黒服の男たちと交渉
約束どおり、パイン・ジュースがテーブルに並ぶ。
ひとつの果実をまるまる使い切り、皮を器に、中身はジュースに仕立てた豪華なものだ。
きれいに爪を塗ったウエイトレスは、一礼すると、大きく開いた背中を見せて歩き去っていった。
女性に限らず、ここでは誰も彼もが肌を大きく露出させていた。
例外は目のまえにいる黒服連中だけだ。
ジークはジャケットがわりにしている簡易宇宙服を脱いだ。
ストローに口を付け、さっぱりとした甘さのパイン・ジュースを一気に吸いこむ。
冷房の効いたパーラーで、こうしてジュースをすすっていると、まるで観光客にでもなった気分だ。
観光客といえば、女たちの服装がまさにそんな感じだった。
エレナは白地の清楚なワンピース。別荘地の令嬢といった趣だ。
アニーは露出度に関するかぎり、現地の娘たちにも負けてはいない。
ジリオラもめずらしくアーミー・ルックではなく、カット・ジーンズに逞しいヒップを包んでいる。
誰か教えてくれればよかったのだ。
40度の気温というのが、どんなものかということを――。そうすればジークだって、アロハにサンダル履きという格好を考えたに違いない。
ひととおり喉が潤ったところで、ジークは話を切り出した。
「――それで? いったいどんな説明をしてくれるっていうんだ?」
「そうですね……。まずはこれを見ていただきましょうか」
男はそう言うと、両脇に座る男たちに目で合図を出した。
2個のスーツケースがテーブルの上に載せられ、同時に開かれる。
紫のビロードで内張りされたスーツケースには、透明なレンズ状の物体が収められていた。
大きさはちょうどコインほど。
中央の厚くなった部分の内側に、空色の核が見えている。
銀河公用貨幣とされているクレジット・チップだった。
コアの色が額面をあらわしている。ライト・ブルーのチップは、たったひとつで1万クレジットもの価値を持っている。
安月給のサラリーマンが月に20クレジットの給料をもらうとして、1万クレジットといえば一生かかって稼ぎだす額に相当する。
ひとつのケースに12個。それが2ケースあるから、しめて24万クレジットということになる。
サラリーマン24人分の大金を前にして、ジークは言った。
「それで?」
「あなた方の宇宙船を、これで買い取らせていただきたいのです」
「なんでまた、うちの船を買い取ろうとするんだ? 政府の人間が?」
「残念ながら、それは申せません」
一瞬、男の目が険しくなったことをジークは見逃さなかった。
〝政府の人間〟というのは図星だったらしい。
ジークは同じ長椅子に座っているエレナに、ちらりと目を向けた。
こういった腹芸は、彼女がもっとも得意とするところなのだが――。
パイン・ジュースにストローを立てたエレナは、リムルにねだられて、ピンク色のチェリーを取り出してあげようとしているところだった。
やるだけやってみようと心に決めて、ジークは次なる言葉を探した。
「あー、だけど本気で買いとるつもりがあるのかい? いくらなんでも安すぎやしないか」
「失礼とは思いましたが、調べたうえで査定させていただきました。20万トン級で、150年落ちの船ですから――」
「ジャンク屋の買い取りかよ。冗談じゃない。トンいくらの屑鉄を目方売りしてんじゃないんだ。動く船だぜ? それに、あれでもいちおうM級のジャンプ・ドライブを積んでるんだ」
「おや、そうでしたか。どうやら調査不足だったようですね。それではのちほど、もう2ケースほど届けるとして――それで売っていただけますか?」
「いくら積まれようが、売る気はないね」
「残念ですね。ならこれは片付けるとしますか」
スーツケースの蓋が閉じられ、男たちの足元に戻される。
「ずいぶんと、あきらめがいいじゃないか」
「ええまあ。すんなり売ってくださるとは、思っていませんでしたから」
さらりと言ってのける男に、ジークは興味を駆られた。
「そういう場合は、どうするんだい?」
「そのような時は、これを見ていただくことにしています」
男は自分のスーツケースを引き寄せると、膝の上で蓋を開いた。
クリップで綴じられた書類を、一部だけ取りだす。
「なんだい?」
手渡された書類を、ジークはぱらぱらとめくっていった。
その手が、ぴたりと停止する。
「強制……接収命令だって?」
それは国家の権限によって、船の権利を強制的に取りあげることを記した書類だった。
書類の末尾には、このネクサスの大統領のサインが記してある。
「冗談じゃない!? こんなでたらめな話、聞いたことがないぞ!」
「ジークフリード・フォン・ブラウンさん……。私どもはいま、貴方の船をどうしても必要としているのですよ。売っていただけないのでしたら、こうして非紳士的な手段に訴えなくてはなりません」
呆気に取られるジークを前に、男は淡々とつづけた。
「まださっきの商談は有効ですよ。48万で手を打っていただくか、強制接収命令を受けとられるか、どちらかお選びになってください。どちらでも、お好きなほうをね――」
ジークはちらりとエレナを見た。
そろそろ交代してほしいところなのだが、彼女は素知らぬ顔でパイン・ジュースをすすっている。
ジークはため息をついた。
もうすこし頑張らないといけないらしい。
「ひとつ聞かせてくれないか? 大統領は、いったいなにを企んでいるんだ?」
「さあ、なんのことでしょう?」
「とぼけるなよ。となりの星系で妙なニュースを聞いたぜ。マッド・サイエンティストに脅迫されてるんだってな? 急ぎすぎる依頼と、貨物船ばかりでずいぶんと混みあった航路。こうやって船を取りあげるのは、オレたちで何組目なんだい? 200万人を運び出すのは、そりゃあ大変なんだろうな」
「ですから、なんのことでしょうか?」
男はハンカチで汗をぬぐった。
「わかるよ。あんたも仕事だから、言えないんだろ? だからオレがかわりに言ってやる。大脱出さ。大統領は、この惑星からの避難を計画してるんだろ?」
「そ、そんなことは……」
リムルがテーブルの下を覗きこむ。
「おじさん足がブルブルしてるね。ぼく知ってるよ。それってビンボー揺すりっていうんでしょ?」
男は膝頭を手で押さえこんだ。
「と、とにかく! こちらのことは関係ないでしょう! 売られるおつもりがあるのか、ないのか? さあ答えていただきますよ」
「否定はしないわけだ」
「……」
男の無言が、肯定をしめしていた。
「逃げだすのって……下だけ?」
そう言ったのはアニーだった。
最初からずっと黙りこくっていたと思ったら、とつぜん妙なことを言いだしてくる。
「下って、なんのことだい?」
「だから下よ。逃げだすのは地上の連中だけかって聞いてるの。上は置いてけぼりにでもするつもり?」
「ああ、宇宙樹の人たちのことか」
アニーの言わんとしていることを、ジークはようやく理解した。さっき出会ったカタリナの顔が、一瞬、脳裏に浮かんでくる。
「――んで、どうなんだ?」
ふたりの視線を受けて、男は言葉を選びながら返答した。
「その件に関しましては、善処させていただくつもりでして……」
「なによ、それ! ぜんぜん答えになってない!」
「おい、まさか見捨てるつもりじゃないだろうな?」
「ですから、そうならないように善処する所存で――」
「この偽善者! やる気もないのに、言葉面だけ取り繕うんじゃないわよ!」
アニーは席から立ち上がって、男を罵った。
その大声に、店内にいた何組かの客が、何事かと顔を向けてくる。
「なにを言われますか。あの廃棄された軌道施設を不法占拠している何万人かの連中は――」
「もっとよ! 18万5千人!」
「――その18万5千人の不法居住者たちは、このネクサスに1ミリクレジットの税金も納めてはいないのですよ? 税金も払わない連中を保護してやる義理が、どこにあるというのです?」
「それは! でも、それは……」
うつむいてしまったアニーに代わり、ジークは口を開いた。
「義理はなくとも、人道にもとるんじゃないのか?」
「……」
男は沈黙した。
その顔にわずかな後悔の念を見て取って、ジークは話題を切り替えることにした。
「まあ、話はだいたいわかった。うちの《サラマンドラ》を必要としているわけもな。許容人数を無視して詰めこめば、あれで1万人くらいはいけそうだな?」
「換気システムを強化しとかんと、酸欠でみんなお陀仏だがね」
カンナが言う。ストローでグラスの中の氷をつついている。
「そりゃそうだな。乗せるとなったら、もちろんやるさ」
「では、お売りいただけるわけですか?」
顔をあげた男に、ジークは言った。
「誰もそんなことは言ってない。話はわかったと、そう言ったんだ。そっちの言い分はわかった。よく検討してから、返事をさせてもらう。とりあえずこの場は、引き上げてくれないか?」
「あのう、なにか思い違いをされているようですが。ご覧になられた通り、この命令は大統領のサインもある正式なものでして……。貴方がこれを読まれた時点で、すでに有効になっているのですよ? 事実上、貴方に選択権はないのですがね」
「そっちこそ、なにか思い違いをしてるみたいだな……」
ジークはため息をついた。長椅子の端に座っているエレナに顔を向ける。
「大統領の名前を出せば、誰もがびびると思ったら大間違いだってことを――エレナさん、ちょっと教えてやってくれ」
「ええ、わかりましたわ」
今度こそ、エレナも知らんぷりはなかった。
「ではまず、惑星同盟法第6条、非常時における国家の権限からまいりますわね。これは英雄暦97年の修正第32条において――」
いきなり展開された法律論に、男は目を白黒とさせた。
ジークは背もたれに体を預けると、パイン・ジュースを大きく吸いこんだ。
これは、すこしばかり考えてみる必要がありそうだった。