ジェニーとジーク
その場に到着したジークが、まず目にしたのは、ミランダの体内から、内臓を引きずりだす場面だった。
だが〝内臓〟と思ったものは、なにかの機械装置で――。吹き出ていた大量の〝血液〟と見えたものも、循環液かなにかのようだった。
もとより、宇宙服もなしに宇宙空間にいるのだ。ドーラとミランダ、そしてジェニーの三人が、「人」であるはずがない。
《ヒーロー》や《ダーク・ヒーロー》といった連中なら、生身で宇宙にいられるが、物理法則を超越するときの特有の輝きも見られない。
したがって、三人は人間ではないと結論できる。
ジークはテレサとともに、この現場に到着した。
|《にょろQ》を近くに寄せて、エアロックから宇宙服ひとつで飛び出していた。
一人で来るつもりだったのだが、ジェニーの姿を見ていたテレサが、絶対に自分も行くのだと言いだして――翻意させることは〝不可能〟だと思ったので、連れてくることになった。
テレサと、あと、だいたいいつも足にへばりついてきているキノコ人と、三人ないしは二人と一体で、ジークたちは戦闘現場にやってきていた。
ジークは――ドーラやミランダや、ジェニーまでもが、正体不明の異形の存在であることに、少々、戸惑っていたりする。テレサも頭のいい子だから、そこは当然、わかっているはずなのだが――。
『ジェニー! ねえジェニー! しっかりしてよ! ジェニーはそんな子じゃないよ!』
ジェニーの正体になんか、微塵も動じないで――テレサは叫ぶ。
その声には、友人として、親友として、正気に返らせようとする願いだけがあった。
ジェニーが人間でなかったことにショックだとか、これまで裏切られていたことに対するわだかまりなどは、一切なかった。あるはずがなかった。
『ジェニー!!』
スペース・チタニウムの船殻の上、宇宙空間にまっすぐ立つジェニーの――その立ち姿に、揺らぎが起きていた。
彼女は、のろのろとした仕草で、こちらを――いや、テレサのほうを向いて――。
『……テレサ?』
と、そう言った。宇宙服の無線を通じて、その声が返ってきた。
『そうだよ! わたしだよ! テレサだよ! ジェニーどうしたの!? 変だよ! おかしいよ! ドーラもミランダも仲良しだったじゃない! よく面倒みてあげてたじゃない! 妹みたいに可愛がっていたじゃない!』
ジェニーは叫んでいる。必死な声で訴えかけている。
そうだったのか。ぜんぜん知らなかった。ジェニーとこの二人が知り合いだということさえ――これまで知らなかった。
『ほらジーク! あんたもなんか言えっ! ――ジェニーも、あんたのこと好きなんだから!』
テレサに蹴り飛ばされた。
『ええっ!?』
いや。驚いている場合ではない。〝も〟っていう部分に驚いている場合では――もっとない。
『じ、ジェニー……?』
ジークは一歩、前に出た。小さなあの子を、人だと思っているうちは、「気のせい」なのだと思うことにしていたが……。
人ではないとわかって、人工超能力まで発揮する存在なのだと知れば……。
『ジェニー……、いや、ジェニファー?』
びくん――と、劇的な反応が返ってきた。
『その名……で、呼ぶな。胸が……、痛い……』
小さな胸を押さえて、彼女は苦しげな顔をする。
『ジェニー!? ジェニー! ジェニーなんだよね!』
『ジェニファー! ジェニファーなんだろ! おいジェニファー!?』
テレサと一緒になって、ジークは叫んだ。
彼女の名前を呼ぶたびに、その身がびくんと強ばった。反応があるとわかって、テレサとジークは叫びつづけた。
『ジェニー! ジェニージェニー! ジェニー!!』
『ジェニファー!! ジェニファージェニファー!! ジェニファアーッ!!』
二人で叫びまくった。
――すると彼女は。
『やかましい!!』
エネルギーが噴き上がる。足元の船殻が割れる。イカダ都市全体が揺れ動いている。
――まずいな。ジークはそう思った。ジェニファーとの対面に心を騒がせながらも、自分のどこか冷静な部分が、そう警告する。
イカダ都市は、もうすでにかなりのダメージを受けている。もともと強固な構造物ではないのだ。廃船を繋ぎ合わせて、なんとか、都市の体裁を保っているだけで――。これ以上の破壊は、大災害を招く恐れが――。
『ジェニファー……、お、おい……、落ち着け……? 落ち着けって……な?』
ジークはそう言った。なだめようとする。
彼女は――ジークの知るジェニファーは、優しい女性だった。ドクターが惑星を爆破しようとしていたときにも、全住人を避難させて救うために、手を尽くしてくれた。
『わたしの……、名前を……、呼ぶなあああァ! ――頭が痛くなる!』
『ジェニー!! ジェニー!! 帰ってきてよ! もどってきてよ!! おねがいだから!!』
『おいよせバカ。これ以上刺激したら――、ここ全体が――」
テレサの肩を掴んで、止めようとする。
『知らない! 知るか!! ジェニーより大事なものなんて! この宇宙にあるか!!』
迷いのない大声で――テレサは叫んだ。
さすがお子様。よくぞ言い切る。
『……う。……くっ。……だ、だめ』
ジェニファーが苦しげに呻いている。……いいや。ジェニーと呼ぶべきか?
『だ、だめ……、分かれては……、力が分散して……』
彼女の身になにか変化が起きているようだった。
体の輪郭がぼやけて見える。いや。実際に輪郭線が二重になりつつあった。
ジェニーは、二つに分かれようとしていた……?
『だめ……、だめ……、だめっ……行くなっ』『テレサ……、ジークさん。――呼んでッ!』
二つの声が、完全に重なって聞こえてくる。
ジークとテレサは、一瞬、顔を見合わせてから――。
『ジェニー! ジェニージェニー! ジェニー!!』
『ジェニファー!! ジェニファージェニファー!! ジェニファアーッ!!』
叫んだ。叫んだ。そして叫んだ。
二重にぶれていた体の輪郭は、左右にだんだんと分かれはじめた。
右側の手が、分かれいく半身を押さえにかかる。左側の手が、それを、ぴしっと、手厳しく、はたき落とす。
右側に分かれつつあるのは――黒い髪を持つジェニーだった。
左側に分かれつつあるのは――柔らかな金を持つジェニーだった。
上半身から、ゆっくりと二つに分裂していった彼女たちは――やがて、ぼとりと、二体となって落下した。生き別れとなった。
『ジェニー!!』
『ジェニファー!!』
ジークはテレサと二人で駆け寄った。もちろん左側のほうだ。金色の髪のジェニーのほうだ。
『ふ……、ふははっ! ははははは! アーッはははは!』
彼女は哄笑していた。
彼女は――なんと呼べばいいのだろうか。こちらの子が〝ジェニー〟であるとすれば、あちらの――黒い髪を持つ子のほうは?
『やった! 分かれた! 私は――自由だっ!!』
黒いジェニーは、そう叫んでいた。分かれる前は、分かれたがってはいなかったようだが、分かれたいまとなっては、むしろ、そのことを喜んでいる。
『ハーッハッハ! ハーッハハハ!』
黒ジェニーは、力を振るいはじめた。
足元のスペース・チタニウムが裂ける。破片となって噴き上がる。
ジークたちは吹き飛ばされた。簡易宇宙服にいくつか破片が刺さって気密が破れている。服の中の空気が、どんどんと漏れ出してゆく。
――だがジークは、吹き飛ぶテレサを捕まえるので急がしかった。
手では掴み損ねた。足で蹴りつけた。足にへばりついていたキノコ人のやつが、吸着ハンドで見事につかまえる。
二人で宇宙空間を吹っ飛んだ。ボールのように身を丸めて、しばらく突き進んでいると――。
背中が、そっと――固いものにランディングした。接触時の相対速度は、秒速一メートルかそこらだったが、掴むところのない宇宙空間では、それでもソフトランディングとは言いがたい。
アニーなら秒速数センチまで――。ジークでも秒速十センチぐらいには抑えられるが、まあ、操縦士をやっているのが、セーラでは――。これでも上手にやったと褒めてやるべきところだろう。
ここでもまた、キノコ人が役に立った。
鋼鉄製の船殻にキノコ人と磁力靴とを使って、貼りつきながら、ジークはテレサを小脇に抱えて、エアロックを目指した。
エアロックに辿り着いて、ドアを締めて、空気の充填を開始する。
だいぶ早いうちにヘルメットを脱げた。宇宙服の空気がそれだけ漏れていたということだ。
「ジェニーが……、ジェニーが……、わたし……、つかみそこねて……」
テレサのヘルメットを取ってやる。彼女は蒼白な顔で、ぷるぷると震えながら、そんなうわごとを口にするばかりだった。自分の手を見つめている。
「気にするな。オレもドーラとミランダは掴み損ねたさ」
テレサはショックを受けているようだ。
ああ。そうか。
なんでなのか、ジークには、わかった。
「忘れているようだけど……。あいつら、真空中でも、平気だぞ?」
「あ。そうだった」
テレサは途端に明るさを取り戻した。
せっかく取り戻した親友を失ってしまったと思っていたわけだ。三人が吹き飛んでいった方向は見て覚えている。あとで拾いに行って回収すればいい。
そのタイミングで、エアロック内への空気の充填が終わる。内側のハッチが開くようになった。
「ブリッジへ急行だ! ――忙しくなるぞ!」
テレサのお尻を、一発――叩いて、そう言った。
「さわるな――えろっ!」
テレサは完全にいつもの調子を取り戻したようだった。