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《短編》死相《完結》

作者: 白宮 安海

まるでこの世の全ての絶望と、苦痛の色をぐちゃぐちゃに混ぜた絵の具のような顔色をしている。

この男、齢三十。この歳になるまで妻と子はおらず、定職にもつけず、人生に希望を見いだせずにどうにか命の灯火を消す方法を毎晩のように考えていた。

幼少時代。誰からも愛されずに育つ。男には、歳の近い妹一人と、十つ離れた妹がいた。殆ど親代わりになり面倒を見たが、不器用な性質の為か褒められる事が少なく、母親からは役たたずと罵られた。


世間一般から見れば、全く人目に触れる事も無いような程度の不幸であったが、少年だった頃のその男にとっては、いつでも与えられる鞭のように体を恐怖で支配され、いつしかそれを望んではいなくとも当然のように受け入れる体質になっていた。

なので、男はいよいよ安楽の旅の切符を求め、死を実行しようと目論んだのである。

まず、用意したものは白くて長い頑丈なロープ。それから十分にキメる事の叶う強い酒。徐に用意した酒瓶を手にし口に含んだ。男は酔っ払い、頭は朦朧としながら少しずつ感覚を手放していった。程よいタイミングで長いロープを首に巻き付けた。それから、記憶は薄れ、短く浅い呼吸と共に意識の世界から存在が消え失せた。


どうしたものだろう。無という空間を漂い眠っている自分の姿を見下ろしていた。そして突然、今度は目の前に夢のような景色が広がる。足元に綿あめのように足を優しく包みこむ白い帯状の道が出来、生前の苦しみを労るかのような心地がした。これが天国か。死んでいるのに変な話だが男は幸福感を得ているのだ。

それから道なりに歩いていけば、出迎えるように今までの人生で出逢ってきた人々が優しい笑顔を浮かべて見守っている。そこには、既に死んでいた筈の祖母と祖父の姿があった。


何もかもが美しい。奥へ進んでいくと、人類が皆最も懐かしいと思える故郷に辿りついた。そこは湖が輝くオアシスでも何でもなく、暖かくて生温い肉の壁と水の中だ。全身が包まれ、呼吸と鼓動の音が眠りを誘う。さざ波を打った時、壁を蹴った。聞き覚えのある声が聞こえる。


「あらやだ、今蹴ったわ」


男はその声を聞くと、途端に全てを理解し、胸の奥から熱い何かがこみ上げた。


「本当か?」


今度は穏やかな男の声だ。男は自分の存在を知らせようと何度も壁を蹴る。


「本当だ…!今、動いたぞ」


「元気な赤ちゃんね」


「はやく生まれてこないかしら」


男は心で自分を叫んだが、やがて、ずっと聴いていたかった声は遠く小さく消えていき、視界一面が白い光に溢れる。そしてこの世のオアシスが広がった。そこはまだ一度も穢された事のない神秘的で、全てを受け止めて貰えるかのような、そんな場所であった。


きらきらと水面が輝く湖は、見る者を誘惑する。男は思わずその湖へと近づいた。


水面へ顔を近づけ覗き込むと、そこに映っているのは自分の死相であった。

まるで髑髏のように痩せこけ、目に光が宿っておらず黒い闇が奥まで続いていた。毛髪もほとんど抜け落ちており、唇には色が無い。


「ごめんなさい。お父さんお母さん」


男は膝から崩れ落ち、そのまま湖に沈んでしまったという。

水面は美しく波打って、また静けさを取り戻す。

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