パンドラへ
「ジークとやら……リムル様を連れ戻してくれたこと、大儀でありました」
その女性は、アルテミスと名乗った。
まだ30代のなかばくらいだろうか。張りのある美しさを保っている。
パンドラの統治者は、若く美しい女性だった。
もっとも、この惑星には女性だけしかいないわけだが――。
彼女は法王という肩書きに相応しい服と精緻な細工のはいった冠を身に着けていた。
だが漂う品格は、けっして装飾品のせいではないだろう。
このアルテミスに限らず、パンドラの女性たちは、皆が皆、どこか似たような雰囲気を持っていた。
常に背筋を伸ばし、落ちついた物腰と持って回った物言いが離れない。
この執務室まで案内されるあいだに出会った衛士の女性たちも、そんな雰囲気を放っていた。
「ゆっくりと休まれるがよいでしょう。あなた方は大切な恩人。この惑星にいるあいだは、なにひとつ不自由はさせません。パンドラの民の誇りにかけても」
「だから海賊たちが狙っているのは、ドクター・サイクロプスって科学者ひとりなんだよ!」
ジークはついにしびれを切らした。大声で叫ぶ。
その声にも動じることなく、アルテミスは静かに言った。
「さあ……存じませんが?」
「ウソだよ! アルテミス、うそついてる! いるもん! さいくろぷすって悪いやつ!」
騒ぎ立てるリムルに、アルテミスは顔を向けた。
水晶のように澄んだ瞳に見つめられ、リムルは言葉を口にこもらせた。
「だって……だって、いるんだもん」
アルテミスはため息をつくと、諭すようにリムルに声をかける。
「リムル様……あの方は、このパンドラのすべての者の大恩人、救国の英雄なのですよ? あの方がいらっしゃらなかったら、私たちはいまここに、こうやって存在していることはできなかったのです。それをそんなふうに悪く言うのは、許されないことです」
「だってだって……」
うつむいて泣きそうな顔のリムルにかわって、ジークが話を継いだ。
「やっぱり、いるんだな?」
「ええ、いらっしゃいます。ですがあの方は、大切な研究の最中とのこと。何人たりとも邪魔をさせるわけには――」
ジークは苛ついた声をあげた。
「その研究がどんなものか、あんたたちは聞かされているのか? この惑星を破滅に導くようなことを企んでいるかもしれないんだぞ!」
「そんなはずはありません。それに――たとえそうだったとしても、あの方が望むことなら、私たちはそれで構わないのです」
「それはあんたひとりの意志じゃないのか?」
「いいえ、皆の――この惑星いる全員の意志です。嘘だと思われるなら、誰にでも聞いてみればよいでしょう」
アルテミスはきっぱりと言い切った。
取り付く島もないとは、このことだ。
「どうしてもあいつを庇うつもりか? 大艦隊があいつを狙ってやってくるんだぞ。200隻からの大艦隊だ!」
「ご警告には感謝いたします。でもご心配なく。通信での連絡を受けたときから、準備はすすめておりますので」
「あんたたちに何ができるっていうんだ!」
だがジークは食い下がった。
ろくな産業も持っていない、こんな辺境の惑星に、大国の軍事力にも匹敵する艦隊に立ちむかえる力があるとは思えない。
パンドラの人口は、たったの5万人しかいないというのだ。
それは国と呼べるような規模ではない。
「やつと心中するつもりか? あんたも一国の指導者なら、すこしは国民のことを考えて――」
「――いいえ」
ジークの言葉をさえぎって、アルテミスは毅然と言った。
「心中だなどと、畏れ多い――わたくしたちは、あの方の盾となる所存です。最後のひとりが倒れて、このパンドラの土となるまで」
「なっ――」
ジークは言うべき言葉を見つけられなかった。
どれほどの恩義があるのか知らないが、常軌を逸している。
聞きわけのない相手にたいして、どうにも抑制できない怒りがこみあげてきた。
「ああ! わかったよ! オレたちはオレたちで、勝手にやらせてもらう! いいか! オレたちの邪魔だけはするんじゃないぞ! ぶっ殺すぞ!」
アルテミスの冷たい美貌に捨て台詞をぶつけて、部屋を出る。
「ちょ――ちょっとジーク!」
成りゆきを見守っていたアニーたちが、あわてて追いかけてくる。
床を踏み抜きかねない勢いで、ジークは廊下を足早に歩いていた。
「ちょっと待ってったら! ねえってば! ねえっ!」
「なんだよ!!」
足を止めて、アニーを怒鳴りつけた。
「どっ――どうしちゃったのよ? なんか変だよ、ジークってば……?」
「なにも変じゃない! あの分からず屋の女に怒ってるだけだ!」
「それがこの惑星の影響さね」
ゆっくりと追いかけてきたカンナが、ジークに言った。
「なんだと?」
「怒りを静めナってぇーの。オマエさんがいま感じているそいつが、このパンドラで男が生きていけない理由――そしてここが呪われた惑星として、流刑地に使われてた理由さね。どんな気分だい?」
そう言われて、シークは自分の心に問いかけた。
この怒りは、どこから来るのか――?
誰彼かまわず喧嘩を売りつけたい気分は、どうしてなのか?
不意に不安が湧いてきた。
自分の心に、自分以外の何者かの感情が入りこんできていることに気づいたのだ。
胸元に下げた《ヒロニウム》のペンダントに手が伸びる。アニーたちから顔をそむけ、壁に手をついてじっと集中する。
ぼうっ――と、手の中でペンダントが淡い光をはなった。
ジークの心を締め上げていた闘争本能が、すうっと立ち去ってゆく。
「もう――だいじょうぶだよ」
顔をあげて女たちを見つめる。アニーが安堵の吐息をもらした。
「よかった……」
「まっ、私ら女だって影響がゼロってワケじゃない。ここにいるあいだは、せいぜい気をつけなきゃナ。男みたいに殺し合いまではしないだろうが、つまらんコトで口喧嘩なんかしたくないだロ?」
「そうね――私たち、仲のいい姉妹だものね」
「エレナ姉さん、そりゃもういいんだってば……」
アニーが緊張をといて、うちとけた笑いを浮かべる。
「ジーク、あんたも……もういっぺん女にもどったほうがいいよ? ねっねっ、そうしよ? またリムルにキスしてもらってさ」
「いいよ、このままで――もうだいじょうぶだから」
「おいアニー、そーゆーオマイがいちばんヤバイんだヨ。精神修養がなってないからナ。ここの女たちを、ちッたァ見習え」
パンドラの女たちに特有の雰囲気が備わっているのは、心に忍びよる情動を制御するためではないのだろうか。
ジークはふと、そんなことを考えた。