その花束は甘いナイフを待っている
空が真っ赤だ──。
お姉さんが迎えに来て、一緒に夕焼けを見るのがいつもの日課だった。ゆっくりと太陽が沈んでゆき、夜の帳が下りる様を見つめる──この時間だけは大好きなお姉さんを独り占めできた。
「早く逃げて!!」
燃えるような夕焼けを背後に、お姉さんは切羽詰まった声で叫んだ。
「いや!お姉さんも一緒にいくの!!」
「お願い、いい子だから……あなただけでも生きのびるのよ。私たちの最後の希望──」
必死に手を伸ばすが、私の小さな手ではお姉さんに届かない。
「大好きよ、××××」
お姉さんはとても綺麗に笑った。彼女の美しい髪が空をたゆたう。それをかき消すように辺り一面は赤に染まりそして。いつのまにか私の前に黒い軍服の男が立っていた。
「この────!」
私は何と叫んでいるのか分からない。でも、この男を心底憎んでいることははっきりわかった。それから、それから──?
「……はっ!!」
私は目を覚ました。ぼんやりとしか覚えていないけれど、夢を見ていた気がする。思い出そうとすると霞みかかってうまく思い出せなかった。ドクドクと大きな音を立てていた心臓がだんだん落ち着いてくる頃、私は違和感を感じた。
(ん?)
眠気が徐々になくなっていくにつれ、はっきり感じる重苦しさ。私の体に巻き付いている腕。素肌が感じる体温。
「こんの変態ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
傍にあった枕をつかむと、渾身の力でのんきに寝ている保護者をぶん殴った。2発、3発「おい、」……9発、10発「痛い、やめ」12発…………。
「旦那様にむかってこの仕打ちはないんじゃないか?」
「誰が旦那様ですか。セクハラ、変態」
「愛情表現だ」
朝のひと騒動(驚くことに毎日している……)がなんとか終了した後、朝食の準備をしていく。殴られたところをさすっている男はフロル=アガフォーノ。彼は鍋をかき混ぜながら私に指示を出した。
「マリアナ、そこに皿を並べてくれ。もうすぐあいつらも来るはずだ」
「うん」
「転ぶなよ。この足場を使え」
「もうっ。子ども扱いしないで。このくらいすぐ届くよ」
私は食器棚から食器を運び出す。そんな軽口を叩きあいながら、すっかり朝食の準備が終了したとき玄関から声が聞こえてた。
「おはようございます、フロル、マリアナ」
「おはようさん。フロルとお姫さん」
「あぁ、おはよう。早く席につけ、朝食にするぞ」
「おはよー」
リビングに入ってきた彼らとあいさつを交わした後、私たちはいつもの席についた。
「今日もおいしそうだね」
「お姫さんも見習わなきゃな」
「……ほっといてよ」
柔和な笑みをたたえているのはヨエル=ランキラ、からかい口調なのはダールス=トレムだ。今日の朝食はミートパイに野菜スープ、デザートにフルーツを切り分けたものである。
ミートパイと野菜スープを作ったのはフロルで、私は食器や食材を並べてただけなのでとてもおいしい。朝は4人で朝食をとるのが日課だ。4人で談笑をしながら朝食をとっていたとき、ふいにヨエルが私に聞いてきた。
「そういえば、マリアナはもうすぐ16になるよね。もうどうするか決めたの?」
「…………」
「…………」
「2人ともどうした」
フォークを置いてだんまりした私とフロルにヨエルとダールスは顔を見合わせた。
「……軍に入る」
「俺は認めない」
「じゃぁどうすればいいの」
「俺の嫁になればいい」
ここ、ヴァレンティア国は16歳になったら成人と見なされ自分の将来を決めなくてはならなくなる。医者になりたいなら医学校へ、専門職に就きたいならそこの見習いへ、入軍も16歳からである。ところが、保護者の一人であるフロルは頷いてくれない。
「私ご飯つくれないし」
「俺が作るからいい」
「家事できない」
「それも俺がする」
「私のいる意味!!」
「お前は俺の嫁としてそこにいてくれるだけでいい」
何を言ってもフロルは「俺の嫁に」の一点張りだった。そんな私とフロルのやりとりに苦笑しながらはいってきたのはヨエルだった。
「マリアナも16歳になるし、気持ちは分かるんだけどね。軍はちょっと危ないんじゃないかな」
「……ならどこかの見習いになる」
「認めない」
「なんで」
フロルは即答だった。
「見習いになるってことはこの家から出るということだろ?俺の傍からマリアナがいなくなるなんて俺が耐えられない。絶対にだめだ認めない反対だ」
「この家の近くってなると軍しかないじゃない」
「俺の嫁のどこが不満なんだ」
「今となんにも変わらない!!」
私も16になる。いつまでもフロルにおんぶだっこじゃいられない。自立しないと。
「とにかく俺は認めないからな。保護者の認印がないと軍には進めない。俺の嫁になればすべてがうまくおさまる。何も問題はない」
「…………」
私が何を言っても、フロルは聞かなかった。
「おうおう。歪みねぇな、フロル」
「笑ってないでたすけてよ、ダールス」
ニヤニヤしながら私たちを見ているダールスに抗議する。すると彼は私の手をとりこう言った。
「フロルの嫁が嫌なら俺の嫁になるか?マリアナ。苦労はさせないぜ」
「やだダールスかっこいい」
「…………表へ出ろ、ダールス。地獄をみせてやる」
「ははっ。ヴァレンティア国随一の腕前を持つアガフォーノ隊長の本気を拝めるってか?受けて立つぜ。それに略奪愛ってなんか燃えるよな」
睨みながら黒いオーラを放つフロルとそれを挑発するダールス。2人は音を立てて席を立った。ピンっとした張りつめた空気の中、いつ糸が切れてもおかしくない。そんなとき、
「2人とも。食事中に席を立っちゃ、ダメだよ?」
口調は穏やかで口角も上がっている。しかし絶対零度のまなざしのヨエルにこの一室の時は完全に止まった。
「…………………………」
「…………………………」
立ち上がっていた2人は無言で席に着く。いつも微笑みを絶やさないこの人を絶対に怒らせてはいけないというのが暗黙の了解であった。
「ほら、早く食べないと遅れちゃうよ」
ヨエルのこの一言で、この話はいったん終わりになった。私は釈然としないまま、スープを流し込んだ。
私はマリアナ。あとひと月で16歳になる。8年前の内乱で家族を失ったところを軍人のフロルに拾われ、彼の友人のヨエルとダールス3人で今まで育ててもらった。出会って以来、愛情過多のフロルにこのままでは問答無用で嫁にされてしまうと危機感を持っている今日このごろである。
8年前の内乱──。王の暴挙の数々を見かねた家臣が武器を手にしたことがきっかけだった。その動乱に乗じて不満を持っていた民も一人、また一人と武器を手に取った。そして広がった戦火は多くの人を巻き込んでいき、私のいた村も例外ではなかった。
とてもひどい有様だったという。
王対家臣、領主対領民。土地は燃え尽き、多くの犠牲者が出た。そんな大きな動乱を私は覚えていない。なぜなら、私は家族を失ったショックでそれまで生きていた記憶まで失ってしまったからだ。気づいたときにはベットの上で、私を見つけたフロルが私を引き取ることを決めていた。
以来フロルは私のことを溺愛していた。叱るべきところはきちんと叱っていたが、それでもお腹いっぱいになるほどの愛を私は彼から注がれていた。「将来はお前は俺の嫁になるんだぞ」と言われ続けて育った。どうしてフロルが私に執着するのか。それは全く分からない。
それにしても。
もうすぐで16になる。本当にどうしよう。フロルの選択肢は「嫁」一択。そりゃぁいずれは……とか思うよ?でも早くない?フロルはこの国の軍きっての精鋭隊の隊長を務めている。しかも貴族出身だ。そんな人の隣に立つなら、それなりにふさわしい存在でありたい。ずっと傍にいるならなおさらだ。
「フロルが聞いたら感激してマリアナを閉じ込めちゃって一生外に出さなくなる。絶対言っちゃ、ダメだよ?」
私が勉強している隣で書類をさばいているヨエルにそうこぼしたら、こんなことを言われた。
「それはさすがにないでしょ。……といいたいところだけど怖いから言わない」
「軍に入りたいって言ったのはこの為なの?」
「そういうわけじゃないけど…………それもある」
ここは王城だ。先の動乱で王政は廃されたので、残った貴族で議会を開きながら国政を行っていた。政治を行う場としてかつて王がいた城を使っているというわけだ。なんたるエコ。本当は私みたいな成人もしていない小娘がとてもじゃないが入れる場所ではない。
私を引き取るにあたってフロルが「子育てに専念するから退軍する」とひと騒動があったらしい。戦火は収まったとはいえまだまだ油断ならない状況であったのでフロルにやめられては困ると必死で引き止められた。その結果、私を職場まで連れてきていいことを条件に軍に留まったのだ。……フロル、恐るべし。
「軍じゃなくちゃダメなの?例えば、僕の秘書とかはどうかな。フロルはまだ許してくれそうな気がするけど」
「う~ん。でも私、じっとしてるの苦手だからなぁ。」
体を動かすことのほうが得意だし。政なんて腹の探り合い、すぐ顔に出る私には無理だ。ヨエルは政治にまつわる仕事をしている。彼だから務まるのだろう。
午前中は仕事をしている彼の横で私は勉強することになっている。1日、ほとんど3人の誰かと一緒にいるようにフロルが職権乱用した。大人、怖い。
「じゃあもうフロルの嫁になるしか道はないね」
「…………」
やっぱり行きつくところはそこなのか。
「ヨエルは違和感ないの?年は離れてるし、私が出会った頃から嫁にする!なんて言ってること」
「年の差は10歳でしょ?そのくらいだったら大した問題じゃないよ。フロルの病気は今に始まったことじゃないしね。……大人になるにあたってあきらめだって大事だよ?」
最後の言葉はびっくりするくらい寒気があった。
「さぁ、無駄話はおしまい。どこまで進んだ?」
パンパンと手を叩いて彼が私の手元を覗き込んだので、私はあわてて勉強に集中した。
「全然できてないじゃない」
「…………ごめんなさい」
今日の勉強量が2倍に増えた。
「お姫さんが軍に入るってのはちょっと無理があるんじゃないかなぁ~」
午後はダールスと剣の稽古をする。「俺のかわいいかわいいマリアナが何者かに襲われたとき、俺がいなかったらいやそんなことはさせないがいや、万が一、そのようなことがあったら。そいつらは俺が生きていることを後悔するまで徹底的に拷も……ゴホン。制裁を加える前にマリアナも自衛ができるように」という為、教わっていた。
それならフロル自身で教えれば?と思うが彼はとても忙しいし「俺のかわいいかわいいマリアナに剣を向けるなんてとてもできない」……らしい。じゃあダールスはどうなんだってことなのだが。彼と剣を交えながら話す。
「えーなんで?向いてると思うけど」
「俺が剣を教えているからな、素質があることは認める。でもお姫さんが思っているより軍は過酷だぞ?それに国内は落ち着いたとはいえ、外国からのちょっかいとかもあるから危険だし」
王がいなくなったことにより、ヴァレンティア国への外国から受ける干渉が前よりも激しくなった。今がねらい目ということもあるが、自国も影響を受けてこの国のような流れにならないかという王族の不安から。今のところすべて跳ね除けているが今後どうなるかもわからない。
「フロルじゃないけど、お姫さんはそのままでいいと思うけどな。そのまま傍にいてフロルの帰る場所になってやればいい。笑顔で『おかえり』ってな」
珍しくからかい口調ではなく真剣にこんなことを言ってきたダールスに何も言えなくなった。軽く軟派じゃないダールスなんて、ただのイケメンだ。
「フロルはすこーしばかり患っちゃってるけど、顔はいいし権力も持ってるし何よりもお姫さんを一生大事にしてくれるだろ?超優良物件だと思うけどなぁ。……それともやっぱり俺の嫁さんになる?」
真面目だなーって思った途端に茶目っ気たっぷりにウィンクされた。さっきのただのイケメンは幻覚だったのかな。
「いつもどうりのダールスでよかった。熱でたのかと一瞬心配しちゃった」
「お姫さん、それヒドい。俺様の繊細な心は砕けちゃったよ~」
ダールスは私のことを『お姫さん』呼ぶ。それはフロルの『お姫さん』という意味らしい。
「なぁ、マリアナ。俺を選べよ。俺がお前を幸せにしてや……………うぉっ危ねぇ!!」
突然ダールスめがけて飛んできた弓矢。彼は紙一重でかわし、ズゥゥゥゥゥゥンと重い音を立てながら木に刺さった。
「これどこから飛んできた!?…………うわっあんな遠いところから!!話してることなんて聞こえないのにっ。お姫さんあいつやっぱやめたほうが……っひ」
あぁ、空が青いやぁ。
遠くの建物の3階から、弓を構えているフロルと逃げ回っているダールスを見て現実逃避をしたくなった。
剣の稽古が終わり、汗を流そうと浴場へ向かう途中に後ろからの衝撃を受けた。そのまま意識がブラックアウトし、気づいたらどこかへ閉じ込められていた。
(どうしよう……)
ここはどこなのだろう。辺りが暗くてよく見えない。狭い空間なのか、立つこともできなかった。
「……いたっ」
ずきり、と頭痛がした。暗闇は苦手だ。1人で暗いところにいると、だんだん怖さが増してくる。昔もこんなことがあった気がしてきた。
『ここから出たらダメよ?』
『うん。だいじょうぶ。私、ちゃんと待てるよ』
いつかの記憶がフラッシュバックする。あれから私、どうしたんだっけ?あの人はいったい──。
「マリアナ!!」
一瞬で視界が明るくなり、まぶしくて目を細めた。目の前には焦った顔のフロルがいた。
「フロル」
「怖かっただろう、マリアナ」
「私は大丈夫だよ?」
フロルが私を自身の方へ引き寄せ、痛いくらいにぎゅっと抱きしめた。そうされることで、私は自分が震えていることを初めて知った。
「俺のかわいいマリアナ……お前は俺が守る。何があっても。だから、傍にいてくれ」
(どうしよう、自立は無理かもしれない)
布越しに伝わる温かいぬくもりに安心しながら、私はそんなことを思った。フロルの祈るような声を聞いて、胸の奥がきゅうっと苦しくなる。彼に頭を撫でられ、私はそっと目を閉じた。
「で、結局は何だったの?」
「フロルをよく思わない奴らが困らせようとして、お姫さんを少しの間閉じ込めようとしたらしい。……あほだな、あいつら」
マリアナに手を出すなんて自殺行為をよくもできたものだ。フロルは今彼女のもとにいる。マリアナをちゃんと寝かしつけたら、宴の始まりだ。
「じゃあ、情報が漏れたわけではないと?」
「あくまであいつらが言い張っているだけだからまだ何とも言えないが、ほぼ違うだろう」
「そっか」
「幸いなことにお姫さんはまだ記憶が戻らない。このまま何事もなくすめばいいけどなぁ。……どうなるんだろうな、俺らがお姫さんの在るべき場所を奪ったって知ったら」
先の動乱で王族は粛清されたことになっているが、生き残りがいると知られたらこの国はまた混乱状態になるだろう。王には2人の姫がいた。マリアナが自分の姉を殺したのがフロルだと知ったら?
抱いていた淡い想いは黒く塗りつぶされ、花嫁のブーケをナイフに変える日が来るかもしれない。
「それは後の歴史書が教えてくれるよ」
どうかこのまま彼女が幸せになってくれますように。確かな未来はないが、願いは僕もフロルもダールスも一緒のはずだ。
降りたはずの舞台からマリアナ姫が再び舞い戻ってきたとき──物語は始まる。
入りきらなかった設定
マリアナ
フロルに溺愛しながら育てられた。彼の「俺の嫁」発言にやや反発気味だがだいたい受け入れている。実は王族の生き残り。
フロル
王の補佐をする家系だったが次男だったため軍に入る。動乱後、爵位を継ぎ軍でもトップ的立ち位置にいる。マリアナを溺愛している。マリアナのためなら火の中水の中。
ヨエル
穏やかなお兄さん。マリアナとダールスはこっそり「お母さん」と呼んでいる。実は怒らせたら一番怖い人。王族の教育係をしていた家系で現在はマリアナの勉強を見ている。
ダールス
軽い言動とチャラい見た目をしているが、かつては「軍の狂犬」と恐れられた。王の暗部に関わる家系だった。現在はマリアナの剣の先生。マリアナと一番意見が合うのはこの人。そのたびにフロルに嫉妬されて攻撃されている(理不尽)。




