サイクロプス
暗黒の中を漂っていたのは、どれほどの時間だったのだろう。
ジークの意識の中で、時間がふたたび流れを取りはじめる。
「オッ――やッと目覚めたかい」
ジークはうっすらと目を開けた。
カンナの顔が、目に飛びこんでくる。
――ここは天国という場所なのだろうか?
心地よい浮遊感のなかで、ジークはそんなことを考えた。
見れば、エレナもジリオラの2人も顔を揃えているではないか。アニーとリムルの姿は、いったいどこにあるのだろう。
「ふむ、ずいぶんと手酷くやられたようだな。《ヒーロー》でなかったら、死んでいるところだぞ、君――」
「うわぁっ!」
巨大な眼球にのぞきこまれ、ジークは思わず叫んでいた。
やつがいるなら、ここは天国のはずがない――絶対にだ。
「失礼だな。わしはこれでも善人のつもりだぞ。逆行天国説を支持しておる。死んだ意識情報は、みな等しくビッグバンの瞬間に向かって時を遡ってゆくのだ」
――思考を読まれた!
その考えに、ジークはぎょっとした。
このひとつ目のミュータントが瞬間移動する場面をジークは見たことがあった。
テレパシーくらい使ったとしても、何の不思議もない。
「おお、すまんな。場合が場合だけに、すこし覗かせてもらうぞ。ふむ――なるほど。やはりあの爆発の原因は、被検体28号の暴走だったか」
脳髄の襞のひとつひとつを、何者かの〝手〟がざわりと撫でてゆく。その感触に、ジークは総毛立った。
「ジ、ジーク……お、起きた…の?」
「リムルっ!?」
飛び起きようとして、ジークはバランスを崩した。
くるくると何度も回転してから、ようやくこの場所が無重力状態にあることに気づく。
「慌てるな」
ジリオラの手を借りて、ようやく回転が止まる。今度こそ、リムルのもとへと向かう。
「リムルっ!」
体をまっすぐに伸ばして、リムルは宙に浮かんでいた。呼吸は浅く早く、顔は蒼白だった。額にぐっしょりと汗をかいている。
「リムル……、リムルっ……」
ジークが手を握ると、リムルは健気にも微笑みを浮かべた。
「あー、取り込み中のところをすまんが――事態は切迫しておるのだよ。状況を説明させてもらってもかまわんかね?」
ドクターがジークに話しかけてくる。
無神経にもほどがあった。怒りを噛み殺して、ジークは言った。
「看取ってやるくらい……そのくらい、いいだろ。リムル――心配するな。ずっと側についててやるからな。ずっとだ――」
「何を言っておるのかね、君は? その子はパンドラ神族だぞ。たかがその程度の傷で死ぬはずがなかろう?」
「へっ?」
リムルの手を握ったまま、ジークはドクターの顔を見上げた。
「ぱんどら……、しんぞく? なんだよ、それ?」
「社長――だいじょうぶですわ。この子ったら、もう治りかけているんですのよ。あと10分もしないうちに、動けるようになりますから」
ジークはあらためてリムルを見た。
あれだけ大量に出血していたはずなのに、血の跡は拭いとられたように消えさっている。
胸元をめくってみると、ふたつの乳房の中央に開いた傷口にピンク色の肉芽が盛りあがっているのが見えた。
あきらかに、傷はふさがりはじめているのだ。
「ジークのえっちぃ……」
そう言って、リムルは静かに目を閉じた。どうやら眠ってしまったらしい。
「ソイツはしばらくほッておけッテ。それよりもイマは時間が大切だワサ」
「どういうことだ?」
リムルの手は握りしめたままで、ジークはカンナに訊ねた。
周囲の状況に、ようやく関心が向けられるようになる。
「それに――ここはどこだ?」
ジークは周囲を見回した。
何か半透明の膜のようなものが、半径10メートルほどの球体を作りあげている。ジークたちはその内側に入りこんでいるらしい。
空気があって、さらには無重力だ。宇宙船の中だろうか――。
「シールドの中ですよ、ジークさん――私たち3人が張っているシールドの内側です。ここにいるかぎり、何があっても安全です」
心地よい響きを持った声が、そう告げてくる。
ジークは周囲を見回した。
自分たちとドクターの他に、3人の女性が球体の中にいた。どういうわけか、全員とも全裸だ。しかも背中に翼を持っている。
「ジェニファーと申します。どうぞ、お見知りおきを――」
金髪の女性は、そう言って微笑んだ。
「あの……どこかで会ったこと、なかったっけ?」
「さあ?」
彼女は可愛らしく首をかしげた。
「挨拶はそんなモンにしときナ。いいか、要点だけ言うゾ」
しびれを切らしたように、カンナが割って入ってくる。
「ディーゼルのやつが暴走したおかげで、遺跡は跡形もなく吹っ飛んじまッたんだヨ。開いた大穴から、いま悪霊のオヤダマ――〝神業〟とでも呼ぼうかね。ソイツが這い出してこようとしてるトコさ。あと数十分で、ソイツは完全に自由になるッてところかね」
「〝神業〟……だって?」
ジークは思いだした。
そういえば、ディーゼルを止めようと自分の頑張っていた理由が、たしかそんなようなものだったはずだ。
「なに、最悪のカタストロフは回避できるのだよ。だがこちらのご婦人たちが、それはいかんと言うのでな……そこで君の意見を聞こうと思ってな」
「ちょっと待ってくれ。よくわからない」
ジークは頭を抱えたくなった。
「つまりコイツの狙いはだ、古代人がパンドラに封じこんだ想念の塊を手に入れることにあったんだヨ」
話しこむと長くなるドクターに代わり、カンナが話を要約する。
「そいつを収めて持ち帰るための〝器〟と、捕まえるための〝網〟と……。200年かけて、シコシコ準備してたらしいんだが、ソレがあの虎野郎のおかげでブチ壊しになったワケさね」
「その通りだ。〝器〟のほうは、ほれ――ここにある。エレノア人のデータ・キューブだよ」
ドクターは懐から、一辺が10センチほどの立方体を取りだした。
ぎらぎらと、黒光りする重そうな立方体だ。
「これを持ちだすのが精一杯だった。次元振動遮断装置――〝網〟のほうは、持ち運べる大きさではなかったものでな」
「その〝網〟とやらがないと、捕まえられないのか? 〝神業〟とやらを?」
「いや、そんなことはないぞ。動きのないいまならば、捕獲することは可能だ」
「なら、早くやれよ。なにモタモタしてやがる」
「わしもそう思うのだが――なぁ、君からも言ってやってくれんかね?」
不覚なことに、ドクターと意気投合してしまった。ジークは気まずい顔をエレナに向けた。
「なにかまずいことでも……あるのかい?」
「惑星パンドラの人々も、巻きこまれてしまいますの。精神が……そのデータ・キューブの中に」
「うっ……」
それはまずい。だが〝神業〟とやらが解放されるのは、もっとまずい気がする。
いやしかし――大悪党であるドクターにそれを渡すのは、さらにまずいような気がした。
「うーん……」
「さきほどの戦いで、君の意志力強度を計測させてもらった。驚くべきことに、最大値は170ノダ・ガンリキに達していたよ。それだけの意志力をもういちど発揮できるなら、手がないこともない。〝神業〟がパンドラから抜けだすまで、あと数十分――そうしたら、君が〝神業〟の足を止めるのだ。十数秒ほどでいい。位置を固定してくれさえすれば、あとはわしがなんとかしよう。無用の犠牲者を出すのは、わしも真意ではないからな」
「それでパンドラの人は助かるのか?」
エレナたちの表情が微妙に翳ったことに、ジークは気づいた。
「助かる人も……出ます」
気まずそうにエレナが言い、カンナがその言葉を引き継いだ。
「イマこの時も、地上の連中は〝神業〟の影響で苦しんでるワサ。いまならまだ間に合う。だがあと数十分も続くとなると、全員発狂は間違いナイところさね。ただしリハビリによっては、正気にかえる者も出るかもしれない――そーゆーコトさ」
ジークは初めてパンドラに降り立ったとき、自分の心に入りこんできたあの感触を思いだしていた。
「なんとか……なんとか、手はないのか?」
ジークはぐっと拳を握りしめた。
「おじさまが、いるよ」
そう言ったのは、リムルだった。すっかり回復した顔で、リムルは言った。
「おじさま、正義の海賊さんだもん。きっと手伝ってくれるよ。〝カルマ〟ってやつを投げ飛ばしちゃって、それをジークがやっつければいいんだ」
「ふむ……その手があるか。ドーラ――被検体28号は、いまどこにおるのかね? 君のホーク・アイで探してくれたまえ」
ドクターの声を受けて、鷹の翼を持った精悍な顔の女性が顔をあげる。
彼女は鋭い眼差しを中空に向けた。金色の瞳が、妖しく輝く。
「1万キロ離れた空間。放物線軌道で漂流中。移動速度は毎秒20キロ」
ジェニファーと名乗った女性とは違い、こちらは感情の感じられない機械的な声だった。
「連れてきたまえ」
「イエス――ドクター」
彼女は翼を広げた。
その翼がひとつ打ち振られると、彼女は不意に姿を消した。
「なんだなんだ!?」
「瞬間移動だよ。彼女らには擬似超能力を与えてある」
数秒と経たず、彼女はもとと同じ場所に帰ってきた。
その腕に、あの男が抱えられている。キャプテン・ディーゼル、その人である。
「おじさま!」
ディーゼルの顔は土気色になっていた。
宇宙空間を漂っていたのだ。機械のほうはともかく、生身の部分がすっかり凍りついている。
ディーゼルの体をひと通り調べると、ドクターは言った。
「ふむ。体のほうはどうということもない。だがまずいな――《ヒロニウム》が輝きを失いかけている。これでは生命維持に支障をきたすぞ。なにしろ心臓もつけとらんからな、こいつには』
ディーゼルの胸の中央――ジークがランプとばかり思っていたものは、じつは《ヒロニウム》であったようだ。
《ヒーロー》と《ダーク・ヒーロー》の力の根源であり、意志を力に変える神秘の金属――。
「おじさま! おじさまっ!」
ディーゼルに飛びつこうとするリムルを、ジークは抱きとめた。
「なんとかならないのかよ? 改造したのは、お前じゃないのか?」
「こやつの心が死にかけているのだ。わしの科学力をもってしても、心まで改造することはできんよ」
「ちょっと、よろしいでしょうか……?」
ジェニファーが歩みでた。
手のひらをそっとディーゼルの額にあて、目を閉じる。
「――過去における想い。最愛の女性を自分の手で殺めてしまった悲しみ。宿命のライバルとの戦い。止めにはいった彼女。激しい後悔。――それらのものが、彼の心を殺そうとしています」
「どうしたらいいんだ。どうしたら……」
その時、ジークの脳裏にひらめくものがあった。
《ダーク・ヒーロー》のことは、よく知らない。だが《ヒーロー》の力の根源が何かは知っていた。すくなくとも、自分の場合においては――。
鷹の翼を持った女性に、ジークは問いかけた。
「ええと、ドーラ――だっけ? 海賊船《ワイバーン》はどこにいる? カノン砲を腹にぶら下げているほうの船だ」
「惑星軌道上。待機中」
「その船のブリッジまでオレを運んでくれ。こいつと一緒に――」
「ぼくも行くー!」
リムルの頭を、ジークはくしゃっと撫でた。
「3人だ」
「わかりました。私がお連れしましょう。ドーラ、あなたは下がっていなさい」
ジェニファーがそう言って前に進みでた。
彼女はディーゼルの体に触れ、もう一方の手をジークに向け伸ばしてきた。リムルの手をしっかりと握って、ジークはジェニファーの柔らかなその手に触れた。
その瞬間――周囲の光景が瞬時にして切り替わった。