港湾事務所
翌日、ジークが港湾局の建物に顔を出したのは、正午を大きく回ってからのことだった。
悔し涙に枕を濡らし、たっぷり昼過ぎまでふて寝を決めこんでいたのだ。
ひどく硬い表情で、入口のドアをくぐってゆく。
以前から考えていたことではあったが、今日こそ、その決心がついた。新しい社員を雇うのだ。しかもその社員は、|絶対に男でなければならない《、、、、、、、、、、、、、》。
広いホールには、かなりの数の人々が行き来していた。
《サラマンドラ》が現在停泊しているここメイダス・ステーションは、この東銀河では比較的大きな交易点となっている。
港湾局の職業センターの窓口をあたれば、流れ者の船乗りのひとりやふたり、すぐに見つかることだろう。
できれば腕のいいメカニックが欲しいところだが、このさい贅沢を言うつもりはなかった。
宇宙の男でありさえすれば、それ以外のことには目をつぶるつもりだ。
「あら、きのうのボク」
窓口を探してホールをうろついていたジークは、呼びとめる声に振り返った。
一瞬、誰だかわからなかった。
髪を下ろして局の制服を着込んだ彼女は、きのうとはまるで印象が違っていた。オレンジ色のジャンプスーツにかわって、タイトミニのスカートから健康的な脚が伸びだしている。どんな魔法を使ったものか、よく見るとそばかすまで消えているではないか。
「ボクじゃない。ジークって名前がある」
一語一語、気を遣いながら発音した。昨日とおなじ過ちを繰りかえすのはごめんだ。
「えらいえらい。きょうはちゃんと言えたね」
「ぐっ……」
ジークは奥歯を噛みしめた。
すっかり子供あつかいだ。人間関係は最初が肝心ということだろう。そういえばアニーやカンナたちを雇ったときも、最初からつまずいていたような気もする。
「ところで、きょうはなんの用で来たのかなー?」
「職業センターって、どこだよ?」
憮然とした声でジークが尋ねると、女の子は目を丸くした。
「あら、転職したいの?」
「だっ……、だからオレは社長だって! 従業員を探しにきたに決まってるだろ!」
「はいはい、知ってるって。きのう免許証みたものね。ジークフリード・フォン・ブラウン君、16歳。『SSS』の社長さん――だったよね」
「あんまり馬鹿にするなよ……こう見えたって、海賊とやり合ったことだってあるんだからな」
「はいはい、職業センターだったわね。旧棟の2階で調停課といっしょの……いいわ、連れてってあげる。お姉さんについてらっしゃい」
本気にしていないのか、女の子は軽くいなすと先に立って歩きはじめた。
「ふぅん、意外と親切なんだな」
「バカね。案内することにしちゃえば、公然とサボれるからに決まってるじゃない」
「は、はぁ……」
◇
女の子に先導されて階段をあがってゆくと、空調のフィルターが詰まったような、かび臭い空気の漂うフロアに出た。
近代的な新庁舎のほうと比べると、同じ部署であることを疑うほどボロくさい建物だった。
埃状の錆を吹いた年代物の建材が、何十年か前に仮組みされたままの姿をさらしている。
女の子は『職業センター』と書かれた窓口の前で足を止めると、奥に向かって大声を張りあげた。
「すいませぇ~ん! 求人希望の人を、案内してきたんですけどぉ♡」
頭のてっぺんあたり飛びだしてくるような、よそ行きの声が飛びだしてくる。
奥のデスクにいた初老の係員が、手元の書類から顔をあげる。係員は老眼鏡をはずすと、穏やかな笑みをその顔に浮かべた。
「おや、リズじゃないか。いつ見てもきれいだね」
「いゃぁだっ、もおっ! クランさんたらぁ!」
これでまた、女性不信になる材料がひとつ増えた。
ジークはふたりのあいだに割りこむようにして用件を切り出した。急いでいるわけではないが、この調子で世間話でも始められてはたまらない。
「メカニック登録してる男はいないかな。できればM級の跳躍機関を扱った経験があるといいんだけど……」
「ほう、メガドライブとね?」
眼鏡の奥で、老係員は目を光らせた。
「ああ、どうも調子がわるくてね。プラント回りに強いやつだと助かる」
「古い船かい?」
「大戦期のやつだよ」
「そいつはすごい。ならプラズマ・チャージャーも扱えないといかんね。ちょいと待ってくれ、そういえばいい奴がいたかな。たしか、このあたりに……」
立てかけてあったキーボードを引き寄せると、係員はいくつかのコマンドを打ちこんでいった。
こちらからは見えないが、彼のかけている老眼鏡の内側には情報が表示されているのだろう。
結果が出るのを待つあいだに、女の子がジークの耳元に口を寄せてきた。
「ちょ…、ちょっとちょっと。いきなりどうしちゃったのよ?」
「なにが?」
「だってだって、まるでベテランの船長みたいな……」
「ベテランだよ。生まれてこのかた16年、ずっと宇宙にいたものな。船長になったのは、つい半年前だけど」
相手が男でありさえすれば、ジークはいくらでもしたたかになれるのだ。
「それにM級のドライブって……、《ヒーロー》とかが乗る船についているアレでしょ? キロドライブの1000倍の性能があって、何光年もひとっ飛びっていう……」
「千と24倍、15光年だよ」
ジークは得意げに答えた。《ヒーロー》という言葉にはぎくりとしたものの、自分の船を誉められて悪い気はしない。
「いいかね――? ぴったりの人材が見つかったよ」
「ああ、いいとも」
「ええと……、シルヴィア・ローエングラム。もとタラント王立宇宙軍の技術少尉で――」
「だめだ。他はいないか?」
有無をいわせぬ口調で、ジークは遮った。
「まだ名前しか言ってないがね?」
「その名前、女だろ? 最初に言ったじゃないか。男のメカニックはいないかって。他にはいないのかい?」
「何故だね? 誓って言うが、腕は確かだぞ。条件も合う」
気分を害したのか、係員の声が低くなる。
ふたりのあいだに割り込むようにして、女の子が言う。
「ほらほらっ! この人の会社っていま女性社員ばっかりだからぁ、気の合う男性社員がほしいそうなんですよ! ねっ、ブラウンさん?」
「ブ…、ブラウンさんぅ?」
「あ、そうそう。まだ名前も言ってなかったよね。わたしエリザベス。よかったらリズって呼んで」
「……」
彼女の豹変ぶりに、ジークは呆れて物も言えなくなった。
「まあそういうことなら、もうすこし探してみるがね。ええと……。ライナ・ミルギンスキー、ドナ・モルガン……、ジェラルディン、カルメン、シーラ、リタ……」
「女の名前ばかりだなぁ……。男はいないのかい、宇宙の男は?」
「メカニックの登録をしているのは、みんな女ばかりのようだね。おかしいな、きのうはたしかに――」
「べつに機械を扱えなくてもいいよ。男だったら、もう、どんなのでもさ」
ジークが投げやりな声で、そう言ったとき――。
「はなしてよぉ!」
少年の叫び声が聞こえた。
見ると、筋骨たくましい中年男が、抵抗する男の子を力ずくで引きずってくるところだった。引きずられているのは、まだ12、3歳の線の細い少年だ。
「じゃまするよ! 仲裁課ってのは、こちらでいいのかい!?」
「調停課だがね……。そう、ここでいいのさ」
押しの強そうな中年男だった。ジークは宇宙商人とみた。それも普通の者が行かない星系に好んで出向き、法外な値段で暴利をむさぼる悪徳商人だ。
「はなしてよぉ! ぼくがなにしたっていうんだよぉ」
腕を掴まれたまま、少年が叫ぶ。
「なにいいやがる、この密航者が!」
男は太い腕を振りあげた。
ごちんという鈍い音が響き、リズとジークはそろって首をすくめた。
「痛そ……」
「おいおい、密航者だって?」
「ああそうさ! パンドラからの帰りに、どうも食いもんの減りが早いと思って調べてみりゃあ、こいつが船倉に隠れてやがったのさ」
「密航者だなんてひどいよ。ちょっと乗せてもらっただけだよ」
「それを密航っていうんだろうが!」
男がふたたび腕を振りあげる。
叩かれる前の猫のように、少年がぎゅっと目をつぶる。
見かねたジークは、ふたりのあいだに割って入った。振り下ろされる寸前の腕を押さえこむ。
「そんなに殴るなよ。かわいそうだろ」
「なんだおまえは? 関係ねえやつは、ひっこんでやがれ! こいつのおかげで、いったいいくら損をしたと――痛てッ!」
男の手首を軽くひねる。それだけで男は喚くのをやめた。
「まあまあ……。そんなに喚いてないで、話し合おうや。――損をしたって言うけど、どういうことだい?」
関節に加えていた力をすこし緩めると、男は口を開いた。
「き、決まってるだろ。こいつが乗ってたおかげで、食いもんに酸素に水に電力に――」
ふたたび力を入れて、ジークは男を黙らせた。どうやらとびきりの強欲商人らしい。
「わかった。じゃあこうしよう。あんたの出した損害分はオレが立て替える。だからあの子は自由にしてやれ。10クレジットもあれば足りるだろ?」
「冗談じゃない! 100クレジットは貰わんと割に合わん!」
「15――」
「50だ!」
しばらく交渉を行った結果、商人は25クレジットで納得した。
来たときの剣幕などすっかり忘れて、揚々と引きあげてゆく。あとには少年だけが残された。
商人の後ろ姿を「あかんべ」をして見送り、少年は輝くような笑顔でジークに礼を言った。
「ありがと! お兄さん! ぼくリムルっていうんだ。お兄さんは?」
「この人はブラウンさんっていうのよ。こう見えて社長さんなんだから」
「ありがとう、ブラウンさん!」
「でもあなたって、すごいのね。25クレジットっていったら、わたしの1ヶ月のお給料分とおんなじ。それをぽーんとキャッシュで出しちゃうんだもの。しかも見ず知らずの男の子に――」
なぜか潤んだ瞳を、リズが向けてくる。
「い、いやぁ……」
照れ隠しに笑ってはみたものの、すこしばかり後悔していた。
雇い入れた相手に渡すつもりの手付け金を、ほとんど使ってしまったことになる。
まあ、過ぎたことを悔やんでもしかたがない。ジークはため息をつきたい気分をこらえて、傍らに立つ少年に優しい顔を向けた。
「ええと――リムルだっけ? もう自由だから、どこでも好きなところに行っていいよ」
「そんなわけにいかないよ。だって立て替えてもらったお金、返してないもん。人に借りたものは、きちんと返さなきゃいけないんだよ。知らない?」
リムルは得意げに胸を張った。
「勘違いしてるぜ。あれは貸したんじゃなくて、あげたんだ【あげたんだ:傍点】」
どういう事情で密航したのかは知らないが、関りあいになりたくない――それがジークの本音だった。
さいわいにも、この交易ステーションは、どこの国家にも属していない中立地帯だ。滞在するにも労働にも、特別なビザは必要ない。
リムルはそうしたあいだにも、きょろきょろと落ち着きなく周囲を見回していた。『職業センター』という表示を発見して声をあげる。
「ねぇ、おじさん! ここ『職業センター』っていうの? もしかしてお仕事くれるとこ!?」
「ああ、その通りだがね……」
いかにも迷惑そうな顔で、係員はしぶしぶ肯定する。
ジークは自分が解放されたい一心で、横から口をはさんだ。
「オレからも頼むよ。なにか見つけてやってくれ。皿洗いとか床のモップがけとか、なにかあるだろ?」
「あのね、あのね! ぼく海賊さんたちと出会えるような、素敵なお仕事がいいな!」
「海賊だって? おいおい、なにを言いだすんだ」
「カッコいいよねー! 海賊さんって! ブラウンさんもそう思う?」
「人の話を聞けっ!」
「なに?」
リムルはきょとんとした顔をジークに向けた。
さきほどから黙っていたリズが、小首をかしげながらジークに言う。
「ねえねえ、ブラウンさん――」
「ジークでいいって」
「じゃあ、ジークさん。この子、パンドラから密航してきたのよね。だったらおかしくない?」
「なにが?」
聞いてから、ジークはパンドラという星について、自分が何も知らないことに気づいた。
「どんなところなんだ? パンドラって?」
「ここから10光年くらいのところなんだけど……。呪われた惑星っていわれてて、とにかく女ばかりの惑星なのよ」
「女ばかりの惑星だって?」
なるほど――そいつは確かに呪われている。
ジークは小犬のようになついてくるリムルに顔を向けた。
「つまり――あれだな? 君は女ばかりの惑星が嫌で、逃げだしてきたんだな?」
「えっ?」
きょとんとするリムルの肩を、ジークはがっしりとつかんだ。
「わかる、わかるぞ! ようっくわかる! そりゃそうだよ。そんなところに男ひとりでいたんじゃ、逃げだしたくもなるよな! うんうん」
「いえ、あのね……、わたしの言いたいのは、そうじゃなくて――」
リズの言葉も、ジークの耳には入らない。
「よし、わかった! 君の仕事が見つかるように、オレが責任をもって手伝ってやる。まかせろ!」
「ありがとう! ジークって優しいんだね!」
リムルはジークに飛びついて、顔をこすりつけてきた。
「水くさいこというなよ。男同士だろ?」
リムルの肩を抱いたまま、ジークは係員に顔を向けた。
「なぁ? この子が働けそうな場所、なんとか見つけてやれないかな?」
「そうまで言うなら、ひとつだけ心当たりがないこともないがね」
もったいをつける係員に、ジークは聞いた。
「へえ――どんなところだい?」
係員の眼鏡が、照明を受けてきらりと輝く。
「さっき、男ならどんなのでもいいとか言っとったが……、こんなのでもいいかね?」
トラブルメーカーが仲間になりました。