ユグドラシル
葉が欠落してできた隙間を通って、《サラマンドラ》はゆっくりと進入していった。
銀色の葉のあいだを微速で通り抜けると、多少は広い空間が現れてくる。
葉の1枚1枚は、それぞれが数百メートルほどの大きさを持っていた。
茎に支えられて、表層近くに何枚もの葉がひとかたまりになって茂っている。
何層もの葉の層をつき抜けると、そのあとには何もない空間が広がっていた。
葉の層が、ちょうど球殼のように内側の空間を囲んでいる感じだ。
中心部のほうには、菱形の形をした構造物が見えている。そこをコアにして、茎は全体を支えているらしい。
シートにそっくり返っていたカンナが、ジークに言った。
「おいジーク、知ってるかい? ユグドラシルってな、古い地球時代の神話で宇宙の樹って意味だワサ」
「ふぅん、宇宙樹ねぇ……」
内側から葉を見上げ、ジークはうなずいた。
たしかに構造が樹木に似ていないこともない。
子供のころに地上で遊んだとき、1度だけ木登りをしたことがあった。登る途中で内側から見た木のようすが、ちょうどこんな感じだったことを覚えている。
外側を葉に包まれた差し渡し数十キロの空洞――その中心部に向かって、《サラマンドラ》はゆっくりと進んでいた。
到着が間近に近づくと、ジークはふと思いだした。
「そうだ……。カタリナ、聞こえているかい? シャトルを貸してくれるって話だったけど」
『ええ、聞いてるわよ。レイブン級のやつでいい? 推進剤は別で、20クレジットでいいわ。それから係船料のほうだけど、50だったわね……。高くないかな? なんだったら、すこしはまけられないこともないけど?』
「いや、それでいいよ……。そのかわり、ちゃんと見ててくれよ。戻ってきたら空き巣に入られてたなんて、いやだからさ」
さきほど管制官の言っていた「スラム」という言葉がジークの脳裏に引っかかっていた。
戻ってきたときには《サラマンドラ》の船体が骨だけになっているのではないかと心配だった。
『あははっ――だいじょうぶ、ちゃんと見てるって。誰にも手は出させないから』
ジークは一抹の不安を感じながら、カタリナに言った。
「頼むよ、本当に……。それで、シャトルはいつ持ってきてくれるんだい」
『あっ、ちょっと待って――』
カタリナは何かを思い出したような顔をした。すまなそうに、ジークに言ってくる。
『あのぅ、ごめんなさい。レイブンなんだけど、やっぱだめ……。サターン級のやつがあるから、そっちでいいかな? こっちは30になるけど……』
「レイブンのほうは、どうしてだめなんだい?」
ジークは聞いた。
どうせなら小回りのきく小型シャトルのほうがありがたい。どのみち運ぶ荷物はたいした量ではない。
カタリナは決まり悪そうな顔で言った。
『ちょっとね……壊れてるのよ、オート・パイロットが。普通の人には扱えないと思う』
「ああ、そういうことか」
ジークはうなずき、そして言った。
「それなら問題ない。そう――ノー・プロブレムってやつだ」
機関上席のジリオラが、ちらりと顔を向けてくる。
だが何も言わずに、計器に向き直った。
「気づいてないかい? さっきからずっと、この船も手動で飛んでるんだぜ」
この時代。本当の意味での〝パイロット〟は、ほとんど存在しない。
いまアニーがやっているように、宇宙船を手動で飛ばせることのできる人間――という意味である。
巨大貨物船から個人所有のレジャーボート、はては軍用の戦闘艦まで、あらゆる船に自動操縦装置が備わっている。
人間は指示を与えるだけでよい。実際の操船は機械が行う。そのほうが確実で安全なのだ。
航宙免許というのは操船プログラムを扱う技能であり、免許の取得に手動操縦の技能は必須ではない。
宇宙船の側でも、手動操作のための操縦桿を備えることは義務づけられているが、それはあくまで非常時のためのものとされていた。
カタリナは感心したように言った。
『へぇ……。手動で船を飛ばしてるなんて、ここの人間だけかと思ってた』
「うちのパイロットは腕がいいんだ」
そう言いながら、ジークは操縦席に視線を向けた。
アニーはさっきからずっと、黙々と船を操っている。
「宇宙樹の人って、みんなそうなのかい?」
『そうよ。みんな自動操縦なんて使わないって。だってかったるいじゃない』
「違いない」
それにはジークも同感だった。
父親からたっぷりと仕込まれたおかげで、ジークも手動で動かしたほうが楽だときている。
『前方5000に、壊れた枝が見えるでしょ。そこに止めてくれる。待ってて、シャトル持ってくから。5分で行くわね』
カタリナはそう言って、回線を切った。
およそ1時間ぶりに、スクリーンに黒い画面が戻ってくる。
とにかくよく喋る娘だった。
航路についての話はもちろんのこと、宇宙樹に到着するまでのあいだ、ずっと世間話をしていた。
カタリナのことを考えていたジークは、ブリッジの中の空気に気づいて周囲を見回した。
「な、なんだよ? みんなで黙っちゃって、どうしたんだよ?」
いつもなら放っておいても喋るリムルでさえ、ここしばらく口をきいていない。
ジークが顔をのぞきこむと、ぷいと顔をそむけてしまう。
操縦席のアニーが、前を向いたまま無愛想な声を出す。
「べっつに……。ただ女嫌いの誰かさんが、ずいぶん気安く話してるって思ってるだけ」
「ジークのえっちぃ」
「ヨォ、色男」
エレナとジリオラのふたりはコメントをはさまず、黙って計器盤を見つめている。
「なんだよなんだよ! オレが誰と話そうと自由だろ? だいたいいつ、オレが女嫌いだなんて言ったよ。苦手なだけじゃないか」
「あら、自覚はあったんだ。でもとてもそうは見えなかったわよね。ぺらぺらと楽しそうに話しちゃってさ……」
アニーがそう言うと、口をとがらせてリムルも続ける。
「ねぇねぇ、あのおねーさん、なんかアニーに似てたよねー。しゃべりかたとかさぁ。だからジークもへいきだったんじゃないかなぁ。だってジーク、アニーと話してるとき、いっつも楽しそうだもん」
「そっ――そう?」
ぎょっとした顔で、アニーは言った。
「そうだよー。ずるいんだよー。だってだって、ぼくと話すときより楽しそうなんだもん」
「あっ、もう着いちゃった。はいはい、馬鹿話はもうおしまい」
アニーはそう言うと、操縦桿を握り直した。
《サラマンドラ》は張りだした枝のひとつに接近しつつあった。
カタリナの指定してきた場所だ。
そこには何か巨大な力が働いたようで、《サラマンドラ》の船体よりも太い枝が途中からねじ切られていた。
ホウキのように毛羽立った構造材を巧みによけて、アニーは船を寄せていった。
「エレナさん、アンカーよろしく」
数本のアンカーが射出される。
エレナは細い指先でジョイスティックを操り、それぞれのアンカーのテンションをうまく調節して、船をしっかりと固定した。
「はい、おしまい――あら、あの娘がきたようですわよ」
ジークは船腹のモニターに目をやった。灰色のシャトルが、ゆっくりと近づいてくるところだった。