パーティに潜入
昼間の強烈な太陽が地平のむこうに姿を消したあと、入れ代わるようにして、すこしは過ごしやすい夜の風が吹きこんでくる。
きらびやかにライトアップされたパーティ・ホールの正面入口に、一台のホバー・リムジンが音も立てず滑りこんできた。
前席から降りた少年が、後席に回り、ドアを丁重に開けてゆく。
すらりとした脚が、車内から伸びだした。
大きくスリットの入った黒いイブニング・ドレスを身にまとい、その女性はリムジンから降り立った。
彼は反対側に回ると、もうひとつのドアを開けた。
白いドレスに身を包んだ少女が現れ、ドアを開けてくれた少年に可愛らしく会釈をかえす。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「どういたしまして」
三人を降ろすと、リムジンは静かに走り去って行った。
遠ざかってゆく車を、ジークは心細げに見送った。
あのリムジンはもう戻ってこない。もともと三人をこの場所に乗せて来るだけのレンタルなのだ。
「なぁ……本当にやるのかよ?」
「あったりマエだろ。他にどんな手があるっていうのさ? ほれっ、入口係がこっちを見てる。しゃんとしないか、シャンと!」
「わわっ!」
尻を撫でられ、飛びあがりそうになるのを懸命に抑えつつ、ジークは襟を正した。
車を降りたまま動きださない三人に、正装した係員が目を向けている。突っ立ったままでは怪しまれてしまう。
「さあ――行きましょ。お兄ちゃん」
「う、うん……」
エレナに手を引かれ、ジークは歩きだした。
ふたりの後ろからは、髪と腰をなまめかしく振って、カンナが大人の女性の気品を振りまきながら歩いてくる。
「あっ――右手はだめだよ」
ジークはエレナに右手を引かれていることに気づいて、手を離した。
プロのボディ・ガードは右腕を他人に預けるようなことはしないはずだ。
胸元からサングラス――センサー内蔵のマルチゴーグル――を取りだして、目を隠す。
ボディ・ガードの役回りを演じるのに目元が幼すぎるなどと、失礼なことをふたりから言われていた。
エレナは旅行中の財閥令嬢。
ジークは専属のボディ・ガード。そしてカンナはお嬢様の教育係兼お目付役という役回り。
入口に向かって歩きつつ、ジークはつぶやいた。
「あーあ、エレナさんがいればなぁ……。そうしたら、なにもこんなこと……」
「なぁに、お兄ちゃん? わたしならここにいるわよ?」
「いや、そうじゃなくて――」
振り返ったエレナに、ジークは愛想笑いを浮かべてみせた。
この場合の「エレナ」は、十五年未来の彼女のほうだ。情報操作のエキスパートさえいれば、こんな茶番を演じる必要はなかったのだ。
ドクター・サイクロプスの陰謀をさぐるうち、三人はひとつの国家事業につきあたっていた。
『ユグドラシル計画』と名付けられたそのプロジェクトは、このネクサスが国家をあげて押し進めているエネルギー事業だった。
直径百キロメートルにもおよぶ巨大なレンズを軌道上に浮かべ、宇宙のあちこちから飛来するニュートリノを収束し、一点に集めてエネルギーに変換しようという計画である。
ニュートリノという粒子は、おそろしく貫通性をもっか素粒子だった。
ほうっておけば恒星だろうが惑星だろうが、どんな物でもやすやすと貫通して、勝手気ままにどこまでも飛びつづけてゆく。
宇宙の始まりから今日に至るまで、百数十億年にもわたって飛びつづけているニュートリノを捕まえて、電気に変えてしまおうというのだ。
この計画が成功すれば、無尽蔵のエネルギーが手に入る。
無から限りない富が産みだされることになる。
そんなうまい話を、どこの馬の骨とも分からぬ無名の科学者が持ってきた。
話に飛びついたのは、建国したばかりでたいした産業も持たないこのネクサスだったのだ。
その科学者の名前は、どんな資料をあたっても記されていなかった。
だがジークたちは、確信していた。
これだけの超技術を提供して名前も出さない科学者がいるとしたら、それはやつをおいて他にないだろう。
やつの陰謀を知るために、計画の詳細を手にいれる必要があった。
軌道上に建造された大道具は、いったい何のための物なのか――。
やつが関わっている以上、それは断じて、ただの発電施設であるはずがなかった。
だが――宇宙樹の設計図は、分厚いセキュリティの彼方にあった。
これに手を出すとなると、エレナの神業的な腕前が必要になってくる。
あのエレナがこの場にいない以上、ここは表から正攻法でいくしかない。
ジークは空を見上げた。
登りはじめた〝月〟――宇宙樹を見つめる。
計画の開始から十数年を経て、いまネクサスの夜空には、人の手による〝月〟が浮かんでいた。
すでに工事は完了している。
今夜この場所で、宇宙樹竣工を記念するパーティが催される。
最後の締めにあたる全力運転試験を残すばかりとなって、関係者をねぎらう盛大な夜会だった。
ジークたち三人は、さりげない顔で入口に向かった。
緩やかなスロープをのぼりつめ、両側に開かれた大扉のあいだを抜け――ようとしたところで、係員の声がかけられた。
「失礼ですが、招待状はお持ちでしょうか?」
きたか、と思いつつ、ジークはとなりにいるカンナに顔を向けた。
呼び止められなかったらそのまま――もし呼び止められたときは私に任せろと、カンナに言われていたのだ。
「ええ、すこしお待ちいただけまして?」
上品な教育係の仮面をかぶったまま、カンナはハンドバッグを開いた。
バッグの中を探る彼女を横目で覗きこみながら、ジークは気が気ではなかった。招待状など用意していない。
いったいどう切り抜けるつもりなのか――?
彼女の指先が、ヘア・スプレーの小さな缶を探りあてる。
スプレーを取り出そうとしたとき、エレナが急に大きな声をあげた。
「あっ! ジェフリーおじさま! ジェフリーおじさまねっ!?」
スロープの下から、初老の男性がやってくるところだった。
笑顔で手を振りたくるエレナに、彼は目を細め、それから大きく破顔した。
「おお――エレナだね? エレナ・ローレンス。ひさしぶりだね、お嬢さん」
まっすぐ歩いてきた彼は、エレナの手をとると、長手袋の上から軽く口付けした。
「これはこれはヘイフリック卿……こちらのお嬢さんとは、お知り合いで?」
そう訊ねる係員に、男は答えた。
「ああ、シュレームの石油王のお嬢さんだが? 向こうに行っておったときに、ずいぶんと振り回――いや失敬。ずいぶんと世話になったものさ。それがどうかしたのかね?」
「いえ、なんでもございません。さぁ――お通りください」
「うむ。行こうか、エレナ……」
「はぁい、おじさま」
男の手に体を擦り寄らせて、エレナは扉を抜けていった。
彼女の付き添いであるジークたちも、必然的にノーチェックとなる。
カンナと肩を並べて長い廊下を歩きながら、ジークは小声で聞いた。
「さっきのスプレー……なんだったんだ?」
「あれか? あれはまあ、いい子になるクスリってやつさ。どんなヒネクレ者でも、人の言うことをよく聞くいい子になる」
そう答えるカンナの顔は、すこしばかり残念そうに見えた。
「あぶない薬だなぁ……使うなよ。そんなモン」
「他にもいろいろあるぞ。素直になって心の中をぶちまけたくなるクスリとか――」
「だから、使うなってーの」
長い廊下が終わりを告げ、パーティ会場に到着した。
扉の両側にいた係員が、大きな扉を両側に開いていった。
音楽が、流れだした。
シャンデリアの輝きが空中を彩り、山と積まれた料理のあいだを、鮮やかな色の服を着た人々が笑いさざめきながら歩いている。ホールの一角で演奏隊が控えているという豪華さだ。
「ふわぁ……」
ジークはため息をもらした。
なにか、自分がひどく場違いなところに来てしまったような気がする。
「お兄ちゃん、お姉さま、こっちこっちー!」
こうした場に来ると、エレナは水を得た魚のようだった。
人々の合間を駆けまわり、知り合いを見つけては挨拶をしてまわる。
さっきの紳士もそうだったが、かなりの数の知りあいがいるらしい。
社交界というのはそれだけ狭い世界なのか、それともエレナの顔が広いのか。ジークには見当もつかなかった。
エレナから離れず、かといって近付きすぎないように気を遣い、ボディ・ガードとしての役目をまっとうしていると、カンナが目で合図を送ってきた。
若い男に取り囲まれて、おしゃべりに興じるエレナをその場に残し、ジークはさりげなく壁際に動いた。カンナがとなりにやってくる。
彼女はルージュを引いた口許をジークの耳に寄せ――耳たぶに息を吹きかけてきた。
「やっ、やめろよな! このセクハラばばぁ!」
「誰がババァだって? 誰が? アァん? 私はここ何十年かは、ずっと二十四だよ、ニジュウヨン!」
「えいくそっ、そんなことはどうでもいい。――んで? なんだ? ターゲットが見つかったのか?」
「ああ、あそこの壁際――ひとりでぽつねんと立ってるハゲオヤジがいるだろ? バーコード頭の――」
「バーコードだぁ?」
カンナの言う相手は、すぐに見つかった。
頭の両側にわずかに残った髪を未練たらしく頭頂に集めた中年男が、太った体を重たげに揺らしながら壁にもたれかかっている。
カンナが携帯用のコンソール・パッドを開いて、個人情報を引っぱり出す。
「キンバリー・ローダン――ええと、ユグドラシル計画の設計主任。ネクサスの宇宙開発公団の所長でもある。まァ――どうせ設計図を引いたのはアイツに決まってるから、設計主任ったって、お飾りに決まってるがね」
「どうする? ここでやるか?」
小声で訊いたジークに、カンナが答える。
「待て――そりゃマズい。ほれっ、ちょいと離れたところにボディ・ガードがいるだろ」
ジークは目をあげた。
彼から十メートルほど離れたところに、ジークと同じような服装をした男が目を光らせている。
「騒がれるとまずいな……。どこかに連れこめるといいんだけど」
ジークのつぶやきに、カンナが眉をあげる。
「連れこむ? なるほど、そりゃあいい手だわさ。やっこさんに連れこんでもらおう」
「連れこんでもらう? なんのことだよ?」
「だからさ――あの男にエレナを連れこんでもらうのさ!」
カンナはパッドの画面をジークに見せた。
「これを見てみい――ほれっ、あの所長さん、ちょっとばかりロリがはいってるのさ。何年か前に十歳の幼女にイタズラをしかけて、表沙汰になる前に揉み消してる」
「い、色仕掛けってことか? エレナを使って? いくらなんでも、そりゃ――」
「他に手がないだろ。ヤラせるさ」
にまりと、カンナは妖しく笑った。
この程度の――個人情報を人手する程度の――セキュリティ破りなら、カンナにも可能なのだ。
だが肝心の設計図は国家機密という厚いベールに覆われている。
ケルベロス級のセキュリティ・プログラムを手懐けるのは、一流のさらに上をいく神業が必要になってくる。
だからこその、〝正攻法〟だ。
アクセス権限のある人間が、正規のアクセスで情報に触れるかぎり、どんな強力なセキュリティ・プログラムも牙をむくことはない。
意外な盲点だ。
「よしっ、じゃあエレナを連れて――うわぁ」
ちょっと目を離している隙に、エレナの周りにはすごい数の人だかりができていた。
ほとんどが若い男ばかりだ。皆が皆、エレナの関心をかおうと躍起になっている。
「どうすんだよ、おいッ。あれじゃ連れだせんぞ? おマエが目を離してるもんだから――」
ここぞとばかりに、カンナがジークを責めたてる。
あんなに関心を集めてしまうとは計算外だった。――いや、ジークは知っていた。エレナとクレアの昔話で、聞かされていたはずではなかったか?
「そうだ! クレアさんはどこだ!?」
「クレア? 誰だ、そいつ?」
「ええと――そう。ドノ・クラヴァン大統領候補の娘さんだよ。今日、ここに来ているはずなんだ!」
「ひょっとすると、そいつぁ――あそこで嫉妬の炎をメラメラ燃やしてる女のことかい?」
――いた!
ブロンドの髪をショートカットにまとめた少女が、きりっと美しく整った顔に、嫉妬の翳をくすぶらせていた。
カクテルグラスを割れんばかりに握りしめた手が、ぶるぶると小刻みに震えている。
グラスの中身は縁からこぼれだして、もうほとんど残っていない。
その傍らで、気弱そうな青年がハンカチを持ったまま、声を掛けられずにおろおろしているのが見える。
ジークはしばし迷い――そして決心した。
これは人助けなのだと思いこんで、良心を無理やり説き伏せる。
「カンナ……さっきの薬、あるかい? ほら、素直になるっていうやつさ」
「ああ、自白剤な。ほれっ――嗅がせてもいいし、飲ませてもいい。即効性さね」
カンナがスプレーを取りだしているあいだに、ウエイターを呼び止めて赤いカクテルを二つばかり手に取った。
「ここに入れてくれ。二つとも」
プシュッ――と音がして、スプレーがカクテルに吹きこまれる。
見た目に変化はなかったが、これでカクテルは劇薬と化した。
サングラスを取り去って人懐っこい少年の目をあらわにすると、ジークはふたりに向けて歩いていった。
「やぁ、はじめまして――君、アダム君だよね。知ってるよ」
「えっ? あの、君は……?」
「まあまあ、いいからいいから。お近付きのしるしに、まあ一杯――」
相手の気弱な性格に狙いをつけて、有無を言わせずカクテルを飲ませてしまう。
「なっ――なんなんだ!? 君は! 君は……あれっ?」
相手の目つきが変わったところに、耳元に口を寄せて言葉を吹きこむ。
「彼女のことが好きなんだろう? 誰よりも、自分がいちばん愛していると――そう思ってるんだろう?」
「あ……ああ、そうだよ。他のみんなは、彼女が奇麗だからとか、家が金持ちだからだとか、そんなくだらない理由だけど、ぼくは違う。ぜったいに違うんだ」
「わかってるさ。じゃあその気持ちを、彼女に伝えなけりゃ――できるだろ?」
「ああ。もちろんだとも。伝えるさ――伝えるとも」
「彼女も喉が渇いているんじゃないかな。これを渡してあげるといい」
もうひとつのカクテル・グラスを、彼の手に握らせる。
「ありがとう。君っていい人だなぁ」
ちくりと、ジークの良心が痛む。
「ほら、彼女が待ってるぞ」
ジークは彼の背中を押しやった。
◇
彼は夢遊病にかかったように少女のもとに歩いてゆくと、グラスを手渡した。
憤然とした面持ちでグラスを受け取った彼女は、カクテルを――恋の劇薬を――一気に飲みほした。
効果はたちどころに表れた。
ぽうっと頬を染めた彼女は、泣きながら彼に抱きついた。
彼の胸に顔をうずめ、悔しさと口惜しさを、しきりに言い立てる。
魔法にかかったように、プライドは取り払われていた。そんな状態であっても、彼女は、彼が受け止めてくれるであろうことを知っていた。
彼女を優しく受け止めていた彼は、泣きはらす彼女が小声になる頃――その耳元にそっとつぶやいた。
いつだって僕がついているじゃないか――と。
彼女は泣きやみ、彼の顔を見つめた。
桜色のくちびるから、もう不平の言葉がもれだすことはなかった。
彼女は自分がいかに彼を頼りに思っているか、彼のことを好ましく思っているか、周囲に聞こえるほどの声で告げていった。
彼も負けじと、彼女の高飛車な態度に隠された可愛らしさを、周囲に集まった観客たちに、ひとつひとつ明かしていった。
そう――。
その頃になると、ふたりの周囲には、すっかり人だかりができていた。
会場中の人の目が、熱い告白を続けるふたりに集まっていた。
「結婚しよう! もう君を離したくないんだ!」
「嬉しい……。でも、こんな私でいいの? こんなわがままな女で……」
「僕になら、いくらでもわがままになってくれていい」
「アダム……」
「クレア……」
ふたりのくちびるが、静かに重なった。
演奏隊が気を利かせて、ムードたっぷりのバラードを奏ではじめる。