ジェニーの目覚め
「あの――」
少女の声がした。
アニーはぎょっとした顔で――。男はすべて想定内という余裕を漂わせながら――。
二人揃って、声のしたほうを向いた。
路地の入口のところに、少女が立っていた。年少組のほうで、よく見かける子。テレサの相方をやっていて、目立たないのに、有名な子。
名前は、ジェニーという。
「アニーさんが嫌なら……。わたしを……。わたしと……」
ジェニーは消え入りそうな声で、そう言った。
スカートの裾を、手でぎゅっと押さえつつ――。
テレサと同い年ぐらいで、初潮があるかないかといったあたりで――意味わかって言ってんの? と、アニーは、まずそこから疑った。
「おまえも混ざりたいのか? メスガキその2?」
おい。まずわかっているのか聞けよ。あと。メスガキその2って、なんなんだか。
「そのひとのかわりに、わたしを抱いて。セックスして」
あら。知ってた。わかってた。
「俺は孕まない女とはヤラない主義でな」
なにこいつ。それなんの宣言。あるいは自慢。あと、なんで初潮がまだだって知ってんの。
ジェニーは、スゴい目付きになって、どすどす歩いて、近づいてきた。
手を伸ばして――、男の服の裾を、きゅっと掴みしめる。
そして、間近から、じっと男の顔を見上げる。
「はぁ……」
男は、大きくため息をついた。
「俺は抱かんと言ったぞ。――いまはこいつで我慢しとけ」
――と。
ジェニーのおとがいに手をあてて、顔を上に向けさせる。その唇を吸う。
ああっ――。
キスした。ずるい。
さっき自分でキスを拒んだことも、つい忘れて――。アニーはキスされているジェニーを、うらやましげに見つめた。
男からキスされているジェニーは――目を大きく見開いていた。
まばたきもせずに、中の一点を見つめるジェニーのその目が、アニーは、ちょっと怖く感じられた。
――と。
その目が、くわっとばかりに見開かれる。
ぶわりと、エネルギーが沸き起こった。
放出源は――ジェニーだ。
ジェニーの髪は逆巻き、スカートの裾は翻り――。膨大なエネルギーが、その小さな身から噴き上がっていた。
「え? え? え?」
アニーは目をしばたたいていた。目の前の少女。よく知っている少女。テレサとともにイタズラしては、「ごめんなさい」と頭を下げてゆくほうの少女。
その女の子が――なにか別のものに変化していた。
《このひとだ! このひとだ! このひとだ!》
頭の中に声が響く。
それがテレパシーによる直接思念伝達だと、アニーは直感した。発信源は――目の前のこの子。
《このひとだ! このひとだ! このひとだ!》
「ちょ――!! ジェニー!! なに言ってるの!! このひとってなに!?」
アニーは叫んだ。暴風の吹き荒れる中、大声で――。
――って? 暴風!?
宇宙育ちのアニーは、空気の流れに鋭敏だった。気密区画で強い風が吹いているとき。それは隔壁のどこかに、裂け目があるということを意味する。
裂け目は――なんと、ジェニーの足元に開いていた。
十字に破れた金属板の向こうに、星が見える。宇宙の深淵が開いている――!?
ジェニーはその裂け目の上に浮かんでいた。背中からは、白い翼を思わせるエネルギー体が出現している。
顔を歓喜に染めた少女は、自分の両肩を抱きかかえ――その身を、小刻みに震わせていた。それはまるで、絶頂を繰り返しているように見えた。
「下がったほうがよさそうだな」
男が、言った。
風が、どんどん強くなってゆく。すでに子供なら吹き飛ばされるぐらいの勢いとなっていた。
男はなににも掴まらず、この暴風の中に直立していた。
アニーは男の体にすがってようやく立っていた。だが男のほうは――なにに掴まっているのだろう。二本の足で、ただ、立っているように見える。
《このひとだ! このひとだ! このひとだ!》
ジェニーの念波が脳に響く。頭が割れるように痛む。
ジェニーの身から、噴き上がるエネルギーの出力が跳ねあがる。
床の裂け目が広がってゆく。プレハブの小屋が、暴風で吹き飛ばされてきて、裂け目に食われた。もの凄い音とともに、四角が折りたたまれて、瓦になって、吸い出されていった。
《ああ――! アアアアアアアァァァ――っ!》
歓喜の声を放って、ジェニーは飛び出していった。――外へと。
引き裂かれた壁は、裂け目がこのサイズまで育ってしまうと、もう自動修復では戻らないだろう。
「おまえは船に戻れ」
男は言った。
怒鳴ってもいないのに、その声は、この嵐のなかでも――不思議とよく聞こえた。
「あんたはどうすんのよ!?」
アニーは怒鳴り返した。
「俺は――自分の船にゆく」
アニーは考えた。考える……。考える……。よく考える……。
答えを出すためには、数秒を要した。だがアニーは――答えを決めていた。
「腕のいいパイロットは――必要!?」
男は答えるかわりに、にやりと笑い返した。
◇
自由だった。歓喜に打ち震えていた。
ジェニーは宇宙空間を疾走した。――黒い翼を打ち振るって、空間を自由に駆け巡る。
人工超能力による翼は、最初に出したときには、白い色だった。なぜ自分が白い色を選んだのか不思議だった。
だから黒い翼に変えた。黒はいい。宇宙で一番、素敵な色だ。
《黒いひと! 黒いひと! 黒いひとに出会えた!》
思念を振り絞り、高出力のテレパシーを放ちながら、歓喜を軌跡に変えて、飛び回る。
運命のひとがいた! 運命のひとに出会えた! 運命のひとは本当にいた!
キスしてもらえた!
ジェニーはぐるぐると飛びまわった。羽虫が飛ぶように、ループと螺旋を何重にも描いていると――。
彼女の進路を塞ぐように、二つの飛翔体が現れた。
《破壊活動を停止せよ! ドクターの計画の障害となる行為をただちに停止せよ!》
二つの個体は、人工超能力を送信してきた。
その二つの個体には、なんとなく見覚えがあった。――なんだっけ?
《ジェニファー。貴女はドクターを裏切るつもりなのか?》
二つの個体は、そう思念を伝えてきた。
ドクター? なんだっけ? なんか覚えのある概念。固有名詞。――まあ、どうでもいいんだけど。
あとジェニファーって誰なんだか。自分の名前は〝ジェニー〟だ。そんな変な名前ではない。
《貴女を破壊させないでほしい。我々はシリアルナンバー続きの同型機でしかないが、先に知性に目覚めた貴女を、特別なものと考えている。我々は貴女を……破壊したくない》
二人から、そんな思念が届く。
《は? 破壊? わたしを破壊するって? あなたたちが?》
たっぷりと嘲りの色を乗せて――思念を返す。
《――どうやって?》
二人は瞬間的に逆上した。襲いかかってくる。二人は体を連結させていた。機械知性は連結することで、演算能力を増強できる。ふたりは二倍の演算能力を持つ複合知性となって、襲いかかってきた。
ジェニファーは応じた。
高速飛翔しながら、空中戦が繰り広げられる。あちこちで激突し、跳ね返り、二つの光球となって、宇宙空間で戦闘が続く。
片翼が鷹の翼。もう片翼は蝙蝠の翼。
演算能力で上回られて、常に軌道では、先手を取られ続けるが――。ジェニーは焦らなかった。
だって――。ぷっ。くすくす――。
電池代わりとなってエネルギーを消耗している彼女たちは、二人合わせてみたところで、人工超能力の残量が、ジェニーよりも圧倒的に少ない。
ジェニーは慌てずに、戦闘を続けた。
二人の〝電池〟が尽きるまでは――遊んでやるつもりだった。