あのひとを探して
船には、いられなかった。
だからセーラは、市街区をさまよい歩いていた。
ふらふらと歩くセーラに目を留める者は、あまり、いない。
「お姉ちゃん、いくら?」などと声を掛けてきた――ψ人だかΞ人やらがいたようだが、金的を蹴り上げて掌底を叩きこむまでを、すべて全自動で無意識のうちに行って、セーラはそのまま、ふらふらと歩きつづけていた。
自分にはリーダーの器が足りていない。
――その思いがセーラにはある。
養成校時代であれば、絶対に、否定していたところだろう。実際、能力面において、セーラを上回る者は、教官のなかにおいてさえ少なかった。
リーダーとしての指揮能力や、人心掌握力においても、人後に落ちないつもりだ。
――が。
ジークフリード・フォンブラウン――という、類いまれな実例を見せつけられてしまうと、自分の平凡さが、嫌というほどわかってしまう。
彼こそリーダーだ。
彼には現実を変える力がある。どんな過酷な状況にあっても、彼は決してへこたれず、絶望せず、さらには祈らず――最後には、現実そのものを変えてしまうのだ。彼がいれば、自分たちはなんだってできる。自分たちに襲いかかってくる、ありとあらゆる困難と障害は、それを乗りこえ、成長してゆくための糧でしかなくなる。
――そう信じられた。実際。そうだった。
そのリーダー役を――自分がやらねばならないのだ。
私なんて。ただの背伸びしている小娘でしかないというのに。
どうして彼は、いまここにいてくれないのだろう。私を助けてくれないのだろう。
こんなにも困っている女の子が、ここにいるというのに。
切ない気持ちに、胸が締め付けられる。
セーラはその場に立ち止まった。自分の胸を抱きしめるようなかたちで、雑踏のはずれで立ち尽くす。
――と。
「え?」
自分の目が見た光景が、信じられなくて――。セーラは思わず、まばたきを繰り返した。
彼がいる。ジークがいる。
ズボンのポケットに手を突っこんで、往来を、なにげなしに歩いてゆくではないか。
「ちょ――!? あなた! そんなところでなにをしているんですの!?」
思わず叫んでしまっていた。
悩んでいる乙女をほったらかしにして、なに――ひょいひょいと、そのへんを、ほっつき歩いているのだ。あの男は。
マツシバの姫のところに連れて行かれたのではなかったのか。
「ちょっと! 貴方! 副長! なにしているんですの!」
セーラは叫んだ。往来を歩く人の多くが振り返るぐらいの大声で、遠慮なしに叫んだ。
だが相手は気付いていないようで、すたすたと歩き去ってしまう。
それをセーラは追いかけた。
「副長! 副長! もう副長ってば! ――ジークフリード! 止まりなさい!」
名前を省略せず、フルネームで呼んだ。
そこで相手はようやく立ち止まった。振り返ってくる。
「女……、おまえも、俺と誰かを勘違いしているのか?」
「え?」
振り向いてきた相手の、顔……ではなくて、雰囲気に、セーラは呑まれた。
なんていったらよいのか……。
セーラのよく知る人物とは、まったく、違う人物という感じがした。
しかし顔はまったくの一緒。
なぜ別人と思うのだろうか?
男の顔をじーっと見ていたら、わかった。
雰囲気だ。
ぜんぜん雰囲気が違うのだ。――彼とは。うちの副長。ジークフリード・フォンブラウンという少年とは。
ああ。うんそう。〝少年〟じゃなくて――。いま目の前にいるこの人物は――〝男〟だ。そう呼ぶのが、いちばん、しっくりとくる。
男の顔を、まじまじと見ていたら――。
「あっちいけ」
手で、追い払うような仕草をされる。
カチンときた。
この私を一体誰だと思って! ――と、一瞬、脳髄が沸騰しかけたものの、男子のケンカも止められないダメ船長だったと、すぐに思いだして――しゅんとなった。
「あのう……、お話を」
「お前も俺のことを、どこかの誰かと間違えているだろ?」
「い、いえ、あの……、最初はたしかに間違えていましたけど。いまは間違えていないっていいますか。あの。できましたら。そのへんの店で、すこしお話ができるといいなと。そう思うのですけど」
すぐに船に帰るつもりはない。帰りたくもない。他人のそら似だとはわかっているが、親しみのある顔の相手と、すこし話すくらいのことをしても――。
男は、深々とため息をついた。
「おまえ。俺に気でもあるのか?」
「は?」
セーラは、ぽかんと口を開けて聞き返した。
「今夜のセックスの相手でも探しているなら、どこか、よそへ行けと言っている。――俺はいまそんな気分じゃない」
「は? は? ハアァ? ――貴方! いいい――いま! なんとおっしゃいました? せ、せ、せ、せ!? ――おセックスっ!?」
生まれてこのかた、一度も口にしたことのない言葉だった。おもわず素っ頓狂な声で叫んでしまった。
「――私がっ!! こともあろうに、この私がっ!? 貴方を、そんな下品な目的でお誘いしたと?」
「ああ。そのへんの店で酒を飲んで――はい、さようならと別れるつもりでいたんだったら、俺の誤解だったな。すまなかったな。お嬢ちゃん。――これで気は済んだか? 済んだなら、とっとと、あっちに行ってくれ」
またもや、手で追い払われる仕草。
セーラはまたもや沸騰しかけた。
この私を一体誰だと思って! ――ああそうだった。ダメ船長だった。
「だいたい。おまえみたいな体型の女は――好みじゃない」
「は? ハアァァァァァぁぁ――っ!?」
セーラは目玉がひっくり返るほど、驚き呆れた。
言うにことかいて――体型!? 本人の一番気にしていることをっ!?
同年代の少女たちより成長具合がよろしくないことを、セーラは特に気にしていた。
コロス。もうコロス。ぜったいにコロス。
やっぱこの男は、彼じゃない。彼もだいぶ無神経でだいぶ鈍くて、だいぶ朴念仁ではあるものの、こんなに失礼ではない。
コロスつもりで睨みつけてやっていると、男は、はあぁぁぁ、と、深いため息をついた。
「ヤるのか、ヤらないのか、――とっとと決めてくれ」
「だから! なにをですの!?」
「酒と食事とセックスだ」
「そういうことを飲み食いなんかと同列で語らないでくださいまし!」
「同列でないなら――じゃあ、なんになるんだ?」
「そ、そういうのは、もっとロマンティックであったり、運命的なものだったりとかっ――そ、そう! とにかく! 愛がないとなりません! 愛がっ!」
なぜ自分はこんな往来で恋愛論を力説しているのだろうか。それこそ、どこか店にでも入って――。いいえ! こんな、「飲む」と「食べる」と「いたす」が同列になっているような男と、二人っきりで店など入ったら、飲むと食べると同列なカンジに襲われてしまうに決まっている。
「愛か。くっく……、おまえ、妙なことを言う女だな」
彼は愉快そうに笑った。すうっと近づいて、セーラのパーソナルスペースの間合いに入ってくる。
「女――おまえ、俺の女になれ。愛なんぞでいいなら、たっぷり、くれてやる――。ここにな」
男の手が、下腹部に触れてきた。股間を無遠慮に撫で回す。
セーラは思わず――平手で相手の顔を殴りつけた。
――できなかった。殴りにいった手は、男にしっかりと掴まれてしまっていた。
手首を握られて、建物の壁に押さえこまれる。
壁と男の間に挟みこまれた。
そして顔の横に、どん――とばかりに手をつかれる。
股間というか下腹部に、男の割り入ってきた膝が押しあてられ――。さらに、顎を、くいっと、上向きにさせられた。
「返事は? イエスって言えよ? そうしたら、今夜、抱いてやる」
絶対。言わない。
セーラは矜持にかけて、黙っていた。男の言いなりになど、なるつもりはない。
なんでこんな目に遭っているのか、わけがわからなかった。
自分はただ、彼によく似た男に、声を掛けただけなのだが――。
「うん? 怪我をしてるのか?」
顎を掴んでいた男の手が、急に優しくなった。口元と頬を、男の指がなぞってゆく。ついさっき、ラファエルとキースのパンチを顔面で受け止めたところだった。その怪我だ。
「誰に殴られた? ――言え。俺が殺しておいてやる」
絶対。言えない。別の意味で言えない。
「これでもう痛くはないか?」
男が言う。優しい声で言う。
驚いたことに、歯が再生していた。失った奥歯が戻っていた。
「え? えっ? えっ?」
セーラは驚いていた。男は――、いま、なにをした?
と、その時――。
「なーに、ナンパしてんだかー?」
聞き覚えのある声が響いた。
誰か知っている人の声だ――と、セーラが理解するかしないかといううちに、男は、さっと身を離していた。
温もりと体温とが、急激に遠ざかる。
「だいじょうぶ?」
声の相手に顔を覗きこまれていた。相手が誰だかわかった。――アニーだった。
「だ、だいじょうぶですわっ!」
そう叫びながら、セーラは髪を整えた。服も整えた。
「ほんとにぃ? 壁ドンされて、レイプされる寸前みたいに見えてたけど?」
「ほ、ほんとにっ! だいじょうぶですわっ! なんでもありませんわっ! レ、レイプ――とかっ! そういうのとも違いますから!」
「――あんたも。そーゆーことすんなら、せめて路地裏に連れこみなさいよね。往来でサカるとか、犬猫かっつーの」
アニーはこんどは男に向けて、そう話しかけている。男のほうは――なんと、バツが悪そうな顔になって、そっぽを向いていた。
「あ、あの……、アニーさん? ……この方とは、お知り合いで?」
セーラがそう聞くと、アニーは「まあね」とでもいうように、片目をつぶってみせた。
「立ち話もなんだし。――あそこの店にしよ」
アニーは近くの飲食店を指差した。
お店に入って、飲食をして……。それは……、まずいのでは!?
セーラは、ぼんやりと、そんなことを考えていた。