ドッグファイト
狭苦しいコックピットの中で、ジークは手足を縮めるようにして機体を操っていた。
2241年型。球形宇宙戦闘機――『FB‐32・ライトニング』。
かつての銀河大戦時には、最強の有人戦闘機として名を馳せた往年の名機である。
前後の区別のない完全な球形という斬新なデザインが、当時話題を呼んだものだ。
《サラマンドラ》にはこの機体が2機だけ搭載されていた。
昔はもっと数があったのだが、他の機体の補修パーツとして1機ずつ食い潰されていった結果、2機だけが生き残ったのである。
「そっちはどうだ? アニー? 動いているか?」
『動いているって聞かれたら、そりゃ答えはイエスよね』
調子はどうだ、とはあえて聞かなかった。
170年も昔の機体だ。動作すること自体、奇跡に近い。
《ファイアー・ボール》にはジークが。《アイス・ボール》にはアニーが乗りこんでいる。2機の戦闘機と《サラマンドラ》のあいだには、レーザーによるリンク回線が結ばれている。
どんな機動を行っても、通話が途切れることはない。
モニターにちらりと目を向けて、ジークはすぐに目をそむけた。
アニーはちょうど下着を脱いでいるところだったからだ。
高機動を行う機体の常として全裸でコックピットに乗りこむ必要がある。
高Gのかかる機体のコックピットは水槽のような構造になっている。
フルオロ・カーボン溶液を満たして、Gキャンセラーで中和しきれない突然の加速度を緩和するためだ。
『ジーク――連中、そろそろ動きだすみたいよ』
アニーの声に、ジークは自分もレーダー画面を見た。
総数240隻による海賊艦隊は、集結を完了したらしい。それぞれの船がばらばらに加速をはじめていた。
これが通常の艦隊なら旗艦の合図を受けて一斉に動きはじめるところだが、海賊の寄せ集めにしかすぎない連中に〝統制〟などという言葉はない。
連中が気にすることがあるとすれば、それはただひとつ。
キャプテン・ディーゼル――〝虎〟と呼ばれた男がどう動くかということだけだろう。
「アニー、どれがやつの船か、わかるか?」
『ううん……だめ、わかるわけないよ』
はなから期待はしていない。
戦闘が始まれば区別もつくだろう。
「よし、やるぞ――まずは作戦1号からだ」
『えっえっ? なによ1号って? 作戦って……いくつもあったの? あたしひとつしか教えてもらってないよ?』
モニターの中のアニーは、驚いたように顔を向けてくる。
ジークは恥ずかしげに顔を伏せた。
「その……さ、『ファニージュエル人質作戦』 っていうんだけど……」
『ファニージュエル人質作戦ぅ? なによ、それ?』
思ったとおり、アニーは疑わしげな顔をする。
「いいからやるぞっ! そっちも全周波で電波を出してくれ。最大出力だ。オレの声だけ、全艦隊に向けて中継する。いいな?」
『わ、わかったわよ……』
ジークは小物入れの中から、銀色のリングを取りだした。
ここしばらくはしまいこんでいたが、|《海賊島》で大いに役立ったあの人工声帯だ。
口の中にほうりこみ、飲みこむ途中で喉元に引っかける。
ジークは大きく息を吸いこみ、それから叫んだ。
「きゃああぁーっ! いやぁーっ! やめてぇ――ッ! ああぁ――っ!」
ファニージュエルの悲鳴は、電波に乗って響きわたった。
ぺっと、声帯リングを手のうえに吐きだす。
「ヘーっへへへぇッ! 俺様は宇宙海賊キャプテン・ジークってもんだぜっ! やいやい! てめえらっ! このファニージュエルってぇ女は、俺様が預かってるぜ! この女の命が惜しいヤツぁ、いますぐ船を止めやがれ! さもねぇと――」
悪ぶった声でそう言ったあとで、すぐリングを口に放りこむ。
「いやぁーっ! そんなことしないでっ! いやっ! 来ないでっ! いやっ、お母さまぁ!」
ふたたびリングを吐きだす。忙しいこと、このうえない。
「どうだっ! 聞こえたかっ! いいかっ! てめえら1メートルでも動きやがったら、この女に俺様の大砲をぶちこんでやるからなっ!」
またリングを飲みこむ。
「いっ――いやっ! それだけはやめてっ! そんなもの近づけないでよ! いやあっ!」
一気にそれだけを叫ぶと、ジークはぷつりと放送を切った。
モニターの中で目を丸くしていたアニーだったが、しばらく経ってから、ようやく口を開いた。
『宇宙海賊キャプテン・ジークう? 俺様の大砲ぅ? よくも言えるわね。どの口よ?』
「どうだ? 停止した船の数は? どのくらい効果があった?」
ちらりと手元を見て、アニーは答えた。
『信じられないけど――30パーセントってとこね』
「それっぽっちか」
ジークは舌打ちした。
「仕方ない。零号作戦を始めるぞ、アニー」
『はいはい……』
ジークはコンソールからコマンドを打ちこんで、《サラマンドラ》に指示を与えた。
ステルス・フィールドを張って待機していた《サラマンドラ》が、無数のミサイルを空間にばらまく。
つぎつぎと点火したミサイルが、先陣を切って加速してくる海賊船に襲いかかる。
『やったぁ!』
「まだまだだ……ほら、やっぱり来やがった」
何も見えない空間に向かって、一部の船から反撃が行われる。
『どうして? なんで見つかっちゃうの? 姿を隠してるのに!』
「あれだけの船があれば、質量探知器を持ってるやつらがいてもおかしくない。やつらにゃ見えてるんだよ」
回避コマンドを打ちこんで自動回避を行わせるが、さすがに反応が鈍い。
アニーが乗っていれば易々と回避できる程度の攻撃に《サラマンドラ》は簡単につかまってしまった。
ミサイルが直撃し、レーザーが装甲を蒸発させる。
幾度目かの直撃を受けたとき、《サラマンドラ》の姿は唐突に空間に出現した。
「くそっ……ステルス・フィールドが壊れたか!」
ジークは歯噛みした。
しかしまだ〝策〟が失敗したわけではない。つぎのステップヘの移行が、若干早まっただけのことだ。
『ねえ、作戦2号もやらないの?』
「作戦2号? なんだそりゃ? そんなもん用意してないぞ?」
ジークは言った。
『やっぱりにわか女はだめね、男を利用するつもりなら、とことんまでやらなきゃ。いい? こうするのよ――』
アニーの絶叫が、電波となって敵艦隊に投げ付けられる。
『いやぁぁーっ! ジュエル様ぁ! ああっ! ジュエル様がぁ! ジュエル様が鉄骨の下敷きになって………足を挟まれてぇ! このまま攻撃がつづいたら、ジュエル様が死んじゃう!誰かっ! 誰かジュエル様を助けてあげてぇ! おねがいーっ!』
そこまで叫び、アニーはぷつりと放送を切った。
『まっ、こんなもんでしょ――』
「おいおい、いったい何を――」
言いかけて、ジークは言葉を止めた。
先程の放送で停止していた30パーセントの海賊船が、仲間の船に向けて発砲をはじめたのだ。
もっとも――海賊同士の寄り合いに、〝仲間〟という言葉があるか疑問ではある。
《サラマンドラ》に攻撃を加えていた連中は、背後からの突然の攻撃に不意をつかれた。
何隻かはあっさりと撃沈される。戦場は混乱の極みと化した。
「よしアニー、オレたちも出るぞ。《サラマンドラ》の支援にはいる」
『了解――』
2機の球形戦闘機は、プラズマ噴射の光芒を曳きながら戦場に飛びこんでいった。
◇
「限定的にではあるが、わしは悪霊の物性を解明したことになる」
部屋の中を左右に歩きまわりながら、ドクター・サイクロプスは淡々と語った。
「ヘー。おじちゃまって、すごいのねー」
子供の口調でカンナが合いの手をいれると、ドクターはみるみる得意げな顔になった。
「ふむ。そうであろう。悪霊の本質は《ヒーロー》の力とおなじく、精神的な次元で働いているものと推測される。すなわち、機械には計測不能だ。人や生物――自意識を持つものだけが、これを視ることができる。目という視覚器官ではなく、精神で直接な」
異形のメカが立ちならぶ遺跡の一室を、ドクターは自分の研究室として使っていた。
奇怪な染みのついた実験用の机を応接テーブルとして、エレナたち3人はドクターの歓待を受けている。
部屋の隅には、あの3人の秘書たちが立ったままで控えていた。
彼女たちは主人の命令を実行する忠実なる僕だった。丁重にもてなせと言われればそうするし、首をかき落とせと命じられれば即座に実行するのだろう。
ビーカーに入ったコーヒーをすすり、エレナは聞いた。
「それで、こんなところで……ドクターはどんな研究をなさってるんですの?」
「よくぞ聞いてくれた!」
バレーボールほどある巨大な眼球をぎょろりと動かし、ドクターは得意げに話しだした。
「この200年――わしが地道な努力によって準備してきたものが、ようやく実を結ぼうとしている。人類がいまだ手にいれたことのないような、巨大な果実ぞ。いやそれどころか、銀河のあらゆる恒星間種族にとっても巨大な果実であることは間違いない。これであの石頭のミミュール人や、非論理的でくそ食らえの伝統文化をわしに押しつけるゲドガウス人らの鼻を明かしてやれるな、はっはっは」
公的には、人類以外の知的生命体はいないことにされている。
古代異星人の遺跡が見つかるばかりで、その本体とのファースト・コンタクトは一度も行われていない。
人類が宇宙に乗りだしてから400年にもなるが、人類以外の知的生命体はいまだに発見されていないのだ。
真の事実はともかくとして――公的には、そういうことになっている。
「それでドクター、その果実ってなんのことですの?」
「もちろん、このパンドラに眠る超密度情報体のことである。君らもこの惑星に来たときに見ているはずだが……?」
「あら、悪霊のことでしたのね」
「悪霊……?|《宇宙気流》のことかね? いやいや、あれはこのパンドラの磁場に引き寄せられただけのものにしか過ぎん。たかだか100億人かそこら――わずか数十年の人生における経験記憶の集合体だ。この惑星に封じられているものは、そんなちっぽけなものではないのだよ」
「――と、おっしゃられますと?」
さすがに、エレナの顔色も変わる。
となりに座るカンナのほうは、何食わぬ顔でオレンジ・ジュースをストローで吸っている。
「いまを去ること、百数十億年――。銀河の歴史にも記録が記されていない遥かな太古。その銀河創世期に、ひとつの種族が存在していた。彼らのことは、仮に先史パンドラ人とでも呼ぶことにしよう。彼らは他に類を見ない代謝をおこなう肉体を有していた。我々のような炭素系でもなく、さりとて珪素系というわけでもない。さて、彼らはどんな体を持っていたと思うかね?」
「なぞなぞですの? さあ……わたくしには、ちょっとわかりかねますわね」
「水だロ? 純粋な水だけで構成される水の高分子生物だロ」
答えたのはカンナだった。
ドクターは出来のいい生徒に向ける顔で笑いかけた。
「正解ではないが、いい答えだな。純粋物質による単分子生物というのは正解だ。だが宇宙創世時代、彼らの体を構成していたのは、当時唯一存在していた水素分子だったのだ。彼らは大いに繁栄をした。一時期には、銀河系の全質量のうち80パーセントまでもが、彼らの肉体として使われていたらしいというから大変なものだ。まあ後の世には、恒星の活動によって銀河が汚れ、純粋な水素が少なくなってきたために、彼らも水分子という鈍重な肉体に移らざるを得なかったようだが」
「それで……この惑星に封じられているというのは?」
喉の渇きを覚えてか、エレナはコーヒーをロに持っていきかけ――その手を止めた。
「そのコーヒーに使っているのは、ただの水だよ。心配せずに飲みたまえ。この惑星に封じられてるのは、彼ら先史パンドラ人――偉大なるポリ・ウォーター種族の記憶の一部だ。このパンドラという惑星を、巨大なメモリーバンクだと考えたまえ。この惑星パンドラは、彼らポリ・ウォーター種族に作られた人工の惑星なのだよ」