船長との取引
「ええと、こことここにサイン。それからここには船籍証明書の登録番号をお願いします」
すらすらと、言葉が口をついて出る。
男の船長でよかった。今時分、女の船長などめずらしくもないが、女性相手にまたあれが出たりしたら――。
ジークは傍らに目を落とした。
となりにいるリムルは、一挙手一投足を見落とすまいという顔で、ジークと白髪の老船長のやりとりに注目している。
「きみがブラウン船長かね? 若いな……。わしが君ぐらいの年の頃は、デッキにブラシを掛けていたものだが」
差しだされたクリップボードを受け取りもせず、老船長はそう言った。
明らかな挑発だったが、ジークは自然体のままで立っていた。視野の隅で、リムルが拳をぎゅっと握りしめるのが見える。
1秒、2秒――。
効果的な間をはかって、ジークは言った。
「年で仕事をするわけじゃない」
たしか、こんな台詞でよかったはずだ。
カンナのライブラリーで観た古いムービーの主人公が、こんな時、こんな台詞を言っていた。
老船長は帽子の下からじろりとジークを見た。
「思いあがりというものは、若者の特権だな。まあいい、サインだったな――貸したまえ」
クリップボードを受けとって、さらさらと流麗な曲線を描きこむ。
12桁の数字からなる船籍コードも、なにも見ずに空で記入した。
突っ返された書類を、ジークは点検した。なにも問題はない。どこから見ても完璧な受取証だ。
帰り際に悪口のひとつも言ってやろうと、記憶を探りかけたその時――。
電子ベルの音が2つ。
ジークとリムルの腕で同時に鳴り響いた。
「――なんだ?」
ジークは自分の手首を口元にもってきた。通話に応じると、リムルのほうも静かになる。
『やァ、ジーク。まだそッちかい?』
「カンナか。いま書類にサインをもらったとこだ。ところで――あれか?」
『そうそ、アレだわさ。お客さんだヨ』
コミュニケーターに向けて小声で話し込むジークに、船長はうさんくさげな目を向けた。
「まだいるつもりかね? 用件が済んだのなら、とっとと――」
「船長っ!」
ブリッジのクルーの叫びが、船長の言葉を中断させる。
「何だね? 話に割り込むなと、いつもあれほど――」
レーダーの前に座った青年は、切迫した口調で船長の話を中断させた。
「船長っ! かっ、海賊船ですっ! 海賊船がやってきました!」
「ええい、落ち着け! こんなときのために、本船には護衛艦がついているっ!」
老船長はブリッジにいる全員に一喝した。
どこからともなく取りだしたパイプを、口元にさしこむ。
「ご、護衛艦が……本船から離れてゆきます!」
「なっ――!」
口元から落ちたパイプを空中で拾うと、船長はもういちどくわえ直した。
「ご、護衛艦に呼びかけてみろ……」
マッチを擦って火をつけようとするが、震える手のおかげでなかなかうまくゆかない。
「だめです! 呼びかけに応じません。どんどん加速して離れてゆきます……あっ!」
「ど、どうした?」
「護衛艦が……、護衛艦がジャンプ航法に入りました。3隻とも……」
船長の口から、今度こそパイプが落下する。
「それじゃ、オレたちはこれでっ! さいならっ!」
床を転がるパイプを踏まないようにして、ジークとリムルのふたりは通路へと転がり出た。
長い廊下を駆けだしながら、ふたりそろって笑いだす。
「海賊さん、来たねっ!」
「ああ、サイコーだったな。あいつの顔ったら――」
「ねぇジーク。海賊さんたち、ここにやってくるかな?」
「心配するな。そのまえにオレたちゃ、とんずらだ!」
「とんずらって……えーっ! 逃げちゃうの!? そんなのダメだよ!」
急に立ちどまったリムルのせいで、ジークは大きくたたらを踏んだ。
「――ととっ! なにやってんだよ、おい! 早く逃げるぞ!」
「だめだよ。逃げちゃうなんて、そんなのだめー!」
腕を振りまわして、リムルはそう言った。
「だいじょうぶだって! いくら海賊だって、出すモノさえ出せば命まで取ろうなんて言わないから!」
「だめだよぉ! だってぼく、海賊さんに――」
ジークがそう言っても、リムルは首を横に振るばかりだ。
「いいから、来いっ!」
ジークはリムルの腕をつかんだ。
走りだそうとした、その時――。十数メートル前方で、通路の壁に歪みが生じた。
木材の破片が飛び散る。内側にひしゃげた構造材を突き破って、固く閉じ合わされた金属の嘴が現れた。
「わわっ――!」
流出をはじめた空気に背中を押されて、ジークは前方によろめいた。
嘴の先端が口を開き、ぎりぎりと構造材を広げてゆく。空気の流れが一段と速さを増す。
「ねえ、ジーク。あれなぁに?」
「揚陸チューブだ! くそっ! もう取り付いてきやがったか!」
中空のチューブを相手の船に打ちこみ、直接乗りこんでいって白兵戦に持ちこむ。海賊が好んで使う戦法だった。狙われるのはブリッジや機関部など、船の中枢にあたる部分である。
嘴の先端が、完全に開ききった。
重武装した男が、チューブをくぐって頭を出してくる。生まれてこのかた手入れをしていないような、小汚ない髭面がジークの目に飛びこんでくる。ジークは我が目を疑った。空気の漏出している場所に乗りこもうというのに、宇宙服のヘルメットを付けていないのだ。
男の後ろから、ぞろぞろと数人が現れてくる。
「わぁい! 海賊さんだぁ!」
リムルが嬉しそうな声をあげた。
海賊たちがこちらを向く。ブラスターの大きな銃口が、一斉に持ちあがった。
「わ――わわっ!」
ジークはリムルの手を引いて走りだした。足元や横の壁に、何条もの熱線が着弾する。チーク材の壁板が、臙脂色の絨毯が、ぼっと音をたてて燃えあがる。
数メートル前方に、曲がり角があった。
ジークは腕の中にリムルを引き寄せ、曲がり角の向こうに飛びこんでいった。
間一髪――。集中した火線が、名残惜しげに壁を叩く。
安全圏に逃げこんだジークは、とっさに身を起こして銃を抜いた。赤と青、2色のコードを腰のバッテリー・パックから引きだして、銃のグリップに接続する。
海賊たちの射撃がやむ。その一瞬を逃さず、曲がり角から半身を出してレイガンを乱射した。先頭にいた何人かが、腕や足を押さえてうずくまる。
体を引っこめると同時に、猛烈な反撃がかえってきた。雨あられと撃ちこまれるブラスターの熱線が、みるみるうちに壁を焼け焦げの跡で埋めつくしてゆく。
ジークは待った。
いつまでも弾幕を張りつづけることなど不可能だ。連射をつづければ銃身が加熱してゆく。熱線銃なら、なおのことだ。
数秒と経たないうちに、その瞬間は訪れた。
「ヤッホー! 海賊さーん! ぼくねー! リムルっていうんだよぉ!」
ジークよりも一瞬早く飛びだして、リムルが海賊に手を振っていた。
「ば、ばかっ! あぶないっ!」
力ずくで引きもどし、ジークは叫んだ。
「あっ、あぶないだろっ! なんてことするんだよっ!」
「えー? あぶなくなんてないよ。だってあの人たち、海賊さんだよ?」
「海賊だからあぶないんだろうがっ!」
ジークが頭ごなしに叫ぶと、リムルは眉を寄せて考えこんだ。しばらく悩んだすえに、ぱっと顔を輝かせる。
「あっ、そっか! 近くに悪いやつがいるんだね! だって海賊さんって、正義の味方だもん。悪いやつをやっつけに来たんだ!」
「ちがぁーう!」
なにか途方もなく大きな勘違いが存在しているらしい。
いっときやんでいたブラスターの攻撃が、ふたたび始まる。ジークは舌打ちした。銃身を交換する間を相手に与えてしまったらしい。今度は滝のような連射ではなく、間隔をあけての射撃だった。付け入る隙がない。
「ねー、ジーク? 悪いやつ、どこどこ? どこにいるのー?」
「いいから、そっちでおとなしくしててくれ」
きょろきょろと周囲を探すリムルを、ジークは手で追いやった。ほうっておくと、銃撃戦のまっただ中に、ふらふらと迷いでて行きかねない。
「ねー、ジーク。なんか暑くない?」
「ああ、熱線銃だからな」
1発、2発と、バッテリーを節約しながらレイガンを撃ち、ジークは答えた。
実際、銃撃戦が開始されてからというもの、通路の気温は急激に上がっている。熱気にふれている顔に汗が浮かんでくるほどだ。
「空気、換えてもいーい? ジークの邪魔、しないようにするから」
「ああ、好きにしろ」
そう言いながら、ジークはレイガンを撃ちかえした。
海賊たちは揚陸チューブの嘴に身を隠しながら、こちらの隙をうかがっていた。ちょっとでも隙を見せれば、一斉に飛び掛かってくるつもりだろう。
「えっと、こうかな? あっ、こうでいいんだ」
ジークの背後で、リムルが何やらやっている。
意識のほとんどを海賊たちに向けながらも、ふとした疑問がジークの心に浮かんでくる。背後にエアコンのパネルなどあっただろうか? 後ろにあったのは、たしか緊急用のエアロックだったはずだ――。
「おいっ! リムルっ!?」
ジークは振り返った。そして見た。
エアロックのコンソール画面に、「本当に開きますか?(はい/いいえ)」という文字が映しだされている。リムルの手が、実行キーを叩く。――YESだ。
軽やかな作動音とともに、エアロックがオープンされる。
漆黒の宇宙が、その向こうに見えていた。
「うおおおおおぉぉぉーっ!」
蛮声を張りあげて、海賊たちが突進してくる。
エアロックに向かう暴風が、彼らの突進を後押しした。もはや誰にも止められない勢いで、海賊たちはエアロックに向かって流されていった。
驚愕と恐怖の表情を顔に浮かべ、次々とジークの前を飛ばされてゆく。そしてひとりずつエアロックから吸い出されていった。
ジークは死に物狂いで壁につかまっていた。全体重を片手で支え、もう片方の手でリムルの首根っこをつかんでいる。
エアロックの縁につかまっていた最後のひとりの、手が離れた。悲鳴は聞こえてこなかった。
はさまっていた異物が消失したことを検知して、エアロックの扉が自動で閉まる。同時にあれほど吹きあれていた暴風も、嘘のように収まってしまう。
ジークとリムルは、どさりと床の上に落下した。
耳鳴りが止まない。息は苦しかったが、呼吸できないほどではない。
「お、おいっ……だいじょうぶか?」
ジークは身を起こして、リムルに問いかけた。
「うん。ぼく平気。でもジーク、いまのなぁに?」
「エ…、エアロックの外は、真空なんだぞ。あ…、開けたら、大変なんだからな」
息継ぎをしつつ、ジークは言った。
「そっかぁ。真空がはいってきちゃうんだね……ぼく、また失敗しちゃった」
ぺたんと床に座りこんだまま、リムルは神妙な顔でうなずいた
「あれ? あれあれっ?」
反省の表情も、1秒とは続かない。リムルは立ちあがって、きょろきょろと周囲を見回した。
ジークも腰をあげた。リムルに訊ねかける。
「なにを探してるんだ?」
「ねー、ジークぅ? 海賊さんたち、どこー?」
その言葉に、ジークはへなへなと座りこんでしまった。