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星くず英雄伝  作者: 新木伸
EP3「宇宙樹の少女」 第一章{現在}
87/333

ステージ・ガール

 そこはステージだった。


 どぎつい色をしたスポット・ライトが、いくつもの円を描いている。


 スレンダーな体つきの女性が、何色もの光をその身に浴びながら、光の中心で踊り狂っていた。


 激しい動きのたびに、さらりと流れたロング・ヘアが光を弾く。

 けっして上品な踊りではない。わずかな衣装をまとって身体をくねらせる、扇情的なダンスだった。


 ステージの下には、狂乱する男たちの姿があった。

 いずれも汚い身なりの男ばかりだ。誰もがぎらつく視線を、動きまわる女体に向けている。


 そんな男たちに向かって、彼女は繰りかえし身をひねった。

 引き締まった腹を、なまめかしくうねらせる。男たちに向けて差し伸べた手から、珠となって汗が飛んだ。


 曲のテンポが、ラストに向けて盛りあがってゆく。

 彼女はしなやかな肢体で、駆けあがるリズムを追いかけるようにステージを舞った。


 最高潮に盛りあがったところで、曲は打ち切るように終わりを告げた。

 ぴたりと静止した彼女のもとにスポット・ライトは集まってゆき、光の輪をちいさく閉じていった。


 歓声と口笛。空中を酒瓶が飛びかう。


 一瞬の暗闇にまぎれて、彼女はステージを駆け降りていた。

 いやらしい模様のカーテンを突っ切り、舞台袖から楽屋へと駆けこんでゆく。


 ステージからは、もう次の曲が聞こえてくる。今夜もまだまだ、先は長いということだ。

 楽屋では何人もの娘たちが、出番を待ちながら爪と化粧を整えていた。

 同僚たちのあいだを真っすぐ突っ切って、彼女は自分のバッグに手を掛けた。


「なによイーニャ? あんたもう帰っちゃうの? これから盛りあがってくるっていうのに」

「ええ、今日はちょっとね――」


 そう答えながら、イーニャと呼ばれた彼女はステージ衣装を脱ぎ捨てた。

 タンクトップを頭からかぶり、ミニスカートをヒップまで引きあげる。

 その上からジャンパーを引っ掛け、すらりと伸びた脚をロング・ブーツに通す。


「じゃ、またあさって――」

「あいよォ――」


 挨拶もそこそこに廊下に飛び出すと、彼女は裏口に向かって真っすぐに歩きだす。

 中二階の照明室につづく階段の前を通ったとき、彼女を呼び止める声があった。


「よう、今日はもう店じまいか? そんなに急いで、どうしちまった?」


 階段の途中に、中年の男が腰掛けていた。

 いくつもの酒瓶を階段に並べた男は、上機嫌そうに、にやにや笑っていた。


 彼女は形のいい顎を振りあげて、男に言った。


「日が変わるまえに部屋に戻らないとね。知ってるでしょ? あたしにとって特別な日なの」

「ああ、午前零時から二十四時まで、丸一日飲んだくれることにしてる……だろ?」


 酒瓶に口をつけながら、男は言った。


「俺とおんなじじゃねぇか」

「よしてよ、ジム――あんたはいつだって飲んだくれてるじゃないの」

「明日は特別さ……。この十五年、忘れたことなんかあるもんかよ。宇宙樹(ユグドラシル)のことを覚えているやつも、もうおめえと俺のふたりだけになっちまって――」

「やめて、ジム」


 彼女は男の話を遮った。


「昔の話は聞きたくないの――帰るわ」

「こいつを持ってけ――おめぇのためにとっておいた、特別上等の酒だ」


 投げ渡されたボトルを、彼女は黙って受け取った。

 バッグに詰めこみ、場末のショー・パブの裏口からひっそりと抜けだす。


 ゴミバケツが山のように積まれた路地を、足早に歩いてゆく。

 そのうちに彼女は、ぴたりと足を止めた。バッグを開けて、いま受け取ったばかりの酒瓶を引っぱりだす。

 キャップを飛ばして、中身を口に流しこもうとした、その時――。


 ぱりっ――という、スパークの飛んだような音を、彼女は聞いた。


 路地をひとつ曲がった先から、その音は聞こえてきたようだ。

 かすかな好奇心が彼女の中に芽生える。面倒だと思う気持ちを、それはわずかに上回った。


 酒瓶をバックに戻して、彼女は路地をのぞきこんだ。

 まだ若い男が、ゴミバケツに埋まって呻いている。この界隈ではよくあることだった。


 それよりも彼女が気にしたのは、空中に浮かんでいる奇妙なものだった。

 ビルの谷間で切り取られた夜空を背景に、闇よりもなお暗い、円盤のようなものが浮かんでいる。

 青白いスパークが、穴の縁を舐めるように走った。


 そう――それは空中に開いた〝穴〟だったのだ。


「ううっ……」


 ゴミに埋まった少年が、ふたたび呻き声をあげる。


 彼女ははっと、少年に顔を向けた。

 少年の着ている服は、まっ黒に炭化してボロ布のようになっていたが、元は宇宙服だったことが見て取れた。その宇宙服には、見覚えがあった。


 彼女は立ちつくしたまま、信じられないという面持ちで少年を見つめていた。

 十五年も昔になくしたと思っていたものが、いま、彼女の目の前に戻ってきたのだった。


    ◇


 ベッドの他は、わずかばかりの家具しかない部屋だった。


 ひとつきりのベッドに、少年が寝かせられていた。

 ぼろぼろだった服は脱がされ、かわりに柔らかなシャツが着せられている。煤けてまっ黒だった体も、きれいに拭われていた。


 床に座り、ベッドにもたれかかるようにして、彼女は少年の顔を見つめていた。

 腰まで伸びた長い髪が、毛布の上を流れ、少年の体をしっとりと覆っている。


 彼女が自分の部屋に少年を運びこんだのは、昨夜遅くのことだった。

 命にかかわるような怪我がないことを確認し、服を脱がせて体を拭いた。

 そのあいだも少年が目を覚ますことはなかった。


 いまが朝なのか、それとも昼になっているのか――。


 彼女にとって、それはどうでもいいことだった。

 少年の目がうっすらと開かなければ、何時間でも、何日でも、彼の顔を見つめつづけていたことだろう。


 彼女の顔から十センチも離れていないところで、少年は細くかすかに目を開いた。

 その目は緩慢な動きで、焦点を得ることなく周囲をさまよった。


 乾いた唇が開き、声がゆっくりとつむぎだされる。


「ここ……は……?」


 彼女は少年の手を両手で包みこんだ。


「遠い、ところ……あなたがいたところから、とっても遠いところよ。ずっと前に、もうみんな終わってるから……」


 彼女の言葉が聞こえたのか、少年はゆっくりと目を閉じていった。


 ふたたび眠りに落ちた少年を、彼女はいつまでも見守りつづけていた。


    ◇


「……ただいま」


 そう言いながらドアを開けた彼女は、おそるおそる――部屋の中をのぞきこんだ。


 部屋の中は真っ暗だった。

 暗闇に目が慣れるにしたがって、ベッドに起き上がっている人影が見えてくる。その姿を確認してから、彼女は壁のスイッチに手をやった。


 天井の照明モジュールが部屋の中を照らしだす。

 少年はベッドの上に上半身を起こしたまま、壁の一点をじっと見つめていた。おそらくは、明かりがつく前からそうしていたに違いなかった。


 ベッド脇のサイド・テーブルには、昼過ぎに彼女が用意していった食事が、そのままの形で残されていた。


「また、食べなかったのね?」


 そう訊ねて、女性はしばらく待った。


「……」


 何秒か待ったが、やはり返事は返ってこない。

 彼女がここにいることに気づいているかどうかも怪しいところだった。

 医者でもいれば連れていっているところだが、あいにくと、ここにはそんな者がいるはずもない。


「ちょっと待ってて、あっため直しちゃうから」


 ブーツとジャケットを脱ぎ捨てて、彼女はキッチンに立った。

 自動調理機に食事を通して戻ってきたときも、少年は同じ姿勢のままでベッドに座っていた。

 吹いて冷ましたスープを、口元に持っていってやる。


「はい……飲んで」


 スプーンを唇に押しあててやると、少年はスープを飲みこんだ。

 二口めを、口元に運んでやる。器が空になるまで、それを繰りかえす。


 この一週間というもの、少年はずっとこんな調子だった。


 看護のために、彼女はマニキュアを落としていた。

 爪も短く切りそろえてある。化粧も香水もすぐには落とせないから、最近はステージには立つときもすっぴん(、、、、)のままだ。


 食事を片付けると、彼女は少年の服を脱がしにかかった。

 包帯をほどいて、怪我の具合を確かめる。

 包帯と湿布を取り替える必要はなかった。軽い火傷と打ち身の跡は、もう注意して見てもわからないほどになっている。


 服を脱がせたついでに、蒸しタオルで体を拭いてしまう。

 それから尿瓶をあててやる。

 大きいほうは二日に一度だ。今日はしなくていい。


 少年はされるがままなっていた。

 彼女は清潔なシャツを頭からかぶせ、少年をベッドに寝かしつける。そうしておいてから、自分は壁際に歩いていった。


「明かり――消すわよ?」


 答えが返るとも思わなかったが、いつもの習慣で彼女はそう訊ねていた。

 壁のスイッチに手をかけたとき、ふと、少年の手が胸元に伸びているのが目にとまる。


「なに、どうしたの?」


 彼女は慌てて少年のもとに戻った。

 自発的になにかをしようとしているのは、はじめてのことだった。


 少年の手はゆっくりと動いていた。胸元をさぐってでもいるかのように――。


「……――た?」


 少年の口が、何かを言おうとする。


「なに? なにが言いたいの?」


 彼女は待った。少年がはじめて言葉を発するのを、辛抱強く待ちつづける。

 少年は前を見たまま、ぼそりぼそりとつぶやいた。


「ぺん…だんと……と、じゅう……」

「ペンダントと銃? それがどうしたの?」

「……ない」


 少年の手が、胸元を弱々しくまさぐる。


「ペンダントを探してるのね? それから――銃も?」

「……うん」


 うなずいた少年に、彼女はゆっくりと言い聞かせた。


「わたしがあなたを見つけたときには、なにもなかったわ……。裸で倒れていたから、何も持ってなかった」


 胸元を探しつづける少年に、彼女は訊いた。


「大事なものだったの……?」


 少年はようやく手を下ろし、遠くを見たままで返事をした。


「いい、もう……」

「そう……じゃあ消すわね」


 明かりを落とすと、彼女はしなやかな動きで少年のいるベッドに滑りこんでいった。

 となりに寄り添って身を絡ませると、腿のあたりに硬い感触があたった。


 彼女は気にもしなかった。ごくあたりまえの生理現象であるし、服を着替えさせているときから気がついていたことだ。


 少年も気にしていないようだった。あるいは、気づいていないのかもしれない。


「おやすみなさい」


 彼女は少年に向かってそう言い、目を閉じた。


    ◇


 どれだけの時間が経ったろう。


 少年が目を閉じ、寝息をたてはじめたのを待って、彼女はベッドをそっと抜けだした。


 暗闇のなか、部屋の隅に向かって静かに歩いてゆく。作り付けのクローゼットを静かに開くと、なかの引き出しに手をかけた。


 一瞬、手を止める。だが躊躇はしても、手を引くことはなかった。


 彼女は引き出しを開けた。

 詰めこまれたブラジャーをかきわけると、鋼の地肌が剥きだしになった無骨なレイガンが現れる。そしてもうひとつ、小さなインゴットをあしらえたペンダントも、パンティーの下に見えていた。


 彼女はその二つを手に取り――長いこと見つめていた。


 そして彼女は、その二つを引き出しに戻した。

 最初のときよりも、さらに奥へとしまいこむ。上から下着をかぶせ、念入りに覆い隠してゆく。


 彼女は少年を起こさぬようにベッドに戻り、そして今度は本当に目を閉じた。

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