夜道
「ほんとにいいのかよ? 俺なら全然かまわないんだぜ?」
「やめてよ。娼婦やウエイトレスじゃないんだから。女海賊がそんなことされてごらんなさい、とんだ恥さらしだわ」
夜も更けて、通りにはアウトローたちの姿もない。
ぽつぽつと明かりのついている店は、すべて酒場だろう。
ポーカーに呼ばれていた彼女は、アニーたちと別れてから「Four Digits」へともどっていた。
明け方までは付き合うつもりでいたのだが、疲れているせいか体の調子がどうもおかしい。
小金を稼がせてもらったところで、引きあげることにした。
「いいから、送らせてくれって。物騒なんだよ。あんたを狙っているヤツはたくさんいやがるからな」
「あら、わたしに賞金はかかってないわよ」
「ちげぇよ、馬鹿」
まるで十代の少年のように、ジョンは顔をうつむかせた。
「せっかくだけど、やっぱりやめとくわ。あなたがそのうちのひとりにならないって保証、どこにもないもの。魂胆は読めてるのよ、送り狼さん」
「まいったな」
ジョンは笑った。
「だいじょうぶ、わたしにはこれがあるもの――」
そう言って、腰のホルスターを叩く。
「ブルー・ゲイルか……。しかしあんた。そんなすげえ銃、いったいどうやって手にいれたんだ? どこかの《ヒーロー》でもぶっ殺してきたのか?」
「母さんの形見よ」
本当のところは、母親ではなく父親だった。
さらに付け加えるなら、べつに死んでいるわけでもない。
一生かかっても使いきれないほどの大金を持って、銀河のどこかでのうのうと暮らしているはずだ。
「あんたの母親なら、そりゃあすげえ悪党だったんだろうな。そいでもって、いい女でさ」
「まあね――それじゃあ、見送りありがと」
手を振っただけで、彼女はあっさりと別れた。まだキッスをしてやるような間柄でもない。
宿への道を、彼女は歩きはじめた。
立ちならぶ建物の閉ざされた窓から、わずかな光が洩れだしてくる。道を照らしだす明かりは、ただそれだけだった。
銀河建築法によれば、密閉形コロニーの「夜」には星座を摸した投影が必須とされている。プロジェクターから天蓋に投影された星々が、夜道を照らしだす薄明かりとなる。
この無法の街には、それがない。
人の原初の恐怖を呼び覚ます真の暗闇が、すぐ手を伸ばせば――そこにある。ここはそんな街だった。
一片の影も落ちない土の地面を、一歩一歩踏みしめてゆく。彼女はふと、自分をつけてくる気配に気がついた。
尾行と呼ぶには、大胆すぎた。
相手は気配を隠そうともしていない。
彼女は自分の気配を絶つと同時に、手近な路地にその身をすべりこませた。腰のホルスターから銃を抜き取り、セーフティーをはずしておく。
相手の気配は、しばらくはそのまま歩いてきた。
路地の付近までやってきたところで、気配に乱れが生じる。彼女が消えたことに気づいたらしい。うろたえたあげく、周囲を探しはじめる。
尾行してきたつもりなら、まるでシロウトの動きだった。かくれんぼで遊ぶ子供たちのほうが、いくらかましに違いない。
「もしかして……ギル?」
相手の正体に、彼女はようやく思いあたった。
酸素欠乏症のギルバートとかいう男だ。
「あ……、ああ、おで……。よかった。いなくなったかと、思った……」
「どうしたのよ? ついてきたりして……」
そう言いながら、彼女は銃をホルスターにもどした。
「お、おで……」
「こんなところを歩いてちゃ、あぶないわよ。はやくおうちにお帰りなさい」
いまはこんなザマになっているとはいえ、それでも4桁以上の賞金首だ。
狙っている者がいないとも限らない。そしていまの彼なら、首を取るのは子供でも簡単なことなのだ。
「お、おで……帰るとこ、ない。ア、アラモスのおやじに、おまえもういらないって、そう、いわれた」
「そう……」
彼女はまつげを伏せた。
よくある話だ。海賊には労災保険など存在しない。
「ほかに誰か、頼れる人はいないの?」
「ひとり、いた。さ、さんばんがいの、し、娼婦……。お、おで、いっぱい……、ふくと、ほうせき、かってやった女」
「その人のところには、行ってみた?」
「い、行った……。来ちゃいけない……、で、出ていけって、そう、いわれた……」
「そう……」
彼女は言うべき言葉を探した。
いくら探しても、見つかりそうになかった。
「お、おで、おで――!」
男の力強い腕が、彼女の肩にかかる。
「ち、ちょっと――!」
プラズマ・アックスを自在に扱う怪力だ。あらがうこともできず、建物の壁に両肩を押しつけられてしまう。
「ちょっとやめて、落ちついて――ね?」
「おで! おでっ!」
今度は、ぎゅうと抱きしめられる。
一瞬、背骨が砕けるかと思った。肺からすべての空気が絞りだされてゆく。
「……やめ、やめて」
足をばたつかせた拍子に、片方の足が男の股間に入りこんでしまう。
太股に、固い感触があたった。
「ひィー」
彼女は短く悲鳴をあげた。
男がしがみついてくる理由を、不意に理解してしまったのだ。
男という生き物は、こうなってはもはや止まることができない。それは彼女自身がよく知っている。おそらくは宇宙にいる他のどんな女よりも、だ。
「ちょ、ちょっと――やめて」
押しのけようとしても、力が違った。
非力な女性になった気分を、彼女はたっぷりと味わわされることになった。大の男の腕力に抗することなど、とうてい不可能に思える。
「もうやめて、お願い。あなたのつらいのは、わかるから――」
「お、おで――おでっ!」
泣きながら、男はすがりついてきた。
「い、いやっ! いッ――」
喉まで出かかった悲鳴を、彼女は自分で呑みこんだ。どこの世界に、襲われて悲鳴をあげる女海賊がいるというのか。
宇宙海賊キャプテン・ファニージュエルは、みっともなく悲鳴をあげて助けを求めるような小娘ではないのだ。
彼女は体をまさぐられながらも、自力で脱出する手段を必死に考えようとした。
喉の奥に違和感がある。
引きつった声を何度もあげたせいか、咽頭にはめていた人工声帯が外れてしまったらしい。口の中にこみあげてきたリング状の物体を、彼女はぺっと吐きだした。
これでいい。耳元に吹き込んでやるのだ――男の声を。
「やめて!!
だが叫んだその声は、女の声だった。――なぜ!?
「やめっ! やめて! やめてぇっ!」
彼女はパニックを起こして暴れた。これではまるで女だ。
ごすっ――と、鈍い音が響いた。彼女の自由を奪っていた力が、突如として消え去る。
訳もわからないまま、彼女は男から身を離した。2、3歩ほど歩いて、へなへなと地面に腰を下ろしてしまう。
心臓は早鐘のように打ちつづけ、足腰に力が入らない。
男は、うつぶせになって倒れていた。
背後から後頭部でも一撃されたのだろう。
近くには、もうひとつ気配があった。無言で立ちつくすその相手に、彼女はうわずった声で問いかけた。
「ジョン? それとも……ジルなの?」
「噂の女海賊も、中身はただの女か。たいしたことはないのだな」
闇の中から返ってきたのは、女の声だった。
「――誰っ!?」
弛緩していた精神が、瞬時に緊張する。
ジリオラの声ではない。ましてや、ジョンの声とはまったく違う。
「ご挨拶だな。助けてやった恩人に向かって」
面白がっているような響きが、その声にはあった。
暗闇に溶けこんで、姿は見えない。女であるということが、声から判断できるすべてだった。
「なぜ……助けたの?」
身をかばうように抱きかかえつつ、彼女は訊いた。
自分の体に起きた変化も気にはなるが、いまは目の前の相手が先決だった。
「貴様、〝虎〟のことを探っているらしいな」
――この女は、〝虎〟を知っている。
彼女は直感的に、そう感じた。
声の主はためらうことなく〝虎〟と口にしたのだ。誰もが言おうとしなかった、その名前を。
「嗅ぎまわるのをやめろ。〝虎〟を起こすな」
「それはご親切に」
「忠告ではない。警告だ」
「あら? 起こしたとしたら……どうなるのかしら?」
「惑星のひとつふたつが消えて構わないというなら、やってみるがいいさ」
「なっ、なによ……」
強がってはみたものの、それきり言葉が続かなくなる。
女の言葉が脅しではなく、真実を淡々と語っているように思えたからだ。
「いいか――〝虎〟を起こすな。貴様たちの目的は、あの娘を連れ帰ることだろう?」
「なぜ知ってるの……と言いたいところだけど、おあいにくさまね。彼は男の子よ」
動揺を押し殺して、したたかに切りかえす。
「貴様――パンドラの人間ではないのか?」
相手の声が、わずかに高くなる。彼女はわざと、とぼけた声を出した。
「さあ、どうかしらね」
「……まあいい。これをくれてやる。貴様の目当てはそこにいる。連れ出したなら、さっさと消えろ」
彼女の体に、なにかが命中した。軽い音を立てて転がったところからすると、丸めた紙かなにかだろう。
「待って――」
声の主が立ち去ろうとする気配を察して、彼女は叫んだ。
「なぜ手を貸してくれるの? あなたはいったい何者?」
「貴様は知らなくてもいいことだ」
「正体不明の相手からもらった情報なんて、信用できると思う」
「信用しようがしまいが、貴様の勝手だ。好きにするがいい」
遠ざかってゆきながら、女は言った。
「いいか、もう一度だけ言っておく。〝虎〟を起こすな……」
その足音は、やがて夜の静寂に消えていった。
昨日6/12の19時の更新、うっかり忘れてしまいました。ごめんなさい。