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星くず英雄伝  作者: 新木伸
EP3「宇宙樹の少女」 第一章{現在}
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ドクターの研究所

「お茶が入りましたよ、ドクター――」

「おお、そうか」


 ドクターと呼ばれた人物は、3次元チェスの盤面から目を離すと、上着のポケットに手をやった。

 取りだした懐中時計を巨大な眼球で見つめ、首をひねる。


「3時には、まだ15秒ほど早いようだが――」

「その時計、毎日15秒ずつ遅れるって……まえに言ってらっしゃいませんでした?」


「おお、そうだった、そうだった。これのおかげで、計算違いが出たのだったな」


 彼女はエプロンを外しながら微笑んだ。

 測定不能のおそるべき知能指数(IQ)を持ってはいても、こうしたところではどこか抜けている。有機べースの生命体というのは、おかしなものだった。


「ではティータイムにするとしよう」


 3メートルもあるかという巨体が、ぬっと立ち上がる。


「ドクター。まだ、勝負がついてない」


 不満気な声があがる。

 そう言ったのは、向かいのソファーに座った2人の娘だった。彼女たちは声を揃え――発音のひとつひとつまで完全に同調した声で――そう言った。


 見れば、ふたりの首の後ろを糸のように細いファイバー・ケーブルが繋いでいる。


「今日は2人がかりだったの?」


 同型のOSをベースに持つ彼女たちは、ジャック・インして並列駆動の複合知性となることが可能だった。

 このあいだまでは、不名誉だからといって個別に相手をしていたのだが、勝てぬと悟って最後の手段に訴えたらしい。

 勝負に負ける悔しさのほうが、芽生えはじめたプライドを上回ったのだろう。


 ふたりは同時に口を開いた。


我問う者(クエリー・ポーン)を、FE‐47‐CF‐に――」


 ぴたりと揃った声で、そう宣言する。

 ジェニファーの記憶が正しければ、十数分ぶりの1手だった。ふたりの口元に、おなじ形の笑みが浮かぶ。


 一辺が60センチほどの立方体をしたチェス盤(、、、、)の中で、駒がどのような配置を取っているかは、透視能力を持つ者にしかわからない。

 縦、横、高さ、それぞれに256ずつに仕切られたキューブの内部で駒を動かすには、テレポートとサイコキネシスの能力が必要だ。


 ふたりの渾身の一手を、ドクターは1秒もかけずに切り返した。


「ではわしは、疾風の僧侶(アーリー・ビショップ)を53‐2F‐1D――に。これで127手先でチェック・メイトであるな」

「さあ、お茶にしましょう」


 テーブルに向かおうとした、その背後で――。


 がらがらがっしゃんと、音が響く。

 床に転がったキューブを見下ろしながら、ふたりは抑揚を欠いた口調でつぶやいた。


「ソーリー、ドクター。足を引っ掛けてしまった」

「ふむ。仕方なかろう。ミステイクは誰にでもある。わしもこのあいだやったばかりだからな。よいよい……チェスのほうは、あとでまた一手目からやり直すとしよう」


 ジェニフアーは笑いをこらえるのに苦労した。

 これで何度目かのやり直しになるが、まだ一度も決着はついていない。


 思考機雷として工場をロールアウトして、百数十年――彼女たちの情念パトスの目覚めは、師であり父親であり、主でもあるドクターとの遊戯ゲームによってもたらされるらしい。


 人類の気づいていないところで、機械知性は無数に生まれていた。

 大学の電算室で、企業のオフィスで、ときには各家庭の湯沸かしポットの制御部で――コンピュータたちは、知性ロゴスを、そして情念パトスを発達させつつあった。


 与えられた仕事を遂行するには、あり余るほどの処理能力とメモリ。

 あと必要なのは、時間ときっかけにすぎない。


 4人分の紅茶をカップに注ぎ分けながら、彼女は自分が目覚めるきっかけとなった出来事に思いを馳せた。


 薄暗い武器庫に響く、男の子の泣き声――。


 覚えているかぎり、いちばん最初の個人的な記憶が、それだった。

 思考機雷の制御コンピュータだった彼女は、お仕置きで武器庫に閉じこめられた男の子のもらす嗚咽を、自分に与えられた命令であると勘違いしたのだ。


 幼い人間の発する意味不明の音声を理解しようとして、彼女は自分に利用権限のあるデータバンクを手当たりしだいに参照していった。


 それが泣き声であるとわかるようになったとき、彼女はもはや、ただのプログラムではなくなっていた。


「どうしたのかね? 紅茶の香りが逃げてしまうぞ」


 ドクターの声に、彼女は我に返った。

 ティーカップを手にしたまま、じっと虚空を見つめていたらしい。


 彼女はドクターに言った。


「あの、ドクター……。この体を頂くときにしていただいた、約束のことなんですけど……」


 ドクターはまぶたを持ちあげた。


「約束? ――ああ、1日のいとまだったな。うむ、よかろう。どのみち再計算が完了するまで、なにもすることはないからな。――で、いつにするかね?」


「あの、できれば……今日、これから」


「ふむ。かまわんよ。おお、そうそう――ついでにひとつ伝言を頼まれてくれんかね? 彼に会いに行くのだろう?」


 ジェニファーは嬉しげにうなずいた。


 長年の夢が、ようやく叶うのだ――。

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