姫君の来訪
火傷するほどに熱いシャワーが、寝起きの体に心地よい。
バスタオルでごしごしと頭を擦りながら、ジークはシャワールームから出ていった。
「耳のうしろまで、ちゃんと洗った?」
アニーの声に、ジークは硬直するように動きを止めた。
「なんでお前らがオレの部屋にいる!?」
アニー、カンナ、エレナ、ジリオラ。四人の女たちは思い思いの格好で、部屋の各所に陣取っていた。
「部屋のカギ、あいてたよ」
ミニスカートでベッドの上にあぐらをかいていたアニーが、しれっとした顔で答える。
「ウソつけ! オレはちゃんと戸締まりした! 絶対にっ!」
「あんなしょぼいカギ、ピン一本でじゅうぶんよ。……それより早くしまったら?」
「しまう? なにをしまうっていうんだよ?」
「たぶんサ――」
ぺたぺたとスリッパを鳴らして、カンナが歩いてきた。よっこらしょとばかりに座りこみ、上目遣いでジークの股間に目を向ける。
「その、パオパオのことだと思うゾ」
「――~~!!」
ジークは声にならない悲鳴をあげた。シャワールームに駆けこみ、腰にタオルを巻きつける。
「な、なんだってオレの部屋に集まってくるんだよ!?」
「昨日の今日で、心配してあげてるんじゃない。頭痛とかしない? どこかかわったところとか、ない?」
心配そうな声をアニーにだされると調子が狂う。居心地の悪さを感じながらジークは答えた。
「あ、ああ。さっきちょっと鼻血が出たけど……」
あの大活劇があったのは、つい十数時間前のことだった。
推進剤を使い果たした《サーディン》が漂っているところを、追いかけてきた《サラマンドラ》が回収したらしい。その後に惑星当局とのやり取りがあったらしいが、気を失っていたジークは詳しいことを知らなかった。
軽い脳震盪を起こしていたこともあり、昨夜のことはよく覚えていない。
ラセリアと名乗ったあの少女の身柄が惑星当局に保護されたことと、簡単な検査をカンナにしてもらったあとで、泥のようにぐっすりと眠ったことだけを覚えている。
「ジルはビールでいいわよね」
「おいこら! 勝手に飲むな! 自分の部屋のを飲めよ!」
ジークはドアの陰から頭を出して、冷蔵庫から飲み物を取りしているアニーを怒鳴りつけた。
その声など聞こえていないかというふうに、アニーはビールのパックをジリオラに向けて放る。カーテンを開いて外を見ていた女傭兵は、横を向いたまま左手でパックを受け止めた。
「あたしコーラにしよっと。エレナさん、何にする?」
「わたくしは紅茶で……」
エレナはソファーに腰掛けて、膝の上に置いたコンソール・パッドを操作していた。繊細な指先がキーボードの上を流れるように動いている。
「まったく!」
ジークは部屋の中をどすどすと横断して、ベッドに腰を落とした。
「――社長、惑星当局からの公式通達が届いておりますわよ」
エレナはパッドを見ながらジークに告げた。
ジークは覚悟を決めた。
昨夜は人命救助の名のもとに、かなりの数の違反を犯している。
「罰金の額は、全部でいくらだい?」
「運行規定違反、重要指示違反。地表に対する危険物落下。その他諸々をあわせまして……しめて1万クレジットというところですわね」
「い、1万……」
1万クレジットといえば、『SSS』の年商に相当する額だ。
「それから、罰金の支払いが終わるまで船を勾留するそうです」
「冗談じゃない! 船がなくてどうやって稼げっていうんだ! それに宇宙港の使用料だって、1日いくらすると――」
「やめなよ。エレナさんに怒ったってしかたないでしょ」
アニーにとがめられて、ジークはうつむいた。
「交渉すれば、どうにかまからないかなぁ?」
「もう交渉済みです。当初の要求は3万クレジットでしたのよ」
「……」
黙り込んだジークに、カンナが追い討ちをかける。
「高くついたナ、この人助け」
「お金のことはなんとかなると思いますわ。船の特殊装備や補修部品を売りはらえば、まとまった額のお金になります。あとは、船を担保に融資を受ければ、なんとか……」
ジークは渋い顔をした。
「それは避けたいなぁ。高利貸しに関ったら骨までしゃぶられちまう。補修部品は残しておきたい。せめて船の勾留をといてくれるように、当局と交渉してくれ。そうすれば半年で稼いでみせるからって」
「難しいですわね……。でもやってみますわ」
「頼むよ」
ジークがふと目をやると、カンナが壁掛けの平面ディスプレイに手を伸ばそうとしている。
「おい、勝手につけるなよ。そいつも料金かかんだからな」
「けちけちするなヨ、それくらい」
カンナが電源スイッチを引っ張ると同時に、ニュースの画面がディスプレイに現れる。
『お昼のニュースです。昨夜未明。宇宙船の暴走事故が発生しました』
さわやかな笑顔でニュースを伝える女性アナウンサーのバックに、宇宙空間の映像が合成される。記憶に新しい、例の移民船が暴走しているシーンだ。
「おっ、やってるやってる」
『これは静止軌道ステーションから撮影した映像です。この無人の暴走船は、外宇宙から加速を続けていたと思われ、最終速度は秒速40キロメートルにも達しておりました。ディフェンシブ・サテライトからの迎撃ミサイルは、第1群が不発に終わるなどのアクシデントに見舞われましたが、第2群で見事破壊に成功。破片はグレート・オーシャン上空に落下しました。大気圏内ですべて燃えつき、海洋に落下したものはなかった模様です。さて次のニュースです。グラナリア公国を訪問中の《ヒーロー》ライナスは――」
ジークは画面から顔を離した。
「無人だって? バカ言うなよ。オレがどれだけ苦労して――」
ジークは言いかけた言葉を飲みこんだ。窓際に立っていたはずのジリオラが、いつのまにかドアの前に移動していたからだ。アーミーパンツに黒いタンクトップ。脇にショルダーホルスターを吊った元女傭兵は、凶悪な口径のプラズマガンを抜き取った。
ドアの横に立って銃のセーフティを解除するジリオラを見て、ジークはベッドから立ちあがった。
不幸なボーイが武装解除されてしまう前に、こちらから開けてやったほうがいいだろう。
「はい、どなたです?」
言いながら、ドアを開ける。
「おはようございます。勇――」
ドアを閉める。
ジークは激しく頭を振って、まぶたの裏に焼きついた少女の姿を打ち消した。
深呼吸して息を整えてから、おそるおそるドアを開けてみる。
「――者さま。昨晩は危ないところを助けていただき、ありがとうございました」
ドアの向こうにいた少女は、何事もなかったかのように微笑みを浮かべた。
「な、な、なっ……きっ、きっ、き、君は」
「はい、ラセリアです」
「いや、そうじゃなくて……」
「勇者さま、今日はお礼とお願いがあってまいりました」
「お願いだって……?」
ジークは混乱する思考を収めようとして、ラセリアの瞳をのぞきこんだ。世間話でもするような何気ない口調だが、その中に切迫した何かがあるような気がする。
「とにかく……入りなよ」
「ありがとうございます」
体をずらして、ラセリアを室内に招き入れる。
「ほう、これがウワサの姫様かい」
「あたし本物のお姫様見るのって、はじめて」
カンナとアニーのふたりは、値踏みでもするかのようにラセリアを見つめた。頭の先から爪先まで、ぶしつけな視線を投げつける。
「やめろよ、失礼だろ」
「いえ、かまいませんわ。ええと、カンナちゃんと……アニーさん?」
「正解だ。よくわかったナ」
「ええ、お名前だけは伺っておりましたから。するとあちらの方が、ジリオラさんですね」
名前を呼ばれて、ジリオラは軽く会釈を返す。
「ではあらためてご挨拶を……。皆さま初めまして。ラセリアと申します」
スカートの裾をつまんで、ラセリアは優雅に一礼してみせた。
このあいだ着ていた半透明なドレスとは違う。いま着ているのは、既製品であることがすぐに見てとれるような飾り気のないワンピースだった。それでもお姫様に見えるから不思議だ。
「ねえねえ」
アニーに肘でつつかれ、ジークは我に返った。
「なんだよ」
「いいかげん、裸でいるのやめない? お姫様に失礼じゃないの?」
「わわっ!」
腰のタオルを押さえながら、ジークはバスルームに駆けこんでいった。
◇
「海賊を退治してくれだって!?」
「はい」
にっこりと、ラセリアは微笑んだ。
「あら社長、まだ海賊と決まってわけではありませんわ」
「100メートル級の武装船が数隻で襲ってくるんだろ? そんなのは海賊がすることだって、相場が決まってる」
「それも辺境の弱小海賊だナ。中古の駆逐艦を数ばかり揃えて、ロクな武装を持たない星を狙うってわけさね」
「ねぇ、あんたの星ってそんなに貧乏なの?」
金のことになると、アニーはとたんに意地汚くなる。
ジークはテーブルに身を乗りだしたアニーの首根っこをつかまえて、椅子がわりのベッドに引きもどした。
ソファーに腰掛けたラセリアは、それを見てくすりと微笑みを浮かべた。仕草のひとつひとつまが気品にあふれている。ミニスカートでパンツを見せびらかすアニーとはえらい違いだ。
「それにしたって、君たちの星は300年も前に入植が始まっていたんだろう。開拓したての星ならともかく、たかが数隻の船に手を焼くとも思えないんだけどな」
「わたくしたちの星には、彼らに対抗できるような武器がないのです。兵器に関する技術開発には、200年ほど前から制限を設けています。警備部……いえ、警察機構だけが、最低限の対人装備を持っているくらいです」
「だけど……なんでまた姫様じきじきに出てきたりしたんだ? 武器の輸入をするにしろ傭兵を雇うにしろ、大使でも送ればすむことだろ?」
ジークの口にした素朴な疑問に、ラセリアはさらりと答えてのけた。
「勇者さまをお呼びするのに、王家の者が出向かないわけにはまいりませんわ」
ジークは頭【頭:かぶり】を振った。
「その勇者様っての、やめてくれよ。オレは《ヒーロー》でもなんでもないんだからさ」
「そうそう。こんなのと一緒にしたら、《ヒーロー》の人たちが気の毒よ」
「わるかったな。こんなので」
ジークはむすっとした顔で、アニーをにらんだ。
《ヒーロー》と一般人を比べること自体、間違っていると言いたい。
いわゆる《ヒーロー》と呼ばれる人々が、銀河文明には存在していた。精神感応物質と感応することのできる特殊な資質を持った人間のことだ。
《ヒロニウム》の輝くとき、《ヒーロー》は物理法則さえも超越するという。レーザーを見切り、爆発の中から平然と生還し、体ひとつで大気圏突入をやってのける。真偽のほどはともかくとして、噂ではそういうことになっている。
もっとも、実物が人前に現れることはほとんどない。ニュースの中だけの存在だ。16年を宇宙で生きてきたジークでさえ、実物にお目にかかったことは一度もなかった。
「それはそうと、よく惑星当局が解放してくれましたわね。こんな事故を起こしたら、普通のケースだと事情聴取だけでも一週間は勾留されますのに……。いったい、どんな魔法をお使いになったんですの?」
紅茶のポットを揺すりながら、エレナは言った。
「そんな、魔法なんていうほどのものではありませんわ。ただちょっと、お願いしてみただけですもの。所用があるので早く解放していただけませんかと……。そのかわり、船が有人であったことは他言無用にすると、姫の誓いを立ててまいりましたが」
「アハハッ! やるじゃないか」
カンナがはしゃぎ声をあげる。
「なるほど、それでか……」
ジークはひとりでうなずいた。ニュースで無人船ということになっていた理由に納得がゆく。
「社長、どうなさいます? このお仕事、お引き受けになりますか?」
いい香りのする紅茶を差しだしながら、エレナが尋ねてくる。カップに口をつけて、ジークは考えた。
「海賊か……親父たちのいた昔ならいざ知らず、いまは戦力的に不安があるしなぁ」
ジークは半年前の生活を思いだしていた。その頃にはまだ、《サラマンドラ》には十数人もの男たちが乗っていた。キャプテンを努めるジークの父親を筆頭に、鉄の精神と肉体を持つ宇宙の男たちが、縦横無尽に《サラマンドラ》を操っていたものだ。
ジークは女たちの顔をぐるりと見回した。
いまの女社員たちの能力が、かっての乗組員たちに劣るということはない。それは昨夜の事件でも証明されている。アニーの操船技術など、生まれてこのかた《サラマンドラ》に乗りつづけているジークでさえ舌を巻くほどだ。鬼神のごとき戦闘能力を持つジリオラと、生意気だが恐るべき知識量を誇るカンナ。生き馬の目を抜いたこともあると自慢していた宇宙商人《強欲サム》よりも、15パーセント安く物資を買いつけてくるエレナ。
ジークはいまの仲間たちを信頼していた。だかいかんせん、人手が足りない。通常の航行には差し支えなくても、機動戦闘を行うとなるとブリッジだけで倍の人数は確保したい。その他にも被弾箇所に駆けつける修理班や、いざという時のための白兵要員も必要だ。
ラセリアは真剣な面持ちでジークの言葉を待っていた。
助けてやりたいとは思う。女の子に頼られて悪い気はしない。だが船長として社長として、ジークには冷静な判断を下す責任がある。父親の背中を見て、ジークは育った。ジークがそうありたいと願う理想の男は、常に父親であったのだ。
「ねぇ、ギャラってどのくらい貰えるの?」
逡巡するジークを尻目に、アニーが質問する。
「こちらの公用通貨は、クレジット……でしたっけ? なにしろ三百年も音信不通でやってまいりましたから、そちらの用意はあまりございませんの。でも貴金属などでよろしければ、いくらでも持っていってくださってかまいませんわ」
アニーは目を輝かせた。
「いくらでもいいの? ホントっ!?」
「ええ。金でも銀でもプラチナでも……。そんなものでよろしければ、いくらでもどうぞ」
「聞いた聞いた? ねぇ聞いた!? 危険手当とか出してくれるよね! ね、ジーク?」
「うるさい。まだ受けると決めたわけじゃない」
はしゃぐアニーに向けて、ジークはぴしゃりと言った。
「どうしてよ! こんな条件のいい仕事なんてめったにないよ!」
「割りのいい仕事には裏があるってな……。なあ、何かオレたちに隠してないか?」
ジークはラセリアの目を見つめた。
正面から視線を受けとめて、ラセリアは答えた。
「わたくしどもの星を救うことができるのは、勇者さまだけですわ。どれだけの報酬を提示しても、高すぎるということはありません」
「だから勇者様じゃないんだってば……」
ジークは溜めていた息を吐きだした。これでは話が堂々巡りだ。
ちらりとエレナに目をやる。ひとつうなずいて、彼女は交渉人としての意見を述べはじめた。
「基本的には、問題はないように思いますわ。ちゃんとした契約書さえ取り交わさせていたげければ……」
「もちろんですわ」
「私ゃ賛成だナ。海賊いびりなんて、退屈しないですみそうだわサ」
ジリオラに目をやる。女傭兵は肩をすくめた。
「ノープロブレム」
「はいはいはい! あたしあたし! 危険手当くれるなら絶対やる!」
ジークはため息をついた。
社則何条だったか……多数決による重大事項の決定というやつだ。
「だけどひとつ問題がある。うちの船はいま勾留されている状態なんだ。その……未払い分の料金があるせいでね」
救助活動はジークの一存でしたことだ。暴走事故の原因がラセリアにあったとしても、彼女に請求書を突きつけるつもりはない。
「そんなことですの。なら問題ありませんわ」
ラセリアは微笑した。
どこから取りだしたものか、十数枚のクレジット・カードが手の中で扇のように広げられていた。