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星くず英雄伝  作者: 新木伸
EP3「宇宙樹の少女」 第二章「未来」
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目覚め

「じゃあ、あたし、仕事に行ってくるから……」


 ドアのところで振り返り、彼女はそう声をかけた。いつものように、ベッドの脇には食事が用意してある。


 しばらくは返事を待つが、少年は何の反応もみせない。


「それじゃあ、行ってきます……」


 ぱたりと、ドアが閉じられる。

 分厚いドアにいくつも取りつけられている鍵が、外側からひとつずつ閉めていかれる。

 ブーツの足音がドアの向こうに遠ざかって消え、さらに何分か過ぎ去った頃――。


 少年のぼんやりした瞳に、しだいに光が戻りはじめた。


 夢と現実の狭間をさまよっていた心が、ようやくこちら側に帰ってきたのだった。


 さらに数分が経過する。

 少年――ジークはベッドに起きあがったまま、不思議そうに周囲を見回していた。まるでたったいま気がついたかのような顔だ。


 ジークはベッドからゆっくりと足を下ろした。

 床の冷たさに、びくりと身をすくませ、一度は足をひっこめる。シャツとパンツだけでは、すこし肌寒かった。


 もういちど室内を見回して、部屋の隅にクローゼットを見つける。

 ジークは思い切って床に降り立った。クローゼットに向けて、まっすぐ歩いてゆく。


 クローゼットを開き、いちばん上の引き出しを開ける。

 女性の下着がぎっしりと詰まっているのを見て、慌ててそこを閉じる。次の引き出しを開けると、サイズの合いそうなシャツとズボンが見つかった。


 そのふたつを身に着けてから、今度はドアのところでサンダルを発見する。

 ドアに付けられた何個もの鍵にしばらく手間取ったあと、ようやくドアを開けることに成功する。


 部屋を出るまえに、ジークは最後にもういちど室内を振り返った。

 不思議そうに首を傾げてみせる。なぜこの部屋にいたのかと、いぶかしむような顔だった。


 そして今度こそ、迷うことなく部屋を出ていった。


 抜け殼となったベッドだけが、部屋に残された。


    ◇


 ジークは大通り――たぶんそうなのだろう――を、ゆっくりと歩いていた。


 さっき見知らぬ部屋で目を覚ましたときもそうだったが、ここがどこで、どうしてここにいるのかまるで見当がつかない。

 あの部屋で目覚めてから見た物だけが、彼の知っているすべてだった。


 それ以前の記憶といえば……。


 思いだそうとしたジークの心に、激しい痛みがはしる。

 心をきしませる苦痛に耐えて、ジークはひとつひとつ記憶を掘りだしていった。いま思いだそうとしなければ、このまま永遠に忘れてしまうこともできたかもしれない。


 だが――ひとつの想いが、ジークを駆りたてていた。

 それは彼女たち――カンナやエレナやジリオラたちが、最後にジークに向けた想いだった。

 彼女たちが願い、信じようとしたこと。

 ジークがこの悲しみを乗り越えられるということ――。


 その想いに応えることだけが、いまのジークが彼女たちにしてやれるすべてだった。


 通りを歩きつづけながら、ジークは長い時間をかけてすべてを思いだした。

 その記憶を、そっと心の底に沈める。


 そうしてから、あらためて街並みに目を向ける。


 さきほどから歩きつづけている街並みは、ひどく奇妙なものだった。

 どこが変なのかというと、まず街が浮浪者で溢れかえっているのだ。


 片側三車線ずつの大きな通りだというのに、道の両側に座りこんだり、寝転がったりしている人間がごろごろしている。

 男も女もどちらも見かけられた。

 だがその割に、子供の数が妙に少ない。

 母親がひとり、子供に乳を与えていただけで、子供が駆け回るような場面には一度も出くわさなかった。


 もうひとつおかしなところは、街の景観だ。


 営業こそしていないものの、飲食店らしきものや、割れたショー・ウィンドウはいくつも目につく。

 彼が出てきた路地の奥には、雑居ビルがいくつも立ち並んでいた。

 ホールやシアターらしき建物や、ビジネス向けの高層ビルも、歩いているうちには通りすぎていた。

 街にあるべきものは、ひと通り揃っている。


 だが数百メートル歩くたびに、同じ光景が繰りかえされるのだ。

 すべての種類の建物をワンセットにして、まったく同じ街並みが際限なく繰りかえされている。


 もちろんショー・ウィンドウの割れかたや、壁の落書きというものは違っている。

 ただ店舗の位置やビルの外装といったもののバラエティが、まったく同じなのだ。


 まるで数百メートルもあるような巨大なスタンプで、つぎつぎと判を押していったようなものだ。

 こんな奇妙な街並みを、いったい誰が作ったのか――。


 もうひとつ、ジークが奇妙に思ったことがある。


 それは空だった。

 歩いている途中で見かけた時計では、午後の四時をすこし回ったころのはずだ。

 まだ夕方には早い時間だというのに、空はどんよりと暗かった。

 目が慣れて、周囲がようやく識別できるかという程度の明るさだ。


 ジークはどこかにあるはずの太陽を探したが、見つけることはできなかった。

 かといって、雲も見えない。暗雲が立ちこめているというわけでもないのだ。


「よう、兄弟――」


 道路脇の浮浪者のひとりが、酒瓶をふりあげて陽気な声を掛けてくる。

 ジークは足を止めた。体がまだいうことをきかず歩き疲れていたし、なによりも誰かに話を聞く必要があると思ったからだ。


「呑むか? パルプで作ったまがいもんなんかじゃねぇぞ、裏で手にいれたほんまもんの酒だ。ほれ、いくらでもあるぜ……」


 男は少しだけ体をずらした。

 ラベルの張っていない酒瓶が、何ダースも転がっている。


 ジークは首を振って、差しだされた酒瓶を断った。


「おめぇ、名前はなんてんだ? 俺はビルだ。なんだったら、ビリーでもいい」

「えっと……。ジーク、です」


「よし、ジーク。酒がだめなら、食いもんはどうだ? チーズは? ジャーキーはどうだ? ピーナッツもあるぜ」


 男はいろいろな物をつぎつぎと差しだしてきた。

 どれを見ても、やはりラベルが張られていない。食欲はまるでなかったが、ジークはピーナッツをひとつつまんで、口に運んだ。


「どうして……。ぼくに、こんな?」


 ジークは聞いた。どうしてここまで親切にしてくれるのかと、そういう意昧だったのだが、男にはすぐわかったようだ。


「なぜって? そりゃあ、おめえが若造だからに決まってんだろ。俺たちより、いくらか長生きするだろうからな、せいぜい大事にしてやるさ」


 どうも言っていることがわからないが、ジークはとりあえずうなずいておいた。


「あの……。ちょっと聞いて、いいですか?」

「なんだい?」

「ええと……」


 ジークはいくつもある質問に、頭の中で優先順位を付けようとした。

 たくさんありすぎて、うまくまとめられない。


 そうしてジークが長いこと考えこんでいると、どこか遠くから、サイレンのような音が聞こえてきた。


「おっと――飯の時間だ。行こうぜ」


 腰をあげた男について、ジークは歩きはじめた。

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