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星くず英雄伝  作者: 新木伸
EP2「パンドラの乙女」  第三章 狂気の英雄
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宇宙空間

『もうこのっ! ちくしょう! このドスケベっ! やめてよっ! 来ないでったら!』


 レーザー回線からアニーの声が聞こえてくる。

 ジークは自分を狙ってくる1機の戦闘機を片付けると、レーダー画面に目を凝らした。

 友軍機の青いマークの周りを、無数の赤いマークが取り囲んでいる。


 ――くそっ!


 声のひとつもかけてやりたいところだが、フルオロ・カーボンの溶液に肺の中まで浸されていては無理な相談だ。


 戦闘が開始されてから判明したことだが、アニーの機体は2系統の加速度緩衝システムのうち、片方が故障していた。

 コックピットの水槽内に溶液が出てこなかったのだ。


 通常のGキャンセラーしか作動していない。

 そのために、どの方向にも最大50Gという球形戦闘機本来の性能を生かしきれていないのだ。


 この状態では普通の戦闘機と、なんら変わるところがない。


 戦況は圧倒的不利だった。『ファニージュエル親衛隊』からの援護はあるものの、100の艦船からそれぞれ数機ずつの艦載機が出撃してくる。多勢に無勢だ。機体の性能がいかに違っていたとしても、ひとつの相手にわずかばかりの手間をかけただけで、分厚い包囲網ができあがってしまう。


 ジークはスロットルをリミッターいっぱいまで押し込んで、アニーの救援に向かった。


 すれ違いざまに1機を落とし、すれ違ったあとからも、もう1機を撃ち落とす。

 〝前〟という定められた方向を持たず、向きを変える必要のない球形戦闘機だからこそできる芸当だった。主翼だの尾翼だのといった余分な慣性質量をぶら下げている機体ではこうはいかない。


 敵の戦闘機群はジークの狙い通りに動いた。

 アニーを囲んでいた機体のうち、半分ほどがジークを追ってくる。包囲網に開いた穴からアニーが抜けだしたことを確認して、ジークはスロットルをMAXの10パーセントまでに緩めた。追いかけてくる連中と差が開きすぎてはならない。


 追ってくる数は、およそ10ほど――。

 その連中を引き連れたまま、気流図に印の付けられたエリアまで誘導してゆく。


 ――よし、いるいる。


 コックピットの全照明を一瞬だけオフにして、悪霊の流れを心の目とやらで視認する。淡い輝きを放つ悪霊の群れに向けて、ジークはまっすぐに突っこんでいった。


 胸元のペンダントを握りしめ、心を集中させる。


 この機体のことは、隅々まで知りつくしていた。扱い慣れた機体だ。子供のころから何度となく乗りこんで、ボルトのひとつひとつ、電気配線の1本1本までを思い浮かべることができる。


 ペンダントから発せられた白い輝きが機体を包みこむ。慣れ親しんだ機体とジークの心が通いあう。


 その直後、悪霊たちが襲いかかってきた。


 ジークの乗った《ファイアー・ボール》は悪霊たちが接触することを許さなかった。ジークのペンダント――《ヒロニウム》から発せられた白い輝きは、機体全体に行き渡っている。


 だがジークたちを追いかけていた10機の戦闘機は、そうではなかった。

 悪霊たちの流れに飛びこんでいった戦闘機は、同じ進路と加速を保ったまま、ただまっすぐに飛びつづけていった。劇的な反応は何ひとつ起こらないが、戦闘不能に陥らせたことは変わらない。


 ジークは球形戦闘機特有の動きで、加速の方向を瞬時に切り替えると、《サラマンドラ》ヘと進路を取った。


 戦場に取り残された《サラマンドラ》は、いまや海賊たちの格好の標的となっていた。


    ◇


 演説にも似たドクターの〝講義〟は、なおもつづけられていた。


「先史パンドラ人たちの文明レベルは、想像もつかぬほどの高みに到達していたと思われる。その長い歴史と代謝速度による感覚時間から計算すれば、技術テクノロジー面にも精神面でも、現存するどんな恒星間種族も問題にならんほどの水準に達していたことだろう。だが彼らはそれに満足せず、さらなる高みを目指そうとした。みずからの精神が内包する、ある本能的衝動を克服しようとしたわけだな」


「ねえおじちゃま、ほんのーてきしょうどーって、なぁに?」


 いまはカーミラという名前のカンナが、ドクターに聞く。

 ドクターは水差しの水を飲んでから、先をつづけた。


「攻撃本能、闘争本能――我々がそう名付けているものだよ。生物に普遍的に備わっている本能だ。彼らはこれを克服しようとした。生物の原罪ともいうべき特質をみずからの科学力で脱ぎ捨て、真の理性を持った生物として生まれかわろうとしたのだな。そしてこの惑星パンドラは作られた。忌むべき〝業〟を封じこめるための場所として――」


「ねぇおじちゃま、パンドラじんさんたち……そのあと、どうなっちゃったの?」


「愚かなことに、彼らは知らなかったようだな。生命体に、理性など不要だということを――。行動原理となる本能的欲求を失った彼らは、恐るべき短期間で滅亡してしまったよ。生きる気力を失って、ただの水へと退化していってしまったのだ」


「そのひとたち、もういないのぉ?」


 カンナが泣きそうな声あげる。

 誘導されていると気づきもせず、ドクターは熱心な生徒を持った教授の情熱で熱弁を振るいつづけた。


「200年前、わしはこの惑星の海で、先史パンドラ人の生き残りを発見した。能動的な活動を何ひとつできずに、ただ海原を漂うだけだった連中に、わしはプログラム命令という名の本能を与えてやった。おかげで彼らは順調に増えつづけているよ」


「そのひとたち、どこにいるのぉ?」


「現在は、ある人物の体内に濃縮された状態で生存しているよ。彼女――それとも彼と呼ぶべきか。リムルという人物の体内に存在する水分は、その100パーセントすべてが、先史パンドラ人であるのだよ」


「どうしてですの? どうして――そんなひどいことを?」


 エレナの声に、ドクターは意外そうな顔をした。


「ひどい? そんなことを言われるのは心外だな。そうしてくれと頼んできたのは、当時パンドラにいた人々のほうだぞ。支配から逃れるための力を望んでおったから兵器を貸したのだし、女しか生きられぬこの惑星ほしで子孫を残す手段を求められたから、与えてやったまでだ。人の性遺伝子を書き換える機能をポリ・ウォーターに与えるのには、数行ほどのコードを付け加えるだけで済んだ。なに、たいした手間ではなかったよ」


    ◇


 無人の《サラマンドラ》は、激しい攻撃にさらされながらも、ゆっくりと後退をつづけていた。

 海賊艦隊はそれを追うようにして進軍をつづけている。


「ちくしょうめ。やつらキツネ狩りでもしてるつもりか?」


 海賊艦隊の動きには余裕がうかがえた。

 誰がしとめるか賭けでもしながら、射撃を楽しんでいるに違いない。自分の船がボロボロにされてゆく様を見るのは、船長として断腸の思いだ。


『あーあ……、せっかく直したばかりだっていうのに』


 アニーの乗る《アイス・ボール》も、ジークのとなりで待機していた。

 いくらかは被弾しているようだが、それでも無事に乗りこえることができた。


「もうすぐだ。もうすぐ……」


 ジークたち2人は、すでに戦闘空域から遠く離れていた。

 そうしないと巻き添えを食らう怖れがある。


『あっ――始まるよ、ジーク』


 アニーに言われ、ジークはコックピットを覆う装甲をオープンさせた。

 透明なキャノピー越しに、周囲の光景が肉眼で見えるようになる。モニターを通しては視えなかった幻想的な光景が、そこに広がっていた。


 薄紫色の輝きを放つ巨大な塊が、遠くに視えていた。発光するガスの流れのように、光の流れが何条もそこから吹きだしている。


 気流図に記された中でも最大級の、悪霊の〝巣〟だった。


『だけどおかしなもんよね。こんなもんが視えてるっていうのに、誰ひとり気づきもしないで戦闘を続けてるんだから……』


 アニーがしみじみと言った。

 現代の宇宙戦闘は、レーダーを目とする電子戦が基本だ。外部の映像を見る場合でも、カメラによる画像が使われる。外の光景を肉眼で見る機会など、そうそうありはしないだろう。


 すでに《サラマンドラ》は、巨大な悪霊の塊の内部に入りこんでいた。

 悪霊が作用する相手は、生命体の精神のみである。どれほど巨大な悪霊であっても、無人の船には何の影響も与えることはできない。《サラマンドラ》を無人にしたのは、このためだった。


 先頭の船から次々と――海賊船は悪霊の中に飛びこんでいった。爆発もなにも起こらない。


 船よりも太い悪霊の流れがひと撫でするだけで、静かに沈黙してしまうだけだった。


 乗員は気絶したか、それとも瞬時に発狂したか――。

 悪霊たちに魂を連れてゆかれてしまったのかもしれない。


 後続の船も、相次いで悪霊の中に飛びこんでゆく。最後の1隻が、淡い光にまといつかれて静かに沈黙する。


 最後の最後まで、ただの1隻も気づくことはなかった。


「さあ、アニー……これから大仕事だぞ。1隻1隻、とどめを差していかないと。まず《サラマンドラ》にもどって、推進剤を補給して、それから――」

『ちょっと待って、ジーク……あれ』


 アニーの目が何を見ているの、ジークにもすぐにわかった。悪霊の中に飛びこんでも活動をつづけている船が、1隻だけあったのだ。


「あれだ……やつの船だ」


 その艦影を見つめながら、ジークはつぶやいた。


    ◇


 うわべは穏やかな雰囲気の会話ではあったが、ひと皮剥いたその下には張りつめた緊張が漂っている。

 気づいていないのは、揚々と講義をつづけるドクターひとりだけだった。


 3人の秘書たちが、いつドクターに進言するか――誰もが気が気ではない。


「ところでドクター? ディーゼル――という名前の方に心覚えは?」


 エレナは新たな話題をドクターに持ちかけた。

 必要な情報はあらかた聞き終えている。これが最後の質問だった。


「ディーゼル? ディーゼル……はて、誰だったかな? すまんな。なにせ300年も生きておるもので、覚えたことを思いだすのがひと苦労なのでな……。はて、誰だったろう? うーむ――知っておるかね、ジェニファー?」


 側に控えている美女に、ドクターは目玉を向けた。


「さあ――わたくしたちがドクターのお側にきたのは、つい最近のことですから」

「おっと、そうだったな……。ディーゼル、ディーゼル……うーむ、わからん」

「なにか……、ディーゼル・エンジンを体に埋めこんだサイボークということですけど」

「おお! 被検体28号のことか! そうならそうと早く言いたまえよ、君」


 ドクターは、ぽんと手を打ちあわせた。


「あの体はわしの傑作のひとつだぞ。まさしく究極のサイボーグ体だ。機械と生体との融合組織やら生命維持機構やら……面倒でかさばるものを思いきって省略した結果、これまでにない高性能を達成できたのだ。なんと5000馬力だぞ、5000馬力」


「あらまあ……そんなことをして、生きていられるものなんですの?」

「まあ普通なら、すぐに死ぬな。なにしろ心臓も摘出してしまったからな。だからこそやつが必要だったのだ。常時《ダーク・ヒーロー》の力を発動させ得るという、特殊な被検者がな」


「あのぅ……、もちろんその方には、了承を取っていらっしゃるわけですよね?」


 おそるおそる、エレナは訊いた。


「無論だ。やつはライバルに勝つための力を欲していた。深層意識の根底でな。表層意識のほうはどうだか知らんが、やつの真の願いはまさしくそこにあったのだ。わしが与えたのは、そのための力だ。なにも問題はあるまい」


「いまその方が、こちらに向かっていらっしゃるところですわ。ご存じですかしら? その方……ドクターのことを、ひどく怨んでいらっしゃるんじゃないかしら」


「わしを怨む? なぜかね?」


 ドクターは大きな眼球をいっぱいに見開いた。

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