朝のニュース
「オッ、今日は早いじゃナイか」
ラウンジ・ルームに顔を出すと、割烹着を着たカンナがひとりで朝食の支度をしているところだった。
今朝の食事当番がカンナと知って苦い顔になったものの、ジークは黙って自分の席についた。
「えーと、リモコン、リモコン……」
椅子の上に落ちていたリモコンを拾いあげ、スイッチを入れる。
最初に立ち上がったメニューの中から、ローカルなニュース局を適当に選びだす。すっかりワイド・ショーと化した朝のニュース番組が、平面ディスプレイに流れはじめる。
「サえないカオして、どした? 地獄でも見てきたようなカオだゾ?」
愛用の踏み台に乗っかったカンナは、大釜で炊きあげたライスをしゃもじでかき混ぜていた。
「地獄ねぇ……」
ジークは首筋を揉みほぐした。
ふたつの尻の下敷きにされ、関節を極められて自由を奪われ、身動きできない状態でパンツをむしられることを地獄というなら、なんと控え目な表現だろう。
「ほれ、大盛りにしてヤル」
藍色の茶碗に、炊きたてのライスが大盛りにされる。
今朝の食卓にならぶのは、和食と呼ばれる食事だった。
こうして週に一度ずつ回ってくる当番の日は、各自が腕をふるって故郷の料理を披露する日となっている。
カンナが当番の日は、塩漬けの野菜やら、醗酵させた豆やらが食卓にならぶことになる。
「あーっ! また腐った豆だぁ! ぼくこれ、きらーい!」
「そんなにいやなら、あたしがもらってあげるわよ」
洗濯を終えたアニーを先頭に、女たちが連れ立ってやってくるところだった。
エプロン・ドレスの似合うエレナ。それから、引き締まった肌に汗に濡れたアンダーウェアを張りつかせた――。
「おいジルっ! なんて格好してんだよ? もうっ!」
ジークはうつむきつつ、ジリオラに向けて叫んだ。
早朝の卜レーニング・メニューは、30分の柔軟と、軽く10キロほどのランニングといったところか――。
「これか? 吸水性が抜群だ」
ジリオラは胸のあたりの生地を、ぱちんと引っぱってみせた。
宇宙服のインナーとして使われるアンダーウェアは、数ミクロンという過激な薄さだった。体のラインが出るどころの騒ぎではない。
「そ、そりゃそうだろうけど……。だけどさ、その格好で食堂に来るのは、ちょっとアレなんじゃないか? ほ……、ほらっ、下のほう、す、透けてるみたいだぜ?」
「ノー・プロブレム。問題ない」
ジリオラがいつもの調子で答えているあいだに、エレナはカンナのところに行っていた。
「あら、いいにおい。今日のお味噌汁は、なにかしら? 船内菜園からパセリをすこし持ってきたんだけど、入れてもよさそう?」
「ダイコンとアブラゲだけど……ほれッ、イレちまえイレちまえ。どうせココにゃ、味噌汁の味がわかるヤツなんていやしないんだ」
「あら、わたしお味噌汁は好きよ」
「あー、おなかへっちゃった! あたし大盛りねー!」
「ほいほい――」
差しだされたどんぶりに、カンナがライスを山盛りにして返す。
全員のライスを盛りおえてから、カンナは残った大釜をジリオラの前に持っていった。
「ほれ、おまえサンのだ」
どん、と置かれた大釜に、ジリオラは黙ってうなずいた。
彼女は茶碗を使わない。大釜から直接食らうのが、効率的なやりかたというものだ。
全員にライスが出回ったところで、食事が始まる。決まった作法は特になく、それぞれが勝手気ままに食べはじめる。
食前の祈りを捧げる者、2名。エレナとリムルだ。
飢えた獣のように食べはじめる者、2名。アニーとジリオラだ。
カンナは慌てず騒がずゆっくりとお茶からはじめ、そしてジークは――。
「ちょっとジーク、ショーユ取ってくれる?」
「ああ」
「違うでしょ。それはソース、そっちの赤い口がショーユ」
「これか?」
「あっ、ジーク! あのねあのねあのね、ぼくにもぼくにもぼくにもぉ」
「1回言えばわかるって」
「おや、いけね。タクアン出してなかったワサ。おいジーク、ちっと行って取ってこい」
「ったく、なんでオレが……」
「ぼく取ってくるぅ! ねっ、どこどこ、どこにあるの?」
「ああっ、やめろって。オレが行くから」
ジークが立ちあがりかけた、その時――。
耳に飛びこんできたひとつの言葉が、ジークの注意を釘付けにする。
『――ドクター・サイクロプスと名乗る、その人物は……』
つけっぱなしにしてあった、ニュース番組からだった。
画面の中で美人キャスターが口にしたのは、ジークのよく知るマッド・サイエンティストの名前だった。
その人物のおかげで、ジークはたっぷり2度ほど、死ぬような目にあっている。
『ネクサスの当局と、全マスコミに送られたこの怪文書は、全住民の惑星上からの退去を要求するもので――』
「ジルのおかげよね。リムルだってずいぶん上達したのよ。あたしと2人で、ジークを押さえこんじゃってさ――」
「おい、アニー」
「なによ?」
不満気な顔をしたアニーだが、自分以外の全員が壁のディスプレイを見つめていることに気づいて口を閉ざした。
画面では、現場の映像が呼びだされるところだった。
『それでは、現地からの中継です。リポーターの、アンジェさん?』
画面が切り替わる。それまで映っていた堅い感じの美人にかわって、明るい女の子が画面一杯に飛び出してきた。
『はぁい、こちらアンジェでぇ~す。いま現地に来ているんですぅ』
現地となるネクサス星系は、ここから数光年ほど離れたところにある。
光速を超える通信手段が存在しない以上、厳密な意味での〝中継〟はあり得ない。可能なかぎり速やかに運んだ記録映像ということになる。メガドライブを積んだ郵便船なら、星系間の通信を数時間程度の時差で行える。
『じつはですねぇ――なななっ! なんとっ! いま話題の怪文書を入手してしまったのです! これから読みあげますので、よぉ~く聞いててくださいね!』
女性リポーターは折りたたんだハード・コピーを広げると、精一杯の怖い顔をつくってカメラに向けた。
『ええと、ではっ――。《わしの名は、ドクター・サイクロプス。宇宙の真理を探求する者と覚えてもらいたい。突然ではあるが、わしは諸君らに警告せねばならない。近々わしが行う予定の実験によって、諸君らの生存が脅かされる可能性がある。したがってわしは、全住民の惑星上からの退去を勧告する。期日は英雄暦141年、6月16日、午前零時――》』
リポーターの女の子は、そこまでを一気に読みあげた。
『以上が怪文書の――えっ? なんですかADさん? ――まだ残ってる? あっ!? 失礼しました! まだ追伸が残っちゃってました――てへっ』
可愛く舌をだし、彼女は続きを読みあげた。
『《追伸。なおこの実験は、銀河にとって意味のある非常に崇高なものである。その目的を語って聞かせたなら、必ずや承諾してもらえるに違いない。したがって語る必要はないということになるわけだが……。そういうわけで、諸君らの協力を期待する》……だそうです。なんともずいぶんな内容ですねー。ぷんすかポイです』
「あははー、ぷんすかポイだって。おかしいねー」
重苦しい空気の中、ひとりリムルだけが笑っていた。
「おいリムル、笑い事じゃないだろ? あいつがまた現れたんだぞ」
「んー? だれ? あいつって?」
「だからあいつだって。おまえの惑星で悪だくみしてたヤツがいたろ?」
「えー、違うよジークぅ。だってあいつ、サイコロポイとかいう名前だったもん」
ジークはがっくりと肩を落とした。エレナは湯呑みにお茶を入れ、ジリオラは黙々と飯を食べつづけている。
ニュースの画面は、ふたたびスタジオへと戻っていた。
若さと無邪気さのかわりに知性と美貌を売りにするキャスターは、得意の角度でカメラに顔を向けた。視聴者に向けて、大きく肩をすくめてみせる。
『この怪文書について、惑星当局は、「愉快犯によるいたずらである可能性が高い」として、調査を進めてゆく方針ということです。では次のニュース――』
引きつづき、ニュースは次の話題を流しはじめた。どこかの州のだれかの家で、間抜けな泥棒が捕まったとか捕まらないとか、そんなどうでもいい話題だった。
沈黙が、しばらくつづいた。そのあとで、ジークはようやく口を開いた。
「ばかな。やつは本気だぞ。間違いない」
「そうですわね。でも誰も、そうは思ってないようですけど……」
事実をやんわりと指摘して、エレナは茶を口に含んだ。
ドクターが本気であることは、ジークたちには自明の理であった。
目的のためには、手段を選ばないやつなのだ。
《ダーク・ヒーロー》と結託して、ひとつの惑星の乗っ取りを企てたこともある。
望みの物を手にいれるために、200年もかけて計画を準備し、人類すべてを100万回は発狂させられるという封印された邪悪な精神エネルギーを解放しようとしたこともあった。
惑星ひとつを巻きこんでの〝実験〟など、気安くやってのける相手なのだ。
「どうしたもんかなぁ……」
ジークは思案顔をした。テーブルの一同をぐるりと見回す。
「あたしは反対っ! ぜったいに反対だかんね!」
目が合ったとたん、アニーが叫びたててくる。
「なにが反対なんだよ。まだ何も言ってないだろ?」
「あんたの考えることくらい、聞かなくたってわかるわよ! どうせまた、おせっかいを焼こうと思ってるんでしょ!? 冗談じゃないわよ! あんなヤツと関わりあいになるなんて、死んでもごめんなんだから!」
「だから決めつけるって……。まだ決めたわけじゃないんだから……」
「マッ――ほっといたらほっといたで、寝覚めがワリぃだろーナ」
面白がるような口調で、カンナが言う。
「アソコってサ――何万人、住んでたっけか?」
「ネクサスでしょ? いまはシーズン・オフだから、200万人ってところかしら」
「えっ? ネクサスって……?」
聞き返したアニーに、エレナが怪訝そうな顔を向ける。
「ネクサスよ。このとなりの星系の……。ニュースで言っていたの、聞いてなかった?」
「あっ、うん……。言ってたっけ、そんなこと……」
「オイこら、リムル。お前さんは、ナニか言うことナイのかい?」
「うん。エレナの作ったプリン、おいしいね~」
「あら、ありがと」
リムルはいつのまにやらプリンを頬張っていた。
食後のデザートは、どの曜日もエレナの担当となっている。
「おい、リムル……」
ジークが声をかけると、リムルはあわてて目の前のプリンを口の中に押しこんだ。
そうしておいてから、「にゃあに?」と聞き返してくる。
「いや、いいから……。ゆっくり食べろって。食べてていいから、なにか意見はあるかい? みんなの意見を聞こうと思っているところだから」
口の中のプリンを皿に戻してから、リムルは言った。
「悪いやつは、やっつけないとダメなんだよ」
「……そうすると、反対してるのはアニーだけか」
そう言って、ジークは考えこんだ。
リムルは行くことに賛成している。エレナとカンナのふたりは、ジークに委ねた形だった。ジリオラも何も言わないところをみると、そういうことなのだろう。
「えっ? あたし? あたしは、べつに……反対じゃないわよ」
「なんだよ? いま怒鳴ったばかりじゃないか? ぜったい反対って……」
「べ、べつに反対ってわけじゃあ……。ただちょっと、嫌だなって思っただけで……」
「嘘つけ。そんな言いかたじゃなかったぞ。死んでもごめんだなんて言ってたくせに」
そう言ってジークが問い詰めると、アニーは視線をそらせて横を向いた。
「そ……、そういうあんたこそ、どう思ってるのよ? さっきから人の顔色ばっかりうかがってばっかりじゃないの。自分の意見はどうなのよ? はっきりしてよね、はっきりと」
「オレか? オレは、その……」
お返しとばかりに、痛いところをついてくる。
正直なところジークは、あの男に関わり合いになるのはごめんだった。前の2回は成りゆきで巻きこまれてしまったが、今度は対岸の火事というやつだ。わざわざ飛びこむこともないだろう。
だがことによると、ドクターが本気であることを知っているのは、自分たちだけかもしれないのだ。
知らぬふりを決めこむことにはいささか抵抗がある。そこが問題だった。
「あのさ、手紙でも出したらどうかな? 対策本部ができてるだろうから、そこの責任者宛にさ――」
間髪を入れずに、カンナが口を出す。
「なんて書くツモリだヨ? まあ賭けてもイイが、ソイツの机にゃ、何百通も手紙が届いてるゾ」
「そうかな?」
「そうだヨ。んでもッて、イイか? その手紙のどれでもイイ、ひとつを取りあげてみると、こう書かれてるんだ。『私は彼の目的を知っている。彼はM87星雲からやってきた異星人で、我々に警告を与えているのだ』とかナントカ……」
「そんなこと書くつもりはないよ。オレの書くのは――」
「おマエさんの書く手紙はこうだ。『やつの正体はひとつ目のミュータントで、銀河に類を見ないマッド・サイエンティストである。彼は惑星を瞬時に崩壊させるだけの科学力を持っており』――てなモンだ。前の手紙とイッショにシュレッダー行きだナ。間違いナイ」
「じゃあ……出向いてって、直接話すしかないってことか?」
ちらりと、エレナに視線を向ける。
湯呑みを手の中で回しながら、エレナは思案顔をした。
「経理責任者としては、空荷で船を動かすことはお薦めできませんわね。社長がどうしてもというのであれば、べつですけど……」
「そうそ、結局はジークの会社だもんね。あんたがどうしても行きたいっていうなら――」
決めつけられそうになって、ジークはあわててストップをかけた。
「だからちょっと待てって! オレはべつに、どうしてもっていうわけじゃぁ……」
「なによ、リムルのときは経費そっちのけで動いたくせに」
「あのときといまは違うだろ。リムルはうちの社員だったし、その故郷がピンチだったんだから……」
言い訳をしたところで、ジークはふと気づいた。
「だいたいおまえ、さっきから変だぞ? 嫌だって言ってみたり、行けって言ってみたり……。いったいなんのつもりだよ? はっきりしないのは、おまえのほうじゃないか」
アニーは困ったように顔を伏せ――上目がちに、ジークを見た。
「ネクサス……なんでしょ? その話題になっている惑星って」
「ああ、そうだけど?」
「最初はさ……、そのことを聞きそびれちゃってたのよ。だから――」
「場所がわかったくらいで、そんな意見がころころ変わるもんなのかよ? まったく、いいかげんだなぁ」
「いいかげん、ですって?」
アニーの顔つきが、がらりと変わった。
「いや、あの……」
じろりと、ジークをにらみつけてから、アニーは言った。
「そのネクサスに、あたしの生まれ故郷があるんだけど……。いけなかったかしら?」
アニーの故郷について聞かされたのは初めてのことだった。よりにもよって、それがネクサスだったとは――。
「い、いや、あの……。べつに、いけなくは、ないけど……」
気まずい沈黙がおりる。
ジークとアニーはふたりしてうつむき、テーブルの上のすっかり冷めきった食事を見つめた。
黙々と食事をつづけていたジリオラが、持ちあげていた大釜を下ろした。ヤカンを取りあげ、大釜の中にお茶をたっぷりと注ぎこむ。
「わぁ! エレナのおっぱい! なが――じゃなくて、おっきーい!」
何かと思えば、ニュースが終わってCMが流れはじめていたらしい。
「ああ……。それ、前に撮ったやつだ」
行く先々でローカルネットに流すことにしている『SSS』のCMだった。
水着姿の女たちで目を引きつけておき、最後にはトップレスとなったエレナが、その豊かな胸をプラカードで隠すという――低劣きわまりない内容だ。
だがアピールするべき相手は、中小企業の脂ぎった中年社長だった。
これで正解なのである。
「あれぇ、ぼくがいないの。へんなのぉ……」
「あたりまえだって。半年前に撮ったやつだぞ」
アクセス・ナンバーを記したプラカードが、画面に現れてくる。そこには『運送から引っ越しまで、急ぎのご用命は当社まで――』と書かれていた。
「――んで、どうすんのよ?」
CMが終わるなり、アニーが切り出してきた。声はもう怒っていない。ジークは救われた気分になった。
「あのさ、オレとしては――」
ジークが言いかけた。
そのとき、軽やかな電子音が室内に響いた。
「あら、映話かしら……。わたくし、でますわ」
エレナが席を立った。壁に埋めこまれたコンソールに向かう。
「はい、こちら『SSS』――。ええ、そうですけど。あら、いまのCMで……。あらそんな、素晴らしいだなんて……恐れ入ります。はい、もちろんですわ」
ジークとアニーは、会話を再開した。
「それで? オレとしては――なんなの?」
「うん、オレとしてはさ――」
「あの……。ちょっとよろしいですか、社長?」
エレナの声が割りこんでくる。
「なんだい?」
「仕事の件なんですけど、急ぎで荷を――」
「ああ。いま立てこんでるから、内容だけ聞いてあとで返事するって言っといてくれ。何時間かあれば、返事できるだろうからさ」
「それが、いまこの場で返事をほしいそうですが」
「いますぐに? この場で? ずいぶん急な話だな?」
「聞いておいたほうがいいと思いますわよ」
ふと、予感がして、ジークは訊ねた。
「あのさ……、目的地は、もしかして……」
「ええ、ネクサスですわ……。よかったですわね。これで船を動かす理由もできましたし」
そう言われて、ジークは曖味にうなずくしかなかった。