狂気の虎
「ようっ……ガルーダじゃねぇか」
背後から掛けられた声に、ジークは驚いて振り返った。
ディーゼルがそこに立っていた。ぎらぎらとした光を目に宿らせて、ジークを見つめている。
その目は、どこかがおかしかった。
ジークのことを捉えていながら、何か別のものを見ているようなのだ。
ジークは本能的に後じさろうとして、カプセルの縁から転げ落ちた。
「なんだよ? 俺様がわからねぇのか、ガルーダよ? まあ無理もねぇか、俺様はこんな体にされちまったからなぁ」
そう言って、にっと牙をむいてみせる。
ジークの聞き間違いではなかった。
この男は、二度もその名前を口にしたのだ。ジークの父親の名前を――。
「な、なんで親父の名前を知っているんだ……?」
「しかしおめえは変わらねぇな……あれから20年も経つっていうのによ。まるで昔のままじゃねぇか」
ジークの声は、まるで聞こえていないらしい。
「そこをどけ、ガルーダ。俺様はこれから奴をぶっ殺しに行くところさ。てめえとの決着は、わるいが後回しにしてもらうぜ――」
ディーゼルはそう言うと、ふたたび歩きはじめた。
ジークの脇を通りぬけて、遺跡の入口に向かおうとする。
「ま――」
その先を口に出すためには、大変な苦労がいった。
喉から声を絞り出すようにして、ジークは言った。
「――ま、待てよ。行くっていうなら、オレを倒してからにしろ」
ディーゼルは立ちどまった。顔に歓喜を浮かべて、振りかえる。
「そう言うと思ったぜ。てめえならなッ――!」
巨体が動いた。
ショルダー・タックルを受けたのだと気づいたときには、ジークは空中に跳ねとばされていた。
10メートルも宙を飛び、石柱のひとつに背中から激突する。
「ぐはっ――」
息が洩れた。ずるずると崩れ落ちる体を、支えることができない。
「立ちやがれ――ガルーダ。てめえの力はそんなもんじゃないはずだ」
「ガ…、ガルーダじゃないって……言ってるだろうが」
ジークは立ちあがった。
いまので何本か肋骨を持っていかれたようだ。喉元に血の塊がこみあげてくる。
「そうだ――それでいい。昔みたいに楽しもうぜ!」
自然体で立っていたディーゼルの巨体が、一瞬にして目の前に迫る。
今度は避けることができた。ジークの身代わりとなって、石の柱が粉々に砕け散る。
横っ跳びにジャンプしながら、ジークはレイガンを抜いていた。
空中姿勢から、3連射。
首筋と背中、そして脇腹に、青いレーザーが命中する。
「てめぇ……なんのつもりだ?」
怒りを双眸にたたえて、ディーゼルは振り返った。
生身の部分を狙ったはずが、まるで効いていないらしい。
ジークはふたたび引き金を引き絞った。今度も3連射。
3条のレーザーはディーゼルの脇をいったん通りすぎてから、その軌跡を大胆に変化させた。
背中に突き出している排気管に、狙いたがわず侵入する。
ぼん――と、ディーゼルの体内から小さな爆発音が響いた。ディーゼルは目を見開いた。
口と両耳から、紫色の煙が立ちのぼってくる。
煙の塊をひとつ吐きだして、ディーゼルは言った。
「ガルーダ、てめえ――なめてやがるのか? そんな軟弱な攻撃で、俺様が倒せると本気で思ってるのか?」
距離を取ったまま、ジークは無言で立ちつくしていた。
ディーゼルは怒声を張りあげた。
「いまのへろへろ弾丸は、なんだと聞いている! 俺様を倒すつもりがあるなら、もっと気合いをいれろっ! 気合いだ、気合いっ!」
ディーゼルは吠えた。
メタル・ボディの胸元を、どんと叩いてみせる。
「ここだここっ! ここを狙ってきやがれっ!」
レイガンを握るジークの手は、小刻みに震えていた。
もう片方の手を添えて狙いを定めようとするが、震えはとまらなかった。
いまこの場所に立っている理由を、ジークは胸のうちに呼び覚ました。
遺跡に〝鍵〟を掛けるとか、〝邪心〟が解放されるとか――そんなことを聞かされても、なんの現実感もありはしない。
カンナたちの姿が脳裏に浮かぶ。
確固として動きようのない理由が、ひとつだけあった。そのひとつだけで、ジークには充分すぎるほどだった。
胸に下げたペンダントが、まばゆく輝きはじめる。銃と自分が一体になる高揚感――確固たる自信が、銃から腕を通じてジークの心に流れこんでくる。
その銃は、作られてからいままで、あらゆるものを撃ち抜いてきた。貫けないものなど、ありはしない。
――守りたいものがあるんだ。力を貸してくれ。
手の中のレイガンに、そう語りかける。
手の震えは、いつのまにか止まっていた。
ジークはトリガーを引き絞った。
まっすぐに――青い光条が伸びてゆく。その光はディーゼルの左胸を貫いた。
「ぬおっ……」
ディーゼルがうめき声をあげた。首がうなだれ――そして再び持ちあがる。
「へっ、いい一撃だったぜ。だがなっ――!」
ディーゼルの豪腕が伸びる。
逃げることは、かなわなかった。
ジークの頭部を手に握ると、ディーゼルは腕一本で、その体を宙に吊りあげた。
「俺様の体にゃ、心臓なんてもんはねぇんだよ! 奴に改造されてからなぁ!」
指がぎりぎりと絞めあげてくる。ジークは自分の頭蓋がきしむ音を聞いた。
「おじさま、やめてー!」
聞こえてきた声に、ジークは赤く染まりはじめた目を向けた。
「リム……ル?」
遺跡の前に着陸したVTOL機。そのハッチから飛び出したリムルが、こちらに向かって走ってくるところだった。
「おじさま! そんなことしないで! ジークをはなしてぇ!」
涙声で訴えながら、リムルはディーゼルの腕にすがりついた。
「ええい、邪魔だっ!」
腕のひと振りで、リムルの体は軽々と宙を飛んだ。
石柱の一本に激突する。べちゃりと、濡れ雑巾を叩きつけたような音が響いた。
「リム……ル!」
リムルの体は数秒ほど石柱に張りついていたが、やがてぼとりと地面に落下した。まっ赤な染みが、石柱の表面に残っていた。
「貴…様、貴様ぁ――」
ジークの心に、いまはじめてディーゼルへの憎悪がわき起こった。
ざわり――と、髪が騒ぐ。胸のペンダントの放つ輝きに、黒く禍々しい色彩が混じりはじめる。
「だめ……だよ、ジーク。ぼくなら、へ、平気だから……」
石柱に手をついて体を支え、リムルは立ち上がろうとしていた。
片方の腕と片足が、奇妙な形にねじ曲がっていた。白い骨が皮膚を突きやぶり、体のあちこちから飛びだしているのが見える。
「おじ…さまも、ジーク……も、やめて……」
壊れた体を引きずるようにして、一歩一歩、リムルは歩いてきた。
「だめ……だよ、ふたりとも……正義の味方なんだよ。戦っちゃ……だめだよ」
「リム…ル、来るな……。こいつはお前の知ってる、やつじゃ……、ない……」
ジークは声を絞り出した。
いくら力をこめても、ディーゼルの手は離れない。
「おじ……さま、やめよ……ねっ?」
リムルは血まみれの体で、ディーゼルの腕にすがりついた。
「うるせぇ――消えろ!」
ディーゼルの手が、ジークの頭を離した。
そしてその手は――指先をそろえた貫手となって、リムルの体に打ちこまれた。
血がしぶいた。
「リムルーっ!」
太い腕が、リムルの胸を貫いていた。
「おじ……さま」
リムルの瞳には、まだ光が残っていた。
自分の胸を貫いたディーゼルの腕に、小さな手をそっと重ねる。
「おじさま……は、せいぎ…の、かい…ぞくさ……ん、だよ……ね」
ディーゼルの表情に、かすかに正気の影が浮かぶ。
ずるりと、リムルの体から腕が引き抜かれる。血まみれの小さな体は、力つきたように大地に倒れた。
「リム……ル……」
ジークは地面を這いずって、リムルの体に手をかけた。
「リムル……リムルっ!」
叫びつづけるジークをよそに、ディーゼルはその場に立ちつくしていた。血まみれになった自分の手だけを、じっと見つめている。
「俺はッ、俺様は……」
その手で頭をかきむしる。喉の奥から、咆哮がほとばしった。
「うお――うおおぉ! 俺は――俺様はッ!」
ディーゼルの体から、黒と黄色のオーラが噴きあがる。
ジークは渾身の力をふるって、リムルのうえに覆いかぶさった。
ディーゼルから噴きでる力は、とめどなく増大していった。大地が――あらゆるものが、エネルギーの奔流のなかに飲みこまれてゆく。
リムルをかばいながら最後の瞬間を待つジークは、ふと、自分の背中を包をこむ柔らかな感触に気がついた。
暖かく、そして限りなく優しいその感触は、どこか懐かしさを覚えるものだった。
そしてすべてが消失した。




