いスタンプをポンッと押してくれた。
「それでは、足元に気をつけて下のフロアに行ってください」
「あ、はい――って、うわ!」
足元に転がっていた柔らかい何かを踏んでしまい、思わず転びかける。暗闇の中、転がっていたモノを見ようと後ろを振り返ったが、そこには折り鶴の残骸以外何も見当たらなかった。
「え――?」
「ええと――どうかしましたか?」
キョロキョロと辺りを見回すが、特に大きなモノは見当たらず、なんとなく背筋が冷たくなった。そうやって立ち止まっているうちに、周りの折り鶴達が淡く赤く輝き、元の綺麗な姿に戻っていく。
「何度壊れても再生する――まるで不死鳥【朱雀】のようですよね?」
すぐ傍でエミのものとは違う声音が聞こえ、再び息が止まりそうになる。
「ああ、突然すみません。私は闇の住人、ヴァンパイアです。私もここのスタッフなんですが、何しろ陽の光が苦手でして――闇の中で微睡んでいたら出てくるのが遅くなってしまいました」
濃厚な甘い香りが覆う中、蝋燭の光を浴び、ヴァンパイアは紳士的な笑みを浮かべた。白いシャツに黒いベスト、ピッチリとした黒いパンツスタイルに白い手袋、綺麗に磨かれた黒い靴――もちろん、彼女の胸元には、スタッフの証である青い星が揺れていた。そう、驚くべきことに、この紳士的でかっこいいヴァンパイアの性別は……女性だったのだ。もちろん、どこを見たかというのは言うまでもないことだと思う。
「あ、いえ、お気になさらず! そ、それじゃあ、私は次のフロアにい、行きますので!」
同性でありながらも、そのかっこよさについつい見惚れてしまった自分が恥ずかしくなり、私は大慌てでその教室から出ていった。その時、チラリと後ろを振り返ると、エミとヴァンパイアがドアからの光が差し込まない暗闇の中、優雅にお辞儀している姿が見えた。
☆ ☆ ☆
「先輩――あの、ありがとうございました。おかげで誤魔化しきれました」
エミがぺこりと頭を下げるのに対し、ヴァンパイアはエミの肩を抱き、ニッコリと笑った。
「気にする必要ないよ。だって、エミと私の仲じゃん」
「えっと――これ、どうしましょうか?」
「ああ、もう、つれないところも可愛いけど――とりあえず、消そうか。次の人間に気付かれても厄介だし」
自身らの後ろ――暗闇の中に横たわったモノに目を向けた後、エミとヴァンパイアは軽く頷き合い、床に広がった赤黒い汚れと共に綺麗さっぱり消し去った。
「次からは気をつけます……」
「ああ、まあ、白ウサギさんに見つかったら大変だからねぇ。でも、そんなに落ち込む必要はないよ。エミは頑張り屋さんだから」
「うぅ、その……ありがとうございます。ええと、鎌、汚れちゃったので、洗ってきますね」
背中を優しく叩かれたエミは照れたようにそう言い残し、その場を去った。
「死神の衝動――かあ。それにしても、あの人間、運が良かったなあ。ちょっとの差でその衝動の餌食は――あ、お客さんかな?」
光が差し込まない教室の奥で、優雅にお辞儀するヴァンパイア。その顔には、妖艶な笑みが浮かべられていた。