凱旋
宇宙港の滑走路には、何台もの消防車がぞくぞくと駆けつけてくるところだった。マスコミの報道車も、たいへんな数が駆り出されている。
誰もがこの事件に関心を持っていた。
事故が起き、およそ助かるはずのない状況でありながら、そのシャトルは生還してきたのだ。
その世界で何年も飯を食ってきた記者ならば、すぐにピンと来るはずだ。
西の空に、その機体はゆっくりと現れた。
ふらふらと、左右に頼りなく揺れながらも、滑走路に向けて真っすぐ降下してくる。
飛んでいるのが不思議なほどのダメージを、機体の各部に受けながらも、シャトルはゆっくりと滑走路にタッチダウンを行った。
消防車の出番はなかった。
停止した機体の周りに報道陣が群がり―そして昇降ハッチが内側から開けられる。
奇跡の生還に涙する乗客がひとりずつ降りてくる。
カメラはズームアップで、その表情をあますとこなく映しだした。
リポーターが神妙な表情でコメントを挟む。
用意されていた担架も、救急車も――消防車と同様に出番はなかった。乗客たちの誰もが、自分の足で歩いてきたからだ。
全員が降り――最後に、ひとりの少年が現れた。
報道陣が殺到する。彼らが本当に待っていたのは、その人物なのだった。
◇
「ほら、映ったわよ。お兄ちゃんが――」
膝の上に少女を座らせた格好で、ふたりは夜のニュースの画面を見ていた。
画面の中には、ちょうどジークが報道陣に取り囲まれて、インタビュアーに答えている場面が映っていた。
「いや、それはいいんだけど……なんだってぼくの膝の上に来るわけ?」
椅子にジークが座り、その足の上に、少女がちいさなお尻をのせている。
「だって、トンプソンがいなくなっちゃったんだもの。ニュースを見るときは、いつもこうしているのよ。最近ね、お父さまったらちっともお膝に乗せてくれないのよ。ねぇ――どうしてだと思う?」
「さぁ……」
もぞもぞと居心地悪げに足を動かしながら、ジークは答えた。
十一歳といえば、体もまるみを帯びて、そろそろ女らしくなってくる頃だ。
膝に乗せたがらない父親の気持ちも、なんとなくわかってくる。
彼女が大事にしていた熊のぬいぐるみは、探したが見つからなかった。
どうも宇宙に吸い出されてしまったらしい。
「あっ……お兄ちゃん、逃げだした。あははっ!」
少女がはしゃぎ声をあげて、お尻を揺らす。
画面の中では、ジークが報道陣を振りきって駆けだしたところだった。
あのあと市内に逃げこんで追手を撒き、このホテルに部屋を取ることになるのだ。
「もうっ、お兄ちゃんたら! 動いちゃだめ!」
「はっ、はい――」
叱りつけられて、ジークはもぞもぞと動かしていた足をぴたりと止めた。
いまのジークは、文字通り――彼女の尻に敷かれていた。
なにしろ未来から来たときの持ち物といえば、着ていた服に、レイガンとペンダント――それだけだ。
文明世界では、何をするにも金が必要になってくる。
逃走で乗り継いだタクシーも、ホテルのフロントに前金で払った部屋代も、すべて少女の持っていたゴールド・カードで支払われた。
したがってジークは、彼女に頭があがらない。
金を返すまでは、人間椅子の身分に甘んじていなければならないのだ。
画面の中では、リポーターが汗を拭きながらカメラに向かってコメントを向けていた。
取材対象に逃げられてしまった言い訳だ。
「ねぇ……お兄ちゃんの名前、あててみせよっか?」
膝の上の少女が、突然そう言い出してくる。
「えっ? ぼくの名前? そっか、まだ言ってなかったっけ……。ぼくは――」
言おうとしたところで、少女の指がぴたりとくちびるに押しあてられる。
「だーめ、わたしがあてるんだから。お兄ちゃんの名前はね、キャプテン・ガルーダっていうんでしょ? どう? 正体をあてられちゃって、びっくりした?」
「ガルーダだって――?」
よほど驚いた顔をしたらしい。
少女は間違ったことにすぐ気づいて、ペろりと舌を出した。
「あらっ、違っちゃった? だってこの近くに来ている《ヒーロー》っていったら、その人だけなんだもん」
「ちょ――ちょっと待ってくれ!」
ジークは膝の上の少女を持ちあげた。くるりと自分のほうを向かせる。
「いまはいつなんだ? 何年なんだ!?」
厳しい顔でジークが問い詰めると、少女はぷいと顔をそむけた。
「教えたげない」
「あのねっ! これは大事なことなんだから――」
少女はくちびるを尖らせて、ジークに言う。
「ひどいわ――そんなに大事なことなの? わたしの名前よりも? だってお兄ちゃん、わたしの名前もまだ聞いてくれてない……」
「う……」
ジークは言葉を詰まらせた。
「えっと、じゃあ……き、君の名前は? ――かわいいお嬢さん?」
形のいい顎を上に向かせて、彼女は得意げに言った。
「エレナっていうの。エレナ・ローレンス。歳は十一歳よ」
「えっ……?」
ジークの思考が、一瞬、止まった。
「じゃあお兄ちゃんの質問にも答えてあげるわね。今日は四月の一日。それから、今年は百二十六年――あ、もちろん英雄暦でね。西暦だと、ええと――二千二百七十を足すから……二三九六年ね。どう? これであってる?」
少女の言葉は、ジークの耳を素通りしていった。
「どうしたの? お兄ちゃん?」
少女は訝しそうに、ジークの顔を見上げた。
十五年前だった。
目的の時代より、十五年も前に出てきてしまったのだ。
「ねぇ、お兄ちゃんたら? どうしちゃったの? 変よ、お顔が……ねぇったら、ねぇ」
ジークは茫然としながら、少女時代のエレナに膝を揺すられていた。
◇
「お兄ちゃん、はやくはやく――つぎはお帽子買うんだから!」
いまどきB級のコメディ映画でも、こんな光景は見かけないだろう。
何段も――山のように積み重ねた化粧箱を両手に抱え、さらには両肘に紙袋をいくつもぶら下げて、ジークはよろよろと歩いていた。
「ほらほらぁ。お兄ちゃんってば、こっちこっち!」
ろくに前も見えない。
バランスを崩さないことだけに注意して、エレナの声を頼りに、繁華街の歩道をゆっくりと進む。
他の歩行者が避けてくれることを願うばかりだ。
そんなことを考えていると、それはやっぱりやって来た。
「おうっ! ニィちゃん、気ィつけろい!」
「わわっ!」
どんと、誰かの肩がぶつかってくる。
ジークはバランスを崩してよろめいた。
前後左右に――ずいぶん長いこと粘り、それから派手にすっ転ぶ。
尻餅をついたジークの上に、箱がばらばらと降りそそいできた。
「あははっ。お兄ちゃんたら、おっかしぃー! コメディの俳優さんみたい」
屈託なく笑う少女を見上げて、ジークは憮然とつぶやいた。
「ったく……。なにも持って歩かなくてもいいだろ。ホテルに届けてもらえば……」
「だめよ、それじゃすぐに着れないでしょ? きのうとおなじお洋服でいるなんて、そんなこと――お母さまが知ったら、きっと倒れちゃうわ」
「はぁ……ところでさ」
「なぁに、お兄ちゃん」
「そのお父さまとお母さまだけど……。もちろん知ってるよね? 君がこうしてひとり旅をしてるってことは……?」
「そうね、いまごろは気づいてると思うわ」
「おいおい……」
「だってお父さまとお母さまがいけないのよ。ああしなさい、こうしなさいって、お小言ばっかりなんですもの。わたしもうおとなだもん。自分のことは自分で決められるはずよ」
「お……、大人は家出なんてしないんじゃないかなぁ?」
「家出じゃないわ。気軽なひとり旅ってやつだもん」
「は、はぁ……」
ジークは箱をひろい集めながら、ため息をついた。
とんだお嬢様だ。まあ――このあたりのしたたかさが、あのエレナに通じているのかもしれない。
「お帽子買ったら、つぎはお兄ちゃんのばんよ。おとこの人の服ってよくわかんないけど、わたしが選んであげるね」
「う、うん……」
どんな服を着せられることになるか心配ではあったが、衣食住の一切を世話になっている身分で、物を言う権利はない。
近いうちに仕事を見つける必要があるだろう。
マスコミの『シャトルを救った謎の《ヒーロー》!』という騒ぎが収まり、ほとぼりが冷める頃になったら、なにか宇宙関係の仕事を――いや、この惑星に留まっていたほうがいいだろうか? 十五年先に、あれがこのネクサスで起きることは確実なのだから。
あと十五年。それまで何をしていればよいのだろう。
だいたい十五年も経つころには、自分は三十を越えたおじさんではないか。
「ねぇ、お兄ちゃん――」
ジークと一緒になって路面にしゃがみこみ、散らばった箱をひろいながら、エレナは言った。
「わたしね、思ったの。大きくなったらいろいろなことをお勉強して、《ヒーロー》のスタッフになりたいなぁ……って。わたし、なんになれると思う? パイロット? 科学者? それとも戦闘のプロフェッショナルかしら?」
ぎょっと手を止めたジークに、エレナは続ける。
「思いつきじゃないのよ。前からずっと考えてたの。お父さまの言う通りにしていたら、誰かのお嫁さんにしかなれないんじゃないかしら? それもいいんだけど――でも、それにしたって、誰のお嫁さんになるのか、そのくらい自分で決めれるようになりたいもの」
エレナは箱をぜんぶ拾い終えると、ジークに言った。
「ねぇお兄ちゃん……エレナが大人になって、なんでもできるようになったら、いっしょに連れていってくれる?」
ジークは彼女の言葉を聞いていなかった。通りの向こうから近づいてくるオープン・カーを見ていたからだ。
「えっ――なに? いまなにか言った?」
「もうっ、いいわ」
少女は軽くため息をついた。
ふたりのしゃがみこんだすぐ脇を、オープン・カーが通り過ぎてゆく。
選挙のためのパレードのようだ。
車上からは、初老の男がにこやかに微笑んでいる。そのとなりでは、娘と思われる少女が沿道に向けて手を振っていた。
ジークが見つめていたのは彼女だった。
『ドノ・クラヴァン――ドノ・クラヴァンをよろしくお願いします!』
スピーカーが名前をがなりたてる。
「クラヴァン……か」
白い服の少女は、十九か、二十くらいに見えた。
十五年ほど未来に、あの可憐な少女が大統領になっているなど、誰が思うだろう。
少女の姿が見えなくなるまで見送って、ふとエレナに顔を向けると、彼女はぷいっと顔をそむけた。
「もうっ、お兄ちゃんたらっ――きらい!」