小悪魔の誘惑
騒ぎが最高潮に達するころ、会場の一角では、エレナと男の会話が進んでいた。
「ねぇ、おじさま……エレナ疲れちゃったわ」
「そ、それは困ったねぇ……うんうん」
なぜか嬉しげに、男は答えた。
「どこか休めるところ……ないかしら? 足が痛くなっちゃったの」
もの憂げな表情を向けてくる少女に、男の助平心が首をもたげてくる。
男の脳裏を打算が駆けめぐる。
こうしたパーティ会場には、その手の個室が用意されていると聞く。
いままで使う機会はなかったが、自分の役職には、それを使う権限があるはずなのだ。
相手が年端もいかない少女だとしても、係の者に袖の下でも渡して、口を塞いでおけば――。
打算が成立した。懲りない男だった。
「おじちゃんね、ゆっくりできるお部屋を知ってるんだよ――さぁ、行こうか」
笑顔の下に隠された下心に気づいた風もなく、少女はにこやかにうなずいた。
「うん。おじさまって、優しいのね。エレナ優しいひとって大好きよ」
少女の腕が絡みついてくる。押しつけられるわずかな胸の感触に、男の脳髄は沸騰寸前だった。
ついてこようとするボディ・ガードに、「そこにいろ」とにらみつけ、男はいそいそと歩き出した。
ホールを抜けだし、廊下の奥にいる係員に、半年は遊んで暮らせるほどの賄賂を渡し、ベッドとバスルームを備えた個室に入りこむ。
「わぁっ――きれいなお部屋ぁ!」
少女はベッドに上に座りこんだ。
靴を脱いで、足を投げだす。
「ねぇっ、おじさま……。エレナの靴下、脱がしてくださる?」
「おっ、おっ、おぅっ」
声にならない声をあげ、男は床の上に脆いた。
震える手で、差し出された足にそっと触れる。
少女は自分でドレスの裾をまくりあげた。ぱちんと音がして、ソックスを吊っていたガーターが外される。
「ねぇ、おじさま早くぅ」
「いひっ、ひっ……」
男の手が長いソックスを巻き下ろしてゆく。汗ばんだ素足が現れた。
脱がしたソックスを背広のポケットにしまいこんでから、男はごくりと生唾をのみこんだ。
無防備にも、スカートの中身がすべて――目の前にさらけ出されているのだった。
「お、お、お、おじさんはね――おじさんはねっ!」
男が理性をかなぐり捨てて、野獣と化したその時――。
プシュッ――という音とともに、不思議な香気が男の鼻をくすぐった。
男の自由な意識は、そこでぷつりと途切れた。
◇
「ねぇ、わたしよくできた? お姉さまに教えられた通りにしたけど……。これでよかったのかしら?」
エレナの屈託のない声が、部屋の隅に立つジークに向けられる。
「う、うん……。まあ、上出来……だと思う。よくわかんないけど」
靴下脱がしてくださる――のくだりから部屋の中に入っていたジークは、顔を赤らめながら少女に答えた。
「いやいや、たいしたもんだ。こりゃオトナになったら、男を手玉に取る毒婦になるぞ」
スプレーをバッグにしまいながら、カンナが冷やかす。
「ねぇ? どくふ――って、なぁに?」
小首を傾げるエレナに、ジークは言った。
「だいじょうぶだって、君はそんな大人にはならないから――。ぼくが保証する」
「さて――それじゃ、こいつだが」
男は両手を広げて飛び掛かろうとした姿勢のまま、ぴたりと動きを止めていた。
「おマエさん、自分の名前と所属を、ちろっと言ってみろ」
カンナが命じると、男は感情の欠落した声で言った。
「きんばりー・ろーだん……。うちゅうかいはつこうだん、しょちょう……」
「オーケー、オーケー! そこまででいい」
男の言葉を打ち切らせて、カンナはバッグからコンソール・パッドを取り出した。
「待ってろ……いまおマエさんの仕事場のメイン・コンピュータに繋げてやっから……」
ほどなくして立ち上がった画面を、男に向けてぐいと差しだす。
「ユグドラシルの設計図を取りだして、このパッドのルート・ディレトクリに、ファイルを落とすんだ。――わかるな?」
「はい……」
男はパッドを受け取ると、ゆっくりと操作をはじめた。
何組ものパスワードを打ちこみ、網膜パターンの識別を行う。最後に残った項目は、声紋のチェックだった。
『登録コードを、ゆっくりと発音してください』
合成音に続いて、男は口を開いた。
「えりーぜのために」
しばしの間があって、合成音は答えた。
『照合完了です。キンバリー・ローダンと識別されました』
人間なら誰でも気づくはずの感情の欠落を、機械は気にも止めない。
アクセス権さえ獲得すれば、目的のファイルを手にいれるのはすぐだった。回線を通じてダウンロードするのに要した時間は、わずかミリ秒のオーダーだった。
「さァ――撤退するわさ」
「いいのか? このままにしておいて?」
「なぁに、三十分もしないうちに正気にかえるさ。んでもって、そのあいだのことはなんにも覚えちゃいない」
「なるほど……」
与えられた指示を終えて、また人形に戻ってしまった男をその場に残し、ジークたち三人は部屋をあとにした。