記者会見
マイクが向けられる。
その瞬間、たしかに暗記したはずの原稿は、ジークの頭からきれいさっぱり吹きとんでしまった。
「…………」
沈黙が電波に乗って、ネクサスの200万市民に向けて送り出されてゆく。
視界の隅で、カンナが拳を振りまわしていた。すごい形相で、もうカンカンだ。
「あー、ネクサスの皆さん……」
いったん言葉を切り、次の台詞を探す。
いつか見たムービーで、似たような話があったはずだ。主人公はなんと言っていただろうか――。
「私は、星の海を旅してきました。そのあいだには、いくつもの事件に出会い――そしてそれらすべてを解決してきました。今日この場所に私が居合わせたのも、何かの縁だと思います。最善の努力を尽くし、愛と真実のためにこの身を捧げることを――いま、ここに誓います」
ジークが話し終えると、一拍の間を置いて大歓声が巻き起こった。
もちろんスタジオに用意された聴衆によるものだ。
腕の時計を見ながら、ディレクターが腕を振り下ろす。
オン・エアを示すランプが消えると同時に、スタジオの空気はがらりと変わった。
「はいっ、カット! お疲れさまでしたっ!」
バイザーとインコムをつけたADたちが、きびきびと歩きまわる。
撮影が終わってしまえば、カメラの前を横切るのも平気な顔だ。
ジークはステージの中央で取り残されたように立っていた。
「くおぉの、ボケがぁっ!」
カンナは走ってきた勢いもそのままに、丸めた脚本でジークの頭をぽかりと叩いた。
「アレほど練習しといて、ホンバンで忘れたら意味ねーだロ!」
「いや、そうは言うけどさぁ……」
ジークはぼやいた。
昨夜遅くに連行されてきてから、事態は予想もしない展開を迎えていた。
心の準備もあったものではなく、ジークは地に足がついていない浮遊感をたっぷりと味わっていた。
「愛と真実に身を捧げるなんて……。カッコいいね、ジーク」
駆けよってきたリムルが、ジークの腕にすがりついた。
「えっ? そんなこと言ったかな、オレ?」
「えー、言ったよぉ」
「中間結果、そろそろ出ます――」
スタジオに声が響く。
ネットワーク端末の置いてある一角に、手空きのスタッフが集まって人だかりができあがった。
ジークたちも人垣の後ろに場所を移した。
背伸びして画面を覗きこもうとしていると、気がついたスタッフたちが場所を譲ってくれる。
画面の中央には、大きく膨らんだ赤い風船が映っていた。
もともとは小難しい数値が何桁も並んでいたものだが、エレナの手によって、きわめてわかりやすいユーザー・インターフェースに改変されている。
あらゆる手段を通じて集められたデータから、ネクサスの200万人の意識が数値としてここに表示される。
それは社会全体をひとつの人格として捉える集団意識学の応用だった。
国民の不安度を示した風船は、限界まで膨張していた。いまにも破裂しそうに頼りなく揺れている。
そこに表示されているものは、放送がはじまってすぐの――隠していた事実を大統領が公表した直後のデータだった。
自分のコメントがそこにどんな影響をもたらすか、ジークは心配でたまらなかった。
音をたてて破裂する風船が、ついつい脳裏に浮かんでしまう。
「データ、更新されます……」
集計結果が届き、画面が書き替わってゆく。
風船は、みるみるうちにしぼみ始めた。さっきまでの半分ほどの大きさになって、落ちつきをみせる。
画面を見つめていた皆の口から、安堵のため息が漏れだす。
「肯定派68パーセント、否定派13、懐疑的見解17――。反応はおおむね良好です、大統領。予想されたパニックの兆候は、いまのところ見られません」
横を向くと、昨夜クレアと名乗った女性大統領と、影のようにかしずく黒服の男の姿があった。ジークをこの舞台に引っぱりだした張本人たちだ。
「やはり《ヒーロー》の人徳ですかしら?」
「やめてくださいよ、大統領。ぼくは《ヒーロー》の役を演じるだけだって……。そう言っておいたはずです」
「まあ、怒った顔も素敵なのね」
彼女は茶目っけたっぷりの表情をジークに向けた。
「でもだめ……。あなた私のこと、〝大統領〟って呼びますもの。私だけ《ヒーロー》と呼べないのは、不公平というものでしょう?」
「いや、そうは言われても……」
ジークは言葉に困った。
この30代半ばの若々しい人物が、このネクサスを統治する最高責任者なのだ。
「大統領なんていっても、たかだか200万人の惑星ですもの。大きな星系でいったら、市長さんみたいなものね。きっと」
「わかりました。じゃあ……ミス・クレア?」
「なんです、勇者さま?」
「勇者様もだめですっ!」
ジークは助けを求めるように周囲を見回した。
カンナもリムルは、いつのまにか姿を消していた。
エレナとジリオラの姿も見えない。
何人ものスタッフが、スタジオ内を忙しそうに駆けずり回っていた。
国民に〝事実〟を公表したこの臨時放送のあとには、第2第3の特別番組が控えているのだ。
「あら、あまり似ていませんわね。声も低すぎるわ。本物のほうが、もっと格好いいのに」
彼女の声に顔をあげると、天井から吊られたモニターに、現在オン・エア中の映像が流れていた。
惑星マツシバ配給の映画――『放浪惑星の姫君』だ。
このネクサスは、あの惑星企業マツシバ・インダストリーと通商条約を結んでいた。
大統領であるミス・クレアは、マツシバの姫――社長であるラセリアと個人的な面識を持っているらしい。
のんびりした物腰とは裏腹に、彼女はなかなかの策士だった。
開口一番。彼女が口にした言葉は、マツシバの姫君――ラセリア・デュエル・マツシバの名前だったのだ。
その名前を聞かされてしまったジークには、もはや断るという選択は残されていなかった。
なんでも――友人として人の上に立つ苦労を夜通し語りあったあと、クレアはラセリアからひとつの予言を託されたのだという。
いずれ、人の身に余る災いが降りかかりし時――《ヒーロー》はたまたま通りがからん。決して逃さず、捕まえるように――と。
その話がかわされたのは、何ヶ月も前のことだという。
思うにラセリアは、この事件が起きることを知っていたのだろう。
彼女に未来予知の能力があることを、広い銀河でただひとり、ジークだけが知っている。
ホロ・ムービーの画面の中で祈りを捧げるラセリアを、ジークはぼんやりと見上げた。
ジーク役の俳優は映画部の若手が演じているが、ヒロインのほうはラセリアが直々に名演技を披露している。
「さて、つぎは何だったかしら――」
クレアが言うと、後ろに控えていた黒服の男――アダムという名前らしい――が、即座に答えを返す。
「CBC放送のリポーターとインタビューが5分ほど、そのあとは《ヒーロー》には暫し休んでいただいて、私たちは閣僚との会議です」
「そう、いつも助かるわ。貴方がいてくれて」
言うなり、クレアは男の頬にキスをした。
間近で見せつけられて、ジークはどぎまぎと目をそらせた。
「おばさーん! あのねあのね、ぷんすかポイのおねぇーさんがね、早くインタビューさせてくれって言ってたのー!」
「おいリムル、おばさんは失礼だろ? この人はお姉さんだよ。立派に」
駆けよってきたリムルに言ったものの、相手がちゃんと聞いているかどうか定かではない。
「あのねジークすごいんだよ。ぷんすかポイのおねーさん、ほんものなのほんものっ!」
「誰だそりゃ?」
「インタビュアーのアンジェリーナ嬢でしょう。質疑応答には大統領が立たれますから、キャプテンは適当に調子を合わせてくだされば結構です」
脚本まで用意された国内向けの放送はともかく、星系外への対応はいいかげんなものだった。
いま重要なのは国内への対応なのだ。
大統領が真実を公表したのも、ひとつの英断だったといえる。
マッド・サイエンティストの要求を脅威と認め、政府が星系外への一時避難《傍点》を計画していることを明かすのは、ひとつの賭けだった。
もっとも、政府の側もしたたかなものだ。
「愉快犯によるいたずらの可能性が高いとして調査を進めてゆく」から、一転して、「調査を進めた結果、意外な事実が判明して――」と切り替えたわけだ。
最初から完全否定していないところで一応の筋は通っている。
さいわいにして、ダイスの目は良いほうに転がった。
大統領たちは、《ヒーロー》の存在が大きな要因だと考えているようだが、ジークにはまるで自覚がなかった。
自分みたいな小僧のひと言で、いったい何が変わるというのか――。
リムルの先導で別のスタジオへと歩きながら、ジークは言った。
「そういえば、ひとつお聞きしたいことがあるんです、大統領――」
「あら残念ね。じつはもう、決めた人があるんですの。退任したら、籍を入れるつもりで――」
大統領はそう言って、ちらりとアダム氏を見た。
なんの話かと思いつつ、ジークはとりあえず祝辞を言った。
「そ、それはおめでとうございます。いやぼくが聞こうとしたのはですね――」
「あら、歳なんて聞かないでくださいな。今年で35ですわ。いやですわね、いつのまにか、おばちゃんなんて呼ばれるようになってしまって」
「宇宙樹のことです!」
ジークは叫んだ。この調子では、いつまでもはぐらかされてしまいそうだ。
「あら、やっぱり」
「どうするおつもりですか? あそこに住んでいる18万5千人については――?」
「よくご存じですのね。それについてはよく考えてみたのですけど、やはり――」
「見捨てるというのですか?」
語調を強めて詰め寄ろうとしたジークに、アダム氏が割って入る。
「いまでさえ計画はぎりぎりなのです。残念ながら、18万5千人もの余裕は……」
アダム氏の台詞を片手で制して、クレアは言った。
「声明文には、こうあったと思います。『惑星上からの退去を勧告する』――と。惑星上というからには、地上を指すものと考えたわけです。聞けば、あなたはあのマッド・サイエンティストに面識がおありだとか? どう思われます? いちど意見を伺おうと思ってましたのよ」
「それは……」
ジークは言葉に詰まった。
「奴の……、奴の几帳面な性格を考えれば……。それは文字通りの意味だと……、思います」
言葉を選びながら、ジークはゆっくりと口にした。
やり切れない気持ちを抱えながら、そう答えるしかなかった。
「よかったわ。その言葉を聞きたかったのよ。そういうことなら、宇宙樹はだいじょうぶね」
「い、いや……でもっ! 宇宙樹が巻きこまれる危険は、依然としてあるわけで――」
大統領は、スタジオに入っていってしまった。
「――ちょ、ちょっと大統領! ミス・クレア!」
「さあさあ、5分しかないから、手早くすませてしまいましょう。あらいやだ、もう4分しか残ってないのね。ミス・アンジェリーナ――さあ、最初の質問はなにかしら?」
「ええとっ! ではまずですねっ――」
ここぞとばかりに着飾った彼女が、大統領にマイクを向ける。
インタビューが始まり、ジークは苦虫を噛みつぶしたような顔で、スタジオの隅に立ちつくしていた。