エレナの昔話
「ふーっ。アチぃ、アチぃ――」
半ズボンの後ろポケットに突っこんであった団扇で、カンナがぱたぱたと胸元に風を送りこんでいる。
第1陣の出発という一つ目の大山を越えて、ジークはスタッフのために取られた部屋で休みを取っていた。
飲み物を片手に、カンナとエレナが涼んでいる。
リムルはリポーターのお姉さんの追っかけで姿を消していた。
ジリオラはクレア大統領に密着して身辺警護に回っている。
大統領自身が言っていたが、この惑星の行政レベルは、国というにはあまりにお粗末すぎた。
規模と人材はたしかに〝市〟のレベルだった。
大統領専属のシークレット・サービスさえいない有様なのだ。
「あのぅ……。カンナ様はこちらですか? 技術部のほうから、2、3、質問があるそうでして――」
ドアが開いて、紺色の制服を着た職員が、ひょっこりと顔をのぞかせる。
「おうッ、いま行くワサ。じャなジーク……ゲンキにしてろヨ。サンドイッチばっか食ってないで、たまにはマトモなモンも食うんだゾ」
「わかったわかった。わかったから、早く行けって」
ジークは追いはらうような手の仕草で、カンナを送り出した。
テーブルの上に放りだしてあった白衣を引っつかむと、カンナは職員について出ていった。
その姿が完全に見えなくなってから、ジークは不満気につぶやいた。
「なんだよ……ひさしぶりに顔をあわせたかと思えば、もうこれか。ろくに話をする時間もないんだなぁ、まったく」
となりにいたエレナが、そっと微笑む。
「カンナは人気者ですものね。宇宙局と技術部、それに情報部のほうにも顔を出しているみたいだし……」
「そういうエレナさんだって、裏方でずいぶん活躍してるじゃないか。クレアさんの顧問だろ? あのアダム氏が嘆いてたよ。自分はなんて人物に喧嘩を売ったんだろうって」
最近知ったことだが、エレナはその筋では名前が通っているらしい。
《ケツの毛までむしるエレナ》とかなんとか、なんとも恐ろしげな名前を耳にした。
「あの騒々しいリポーターを管制塔にいれたのも、エレナさんの案だって?」
「ええ。これからなにかと、近隣星系の助力が必要になってきますから……。マスコミの取材には、できるだけ応じておいたほうが得策ですもの」
「――ほんとね、エレナがいてくれて助かるわ」
取り巻きの閣僚たちを引き連れて、クレア大統領が部屋に入ってきた。
しばらく前からこの場に居合わせでもしたかのように、会話の流れにスムーズにはいりこんでくる。彼女の不思議な特技のひとつだ。
「助かるんだけど、ほどほどにしておいてね。閣僚たちったら、何を決めるにもあなたにお伺いを立てにいくんですもの。これじゃどっちが大統領だか、わからないわ」
彼女が流し目をくれると、後ろの男たちが申し訳なさそうに首をすくめる。
「いやよ。昔みたいに、みんな取っていっちゃ」
「ちょっと。やめて、クレア――」
「昔……ですか?」
ジークは訊いた。
おたがいにファースト・ネームで呼びあうなど、このふたりには妙に親しげなところがある。
前から疑問に思っていた。
クレアは目を大きく見開くと、ジークに言った。
「そうなのよ――この娘がこのネクサスの社交界に顔を見せたときなんて、それはもう大変な騒ぎだったわ」
「社交界……ですか?」
ジークはエレナを見た。
彼女はばつの悪そうな顔で、そっぽを向いた。
「あら、聞いてなかったんですの? 私の父が大統領になるすこし前だったかしらね。シュレームの石油王の娘さんということで、彼女はこっちにやってきて――」
「もうっ――クレアったら、やめてったら」
クレアは意地悪く言いかえした。
「いいえ、やめてあげるものですか。あの時の私って、それはみじめなものだったんだから……。それにこの話、彼が聞きたがっているんだから……ね?」
クレアに顔を向けられて、ジークは困り果てた。
好奇心はあるものの、エレナの態度から、あまり触れてほしがっていないことが伝わってくる。
ジークが返事を返すまえに、クレアは勝手に話しはじめていた。
「エレナがはじめてパーティに顔を見せたとき、私のボーイフレンドの男の子たちが、みんな彼女のまわりにいってしまったんですのよ。それまでは、とってもよくしてくれていた人たちが、それはもう、手のひらを返すように……。でもしかたないわね。彼女、妖精のように可愛らしかったんですもの。女の私から見ても、それはもう……」
いけないと思いつつ、ジークは話の内容に引きこまれていた。
子供の頃のエレナなど、想像したこともない。妖精のようだったといわれれば、たしかにそんな気もする。
「妖精のように可愛らしい彼女を遠目に見て、私はカクテル・グラスを手に持ったまま、ひとり寂しく――」
「あー、おほん――」
わざとらしく咳払いしたアダム氏に、クレアは顔を向けた。
「なにかしら、アダム?」
「お忘れかもしれませんが、あの時、あなたのとなりには――私がいたはずですが」
「そう――残ったのは、こんな冴えないお勉強坊やだけだなんて、たいへんなショックだったのよ」
ショックを受けたのは、この場合はアダム氏のほうだった。
がっくりとうつむいてしまった彼の頬に、クレアは一瞬だけ唇を寄せた。
「うそよ――あの頃から、ずっと頼りにしてたんだから。もちろん、いまもね」
アダム氏の顔が、薔薇色に輝く。
もう、とても見ていられない。ジークは大げさに肩をすくめて、エレナに顔を向けた。
彼女はジークの視線に気づくことなく、クレアたちふたりをじっと見つめていた。
「あのぅ……大統領はこちらですか」
さっきの職員が、またやってきた。
ドアの脇に立っていたジリオラとばったり目が合い、ぎょっとした顔になる。
「なにかしら?」
「いやあの……。オムニ社の会長が、どうしても会わせろとすごい剣幕で」
「あらあら、抽選に外れたことを根に持つなんて。いやなおじいちゃんねぇ。それじゃぁ、ちょっと行ってこなきゃ」
「あ、クレア――」
呼びとめようとしたエレナに、大統領はウィンクしてみせた。
「わかってるわ――言われた通りね。何を言われてもとりあわないで、せいぜい出しに使ってやるから。ネクサス政府は、誰にたいしても公平に抽選をしていますってね。ああ、いそがしい、 いそがしい……」
おどけた調子で言いながら、クレアはドアを抜けていった。
クレアについて部屋を出て行こうとするジリオラに、ジークは片手をあげてみせた。彼女とも、ここ数日は廊下ですれ違うばかりだ。
ジークとエレナの他は、部屋に誰もいなくなる。
にぎにぎと動かしていた手を下ろして、ジークは気まずそうにエレナに顔を向けた。
エレナは閉じたドアをしばらく見つめていたが、やがて静かに口を開いた。
「ひどいのね、やめてっていったのに……。人の過去を掘りだすなんて、悪趣味だわ」
「い、いや、あの……ごめん。悪かったよ」
ジークは素直に謝った。
クレアが勝手に話していった形だが、止めなかったジークにも責任はある。
それにエレナの過去にたいして、好奇心を抱いてしまったこともあった。
「みんな取っていっただなんて、嘘よ……。なんにも手にいれてないもの」
エレナは遠くを見る目のままで、つぶやくように言った。
心が、どこかよそに飛んでいってしまったようだ。
ジークはどう声をかけていいかわからず、体を硬直させて、その場に立ちつくしていた。
必死になって、この場をフォローする言葉を探そうとする。
人の人生、それも自分より十も歳上の女性の人生にコメントするなど、十代の少年には荷が重すぎる。
自分に言える言葉は、何かないだろうか――。
ひとつだけ、思いついた。
「あのさ……オレ、エレナさんがいてくれて、ほんとに助かってるんだ」
「……」
エレナは無言のまま、ジークの言葉を聞いているようだった。
「前から思ってたんだ。こんなすごい人が、どうしてぼくのところに来てくれたんだろうって――」
「偶然だとでも、思っていたの?」
「えっ?」
エレナの口から漏れだしたのは、ジークの予想もつかない言葉だった。
「いいわ……。聞きたいっていうなら、教えてあげる。これはね、《ヒーロー》に命をもらったと思いこんで、人生を変えてしまった女の子の話なの」
そう前置きしてから、エレナは話しはじめた。
「やさしい両親のもとで伸びのびと育った女の子が、生まれてはじめて一人旅をしたとき――その事故は起きたの。外宇宙船からシャトルに乗りかえて、惑星に降りてゆくときにね」
遠い目をしたまま、エレナは話しつづけた。
ジークはどんな顔をして聞いているべきかわからず、もじもじと体を動かしていた。
「もうすぐ大気圏突入のランプがつくからって、その子がトイレに立って、戻ってきたときのことだったわ。軌道に浮かんでいた、たった1個のボルトが……、秒速十数キロって速度で、シャトルの頭からお尻までを一気に抜けていったの。ほんの寸前まで穏やかだった機内に、嵐が起きたわ。空気がどこかに向かって抜けていって……。それから、後ろのほうで何か爆発が起きて……」
エレナがそこで言葉を切るものだから、ジークは先を促さなければならなくなった。
「そ、それで……?」
「女の子が覚えていたのは、そこまで……。爆発でできた大穴から、宇宙に投げだされてしまったんですもの」
「け、けど、それじゃぁ……」
「そう……。そのままじゃ、その子のお話は終わってしまうものね。だから続きがあるの。気づいたとき、その子は《ヒーロー》の腕の中にいたわ」
「《ヒーロー》だって?」
「ええ、ひとりの《ヒーロー》がたまたま近くを通りがかって……。大気圏に墜ちてゆくシャトルと、宇宙に放りだされた女の子と、どうやってか、その両方を見事に救ったの」
エレナは語る。どこか遠くを見つめながら、語り続ける。
「《ヒーロー》の腕の中で目覚めたとき、女の子は思ったわ。このひとは、わたしを生き返らせてくれたんだって……。そりゃぁ、いくら《ヒーロー》とはいっても、死んだ人を生き返らせることはできっこないから、本当は仮死状態にあっただけなんだろうけど……。でもその女の子は、そう信じてしまったのね」
ジークには、エレナを助けたその《ヒーロー》が誰なのか、うっすらとわかってきた。
「しばらくして、そのひとの活躍を聞くにつれ……その女の子は、彼のために何かしたいと思うようになっていったわ。お礼とか、そういうことじゃなくて、どんなことでもいいから彼の役に立ちたかったの。だって、彼にもらった命なんですもの。両親はもちろん引きとめたけど、その子は家出同然におうちを飛びだしてしまったの。宇宙に出て、彼を探しながら経験を重ねて、いろいろなことを身につけて……」
「あ、あの……エレナさん?」
ジークはなかば逃げ腰になって問いかけたが、エレナは気にせず、自分の過去をぶちまけつづけた。
「自分が彼の役に立てると、そう思えるようになるまでには、ずいぶん長いことかかったのよ。何年も、何年も……。そのあいだにはいくつも恋をしたけれど、彼のことは忘れなかった。忘れられなかった。彼の消息はしばらくわからなかったけど、風の噂に、彼が《ヒーロー》を引退して宇宙船乗りをしていると聞いたのよ。それで追いかけたわ。でもいつも逃げられて、相手をしてもらえなかった」
エレナはジークの目を正面から見据えた。
真剣で息を呑むほどの迫力がそこにあった。
「1年くらい前――。はじめて彼のほうから連絡があったのよ。喜んだわ。これでやっと報われるのかって……」
「でもね、彼の手紙にあったのは、『息子を頼む。鍛えてやってくれ』の1行だけ……。ねぇ――ひどいと思わない?」
「い、いや、あの……」
いくつもの事を一度に聞かされ、ジークの頭は混乱していた。
いやそれよりもむしろ、思い詰めたような瞳のままじりじりと迫り寄るエレナに、ジークは混乱した。
「エ、エレナさん、あの、あのっ――」
背中が、壁にぶつかる。
逃げ場を失ったジークの頬に、エレナの手がそっと伸びてきた。
「本当に、よく似ているわ。ううん……この1年で、似てきたのね」
「オ、オレは親父じゃないよ? わ、わかってるよね? エレナさん……」
「わかってるのよ、わかっているけど――」
エレナは頬を撫で下ろした指で、ジークの胸に「の」の字を書いた。
「あのぅ、すいません? こちらに……。わわっ――ととっ! 失礼しましたっ!」
部屋に入るなり、職員は回れ右して出ていこうとした。
「ま、待て――待ってくれぇ!」
ジークは必死に引きとめた。彼に逃げられたら、もうあとがない。
「な、なんだい――ああ今度はエレナさんだな? 呼びに来たんだろ? そうだろ!?」
ジークは勝手に決めつけた。そうであって欲しかった。
「い、いえ――キャプテンのほうなんです。どうしても面会したいという女の子が、ロビーに来ていまして……。その、断ろうとしたんですけど、どうしてもと――」
その時になって、ジークは彼の頬に爪で引っかいたような傷がついていることに気がついた。ミミズ腫れが3本――じつに痛々しい。
「その子――もしかしてアニーとか言ってたかい?」
「いえ。カタリナという名前でした。そう言えばわかる……と」
「カタリナ……?」
思いだすまでに、しばらくかかった。てっきりアニーの名前が出てくるものと思っていた。
「あの、すいませんでした。やっぱり追い返してきます。キャプテンはそんな名前はご存じないって――」
「待ってくれ――知りあいだよ」
早とちりして出て行こうとした職員を、ジークは慌てて呼びとめた。
この状況から救い出してくれるなら、誰だって大歓迎だった。