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 走っても走っても走っても――もう、どこまで行っても逃げ切れない。息が切れる。足がもつれる。


(ここは――どこ)


 騒がしい学祭の熱気がジリジリと肌を焼く中、私は全てを振り払うように、ただひたすらに駆け続ける。周囲を見渡す余裕などない。だから必然のことだったのだろう。私が裏道から急に出てきた〝何か〟に反応できず、ぶつかってしまったのは……。


「あ、す、すみませっ――」


 ぶつかった〝何か〟を目の前にした瞬間、喉がひきつけを起こし、声にならぬ悲鳴がヒュッと口から洩れる。


「ああ、こちらこそ……ん? おや、これは珍しい」


 爬虫類のような大きな目玉をギョロリと動かし、目の前の背の高い人物――いや、緑色のモンスターは笑った。口は人の者とは違い、パックリと上下左右に割れていたため、正直、今のが笑みというものなのかどうかは分からない。しかし、化物がのこぎり状の鋭い歯を見せるように口をパカリと開き、上機嫌な声を発したことで、笑っているということが判断できた。


「お手付きじゃない人間か……美味そうだな」


(――終わった)


 そう、思った。異常事態に気付きショルダーバックを抱えながら即座に走り出したけど、そもそも逃げ切れるはずなんてなかったんだ。こんな化物達から……。無駄なあがきだったのは知っている。でも、これはただの夢――そう、朝目が覚めたら忘れてしまえるような悪夢だったと言えるのなら、どんなに良かっただろう。


 異常事態――それは友人とここの学祭を回っていた時に起きた違和感が始まりだった。ハロウィンが近いということもあり、学生達は様々なコスプレをして学祭を盛り上げていた。初めは、緑の恐竜のような着ぐるみの目がギョロリと動いたような気がして足を止めた。次に、景色が二重にぼやけるような感覚に陥り、眩暈がした。そんな中、誰かに呼ばれるような耳鳴りのような――奇妙な感覚……。


 そして、気付いたらここにいた。この化物達が行っている学祭の中に一人で……。


(ああ、夢なら覚めて)


 化物のめくりあがった口から、ヌラヌラと光る長い舌が、ペロリと私の顔を舐めた。ねっとりと絡みつく粘液と生暖かい感触、生臭いにおい――それらの全てが、これは現実だと主張していた。


「やはり、美味い。久方ぶりの人間だから余計に美味いな」


 大きな目玉の下からまぶたらしきものがうっすらと現れ、化物の目が三日月形に歪む。


(もう、ダメだッ――――)


 膝が笑い、もう自分で立っているのがやっとの状態だ。逃げ切れるはずなんてない。呼吸はかつてないほどに乱れ、心臓は壊れそうなほど激しく動いている。いっそ、このまま壊れてしまった方が楽なのかもしれない。そう思い、私は目の前に迫る絶望から逃げるように目を閉じた。


「はいはい、そこまでにしておきましょう」


 パンパンという手を叩く乾いた音と、少し高めの青年の声が聞こえ、先程まで辺りに立ち込めていた生臭さが、品の良い甘い香りへと変わる。その変化に恐る恐る目を開けると、肩に短めの黒いケープを羽織った青年が、気難しげな顔をしながら右手の中指でメガネを押し上げていた。まだ幼さを残したような顔立ちに宿る剣呑な瞳は、妙なアンバランスさを醸し出している。その鋭い赤い瞳を一身に受けた化物は、少しずつ道の脇に避けながらも目をギョロギョロと動かし、身を縮こまらせていた。


「あなたも分かっているでしょう? 迷い人はインフォメーションセンターに連れて行くのが規則ですよ。むやみやたらとルールを破らないでほしいものですね。まったく」


 彼の不機嫌さを表すように、その白銀に輝く髪からピンと立った白く長い耳がピクピクと動く。必然的に、私の目は彼の頭にちょこんと乗った黒い小さなシルクハットの上で動く物体――いわゆる、うさ耳というものに向けられる。


「ふう……それよりも、勝手に遊び歩いてるアリスを見つけなくてはいけませんね。想定よりも外にいる人数が多くて収集がつかないって時に何をしてるんだか――ああ、そもそも、この事態すらも彼女のせいなんですから、責任取るべきでしょう。まったく」


 白ウサギにアリス……急に飛び出してきたメルヘンな世界の登場人物達の名に、恐怖で固まっていた私の思考が追いついてこない。状況が飲み込めず、忙しなく動く彼のうさ耳をただただ凝視し続ける。


「とりあえず、そこのあなた」


「うぇ、はい!」


 いきなり話を振られ、変な声を上げてしまったが、彼は気にしてないようだ。いや、気にする余裕もないようだ。彼は私の方を見もせず、自身の左手に付けた腕時計を見ながら何やら紐が付いたカードを右手で渡してくる。その時、彼の胸元で揺れる紫の星が鈍く光を発した。宝石か何かだろうか。妙にその輝きに惹かれてしまう。


「このお守りを持ってインフォメーションセンターへ行って下さい。詳しい説明はそこにいるであろうスタッフ――多分、今の時間なら黒猫がいる頃でしょう――に聞いて下さい。それから、もし、アリスに会ったら――いえ、これはあなたに伝言を頼んでも無意味なことですね。後できつく言わなくては……まったく、無駄な時間のせいで収益が減ってしまうじゃないですか」


 白ウサギは私がお守りを受け取ったのと同時に、ブツブツと「時間は有限なのに」「アリスに慰謝料でも」などと呟きながら、さっさと化物で賑わう学祭の中心部へと消えてしまった。


「え、えと――インフォメーションセンターってどこですかね?」


 命の危険が遠のき、その場にへたり込んでしまった私の言葉は、もちろん、白ウサギの長いお耳には届かなかった。




☆ ☆ ☆




「人間拾ってきましたー」


 間延びした可愛らしい声を発したのは、私の隣でガッチリと私の腕を掴んでいるフード付きの黒いズルズルしたローブに身を包んだ仮面のモンスターだった。身なりはちょっと怖いが、私の身長と同じくらい小柄ということと、ここまでくる間に一生懸命私の緊張をほぐそうと話続けてくれたことからも、性別は謎だが――多分声から想像するに、彼女(?)が付けている泣きそうな仮面に少々愛着がわいてきている。


「あ、ご苦労様ナキちゃん――って、あれ? その子、もう、お守り持ってるけど……」


「あ、はい、どうも白ウサギ様に貰ったらしいです」


「ああ、今日もお金のために駆けずり回ってるって話だったからね……よし、それよりも――初めまして。私はこのインフォメーションセンターのスタッフの黒猫です。ええと、見ての通り、メイドをしております」


 長く艶やかな黒髪に、黒縁メガネの奥で優しげに細められた黒い瞳。頭上に乗っているたっぷりとレースがあしらわれたホワイトブリムに、その間から覗くピンと立った黒い猫耳。背後でしなやかに動く黒くて長い尻尾に、胸元で揺れる白ウサギやナキと色違いの赤い星。全体的に真面目で大人しそうな雰囲気の彼女が纏うヒラヒラのメイド服とその他のオプションは、白ウサギの時と同じで妙なアンバランスさを感じさせた。


「あ、初めまして。私は――迷子の人間です」


 私の言葉に、ナキが私の腕を掴んでいた手をやんわりと離した。しっかりと私のことを掴んでいた白い手袋越しの細い指が離れ、何となく心細くなる。


「迷子の人間――ね。分かりました。それじゃあ、ナキちゃん。こっちは大丈夫だから仕事に戻ってくれるかな?」


 メイドは、頭上に付いている黒い猫耳を一度ピクリと動かし、ニッコリと笑った。ナキは泣きそうな仮面越しにジッと私を見た後、軽く手を振り、そのまま来た道を戻っていった。


(ありがとう……)


 私は小さなナキの背を見つめ、心の中でそっとお礼を言い、右手でギュッとオマモリを握った。


「それでは、簡単な説明を行いますので、こちらへどうぞ」


 インフォメーションセンターは、学祭仕様のためか、中世ヨーロッパ風の小物が至る所に飾られていたり、古本(?)が売られていたりはしたが、普通の教室のようだった。黒板には【今日は良い商品が多数入荷中! 買い時を逃すべからず】という宣伝文句が大きく書かれていた。その下には、何やら読めない文字が並んでいたが、モンスター達が使う文字なのだろうか? 詳細は分からないが、それ以外は何の変哲もないただの教室……少々拍子抜けしながらも、私は黒猫に促され、インフォメーションセンターの受付へと向かう。


(まあ、外もよくよく見ればさっきまでいた普通の学祭と同じ建物ばっかりだったし、参加者が人か化物かの違いしかないってことなのかな?)


「まず、あなたが持っているお守りですが、これはあなたの身を守るものです。きちんと首から下げ、失くさないようにしてください。そして、この星を首から下げているモンスターが人間に優しいモンスター、つまりはスタッフとなります。この星は特殊な物なので、スタッフ以外は身に着けていません。何かあった場合は気兼ねなくスタッフにお尋ねください。ちなみに、この星の色は原材料の都合上、赤、青、紫の三色となっています」


 胸元で揺れる星を軽く掲げ、黒猫はニッコリと笑った。


「モンスターの中には、希に【人間を食べるモンスター】もいるので、くれぐれもスタッフ以外のモンスターには関わらないよう、注意してくださいね?」


 その言葉に、最初に出くわした化物の三日月型に歪んだ目を思い出し、体がブルッと震えた。自然と自身を抱きしめるように伸びた腕に黒猫がそっと手を添える。人間と同じような手のぬくもりに、少し心が落ち着く。


「迷子の人間さん――そう怖がらないで? 良い人間、悪い人間がいるように、モンスターの中にも良い奴、悪い奴がいる。全てのモンスターが悪じゃない……そのことだけは、知っておいてもらいたいの」


 頭上の耳をペタッとしながら寂しげに微笑む彼女に、私は震える体を抑え、コクリと強く頷いた。


(知ってる。私を助けてくれた白ウサギやここまで連れてきてくれたナキ、今私の目の前にいる黒猫――みんな優しい……まあ、白ウサギは善意で助けてくれたって言うよりは仕事の一環って感じがしたけど)


 彼女は私の反応に優しく微笑み、詰めた距離を戻した。


(ッ――甘い……香り?)


 彼女の香りだろうか? キャンディーのような甘い香りに頭がぼうっとなる。


「先程から注意事項ばかりを説明していましたが、あなたが表の世界に帰るためには、ある企画に参加し、その景品の【チケット】を入手しなくてはいけません」


「チケッ……ト?」


「はい。それを表側と裏側を繋ぐゲートの門番に渡せば、アチラ側の世界に行くことができます。ただし、このチケットはあくまでも景品。あるミッションを達成しなければ、あなたは次にゲートが開くまで――つまり、最低でも一年後ですね――それまでコチラ側の世界で暮らすことになります。ゲートが繋がる条件は、表側と裏側の堺が曖昧となる時期であること、表側と裏側で共通点があることの二点。今回は、時期がハロウィン、共通点が学園祭というわけですね」


 最低でも一年――つまり、一年後同じようにゲートが繋がるとは限らない中で、化物達の中を生き続けることになるということ。そもそも、一年ですら生き残れる気がしないこと。それらの事柄から言えることは一つ。


(このチャンスを逃せば、生き残る可能性は――ない)


 ぼうっとする頭を振り、内容を整理する。


「企画――の内容と制限時間を聞いても良いですか?」


 黒猫の眼鏡の奥で光る縦に長い瞳孔が、一瞬だけ横に開く。


「はい。今回の企画は【スタンプラリー】……タイムリミットは表側の世界の学園祭終了までです。ただ、スタンプラリーとは言いますが、各フロアに用意されたヒントを元にそのスタンプを持つモンスターまたはスタンプの置き場所を推理していただく必要があります。その間にスタッフ以外のモンスターとの遭遇も予測されるため、あなたにとっては危険極まりない企画になりますね」


「各フロア……そこに一つずつスタンプがあるっていうことになるんでしょうか?」


「はい、スタート地点を除いて各フロアに一つずつ――全部で三つのスタンプがあります。スタンプはあなたが首から下げているお守りの裏側にある空白の部分に集めてください。ちなみに、スタート地点であるこのインフォメーションセンターでは、玄武のスタンプを無償で押させていただきます」


 黒猫は、私の首にかかっていたお守りを慣れた手つきでクルリと裏返し、ポンッと亀に蛇の尻尾が生えたような黄色に輝くスタンプを押してくれた。


「それから、一つ忠告です。中には、迷い込んだ人間を食べるため、人間や他の何かに化けているモンスターもいます。くれぐれもご用心を――」




 ☆ ☆ ☆




 黒猫は人間の女の子の背を見送り、軽く息を吐いた。


「なーに、ため息なんてついちゃってるんですか、黒猫先輩」


「ああ、うん、ちょっと疲れちゃってさ。それよりも、魔女ちゃん――今日は空間魔法で移動するのはやめておいた方が良いんじゃないかな? 境目が曖昧だからうっかり表側の世界に出ちゃうかもしれないし」


 空中にポッカリと開いた黒い空間から教室の床へと降り立った美女は、肩まで伸びた茶髪をサラリと横に流し、短いスカートをヒラリとさせながら妖艶に微笑んだ。その胸元には、スタッフの証である紫色の星が神秘的な光を発していた。


「えぇ! 先輩ってば、何言ってるんですか? 私がそんなミスするわけないじゃないですかぁ。それよりも、この甘い香り――精神作用系の香水ですよね? 先輩が使うのってなんか意外です」


 パチンと指を鳴らして空間を閉じた魔女が、黒猫を観察するように目を細める。


「……香水くらい私だって使うこともあるって」


 黒猫が机に置かれた大量のお守りを綺麗に並べる姿を眺めながら、魔女は苦い顔をした。


「香水自体の話じゃなく、その作用の方の話だったんですが――まあ、良いです。私は優しい後輩なので、それで誤魔化されてあげます。ただ……あまり無理をしないでくださいね?」


 先程浮かべていた妖艶な微笑みと鋭い視線は片鱗も見えず、ただ心配そうな微笑みを浮かべる魔女に、黒猫はふんわりと笑った。


「ありがとう。でも、大丈夫。だって私が決めたことだからね。たとえ、彼女が望まなくても――」


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