表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星くず英雄伝  作者: 新木伸
EP2「パンドラの乙女」  第一章 新入社員
34/333

アニーとキッチンで

 ようやく煙の消えたキッチンで、ジークとアニーはふたりで黙々と清掃作業をつづけていた。


 テーブルに乗ったジークが天井のすすを落とし、アニーが金属ブラシでオーブンの内部をがしがしとこすっている。


 手ごわいほうをアニーが引き受けている理由は、背丈が足りないということがひとつ。

 もうひとつは、ミニスカートの中身が丸見えになってしまうからだ。

 アニーは気にしないだろうが、ジークのほうが掃除どころではなくなる。


 当のリムルには、メモを持たせて買い物に出していた。


 自分で尻拭いさせるのが筋だとわかっていても、そこまで冷酷にはなりきれない。

 口にこそ出さないが、アニーも賛同してくれているようだ。こうして手伝ってくれているのが、その証拠だ。


「だけどリムルって命しらずよね」


 作業に没頭していたアニーが、ぽつりと言った。


「怒ったエレナさんって、オレはじめて見たよ」

「あれってぜったい本気だったわよ。まぁ、面と向かってタレてるなんて言われちゃあね……。ところでさ、ジークはどう思う?」

「なにが?」


 ジークは振りかえった。

 アニーも手を止めて顔を向けてくる。


「だから、エレナさんがタレてるかどうかってコト。前に見たでしょ? しっかりとナマでさ」

「そっ、そんなの知るかよっ!」


 頬に熱を覚える。ジークはぷいと顔をそむけた。


「あははっ! 赤くなった赤くなった」


 アニーはすっかり面白がっている。ジークは話題を強引に変えることにした。


「と、ところでさ。よくみんな許してくれたよな。オレさ、今回ばかりはさすがにダメだろうって思ったよ」


 ジークの言葉に、アニーが意外そうな顔をする。


「なに言ってんのよ。あんたがリムルのことをかばったから、みんなだって引いてくれたんじゃない。あんたに免じてさ。そうでなかったら、あんなにあっさりと許すわけないでしょ」

「え――? じゃあみんな気づいてたのか?」

「あったりまえよ」


 当然だろうという顔で、アニーがうなずく。ジークは大きくため息をついた。


「なんだよ、オレひとりだけバカみたいじゃないか」

「そんなの前からわかってたわよ。――だいたいさ、なんでかばったりしたのよ?」


 そう言いながら、アニーはふたたびオーブンに向き直った。がしがしと、力まかせの作業を再開する。


「オレが悪いんだよ。そうだと思う。リムルに愚痴を聞かせたりしたから」

「グチって――あのこと?」

「ああ、下着を洗わせられて嫌だ……なんて言っちまってさ」

「ふぅん……あんたが洗濯に取りかかるまえに、自分がやっちゃおうとしたわけか。まあ、あの子も悪気はないんでしょうけど。――ねぇ、ちょっとスポンジ取ってよ」

「ああ……」


 ジークはテーブルから飛び降りると、言われるままにスポンジを手に取った。

 湿らせるために蛇口をひねる。

 蛇口からは流れだしてきたのは、コーヒー色に染まった水だ。――これもリムルの仕業だった。


 スポンジを手渡そうとしたジークは、ふと、あることに気づいて手を止めた。


「ちょっと待てよ? それじゃあおまえ、全部わかってて吹っ掛けやがったのか? 5クレジットなんて大金――」

「そうよぉ」

「ひっでぇヤツ」

「はいはい。どうせあたしは、育ちの悪くて金にがめつい性悪オンナですよーっだ」


 アニーは舌を出して応じた。


「そっ……」


 そんなことないよと言いかけて、ジークは言葉を飲みこんだ。

 かわりに、前から疑問に思っていたことを口にする。


「そっ…、そんなに金ばかり稼いで……いったいどうすんだよ?」


 基本給とその他諸々の手当にボーナス。

 この半年でアニーに支払った給料は500クレジットを軽く越えている。服や宝石に金をかけるわけでもなく、それだけの大金がいったいどこに消えてゆくのか。


「いいでしょ、なんに使ったって」

「教えろよ、気になるだろ?」


 しばらくためらってから、アニーは言った。


「……仕送りしてるのよ」

「あ……」


 まずいことを聞いてしまったと、ジークは頭を掻いた。

 『SSS』に来る以前のアニーをまるで知らないことに、いまさらながら気づく。


「なによ……ひとの顔、じろじろ見ないでよね」


 きまり悪げに、アニーが言う。


「い、いやぁ……」


 ふたりのあいだに、気まずい空気が漂う。

 こういうときどうすればいいのか、ジークは知らない。歳を取って経験を積めば、自然と覚えてゆくものだろうか。


 壁際のコンソールから、ベルの音が響いてきた。


「あ…、あたし出る」


 救われたような顔で、アニーはコンソールに向かった。外から掛かってきた映話(映話:ヴィジフォン)を取って、よそ行きの声で応対する。相手の顔は、ジークの位置からだと見えない。ミニスカートに包まれた小振りなヒップがモニターを隠している。

 猫をかぶって応対していたアニーだったが、その声色が、突如としてがらりと変わる。

「――誰よ、あんた?」

 数秒前とうってかわって、ぞんざい極まりない口調だ。

「誰だい?」

「知らない。変な女! ――あんたを出してくれってさ」

 ジークはアニーにかわってコンソールの前に立った。モニターの中で笑顔を浮かべていたのは、見覚えのある女の子だった。

「やあリズ、ひさしぶり。――どうしたんだい?」

『もうブラウンさんたらぁ、ちっとも掛けてきてくれないんだもん。せっかくアドレス渡しといたのにィ……。だからァ、わたしのほうから掛けちゃった』

 なまめかしい視線を送られて、ジークはどきりとした。

『今夜さ、これから時間取れない? わたし、いいお店知ってるんだ』

「ち、ちょっと――いま困るよ。あとでこっちから掛け直すから――なっ?」

 ジークはうろたえた。コンソールに屈みこんで、小声になる。

 首筋に、突き刺さるような視線を感じる。ちらりと振り返ると、真後ろにアニーが立っていた。

「誰よ。その女?」

「ほ、ほらっ! おまえだって会ってるだろ? 書類にサインを取りにきて、オレのことを何度もぶっ叩いていった女の子!」

「こんなケバかったっけ?」

 アニーは疑わしげな目をモニターに向けた。

 無理もない。アニーは作業着姿の彼女しか見ていないのだ。モニターの中で微笑んでいる彼女は、ばっちりと化粧を決めたうえで、肩出しのビスチェに大きなイヤリングという派手な出で立ちだ。

 モニターの隅に浮かんでいる時計表示には、銀河標準時で4時を回ったところと出ている。アフター・フォーとかいうやつだ。ジークたち船乗りには縁のないものだが――。

『ねえ――会えない?』

 流し目に、背筋がぞくりとする。

「いや、ちょっと……その、今日は忙しくて」

 生まれて初めてのデートのお誘いではあったが、ジークは口を濁してそう言った。背後にぴったりとアニーに立たれていては、他に選択の予知はない。NOだ。

『そうなんだぁ……ざーんねん。でもこのつぎは付きあってね』

「あ、うん――ごめん」

「もういいわね? じゃあ切るわよ――」


 横から身を乗りだしてきたアニーが、映話(映話:ヴィジフォン)のスイッチに手をかける。

 それが見えたのか、リズは慌てて叫んだ。


『あっ――ちょっと待って! まだあるんだから!』

「なによ?」


 不機嫌そうな声で、アニーが答える。

 その頭をわきに押しやって、ジークはモニターの正面に立った。


「なんだい?」

『会ってから話そうと思ったんだけど、こんどの仕事ってちょっとヤバそうなのよ』


「こんどの仕事?」

『ええ。ブラウンさんの会社――SSSだっけ? その次のお仕事ことよ』

「つぎの仕事だって?」


 ジークは眉を寄せて考えた。ちらりと、アニーを見る。


「エレナさんなら、ガーデンでハーブの世話。気持ちを落ち着けたいんだってさ」


 会社の仕事を取ってくるのは、交渉人(ネゴシエイター)であるエレナの役目だった。ほかの誰かが勝手に仕事を取るようなことはない。


 ないはずだ。

 ないはずなのだが――。


「ほら、このあいだのピンクの髪の男の子。なんていったっけ? あの子がね――」


 リズが言いかけるのと同時に、廊下を走ってくる音がした。


「たっだいまーっ! ねぇねぇジークぅ、聞いて聞いてぇ!」


 風とともに、リムルがキッチンに飛びこんでくる。


「あのねっあのね、ぼくねぼくねっ――」


 顔をいっぱいに輝かせて、リムルは何かを言おうとした。

 ジークは片手で制した。聞かずとも、わかっていた。


 わかってしまうのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ