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星くず英雄伝  作者: 新木伸
プレストーリー短編「社員採用試験」

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1-1「バーの片隅で」

 薄暗いバーの片隅で、ジークは人を待っていた。


 とはいうものの、べつに待ちあわせをしているわけではない。

 その人物は来るかもしれないし、来ないかもしれない。ひとりか、あるいはふたりか、それさえもわからなかった。


 ジークはポケットの中から折りたたまれた紙を取りだした。

 破れないように注意しながら、ボックス席のテーブルの上に広げる。


 1週間前にこの星のローカルネットに流した求人広告だった。出掛けにチェックしたときには、リードカウンタは500をすこし超えていた。少なくとも500人の人間が、この広告を見ていることになる。


 職を探している人間が500人だ。


 そのうちの何人かは、今夜ここにやって来てもいいだろう。給料は相場よりも高めにしたつもりだった。


 すっかり気の抜けたソーダ水をストローですすりながら、ジークはバーの中を見まわした。


 店内はそれほど広くない。


 ボックス席は4つほどで、奥のほうは大勢で座れる丸テーブルになっている。

 入口の近くにはスツールの並んだカウンターもあるが、皮ジャンを着た大柄な女がひとりで座っているだけで、客のほとんどは奥のほうの丸テーブルに集中している。


 ひとりで飲みにくる店ではないということだ。

 店の奥で馬鹿騒ぎしているのは船乗りたちだった。宇宙港とハイウェイで結ばれているためか、ここアーリア・シティにはこの手の酒場が多い。


 陸にあがった船乗りたちが短い休暇に酒を楽しむ――ここはそんな店だった。


「あのさ――」


 ビールのジョッキを抱えて歩くミニスカートの女の子に、ジークは声をかけた。


 女の子は、「待ってて」とでもいうふうにウインクしてみせ、店の奥に消えた。

 ジークはソファーに体を戻し、女の子を待つあいだにグラスを空にする。


 やがて女の子が戻ってきた。

 行きとは逆に、空のジョッキを手にしている。


「なに、ソーダ水おかわり?」

「えっと、その……」


 ジークの目とおなじ高さに、女の子のウエストがあった。


 タンクトップとミニスカートのあいだに褐色の肌が露出している。へそがまる見えだ。いくら暑いとはいっても、ジークには刺激の強すぎるかっこうだった。


 もごもごと口ごもるジークを見かねたのか、女の子が口を開く。


「ガルーダ運送を尋ねてきた人だったら、まだいないわよ」


 ジークは驚いて女の子の顔を見あげた。

 面接に来た者がいたら教えてくれと、いま言おうとしていたところなのだ。


「マスターから聞いたの。あなたその歳で社長さん? すごいじゃない」

「いや、その……」


 勘のいい女の子だった。

 ジークが何も言わなくとも、会話が成立してしまっている。


 ジークは顔を赤くしてうつむいたまま、女の子の顔を見れずにいた。


 宇宙船の中で育ったジークにとって、女の子はホロビデオの中の存在でしかなかった。実物と口をきいたことは、いままで数えるほどしかない。


 ジークの前に立っている女の子は、それら立体映像の娘たちと比べてもじゅうぶんにかわいかった。

 歳はジークとおなじくらいで、15か16くらいだ。


 栗色の短い髪が快活な印象をあたえている。

 実際、中身もそのとおりなのだろう。打てば響くような反応が心地よい。

 この店の看板娘といったところか。


 女の子の手が、テーブルに広げたプリントアウトを取りあげた。


「へー、パイロットも募集してんの。経歴不問。年齢も……」


 プリントアウトから目をあげて、ジークの顔を見つめる。


「ね、それだったら――」


 女の子の言葉は、店に入ってきた客によって中断された。

 からんと開いた扉に向かって、「いらっしゃいませー!」と、女の子の小気味いい声がかけられる。


 木製のドアを押して入ってきたのは、びっくりするほど奇麗な女性だった。


 目の前の少女のことも忘れ、ジークはおもわず見とれてしまった。


 すっきりした白いサマードレスの背中に、軽くウェーブのかかった鳶色の髪がかかっている。赤道直下のうだるような暑さのなかをやってきたはずなのに涼しげな顔だ。


 年齢は十代のようにも二十代のようにも見えた。

 おそらく二十代――それも後半――なのだろうが、少女のような楚々とした雰囲気のために、どうしてもそう見えない。


 彼女は店内をぐるりと見回し、それから歩きだした。

 まっすぐカウンターへと向かってゆく。


「――ね、いいでしょ?」


 女の子の声に、ジークは我にかえった。

 何か話しかけられていたようだが、最後のところしか聞きとれなかった。


「えと……」

「今日はもうすぐお店ひけるから、それまで待ってて」


 それだけを言い残し、女の子は行ってしまった。

 ジークはしばらくして、店の奥にいる男たちのやり取りの中から彼女の名を知った。


 アニーという名前らしい。


 彼女の言葉と表情が、ジークの頭に残っていた。

 どうやらさっきのは、噂に聞いた『デートのお誘い』というものらしい。


 しかしジークには、彼女が自分に興味を持った理由がわからなかった。

 こういった文化程度の進んだ惑星では、自分のような宇宙野郎は田舎者、もしくは野蛮人と思われていることは心得ている。


 ひとことで言ってしまえば、「ダッサい」のだ。

 間違っても年頃の女の子が相手をしてくれるわけがない。


 舞いあがりかけた頭でそこまで考えたジークは、もっと大切なことを思いだした。


 生まれて初めてのデートよりも大切なこと、だ。

 自分は仕事でここに来ているのだった。


 乗組員を募集するために。


 この前の航海でジークの住むサラマンドラ号は、銀河中心核から古代種族の遺産を数多く持ちかえった。

 なかには人類が初めて手にする技術によって作られた機械装置もあり、それらを売却した金額は天文学的な数値におよんだ。


 具体的に言うと、星ひとつをまるごと買えてしまえる金額だ。


 13人の乗組員全員で頭割りしたとしても、とんでもない額であることに変わりはない。一生遊んで暮らせるかどうかとか、そういったレベルの金額をはるかに超えている。


 もともと金目当てで深宇宙探査などというやくざな仕事をしていた男たちである。

 いざ大金が手に入ったとなれば、取る行動はたったひとつ――


 船が港に入った翌日。


 ジークが目を覚ましたときには、誰もいなくなっていた。

 最後まで残っていた船長――キャプテン・ガルーダは、寝ぼけまなこの息子にこう言った。


 船だけは残しておいてやる、あとは好きにしろ――と。


 ジークの知らない間に金の分配が決められていたらしい。

 みそっかすのジークに与えられたのは、150年落ちの深宇宙探査船サラマンドラただ1隻だけだった。


 他の連中と比べると、あまりにも少ない。

 少なすぎる。


 だが文句を言おうにも、昨日までファミリーだった男たちはもういない。

 生まれてこのかた16年のあいだ続き、これから先も自分が死ぬまでずっと続くと思っていた生活が、大金を手にしただけで消えるはかないものだということを、ジークはそのとき理解した。


 疑いもせず、頭から信じきっていた自分が情けなかった。

 一度は《サラマンドラ》を売りはらってしまおうかと思ったが、たいした金になるわけでなし(それでも10万Cr.は下らないだろうが)、それなりの思い出もある。そうそう手放せるわけもない。


 それに船を手放すということは、どこかの惑星に定住するということになる。

 穏やかなリゾート惑星に小粋な家を買うこともできるし、開発されて間もない惑星の大自然のなかに自分の手で山小屋を建ててもいい。


 子供の泣き声が聞こえるスラムの貧民街に部屋を借りることもできた。

 星ひとつ買うことはできないが、10万Cr.もあれば、どんな暮らしをするのも思うままだろう。


 だがそのどれもが、ジークにとっては想像のなかの生活でしかなかった。

 惑星の上で暮らすなど考えられない。

 ジークは星の海で生まれ、星の海で育ったのだ。


「ここ、よろしいかしら?」


 急に声をかけられて、ジークはあわてて振りかえった。


 さきほどの女性だった。

 小さなバッグを体の前に押さえ、うつむきかげんにジークを見ている。近くで見ると、意外に背が高い。


 ジークと視線が合うと、彼女はにこっと微笑んだ。


「あ、どうぞ! どうぞ!」


 ジークは立ちあがって席を薦めた。


 すでに頭は沸騰してしまっていて、彼女が自分のところにきた不自然さに気づいていない。

 ジークがそのことに思いいたったのは、彼女が向かいの席に落ちつき、注文したワインがやってくる頃だった。


「あの……なんだって僕のところに?」


 空席ばかりのまわりを見回しながらとまどいがちに訊くジークに、彼女はくすっと笑みを浮かべ、バッグの中から1枚のプリントアウトを取りだした。


 ジークが広げていたものとあわせて、プリントアウトが2枚になる。


「たまたまデータベースをのぞいてみましたら、こちらの求人広告が目にとまったんですの。宇宙でのお仕事なんて素敵だと思いますわ」

「ち、ちょっと待って! じゃあんた、いや、貴方は! う、うちの、ガルーダ運送に――!?」


 ジークは中腰になって叫んでいた。


「ええ、そのつもりですわ。もちろんこちらで採用していただければのことですけど……。なにか?」


 ジークはどさりと腰を落とした。


 目の前の美女が広告を見てきたとは、いまのいままで思いもしなかった。

 やってくるのは、てっきり男だとばかり……。


 《サラマンドラ》のファミリーにいたような、もしくはいま、奥の丸テーブルで騒いでいるような……。

 ともかく、そういった宇宙の男たちが来るものと思っていたのだ。

 年期の入った男たちになめられないように、どうやってはったりを利かそうか考えていたくらいだ。


 それがまさか、こんな美人がくるとは……。


「どうなさいました? お顔の色がすぐれませんけども」


 本気で心配しているのか、彼女は美しい眉をよせてジークの顔をのぞきこんでいた。


「あの、じつは……」


 いちど言葉を切り、意を決してジークは話しはじめた。


「わざわざ来ていただいてたいへん申しわけないんですが、うちでは女性は募集してないんです」

「あら、まあ」


 女性は意外そうな顔で、ジークの目を正面からのぞきこんだ。

 テーブルの上からプリントアウトを取りあげ、その1行に指をあててジークに示す。


『年齢、経歴、すべて不問』


 そこにはそう書かれていた。


「いや、でも……」


 まさか女性がくるとは思っていなかった。

 考えもしなかったから、わざわざ書いたりもしなかった。


「申し遅れました、わたくしエレナ・ローレンスと申します。エレナと呼んでくださって結構ですわ」


 彼女は自己紹介を始めていた。


「さっそくですけど、ひとつ教えていただけません? こちらに『商取り引き、実務経験者』とありますけど、これは具体的にどういったお仕事ですの?」


「えっと……あ、僕――俺はジーク。ジークフリード・フォン・ブラウン。いまは《サラマンドラ》号の持ち主で、ガルーダ運送の社長です。それで仕事のことですが……。たとえば、あちこちの星のブローカーから運びの仕事を取ってきたりとか、資材を購入したり売り払ったりするときに、海千山千の連中に不正な値をつけられないようにとか――」


「つまり、〝ぼったくられ〟ないように?」

「ええ、まあ……」


「適正な相場を心得ていて、大きな商談をまとめる能力がある者と受けとってよろしいのかしら?」

「そうです」


 だから貴方には無理ですよ、とあぶなく言ってしまうところだった。

 どうせ断るにしても、もう少し遠まわしな表現で、この世間知らずのお嬢様を傷つけずにすむ言いかたはないだろうか。


 ジークはファミリーの交渉役だった〈強欲〉サムの顔を思いだしていた。

 彼は頭の薄い小男で、容貌からして、ホロビデオのドラマにでてきそうな典型的な商売人だった。

 どこで都合をつけてくるのか、相場の8掛けで航行に必要な物資を買いつけ、発掘品を5割増しでさばいてくる。

 いつもひとりで出かけてゆくので詳しいことは知らないが、独自のルートとコネを持っていたのだろう。


 そこまでの交渉力は求めないが、せめて相場で取り引きできるような人材が必要だ。


 以前サムの代わりにジークが水素燃料を買いつけてきた時など、相場の倍――キロリットルあたり3Cr.の値段で、それも純度の低い粗悪品をつかまされ、キャプテンに折檻された覚えがある。


 しかも殴り飛ばされるまでジークは気がつかず、良い物を手に入れたつもりで得意になっていたのだ。

 まぁあれは10歳のときで、いまならもっとうまくやれるが……。


 目の前のたおやかな女性が、そんな百戦練磨の商人と渡りあえるとは思えない。

 ジークがどうやって断ろうかと思っていると、彼女は店の奥の男たちに目を向け、そちらを見たままジークに言った。


「その海千山千の商人というのは、たとえばあちらのような方ですの?」


 ジークは彼女の視線を追いかけた。


 店の奥、男たちの騒いでいる丸テーブル、その端――2人の男が向かいあって座っている。

 片方の痩せた男は、騒いでいる連中の仲間だろう。もう片方の男は、どうやら現地のバイヤーらしい。日に焼けて浅黒い肌をしている。


 向かいあって顔を近づけ、何やら商談でもしている雰囲気だ。

 ジークはうなずいてみせた。


「ああいう胡散臭い連中相手に交渉する仕事なんだから――」


 最後まで言わせず、彼女は立ちあがっていた。


「ちょっと行ってまいります。『実技テストもあり』、でしたものね」


 店の奥に歩いていくエレナを、ジークは止めなかった。

 〝不採用〟ということを、自分の口から告げなくてもすむと思ったからだ。

 世間知らずのお嬢様に現実の厳しさを教えるのは、あのすれっからしの商人たちがやってくれる。


 ジークは商人たちと交渉を始めた彼女の後ろ姿を見ていた。

 気の毒だったが、どうしようもない。


 彼女が世間知らずなのはジークの責任ではない。

 それにジークは彼女のように、遊びでやっているわけではないのだ。


「ズルイやつだな」


 背後からかけられた声に、ジークはぎくりとなった。

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