ハニー・スポット
男に引きずられるようにして到着した場所は、うらぶれたホールだった。
映画館か何かを改装したような感じだ。
ネオン・サインが点滅し、蜜の壷と店の名前を主張している。
場末のショー・パブという趣だが、ここには間違いなく活気が充満していた。
この荒廃した世界で、はじめて見かける活気だった。
「よう、ビルじゃねぇか? しばらく顔を見せねぇと思ったが、どうしてやがった?」
ホールの入口にしゃがんでいた男が、立ち上がるなり出迎えにきた。
どうやら入場係らしい。
「へっ、元手がなかったから仕方ねぇ。今日はほれ、酒を持ってきたぜ……ほんまもんのやつだ」
男の言葉に、入場係の男は舌なめずりをした。
「そいつぁ、いい……。おう、入れ入れ! そうそう……今日はイーニャのやつが出てるぜ。いま踊ってるとこだ」
「本当かよ? じゃあほれ、二瓶だ」
「二瓶? 一瓶で足りるぜ……ああ、後ろの小憎もいっしょか」
入場係の男は、ようやくジークに気づいたらしい。
「ああ、ジークって名前だ。俺の兄弟分だと思ってくれ」
「ジーク……だって?」
入場係の男は、ジークの顔をまじまじと見つめた。
「なんだよ? 知り合いか?」
「いいや……そんなはずはねぇ。そんなはずは……」
「じゃあ、二瓶、ここに置いとくぜ」
ぶつぶつと呟きはじめた入場係を残して、ふたりはホールに入っていった。
「気にするな、あいつは時々ああなっちまうんだ。まあそれでもここじゃ、まともなほうだがな」
入場係を気にして振り返るジークに、男はそう説明した。
「だけど、ついてるぜ。そのイーニャってのが、乳は小せぇが、これまたすこぶるつきのいい女でよ……」
クッションの張られた両開きの扉に手をかけて、男はジークを振り返った。
「さあ、ショー・タイムだ」
扉が開かれる。
その瞬間、光と音楽が押しよせた。
熱気が渦を巻いて、開かれた扉から吹きだしてくる。
足を踏み入れるとき、その抵抗さえ感じられるようだった。
何十人もの男たちが、声を張りあげ、腕を振り回して騒いでいた。
ステージの下にかぶりついて、踊る女性に歓声を送っている。
ステージの上では、女性が踊っていた。
カラフルなライトを浴びて、しなやかな肢体が躍動している。じっとりと滲んだ汗が、張りのある皮膚を艶やかに輝かせていた。
彼女の踊りに、ジークは心を引かれた。命の躍動を感じさせる踊りだった。
ジークはふらふらと前に進んでいった。
「おらっ! どくんだよ、おらっ!」
男が拳を振るって、ジークのために場所を作ってくれた。
ステージの真下まで行って、彼女を見上げる。
彼女は男たちの視線を浴びながら、腰を振っていた。
性行為を思わせる動きで、何度も腰をくねらせる。彼女は観客たちのひとりひとりに笑顔を向け――そしてジークと目を合わせた。
ぴたり――と、動きが止まった。
鳴り渡る音楽の中、彼女は凍り付いたように動きを止めていた。
「ジ、ジーク……。ど、どうして……ここに?」
泣きだしそうな笑顔を顔に張りつかせたまま、彼女はジークにそう言った。
◇
いくつもの大道具が所狭しと置かれた部屋で、ジークは彼女と向かいあっていた。
ふたりきりになれる場所は、こんなところしかなかったのだ。
彼女がジークの面倒をみてくれていたのだという。
ジーク自身にも、うっすらと記憶が残っていた。
彼女の優しい手の感触と、自分に語りかけてくる表情と声――。
「あたしのこと……軽蔑したでしょ」
ずいぶん長いことつづいた沈黙のあとで、彼女はそう言った。
素肌のうえに羽織ったガウンを、きゅっと握りしめる。
「……」
ジークは必死になって、何かを言おうとした。だがどうしても口が動かない。
「やっぱり、軽蔑するよね。こんな仕事だなんて……」
「そんなこと、ない」
ジークは言葉をしぼりだした。
自分の気持ちを伝えられなかったことで、もう後悔はしたくない。
アニーに気持ちを伝えられなかったとき、ジークは誓った。
二度とおなじ過ちを繰り返すものかと――。
「とっても奇麗だった。見てて元気が出たんだ。生きてるって、そんな感じがして……」
「でも………でもあたしたちって、踊るだけじゃないのよ? ステージが終われば、客の誰かと、しけこむことだってあるし……」
「それは……。気にしないっていったら嘘になるけど……。でもそういったすべてをひっくるめたのが本当の君だったら……」
ゆっくりと顔をあげた彼女に、ジークは言った。
「ぼくは……。ぼくはありのままの君を、認めたい」
彼女の目から、涙がひとすじ流れ落ちる。
「な……なんだよ。なんで泣くんだよ?」
「違うの………これは違うの。泣いてるんじゃないんだから……」
泣きつづける彼女をどう扱っていいかわからず、ジークはおろおろと立ち尽くしていた。
◇
朝がやってきて、ふたりは同じベッドから抜けだした。
下着姿でのびをしながら、彼女がジークに聞いてくる。
「朝ごはん、食べられそう?」
「うん……」
ベッドの隅で縮こまっていたジークは、彼女のまぶしい肢体から目をそらしながらそう答えた。
キッチンに立ったイーニャは、何かをあたためて戻ってきた。パックを開けると、卵の香りがふわりと広がる。
「スクランブル・エッグとトースト――ほらっ、コーヒーもあるんだから」
冷凍パックのインスタント食ではあったが、どれも本物の食品だった。
異星人から配給される素っ気ない食べ物とは、匂いからして違っている。
「栄養だけなら、連中の配給食のほうがあるんだけどね……やっぱ人間は、こうでなくっちゃ。さあ、食べて食べて――」
「いただきます――」
目覚めてから初めて、ジークは強い食欲を覚えていた。
フォークを握ると、無心で食べはじめる。
「足りなかったら、まだあるから……。冷蔵庫、空にしちゃってもいいわよ」
彼女はトーストを一枚だけ片付けたきりで、ほとんどの時間をジークの食事ぶりを見守ることで過ごしていた。
ようやく腹が満たされる。
ジークは椅子にもたれかかって、何杯目かのコーヒーを楽しんだ。
「だけど、どうしてこんなものが……ここじゃ、贅沢品なんだろ?」
「そりゃ、仕事してるもの。アスファルトを掘り返して作物を育てたり、家畜を飼ったりしてる人がいてね……あと、うちの客にはいないけど、パン職人なんかもね。みんながみんな、路上で生活してるわけじゃないんだから」
ジークは昨日のことを思い出した。
ホールに入る代金として、ビルが酒を渡していた。ここでは物々交換が基本らしい。
彼女は立ち上がると、食器を片付けはじめた。
「さぁってと……そろそろ仕事にいかなくちゃ」
「うん。帰りはいつぐらいになる?」
そう聞くと、彼女は呆れたようにジークを見た。
「なに言ってるのよ、あなたも来るの」
「えっ、でも……」
「働かざる者、食うべからず――ってね。わかった?」
もっともな話だ。ジークはうなずいた。
仕事場に向かうために、ふたりは揃って部屋を出た。ドアに付けられたいくつもの鍵をひとつひとつ閉めているうちに、彼女は思いだしたような顔で言い出した。
「いっけない、忘れ物……」
鍵を開け直して、イーニャはいったん部屋の中に引き返していった。
戻ってきた彼女と肩を並べるようにして、がらんとして人気のないマンションから外に出る。
通りはいつものように人で溢れていたが、こんな美人が脚とへそを見せびらかすように歩いているというのに、口笛ひとつ掛かってくるわけでもない。
誰もが無気力だった。
胸の悪くなるような倦怠感が、街のいたるところに淀んでいる。
それに比べると、昨夜のあのホールには活気があった。
あまり上品なものではなかったが、それでも活気であることは間違いない。
「あのさ……、ぼくの仕事って?」
「そうねぇ、まずは掃除からかなぁ。ほんとはジムの仕事なんだけど、あいつサボってばかりだし――」
「ジム?」
「入場係の……入ってくるとき、いたでしょ? 踊る以外のことは、みんな彼の仕事よ」
「ああ……」
ジークはほっと息をついた。
自分も踊らなくてはならないのかと、そう心配していたところだった。