それぞれの戦い
「えい、もうっ!」
カタリナは自分のヘルメットを叩いて、朦朧としはじめた頭に鞭をふるった。
脇腹の循環器に手をやって、酸素の分圧をちょっぴり引きあげる。
子供たちの何人もが、疲労のために脱落していた。
ここで自分まで倒れるわけにはいかない。
「カタリナっ! なにやってんの! そっち気密が抜けてるよっ!」
無線で怒鳴られて、カタリナはぎくりと身をすくめた。
アニーの指差す方向にあわてて顔を向けると、ロケット同士の接合部分から噴出する空気で、背景の星々が陽炎のように揺れていた。
「トニー! ガムガン持ってきて! こっち、早く!」
いちばん小さいながらも、上の子に負けずに頑張っている男の子が、ライフルのような形をした充填剤を抱えてくる。
「トニー、押さえてて! せーのっ!」
ふたり分の質量を利用して、ガス圧で充填剤を押しこむ。
速乾性の充填剤が、空気の流出をせき止めた。
「ふうっ……」
カタリナは安堵の吐息をもらした。
無重力で踏んばるのは体力を使う。宇宙服の下で下着が肌に張りついて気持ちが悪い。
これらのロケットは、もともと宇宙樹の茎を構成していたパーツだったが、一度ばらしてふたたび組み直すとなれば、あちこちガタが出てもしかたがない。
カタリナはアニーを見た。
まるで疲れを知らないかのように、姉は不眠不休で作業を続けていた。もうかれこれ20時間近く、鷹のような注意力を持続させている。
ここの指揮を執るばかりではない。他のチームのリーダーを無線で呼び出し、焚き付け、挑発し――ともすれば切れようとする気力を維持するために、あらゆる手をつくしている。
アニーがいなかったら、疲労の溜まったどこかのチームが、致命的なミスを犯していたかもしれない。
まったく信じられないようなエネルギーだった。
長老連に働きかけて、宇宙樹をひとつにまとめ上げてしまったときもそうだ。
大老と個人的な知り合いで、名が知れていたとはいえ、一介の娘にできる芸当ではない。
なにが姉をあそこまで駆り立てるのか――。
男は知っていても、恋は知らないカタリナには理解の外だ。
「あーあ……あたしも男つくろっかな。これが終わったら――」
たまたまロケットの窓際を通りがかると、自分よりすこし歳上で、自分よりだいぶナイーブそうな少年と目が合った。
すかさずバイザーを上げて微笑みかける。
はにかんだようにうつむいた少年は、すぐに顔を正面に戻した。
その視線が自分に向いていないことに気がついて、カタリナは後ろを振り返った。
幾重にも織りなされた光の帯が、ネクサスの周囲を取り巻いている。
何万キロもの彼方で、いまも飛びつづけている《ヒーロー》の船――その噴射ガスの輝きだった。
彼の船は、推進剤を山ほど抱えて、もう20時間にもわたって高機動をつづけている。
ロケットの窓には、たくさんの顔がならんでいた。
ここにいる人々のすべて――誰ひとりとして例外なく――彼の手で、ここまで運ばれてきたのだ。
カタリナはもういちど振り返り、ロケットの人々と同じものを見て、そして知った。
運命という名の、あまりにも大きな力を前にして、人はなにもできはしない。
ただこうやって、《ヒーロー》の活躍を見ていることしかできないのだ。
◇
「第1085便。3……、2……、 1……、 ファイア――」
残りのロケットがあと15基となったとき――。
エレナの肩に手をかけて、ディスプレイを覗きこんでいたカンナが言った。
「ここまで――だナ」
「ええ、そうみたいね」
「オイ、ジルっ! おマエさんも、いいナ?」
倒れたスタッフの穴を埋めてコンソールについていたジリオラは、片手を上げてカンナの声に答えた。
「よゥし、総員撤退! いますぐにだ!」
「し、しかしっ! まだ15基が残って――」
「だからサ、それに乗ってけって言ってんだロ。まァ――こんなこともあろうかと、最後の10基にャ、予備の席がいくつか用意してある。おマエらみんなの席はあるってことサ。なあに心配するナ。残りの15基は、私らでちゃんと打ち上げてやるッテ」
「そんなわけには――」
「私たちも最後まで――」
スタッフたちは、揃って異議を唱えた。
計画では、すべてのロケットを打ち上げ終わってから、コントロール・ルームの人員は小型の有人艇で脱出する手筈になっていた。
そしてもしも、計画に遅延が生じて、すべてのロケットを打ち上げることが不可能な時は――。
その時は、全員が最後の瞬間までこの場に残り、1人でも多くを救うために最後の1秒まで努力を続けると、スタッフの誰もが覚悟を決めていたのだ。
「お願いです! やらせてください!」
揃って異議を唱えるスタッフに、カンナは指を突きつけた。
「ダマれ、民間人」
「イイか? 私らは《ヒーロー》の仲間で、おマエさんがたはタダの民間人だ。ご協力はカンシャする。だがここから先は、私らの仕事だワサ」
「で、ですが――」
「泣くな、大の男がみっともナイ。ヤッカイなことに、私らは――上でガンバってるアイツのために、おマエら民間人をひとり残らず助けなきゃならン。ワカッタか? わかったなら、トットと行け」
「第1086便。3……、2……、 1……、 ファイア――」
「ヨシ、交代だワサ」
カンナと仕事を交代して、エレナはスタッフに話しかけた。
「あの子――いいえ、あの人がそれを望むなら、わたくしたちは手助けしてあげたいの。お願い――行ってくださいな」
「おマエら50人ブンの仕事が、このカンナ様にこなせないって言うんじゃないだろーナ?」
実際にやってみせながら、カンナが言う。
「行け――あと3分しかない」
カンナのサポートをしているジリオラが、背中ごしにそう言った。
スタッフたちは迷いながらも、ひとり、またひとりと管制室をあとにしていった。
3人だけが残った部屋で、カンナは威勢よく声を張りあげた。
「さァて――最後の大仕事だゾ!」
◇
熱く淀んだ疲労の中で、ジークは懸命にもがいていた。
喉は渇いてひりつき、目は赤く腫れてかすんでくる。のしかかる焦燥感が、ジークを突き動かしていた。
残り時間のカウントと、ロケットの数を示すインジケーターが、冷酷な現実をジークにつきつけてくる。
ジークはあきらめなかった。
あと3基。いま抱えているロケットに充分な速度を与えて送り出してやるまで――あと30秒。
そうすれば――残りはたったの2基になる。
3パーセントにまで達した当初からの遅れも、いくらかは取りもどせていた。
後半の男たちの乗るロケットで、規定以上のGをかけることで、ほとんどゼロ近くにまで持ちこめた。
だが完全にゼロではない。
0.083パーセント――ちょうど1基分にあたる数だ。
「よしっ! 行け――」
アーチを描く軌道の頂点で、ロケットをそっと離してやる。
《サラマンドラ》の船体を反転させたジークは、3番ブースター《サーディン》まで開放して、10Gの限界推力を絞りだした。生身の人間が大勢乗っているロケットを抱えては、この加速は出せないのだ。
「あと2基っ! ――えっ?」
インジケーターに目をやったジークは、一瞬自分の目を疑った。
残りのロケットをしめすランプは、ただの1個しかついていなかったのだ。
「うそだろ――おい?」
見間違いではない。
遅れを示すパーセント表示のほうも、きっちりゼロをさししめしていた。
最初の混乱が収まるにつれて、喜びが徐々に湧きあがってくる。
ジークは叫びだしたくなる気持ちをこらえて、《サラマンドラ》を駆った。
最後のロケットが昇ってくる。
軌道を合わせて、トラクター・ビームでがっしりと捉まえる。
この最後のロケットだけは、微妙な軌道を考える必要はなかった。狙いすまして放りだす必要はないのだ。
《サラマンドラ》の腹に抱いたまま、ロケットの乗員が耐えられるかぎりの加速で、危険宙域を離脱してしまえばいい。
ジークはロケットとの回線を開いた。周波数を合わせるのももどかしく、マイクに向かって声を張りあげる。
「カンナ! おいカンナっ! やったぞオレ! 間にあわせたぞ!」
ぷつりという接続音が聞こえた。スピーカーの向こうに誰かの気配が立つ。
「おい聞いてんだろ? へへっ――どうだよ? もうノビタなんて言わせないからな」
『あの方たちは、乗っていません』
「へっ?」
『あの方たちは、これには乗っていないのです。このロケットを打ち上げるために、惑星上に残られて……』
スピーカーの向こうで淡々と語るその声が、管制官のひとりのものであることに、ジークはようやく気がついた。
「だ、だって――これが最後のロケットなんだろ? 表示にだって、そう出てるし――」
『マチガイないワサ。それが最後の1基だ。データはコッチで修正したからな』
不意に、カンナの声が通信に割りこんでくる。
「カンナっ! いまどこなんだよ! どこにいるんだよ!?」
『よう、ジーク。ちゃんと真っすぐ飛んでるか? ――よシよし。軌道はオッケーだ。そのままイケ』
「管制室だな!? そこにいるんだな!」
『おいジーク、馬鹿なコト考えるなヨ』
カンナの声に釘をさされ、操縦桿とスロットルの上でジークの手はぴたりと止まった。
ここで引き返したら、どうなる?
腹に抱えたロケットに乗る、最後の1500人は――?
『そう、いい子だワサ。そのまま真っすぐ飛ぶんだゾ。あと75秒で危険域を抜ける。いいナ?』
「なにやってんだよ! 早く脱出しろ! 有人艇があるだろ!」
当初の計画では、最後に残るスタッフのために、自力で飛びたてる船が1隻だけ残されているはずだ。
『もうどのみち間に合わン。あと5分だ。有人艇の加速じゃ、2000キロまで昇ったところでタイムアウトさね。それよりもこうして、おマエさんと話してたほうがイイ』
「オレが拾いあげる! オレが助ける!」
『そのロケットを捨ててか? それとも抱えたママでかい? 10Gなんて出すなヨ。中の連中がミンチになっちまうゾ』
「なんでだよ! なんでなんだよ!」
『まァな……最初から、無理があったんだヨ。だがおマエさんはよくやった。ホントさね。私の計算じゃ救えなかったはずの3パーセントを、ゼロにしちまいやがったからナ』
「ゼロじゃない!」
ジークは声をかぎりに叫んでいた。
断じて――ゼロではない。カンナたち3人が残っているかぎり。
『いいヤ、ゼロさね……。知ってるか? 《ヒーロー》とその仲間ってのは、犠牲のうちに数えないんだ』
「そんなこと知るかよ! そんなこと……、そんな……」
『気にするナ――おマエさんは、《ヒーロー》の務めをリッパに果たしたヨ。ほれッ、エレナ、ジル――あと4分だ。なにかナイか?』
『そんなに泣かないで――』
カンナのかわりに聞こえてきたのは、エレナの声だった。
『そっちには声だけ? よかったわ、こっちの映像が行ってなくて。まる1日お仕事してて、きっとひどい顔になってるに違いないもの』
「エレナさん、オレ、オレ……」
『聞いて……《ヒーロー》が仲間を失うことは、誰でも通る通過儀礼なのよ。あなたのお父さんも、そうだと聞いたわ。そのことが原因で、引退してしまったけれど――。でもあなたには、そうなって欲しくない。わがままね、わたし……。でもあなたならきっと乗り越えられるわ。そう信じさせて……ねっ?』
ジークが何も言えないでいると、声がエレナからジリオラにかわった。
『傭兵は、いつかどこかで死ぬものだ。ノー・プロブレム、気にするな』
彼女の言葉は簡潔で、迷いがなかった。
危険域を抜けるまで、あとすこし――。
『よゥし――いい子だ。安全域にはいったら、そのママまっすぐ行け。アニーとリムルが待ってるゾ』
ジークは歯を食いしばって耐えつづけた。
心にはしる衝動に負けまいとして、意志のすべてを振り絞らなければならなかった。
『3、2、1――、ヨシ! 抜けた!』
カンナが嬉しそうに、そう言う。
抱えていたロケットを、そっと送り出す。これでもう、ジークは自分の心のままに動くことができた。
『おいジーク! ナニやってるッ!?』
ジークは《サラマンドラ》を反転させていた。エンジンのリミッターをカットして、限界以上の推力を引きずりだす。
ネクサス消滅まで、あと58秒――。
『ヤメロっ! ジークっ! このバカタレ! 私の言うコトを聞けッてーの!』
10Gを越え、加速度計の表示はじりじりと上がってゆく。
ついに20Gに到達する。それでもなお、目の前にある惑星は――カンナたちは、ジークの手の届きそうなところにありながら、果てしなく遠いところにいた。
『やめろやめろヤメロ! 自殺でもする気かいッ!』
ジークの耳に届くカンナの声は、もはや悲鳴に近い。
自殺など、するつもりはなかった。ただこのままカンナたちを見捨ててゆくなど、できるはずがない。
「助けるんだ……。ひとりも、例外じゃないんだ」
ジークはただ、前だけを見つめて――そうつぶやいた。
時間が、やってきた。
ドクター・サイクロプスの指定した、その時刻がやってくる。
銀色の不思議な輝きが、惑星の表面をおおいはじめる。
惑星を分厚く包みこんだ輝きの中に、《サラマンドラ》は突っこんでいった。
船体が表面から崩れてゆく。崩壊の波は瞬時にブリッジにまで押しよせた。
エネルギーの奔流に呑みこまれる寸前、ジークの体は白く輝く球形のフィールドに包まれた。
荒ぶるエネルギーからジークを優しく守ったフィールドは、コンソールの一角――翼をかたどった首飾りから生まれたものだった。
そしてジークの体は、フィールドに守られたまま、どこへともわからぬ場所に投げだされていった。
第一章「現代」終了です。
次回夜の更新で、第二章「未来」に入ります。