リムルという子
リムルが『SSS』の社員となって、数日が過ぎた。
ジークは後悔していた。
男なら誰でもいいとは言った。リムルの就職に責任を持つとも言った。海賊とやりあったこともあるなどと、大口を叩いていたような気もする。
だからといって、これはあまりではないだろうか。
「ジークぅ! ジークぅ~っ!」
リムルの声が、船内に響きわたる。
「なんだっ! どうしたっ!?」
リビングでくつろいでいたジークは、声を聞くなり廊下に飛びだしていた。
前回のときは、無重力区画を掃除しようとして水を張ったバケツを持ちこみ、飛びまわる水玉で部屋をいっぱいにした。その前のときは、コーヒーをいれようとして、インスタントの粉末を船の飲料水タンクに直接ぶち込んでしまった。
今回の震源地は、どうやらキッチンのようだ。黒い煙がもくもくとあがり、廊下まであふれだしている。
「どうしたっ!?」
煙で視界のきかないキッチンに飛びこんでゆくと、何かが腕にしがみついてくる。
「ジークぅ! 煙がっ煙が出てくるのぉ!」
「えい、落ち着け! なにをどうした。それを言ってくれなきゃわからないだろ!」
ジークはリムルをなだめながら、煙の出てくる場所を探した。
空調のスイッチを手探りで見つけだし、いっぱいにひねりあげる。
「あのねあのね、ぼく洗濯物を乾かそうとしてねっ! それでね、それでねっ!」
いやな予感が、ジークの胸中をよぎった。
天井のスリットに煙が吸いこまれるにつれ、しだいに物の位置がつかめるようになってくる。予想したとおり、煙はオーブンから吹き出しているようだ。
「それで――洗濯物をどうしたって?」
「洗濯物をねっ、オーブンにいれたらね――」
「いれるなー!!」
覚悟はしていたものの、思わず口から罵声が飛びだす。
「だってだって! はやく乾くとおもったんだよぉ!」
「オーブンは乾燥機じゃないっ!」
「だってだって、乾燥機こわれてるんだもん!」
ジークは頭を抱えたくなった。いつもこのパターンなのだ。常識と呼ばれるものが、リムルにはすっぱり抜け落ちているらしい。
「なんの騒ぎよ、もうっ――」
ひょいと、アニーが顔を出してくる。
「なに焼いてんのか知らないけど、それコゲてんじゃないの?」
ふたりの前を横切っていったアニーは、ペンギンさんの鍋つかみを手にはめると、オーブンのドアを無造作に引き開けた。かたまりとなった煙が、ぶわっと出現する。
「なによ、これぇっ!?」
アニーの肩ごしに、オーブンの中が垣間見える。
およそ相応しからぬ物が、そこに入っていた。
すなわち――ブラとパンツの山だ。
「あーっ! あたしのお気にいりのクマさんっ!」
ジークにも見覚えのあるクマさんが、ぶすぶすと焦げてゆくところだった。
見かたによっては片目に眼帯をしているようにも見える。
「なんだ、ナンだ? 火事か?」
「いったいどうしたの、こんなに煙をだして?」
カンナとエレナが連れ立ってやってきた。
部屋の中を見るなり、ふたりそろって顔をしかめる。
「またかよ、オイ」
「もう、今度はなぁに?」
「ああん、もうっ! だめだめ、全滅っ!」
オーブンのほうでは、アニーがフライ返しを使って黒々とした中身をかきだしている。
エレナの目が灰とコールタールの混合物を捉えたその時――。さぁっと、見てわかるほどにエレナの顔色が変わっていった。
「そ……、それって、わたくしの?」
「あーぁ、エレナさんのシルクのブラが――あっ! あたしのブラもはいってるぅ!」
「そ、そんな。困るわ――」
「もうっ! なんてことすんのよっ!」
アニーとエレナ。ふたりの口から、期せずしておなじ叫びが出る。
「なかなか合うサイズがないのに!」
「なかなか合うサイズがないのよ!」
叫んでから、ふたりとも気まずそうにそっぽを向いた。
口にした言葉は同じでも、意味のほうは微妙に違う。
「とっ、とにかく! なんでブラをオーブンで焼いちゃったわけ!? そこのとこを、よぅっく聞かせてほしいわよね!」
アニーににらまれたリムルは、ジークの背中に素早く隠れた。
「ま、まあ――その、悪気があったわけじゃないんだ」
「あたりまえです。こんなこと、わざとやられてたまるものですか」
めずらしく怖い顔をして、エレナがぴしりと言う。
「エレナ、こわぁ~い」
ジークの後ろから顔だけ出したリムルが、怯えたように身をすくめる。
「怖くてとうぜんですっ! 怒ってるんですっ!」
「エレナが怒ったぁ~」
「ま、まあまあ――」
「アー、けど洗濯当番って、今週ずっとジークじゃナイか? なんでリムルが洗濯してるかね?」
至極当然の疑問を、カンナが口にした。全員の視線がリムルに集まる。
「あのね、えっとね、ぼくね――」
「オレが頼んだんだよ。だから……オレが責任を取る」
女たちに向かってジークは明言した。
間髪をおかず、アニーが切り返してくる。
「なに威張ってんのよ! あんたがいちばん悪いってことじゃないの!」
「う……。そ、そうだよね」
「べんしょう! べんしょう! 弁償ッ! あれ高かったんだから! ええっと、2――じゃないッ! 5クレジットもしたんだからっ!」
「う……、うんっ」
ジークはうなずいた。ここは言い値で従うしかない。YESだ。
ちらりと、エレナを見る。
エレナは大きなため息をついた。
「ええ、いいですわよ。ランジェリーの専門店を何軒も何軒も探してまわって……それで見つかるまで責任をもって付きあってくださいますのね?」
「うっ……」
その光景が脳裏に浮かんだものの、ジークは首を縦に振った。YESだ。
「私らのパンツもあったんだがね……なァ、ジル?」
呆れ顔のカンナが、廊下を通りがかったジリオラに声をかける。
ジリオラは自分の焼けこげた下着を一瞥したきりで、肩をすくめ、そのまま歩き去っていった。
「みんな……、もう怒ってない?」
怒りが収まったことを確かめるように、リムルがおそるおそる顔を出してくる。
「もう怒ってないわよ」
「ほんと?」
「ほんとうよ。ほらっ」
幾分ひくついてはいるものの、エレナが笑顔を浮かべる。
「エレナごめんね、ブラ燃やしちゃって……。エレナの胸って長いから、ちゃんとブラにしまっておかないとたいへんだよね」
その瞬間、空気が凍りついた。
「長い――ですって?」
「うん長いの。びろーんって」
「あら、あらあらあら――そういうこと言うのは、このお口かしらね?」
顔に微笑みを張りつかせ、エレナはリムルの口に手をかけた。指をかけて唇を左右に引っぱる。
「いー! いひゃひ! いひゃひひょ! へへは!」
「誰のどこが長いですって? ブラにしまうのが大変ですって? 誰がタレてるですって? そんなこと言うのは、このお口かしらこのお口かしら……」
上下左右に思うさま引っぱりって、エレナはリムルを解放した。すぽんと音を立ててリムルの口が自由になる。
「ぼくタレてるなんて言ってないよ! 長いって言っただけだよ!」
「まだ言うのね」
ふたたびエレナの手が伸びる。リムルはさっと身をかわし、ジークの後ろに逃げ込んできた。
「助けてジークぅ!」
「リムル……。いまのは、おまえが悪い」
ジークはリムルの肩をがっしりと掴んだ。エレナに向けて、ぐいと差しだす。
「さぁ、やってくれ」
「このお口かしら! このお口かしら!」
「いひゃひ! いひゃひひょー! ひーふぅ!」
くちびるを引き伸ばされるリムルを見ながら、ジークは黙祷を捧げた。
――すまん、許せ。