暴走宇宙船へ
全行程の中間点を越えて、いま《サーディン》は移民船に迫りつつあった。
船首の方向を180度転じて、相手に尻を向けた格好で100Gの減速に入っている。加速を続けていてはランデブーできない。ドッキングするためには、ちょうど中間点で加速を終え、残りの期間は減速する必要があるのだ。
減速しながらも、両者の相対距離はぐんぐんと詰まっている。
加速に300秒、減速に270秒。ランデブーと移乗に120秒。そして残りの2分30秒で惑星との衝突コースから離脱する。これがカンナの立てた救助計画の概要だった。
しばらく前からラセリアとの四方山話に花を咲かせていたエレナが、ジークに顔を向けてくる。聞きたくなかったひと言が、その口から発せられた。
『社長、管制さんとの交渉ですけど、どうもうまくいきそうにありませんの。そちらで準備していただけます? こちらでも諦めずにつづけてみますけど……』
ジークはキーボードをタイプして、返事をかえした。
――OK
『ミサイルさんの数は、全部で6基ですわ。軌道要素は確定できていますから、そちらに送りますわね』
『あのう、お話がよくみえないんですけど……?』
会話の外に置かれていたラセリアが、遠慮がちに尋ねてくる。
『あら、ごめんなさい。そちらに向かっているミサイルの自爆指令を出していただけるように管制さんにお願いしていたのですけど、どうも無理なようなので、こちらで撃ち落としてしまうことにしましたの』
『まあ、勇者様の活躍が間近で見れるのですね』
のんきなふたりとは対照的に、ジークのほうは必死だった。送られてきたミサイルの予測軌道をもとに、射撃のイメージを組みたてる。視野の中央に2発、やや右上に1発――。
『社長、あと10秒で減速完了ですわ』
エレナが非情にも時間を告げてくる。
秒読みにあわせて、ジークはスロットルを一気に戻した。
猛烈な反動が襲いかかる。ベルトが体に食いこみ、コックピットの構造材がぎしぎしと悲鳴をあげる。100Gもの過重が一気に消失する反動に耐えながら、ジークはくるりと船を反転させた。槍のように尖った艦首が惑星に向かってぴたりと据えられる。
《サーディン》の右側、500メートルと離れていない場所を、移民船は併走するように浮かんでいた。
『ドンぴしゃり! 見たか、私の計算を! ジーク、はずしたら便所掃除だからナ!』
カンナの声を聞きながら、ジークはレーザー砲のスティックに手をかけた。
照準モニターには、高速で迫りくる6基のミサイルが捉えられている。ほぼ予想した通りの位置だった。
スティックを操って、レーザーを発射する。
モニターの中でしか見えない光条が、ミサイルを示すオブジェクトを撃ち抜いてゆく。ひとつ、2つ、3つ――。照準モニターの中で、ワイヤーフレームが四散する。
現実の光景の中でも、まばゆい光球が広がっていた。
はじめ青かった輝きは、拡散するにつれ赤く色を変えてゆく。3つの光球が消える前に、4つめと5つめの光球が宇宙空間を彩った。
そして最後のひとつ――。
モニターの中でぐんぐんと速度を増してゆくミサイルを、十字形の照準カーソルが追いかける。ジークはトリガーを引き絞った。まっすぐ伸びた光条は、しかし、ミサイルに当たらずに虚空に消えた。
慌ててミサイルを追おうとするが、うまく狙いが定まらない。ミサイルはさらに速度をあげた。照準カーソルを振りきって移民船に迫ろうとしている。
『馬鹿たれーッ!』
カンナの怒声がコックピットの水槽を揺り動かす。
びくりと、ジークの体は硬直した。その拍子に指先がトリガーを引いてしまう。
爆発が起きた。
あと数ドットで移民船に接触しようとしていたミサイルは、レーザーに撃ち抜かれてワイヤーフレームを散らしていた。無数の破片が、移民船を示すオブジェクトに襲いかかる。
『きゃあ!』
ラセリアの悲鳴が聞こえた。
だがジークには何もできなかった。遅れてやってきた衝撃波が《サーディン》の船体を揺り動かし、姿勢を保つことで精一杯だったのだ。
衝撃波の大波が通りすぎてゆく。
数秒もすると、プラズマの雲の切れ間から、ずんぐりとして巨大な移民船の姿が見えるようになる。
エンジンの噴射が止まっていた。船体後部から数百キロも伸びていた青いプラズマの尾が姿を消している。船体の中央よりやや船首寄りの部分に、大きな穴があいていた。熱と衝撃で引きちぎられた構造材がむきだしになっている。
『ラセリアさん、大丈夫ですか? ……応答ありませんわね。社長、どうしましょう?』
『なにぼーっとしてんだヨ、ジーク! せっかく大穴が開いたんだ! とっとと突っこまないか! あと105秒しかないんだゾ!』
カンナの声に追い立てられるように、ジークは操縦桿を押し倒した。
移民船の船腹に大きく開いた傷口に向けて、《サーディン》は飛びこんでいった。
◇
大穴に《サーディン》の艦首を突っこませたジークは、エアロックを開けて艦内通路へと足を踏みいれていた。床を蹴って砲弾のように進み、少女がいるはずのブリッジを目指す。
『ジーク、開けるぞい!』
カンナの声とともに、隔壁の最後の1枚が開いてゆく。ジークはブリッジの中へと飛びこんでいった。格納庫ほどもある空間の中ほどに、白く広がる花びらのようなものが浮かんでいる。
――人だ。
そう認識したときには、すでにジークの体は床を蹴って飛びあがっていた。
金色の髪をふわりと広げ、眠るように空中を漂う少女を、ジークは腕の中にそっと抱えこんだ。息は――ある。気を失っているだけのようだ。
ジークは状況も忘れ、腕の中の少女に見入ってしまった。さわやかな花のような、得も言われぬいい香りが少女の体から立ちのぼってくる。
腕の中で身を丸める少女は小鳥のように軽く、まるで物語の世界から現れたお姫様のように思えた。薄い半透明な素材のドレスが、窓から差しこむ星の光をはらんで青白く輝いている。
『ナニやってんだジーク! 残り40秒を切ったゾ!』
カンナの声で、ジークは我に返った。窓の外に目を向ける。青い惑星が、視野の半分ほどを覆っていた。意識下でつづけられているカウント・ダウンは、残り時間が38秒しかないことを告げている。
「やべっ!」
スプレー・ガンを吹かして、ジークは手近な壁に向かった。両脚のバネを最大限に活かして、大きく壁を蹴る。ラセリアを抱えたまま、ジークはブリッジから通路に飛び出した。床と天井を交互に蹴って、さらに速度を稼いでゆく。ふたり分の質量を受けた足腰が、ジャンプのたびにぐっと大きく沈みこむ。
「28……27……」
つぎつぎと通りすぎてゆく非常灯の淡い光が、ラセリアの横顔を照らしては去ってゆく。ジークは意識を失ったままの少女の服に手をかけた。
「――ごめん」
目をつぶりながら、胸元から一気にドレスを引き裂く。
荒っぽくドレスを破り捨てて、腰から高分子シートのパックを引っ張りだす。
ピンを口に咥えて引き抜くと、折り畳まれたシートは圧搾空気によって一瞬のうちに膨らんだ。側面のジッパーを開き、サンドバックのような円筒状の緊急シェルに少女の体を押しこんでゆく。予定では簡易宇宙服を着てもらうはずだったが、意識がないのでは仕方がない。
『どうした、ジーク? 心拍数が異常だぞ』
「余計なお世話だ。姫様は保護した。あと何メートルだ?」
『50メートル。ほい、最後のイチマイ、開けるゾ』
「ま、待て! ――ちょっと!」
言いおわる前に、前方の隔壁が開きはじめた。空気と一緒に吸い出されながら、ジークはポケットにしまってあったヘッド・マスクをあわてて身に着けた。
あちこちから突きだしている構造材にラセリアのシェルを引っ掛けないように注意しながら、ジークは《サーディン》に向かっていった。耐圧ハッチを開き、無重力でぶよぶよと揺れ動く水中に体を滑りこませる。ラセリアを引っ張りこむと同時にハッチを閉じた。
「5……4!」
カウントを叫びながら、ジークは水中でシェルのジッパーを開け放った。人工重力をオンにすると、大きな気泡がいくつも上昇してコックピットの天井に溜まってゆく。
ジークはラセリアの白い身体から目をそむけた。あろうことか、彼女は下着を身に着けていないのだ。気を失ったままの少女は、フルオロカーボン溶液に浸されると、こほっと小さな気泡を吐いて液体の中に沈みこんでいった。
「2……1!」
ラセリアの体を膝の上に抱えこみ、ジークは自分のマスクをはぎ取った。息を吐きながら、最後のカウントを叫ぶように行う。
『ミサイルさんが来ますわ、社長』
しばらく聞こえていた耳障りなカンナの声にかわり、鈴を転がすような心地よいエレナの声が聞こえてくる。
今度は迎撃する必要がなかった。ジークはスロットルを大胆に押して、《サーディン》を加速させた。移民船はみるみる遠ざかり、数秒ほどで小さな銀色の輝きとなる。
後部モニターで閃光があがった。第2波のミサイルに移民船が破壊されたのだ。
だがすでに全力加速に移りつつある《サーディン》には何の害もない。100Gで加速する船に、どんな破片も追いつくことはできない。
スロットルをストッパーの位置まで押しやって、ジークは左舷のモニターに目をやった。そこには青い惑星が大きく映し出されていた。
いままでのところ、何もかもが予定通りだった。
しかし何かが気にかかる。モニターに映る惑星の大きさが、どうも大きくはないだろうか……?
惑星の下に映る相対距離のカウントが、ふと目に映った。そこに示されていた数字は、予定していた値より一桁ほど少なかった。
「――~~!!」
フルオロカーボン溶液の詰まった喉で、ジークは声にならない叫びをあげた。
慌ててカンナの作った航法計画をチェックする。ファイルに記されているタイム・シート通りに行動していたはずだった。何度も間違いながらキーボードを操作していると、サブモニターに、にやにやと笑いを浮かべるカンナが映った。
『よう、ジーク。心拍数が異常だゾ。ナニかあったかね?』
ジークはキーボードを連打した。
――WHY!WHY!WHY!
『アー、わかったワカッタ。みなまで言うナ。いま説明してやるから』
カンナは手をぱたぱたと振った。それから真面目な顔になった。
『じつはサ。100Gでも間に合わなかったんだヨ、最初っからサ』
――AGHHHHHH!
『まあ落ち着けってばサ。まだあと30秒は平気だから……。そこで私ゃ、考えた。《サーディン》のエンジンにゃリミッターが掛かってたろ。アレを解除してやれば、ひとケタ大きな推力が手に入るんだワ。計算だと、1000Gは越えるはずだ。ま、エンジンが持つかどうかわからんし、たとえ持ったとしても、体のほうが耐えられるかどうかわかんないケドな』
――F,FUCK YOU・・・
『まあそう怒るな。ナイショにしといたのは悪かったが……どのみち、最初から話しておいてもやっただろ、ジーク?』
カンナにそう言われ、ジークは腕の中で静かに息をしているラセリアに目をやった。キーボードから、3文字ほど打ちこむ。
――YES
『なら、文句は言いっこナシだ。ナニ心配するな。ぺちゃんこになっても、骨くらい回収してやるから……。さて時間だ。リミッターのプログラムはもう解除してある。ストッパーの向こう側が、未知のゾーンだわサ』
ジークはスロットルに掛けた手を握り直した。《サーディン》が就航して以来使われたことのないオーバーブースト領域が、MAXと書かれたストッパーの遥か上に広がっている。
『さアみんな、前人未到の死地に赴く我らが社長に、ナニかひとコトないか?』
待ちかねていたように、サブモニターが一斉に点灯する。
『社長、帰っていらしたらお祝いしましょうね』
『ノープロブレム』
『なにビビってんのよ。とっととやんなさい、時間ないんだから』
エレナ、カンナ、そして最後はアニーだった。
『無事に帰ってこいヨ。そしたら約束通り便所掃除をやらせてやるからナ』
(ああ、やってやるわい!)
ジークは力いっぱいスロットルを押しあげた。錆びかけたストッパーを打ち砕いて、スロットルが真の上限に到達する。
眠りから目覚めるように、《サーディン》の船体は一瞬だけ震えた。
そして加速がはじまった。体がシートにめりこんでゆく。コックピットの周囲に収められたGキャンセラーが暴力的な加速を打ち消しにかかるが、それもどこまで持ちこたえてくれるものか――。
透明な溶液の満たされたコックピットには、早くも不気味なうなりが立ちこめはじめていた。
加速度を示すカウンターの数字が、恐ろしい速さで跳ね上がってゆく。500Gを越えたかと思うと、あっというまに600Gを回っている。
不規則な振動に激しく揺さぶられる視界の中、ジークは航法モニターの画面を見つめていた。そこには惑星に対して横向きになった《サーディン》のグラフィックが映しだされている。小さなくさび形のオブジェクトは、惑星に向かって高速で接近しながらも、ゆっくりと横に向かって動きだしていた。それにともなって、予想到達点を示す“×”のマークが惑星の中央から徐々にずれてゆく。
マークが惑星から外れれば、《サーディン》は助かることになる。
ジークはラセリアの肩を抱きよせ、唇をぐっと噛みしめた。誰でもいい。話しかけてくれる声が欲しかった。だがエンジンから噴きだすプラズマの奔流によって、電波は完全にシャットアウトされている。女たちの乗る《サラマンドラ》は、数万キロの真空を隔てた彼方にあった。
カウンターの表示は900Gを越え、1000Gに迫ろうとしていた。数字の増加する早さが、かなり遅くなってきている。
視界がぼやけたように感じて、ジークは瞬きをした。だが視野をおおう靄は晴れない。いくつものアラート・ランプが狂ったように点滅しているのが、かすむ視界の中でかろうじて見てとれる。異常振動による視野の狭窄がはじまったことを、ジークは知った。あと十数秒ほどで、脳機能は完全に麻痺してしまう。そうすれば意識を保っていることもできなくなる。
しだいに感覚のなくなってゆく腕で、ジークは胸の中の少女を抱きしめた。
――死なせはしない。
ジークの意識は、ゆっくりと闇に落ちていった。
*
眠りこむふたりを乗せたまま、《サーディン》は1000Gを超える加速をつづけた。数万キロにも及ぶプラズマの噴射は、惑星アーリアの各地で長大なオーロラとして観測された。
ミサイルによって打ち砕かれた移民船の破片が大気圏の上層で燃えつきても、《サーディン》はまだ加速をつづけていた。アラート・ランプの点滅するコックピットで、自動機器だけが静かに作動している。応力にボルトが弾け飛んでも、心を持たぬ機械は動じることはない。
身を寄せあった少年と少女の間に挟まれるようにして、銀色の物体が揺れていた。少年が肌身離さず持ち歩いているペンダントだ。
飾り気のないそのペンダントから、不意に白い光が溢れだした。見る者の心をなごませるような不思議な光は、少年と少女の体を優しく包みこんでいった。さらにコックピットから溢れて、船全体を覆い尽くしてゆく。
《サーディン》の船体から振動が消えさった。
1000Gの加速はそのままに、分解寸前だった機体は嘘のように安定を取りもどしていた。それはまるで、乗っているふたりを起こさないように、気を遣ってでもいるかのようだった。