ジークのピンチ
ジークは苦境に立たされていた。
修学旅行の豪華客船が墜落したときにも、ジャングル惑星でサバイバルしていたときにも、武侠星で底辺生活をしていたときにも、〝苦境〟にいるとは、一瞬たりとも、感じ得なかった。
だがしかし――。ジークはいま、自分がまさに〝苦境〟にあることを、ひしひしと自覚していた。
「どうしたのですか? ――さあ、早く、香を塗りなさい」
「い、いえっ――あのですね!? そのっ!?」
ジークは直立不動になって、顔だけを九十度真横に向けて――そう言った。
「なんですの?」
だが彼女は――まるで取り合わず、のんびりと振り向きぎみに言ってくるばかり。
「せ、せ、せ……、せめてお召し物をっ!」
「貴方。馬鹿ですか。服を着ていたら香油を塗ることができないでしょうに」
「で、で、で……、ですが!」
ジークは身を固くして、直立不動のまま、突っ立っていた。
彼女はいま、うつ伏せになって、寝そべっていた。……全裸で。
背中の優美な曲線と、細いウエストと、対照的に高さのあるヒップと、十代の少女の肌のすべてが、一望に収まっている。
ジークはずっと真横を向いているが、もし正面やや下向きに視線を移せば、女性のその部分まで目にしてしまうことになる。
彼女は――。ラセリア・ドロワ・マツシバは――。まったくの全裸で、まったく隠さず――。ジークに裸の背中を見せつけていた。
そこには「恥じらい」といったものは、まったくなかった。あわてふためくジークのようすを、愉しんでいるそぶりがある。
「くすくす……」
部屋の周囲。壁際に控える侍女たちから、はっきりとした笑い声が起こる。
いま部屋には、何人もの侍女たちがいる。皆、若い少女たちばかりで――。いずれ劣らぬ容姿を持った黒メイドたちは、ラセリアにもてあそばれるジークのうろたえっぷりを、面白そうに眺めている。
彼女たちとは、仕事仲間として良い関係を築けていたのだが――。いまはすっかり好奇心の視線を向けられている。
同性の召使いが何人もいるというのに、ラセリアは――彼女は、オイルマッサージの役に、わざわざジークをご指名なのだ。肌を見せ――肌に触れさせることを愉しんでいるのだ。
ジークの知るラセリア・デュエル・マツシバとは、顔形はそっくりであっても、やはり、まったくの別人だった。
仕事中の彼女は有能な女性なのに。どうしてアフターでプライベートになると、こんなに――。
「――こんなに? なんですの?」
ラセリアが、そう言った。音楽にでも耳を傾けるように、目を閉じたままで――。
心を読まれた。
彼女が稀代のテレパシストであるということを、忘れていた。
向こうの彼女は――白いほうのラセリアは、たとえ人の心を読んだとしても、
「読むといっても。感情を判別するぐらいですよ。ポチと連結していなければ、私、個人の振るえる力は、たいしたことはございません」
こちらの世界でも、星鯨は「ポチ」と呼ばれているのか――。
そして彼女の言葉の意味は、星鯨と連結さえしていれば、彼女は神にも等しい力を振るえるということだ。あらゆる超能力を天体レベルで発揮することができる。惑星をねじ切って、粉々にするほどの念動力。数光年も届く透視能力。エトセトラ、エトセトラ……。
「そんな。神とまで自惚れてはいませんよ。わたくしは、ただの女……。さあ、いまは共に、肉欲に溺れましょう」
「オイルマッサージとの仰せでしたが」
香の壺を手に、ジークは言った。
「ええ。そう命じましたわ。――塗ってくださらないの?」
「どうやって塗ればよろしいですか」
諦めて従う。
「もちろん。――手で」
おお。神よ。
彼女の背中にオイルを垂らして、それを塗り広げて行く。
背中から始めた。背筋の起伏と、肩甲骨の山谷とに、オイルを塗り広げてゆく。
十代の少女の肌に、直に触れている。なるべく、作業に集中するようにしているが、雑念は次々と湧いてきて、ちょっと止まりそうにもない。
「勃たせていますか?」
ラセリアが言った。
主の言葉であっても――。そういう質問には、答えない。
――が。
「くすくすくす」
部屋の壁際を飾る侍女たちが、笑いさざめいている。彼女たちの目は、ジークの股間あたりに向けられている。
「もっとしっかり。撫でさすりなさいな。ぜんぜんだめです。ぜんぜん。なっておりません」
「失礼しました」
ジークはそう言った。マッサージに集中する。
これはマッサージ。マッサージ。カンナの肩を揉んでるようなもん。カンナっていっても十四歳のほうじゃなくて、お子様ババアのちびっこのほう。
「背中ばかりですか。まだ下のほうはオイルを塗ってもおりませんことよ」
安全地帯をマッサージしていたのに、危険地帯へと誘導される。
主の命だ。ジークは仕方なく、手を下のほうへと移動させていった。
うつ伏せになっていても盛りあがるヒップの感触は、背中と違って、ひどくデンジャラスだった。
「香油は?」
「あ、はい……」
言われて、思い出す。ただ手で触れているばかりだった。
口の中がからからだ。舌が固くなってうまく動いてくれない。返事もうまく返せない。
香をかけはじめる。とろーりと、香油を垂らした。ヒップの山の頂から丘陵を伝い落ちていった――粘性のある液体は、左右の双丘の、ちょうど合間へと流れこんでいって、女性の最も大事な場所へと、やがて集まっていった。
ごくり。
つい、見てしまう。
見ているということを、すべて悟られていると、わかっているのに。
平然としていられない自分が情けない。
こんなこと。こんなことくらいで。こんな。こんなもの。
くぱぁ。
「わっ、わっ、わっ――」
その場所が、動いた。
「あんまり熱い視線を向けるから、動いてしまったではありませんか」
涼しい声で、彼女が言う。
「さあ。マッサージを続けなさい。手で――触れて」
ジークは最大の自制心を発揮しながら、ヒップの山に手で触れていった。
量のある双丘の柔肉は、わずかな力で形を変える。
「どうも力加減が足りないわね。全身でやってもらいたいかしら。――貴女たち。手伝いなさい」
「え?」
背後に人の気配。
壁を飾っていた侍女たちが、数名、ジークの背中側に回ってきていた。
彼女たちの手が執事服にかかる。
「ちょ――、ちょ! ちょ! やめ! やめやめ――!」
だが無駄だった。
彼女たちの手の業は、ラセリアが廊下を歩くあいだに、そのお召し物を替えてゆくほどなのだ。
ジークがどれだけ抵抗しても、ボタンが外されネクタイが抜き取られ、シャツが魔法のように持っていかれる。
「さあ。全身でマッサージなさい。だいぶ凝っていますのよ?」
仰向けになったラセリアが、妖艶な笑みを浮かべながら、ジークを招き入れる。
開かれた両腕と両脚の合間へと、ジークは落ちるように、倒れこんでいった。数人の侍女の手によって、突き飛ばされた。
「わっ、ちょ――! ちょっ! うわっ! ひゃあっ!」
みっともなく喚いて暴れる。
だがラセリアの腕は、ジークをしっかりと捉えて放さない。腕だけでない。両脚も絡みついてきている。
「いや! あの! だから! 僕はっ――!!」
「わかっておりますわ。――童貞なのでしょう?」
「すべて了解しております。――童貞なのでしょう? ふふっ。初めての殿方というのは、わたくし、はじめてですわー。わたくしともあろう者が、どきどきしてまいりましたわー」
絡み合う二人の上から、香がたっぷりと振りかけられる。
侍女たちが周囲に何人も立って、香油の壺をいくつも傾けている。
香油の海の中で、ジークはたおやかな女体に絡み取られていた。くんずほぐれつ。逃げようにも滑って逃げられない。
自分が逃げたいのかどうかもわからない。
「あん。――そんなとこ。乱暴にしないで。そこはもっと優しく。――うん。そのくらいですわ」
どこを触っているのかわからない。逃げようとしているだけ。――そのはず。
オイルの海で、魔性の生き物に、ジークが、まさに捕食されそうになった、その時――。