ユグドラシルでの会談
会談の場所に選ばれたのは、体育館ほどの広さのドームだった。
1気圧の空気が満たされ、人工重力もきちんと1Gに調整されている。
地上側の代表者たちは、用意された円形のテーブルに当たり前のように座っている。
だがいちど宇宙樹を訪れたジークにはわかっていた。
これだけの環境を維持するのは、ここでは大変なことなのだ。
人が生きてゆくだけなら、重力はかならずしも必要ではない。
空気だって2分の1気圧もあれば充分だ。すくなくともアニーたちの〝家〟ではそうなっていた。
「遅いですなぁ……」
官僚のひとりが、そうぼやいた。落ちつかなげに周囲を見回している。
代表団の中央に座ったジークは、腕組みしてじっと待っていた。
頭数を揃えるために、ジークの他に政府側の官僚が8名ほどついてきている。
宇宙樹の側も、ひとりの代表と8人の補佐役がくるはずだ。
この自治区の実権を握る老人は、かなりの高齢者だと聞いている。
軽いエア音とともに、ドアが開いた。
「たいへんお待たせしました――」
そう言いながら入ってきた人物に、ジークは目を見開いた。
髪を手堅くまとめ、濃紺のスーツに身を包んではいるものの、それはまぎれもなくアニーだったのだ。
「ドン・バルバスの健康状態が思わしくないため、この件に関しての全権を委任されました、アニー・カーマインと申します」
テーブルを回って席に向かいながら、彼女はそう言った。
その説明を聞いて、顔を見合わせていた官僚たちは納得のいったようにうなずいた。
「どうぞ――お座りになってください」
そう言われて初めて、ジークは自分が立ち上がっていることに気がついた。
なにか言おうとして口を開けたものの、ぱくぱくと金魚のように開け閉めされるばかりで、何も言葉がでてこない。
彼女は腰を下ろした。
補佐役としてついてきた8人の屈強な男たちは、壁に背中を預けて立ったままだった。こちら側に座っている肉の弛んだ官僚たちとは、えらい違いだった。マフィアの側近というような趣がある。
ジークは個人的な会話をあきらめた。
椅子にどさりと体を落としこむ。となりにいた官僚が、気を利かせたのかジークに耳打ちしてきた。
(ドンは心臓をわずらっていると聞きましたからな――それが悪化でもしたのでしょう)
ジークと彼女との関係を、官僚たちは知る由もない。
ジークの見せた驚きを誤解してしまったのも無理はなかった。
「それでは――さっそく本題に入りましょう。おたがいに時間もないことですし」
硬い雰囲気と硬い口調を崩さないまま、彼女は告げた。
そうしていると、十は歳上に見える。官僚たちの誰ひとりとして、相手が15の小娘だとは思っていないようだった。
「こちらが条約文です」
法務局の若手局長が、用意してきた条約文を彼女の前に持ってゆく。
もっとも――その行為は形式的なものだった。
こちらが地上を出発する何時間も前に、おなじ内容のテキスト・ファイルが送信されている。
精読して検討する時間は充分にあったはずだ。
綴じられた条約文の表紙も開こうともせず、彼女は言った。
「第1条から第5条までは、内容の修正なしで同意します。宇宙樹自治区は、今回の計画に全面的に協力することを約束します」
「あのぅ、条約は全部で6条あったはずですが……最後の第6条に関しましては、どうでしょうか?」
官僚のひとりが、おずおずと訊ねた。
彼女は眉も動かさずに答えた。
「宇宙樹の全員にネクサス国籍を与えるという第6条ですが――お受けできかねます。わたしたちは生きのびるために貴方がたと手は組みますが、仲間になるつもりはございませんので」
「いや、しかしそれは――」
彼はねばった。
すべての条項について承認を取り付けるのが、彼の仕事なのだった。
別のひとりが、横合いから口をはさむ。
「しかしそれでは、我がネクサスが一方的に借りを作るというのは……。この第6条は我々の好意の証として、ですな――」
その言葉が終わらないうち、彼女の顔はみるみる怒りに染まっていった。
「待ちなよ――あんたらいったい、何様のつもりだい?」
息を呑む官僚たちの目の前で、彼女はゆっくりと、慎み深い代表者としての仮面を脱ぎ去っていった。
椅子から立ち上がり――スカートのスリットに手をかけて、びっと破いて広げる。
「この期に及んで、借りだの貸しだの、どうでもいいことをうだうだ言ってんじゃないッ!」
だん――と、テーブルの上に足が載る。
「いま大事なのは、生きのびることだろ! 生きるか死ぬかの瀬戸際に、体裁なんか気にしてんじゃないよッ! いいかい!? この宇宙樹の人間はね! いつだって覚悟は決まってんだ!生きるためなら、なんだってやってやるのさ! あんたらみたいな胸糞の悪くなるような連中とだって、手を組んでやるとも!」
憤然と言い放つ。小娘の発する気迫に、皆、呑まれていた。
「どう! わかった!? わかったなら――」
ガーター吊りの下着を見せつけ、アニーは叫ぶ。
「あんたたちも、覚悟を決めな」
どすの聞いた声でそう言われ、官僚たちは、ちぎれんばかりに首を振りたくった。
「ふんっ……」
テーブルから足を下ろしたアニーは、条約文を引っつかむと、殴りつけるようにサインした。
ぶ厚く綴じられた紙の束を、ジークにつきつける。
「ほらッ! これを持って、帰りなさいよ! あの女のところに!」
ジークはただ、黙って受け取ることしかできなかった。