目覚め
その日の朝。
ジークの目覚めは、およそ考えられるかぎり最悪のものだった。
すなわち――誰かが自分のパンツをずり下ろそうとしていることに気づいて、目を覚ましたのである。
「わっ! わわっ! わわわーっ!」
「あらごめん、起こしちゃった?」
パンツを押さえて飛び起きたジークに、アニーが言う。
「まだ寝てていいわよ。パンツだけちょうだい、洗濯するから」
「おっ、おっ、おっ。おまっ、おまっ――」
ジークが口にした意味不明の言葉に、アニーはパンツに掛けた手をぴたりと止めた。
「なに? おしっこ?」
「ちがあぅっ! おまえがなんでオレの部屋にいるんだって! そう言ったんだよ!」
ようやくまともな言葉が出るようになる。
「言ってないじゃない、そんなこと――さぁ、忙しいんだから早く脱いでよ。それとも、あたしにひん剥かれたい?」
ベッドの上に、アニーの尻が乗ってくる。
きわどいミニスカートから半分ほどはみ出した尻が、じりじりと迫ってきて、ジークはたまらずベッドの端へと逃げだした。
「や、やめろよ! じ、自分でやる……やるからいいって!」
「ふん。わかればよろしい。まったく信じらんないわね。おんなじパンツを2日もはいていられるなんて――」
アニーは立ちあがると、部屋のあちこちを物色しはじめた。
椅子の上に脱ぎっぱなしにしてあった昨日の衣類をかき集め、洗濯かごに放りこむ。
どこから見つけてきたものか、何足かの靴下がそのあとに続く。
「ねぇ、靴下が片いっぽうだけ見つからないんだけど――どこに隠したのよ? んもうっ、リムルの部屋よりちらかってんじゃないの、ここ?」
「自分でやるからいいって言ったろ! おいこら! 勝手に人の部屋を引っかき回すな!」
振り返ったアニーは、布団にくるまったままのジークを見て露骨に眉をしかめた。
「なによ、まだ脱いでないの?」
「あしたの洗濯当番はオレだろ? あしたになったら、ちゃんと自分で洗うってば。さっきからそう言ってるだろ」
「おあいにくさま。きょうの洗濯当番はあたしなの。洗濯物を残したまま交代しろっていうの? ――お断りだわ」
アニーはきっぱりと言った。
ずぼらなようでいて、妙なところで几帳面だ。
「いいかげんにしろよ。まったくおまえは、朝っぱらから人をたたき起こすわ、人の部屋に勝手に入りこんでくるわ――」
ジークに最後まで言わせることなく、アニーは切り返した。
「あたしは寝てていいよって言ったはずだし、入るまえにはノックくらいしたわよ。そんなことより、あんたが今はいてるパンツと、靴下の片っぽ! それさえもらえれば、すぐに出てってあげるわよ」
「知るかよ。人の話を聞け。オレが言いたいのは、だな」
「知らないわよ。パンツと靴下!」
「ねーねー、朝っぱらから、なにケンカしてるのぉ?」
ピンク色の頭が、開けっぱなしになっていたドアからひょっこりと出現する。
「ああリムル、いいところにきた。この分からず屋の女に言ってやってくれ。勝手に男の部屋を荒らすもんじゃないって……。なっなっ? おまえも男なら、わかるだろ?」
リムルはジークの言葉に、にこにこと微笑みを返した。
「だめだよジーク。だってぼく、今日から女の子だもん」
えっへんと張ったその胸が、わずかに膨らみをみせている。
「ええっ!? あと2、3日はだいじょうぶだって、きのう言ってたじゃないか。いっしょに風呂に入ったときに!」
「急に来ちゃったんだもん。しょうがないよ」
この少女――昨夜までは少年だったが――は、29日周期で性転換を繰りかえすという、特異この上ない体質を持っているのだ。
「じゃあこっちの味方ね。手伝ってくんない? ジークのパンツをひん剥きたいんだけど」
「あっ、ぼくそれ知ってる。〝カイボー〟っていうんだよね」
「おいリムル! オレは信じてるぞ。身体は女でも、心は男だよな? なっ、なっ?」
「ぼく、べつにどっちでもいいんだ。でもカイボーって、なんかおもしろそうだよね」
「おもしろくない! ぜったい!」
「えー、おもしろそうだよぉ」
リムルはにんまりと笑った。
「いい、リムル。あたし足を押さえるから、あんた手ね」
「うん。オッケーだよ」
「や、やめろよな……。やめろって……」
「じゃあ行くわよ。いち、にの、さんっ!」
「わぁい、ジークのカイボー!」
「やめろーっ!」
2人の女にのしかかられたジークは、しばらく抵抗をつづけたものの、それも結局は無駄に終わった。
◇
「おはようございます。ドクター」
研究室からのっそりと出てきた相手に、彼女――ジェニファーは、いつものように礼儀正しく挨拶をした。
「うむ。おはよう、ジェニファー」
毎朝きっちりと時間通りに来てくれるおかげで、食事の支度をするほうとしては大助かりだ。
香ばしく焼けたクロワッサンは、オーブンを出てから30秒も経っていない。
馬のように食べるドクターのために、彼女は何十個もの三日月の載った大皿をテーブルに運んでいった。
前もって温めておいたコーヒー・カップは、ボウルと見紛うような大きさだった。
その巨大なカップの中に、淹れたてのコーヒーとホットミルクを、正確に3リットルずつ注ぎこむ。
ドクターの好みは、50対50のカフェ・オレだ。
「お仕事のほうは、どうですの?」
「ついさっき、すべての検算が完了したところだよ。これで今回の計画のすべての準備が整ったことになる。あと残っておるのは……」
彼の言わんとしていることを汲み取って、ジェニファーは答えた。
「報道機関への通達でしたら、もう済んでおりますわ。放送も新聞も、あらゆるメディアに対して勧告しておきました。ちょうど――今朝のニュースあたりで流れる頃だと思いますわ」
「うむ、よろしい。君はいつでも完璧だな」
ひとつしかない眼球を細めて、ドクターは満足げに微笑んだ。