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星くず英雄伝  作者: 新木伸
EP10~12「鏡像宇宙の英雄達」 第四章

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セーラのおしごと

「船長! 船長! たいへんです船長っ!!」


 船長席に深々と座り物思いに耽っていたセーラは、その声で現実に引き戻された。爪を深々と噛んでいたことに気がついて、慌てて手をお尻の下に敷く。


「――なんですか。いったい」


 船長は常に平静であるべき。


 どんな苦境におかれようと、ただの一度も慌てたことのない〝彼〟を見習って、セーラは自分を律することにしていた。いまこのときも、そのように――出来たと思う。


「報告なさい」


 一段高くなった船長の椅子から、声を下ろす。


「ケンカが――わたしたちじゃ、止められなくって!」


 その五回生の女子は、取り乱しきっていた。


「なんですか。そんなこと」


 セーラは溜めていた息を吐きだした。


 血気にはやる男子が、つまらないことでケンカを始めることは、よくあることだった。口論から発展しての殴り合いだったり、本当につまらない理由ではあるが――女の子のことだったり、理由は様々だ。


 しかし、セーラが出てゆくまでもない。


 キースか、ラファエルか――どちらかが、セーラの到着前に制圧してしまってくれているのが常である。彼らにかなう人間は、ジリオラを除くと、船内には誰もいない。


「キースとラファエルはどこにいますか? 非番でしょう。二人に片付けさせなさい」

「それがっ! ケンカしているのっ! ――キースさんとラファエルさんの、二人なんですっ!」

「なんで……すって?」


 これにはセーラも顔色を変えた。


 ――なぜ二人が。いやそれより誰が二人を止めるのか。


 セーラはブリッジに顔をさまよわせた。機関士席は空だった。そこに座っているはずの、船内最強の人物――ジリオラは、ブリッジの隅っこのほうの円陣になぜか加わっていた。ブリッジクルーのうち、正要員ばかり、女ばかりで六人ほど――怪しげな寄り合いが、いつの間にかできあがっていた。


 そこの連中が、全員、こちらを見ている。


 なんなのか。なぜ自分のことを見てくるのか。


 ふとセーラは気がついた。片隅の六人ばかりでなく、ブリッジ中の全員の視線が自分に集まっている。


 期待されている。船長として。


「――どこです?」


 セーラは椅子の手すりを跨ぎ越えると、ハッチにその身を飛ばした。呼びに来た女子に先導させて、船内通路を突き進む。


 各フロアから覗き出している顔に、手を振って下がらせる。


 期待される視線を、首筋と背中で、痛いほど味わう。普段なら心地良いはずのその視線が、いまはひたすらに重かった。


 心臓が、ばくばくと血液を送り出している。


 こともあろうに、あの二人がケンカだなんて。いったいなんで。


 誰が止めるというのか。自分だ。自分が止めなければならないのだ。あの二人のケンカを。できるのか。自分に。やらねばならない。船のすべてに責任を持つのが船長というものだ。


 どうしてこんなときに〝彼〟はいないのか。


 心臓が早鐘を打っている。彼のように、どんな苦境においても平静でいるなんて、自分には無理だと、セーラは思った。


 現場が見えてくる。


 機関部の手前。倉庫スペースとの境界付近の主通路に、人間が何人も浮かんでいた。半分は野次馬だが、残りの半分は伸びてしまった人間だ。


 キースとラファエルの姿は、浮遊物の向こうにあった。


 激しく殴り合っている。


 壁を蹴りつけて反動をつけ、相手に向かっていっては、拳で殴りつける。壁に飛ばされたほうは、反動を付けて戻ってきて、また殴り飛ばす。その繰り返しだ。


 格闘の達人である二人らしからぬ戦いかただった。無重力下の戦いで、打撃はまったく有効ではない。無重力下で相手を屈服させ、戦闘力を奪うことを目的とするなら、真に有効なのは関節技であり、絞め技だった。


 そんなことを当然知っているはずの二人なのに、殴り合いを続けている。


 セーラはわけがわからず、野次馬の一人と化して、その場に浮かんでいた。


「なぜ……、ケンカ……してるの?」


 自分をここまで連れてきた女子に、そう訊いた。


「ラフが――キースさんに撤回を要求して」

「撤回?」


 愛称でラファエルのことを呼んでいる。顔をよく見てみれば――彼女はラファエル親衛隊のうちの一人だった。


「キースさんが、あとユーリ君もなんですけど――言って。それでラフが怒っちゃって、その言葉を撤回しろって迫って、それで殴り合いになっちゃって。止めに入った人たちも殴られちゃってノビちゃって――」

「よくわかりませんわ。わかるように。きちんと説明なさい。いったいなにを言ったというのです?」

「私だってわかりません! あんなに――あんなに怒ったラフをみるの! 私だってはじめてでっ!」


 彼女はすっかり混乱しているようで、どうにも使えない。


 気絶して浮かんでいる顔ぶれのなかに、ユーリの姿もあったような気がする。まっ先にのされて浮かんでいたらしい。死人に口なし。他の説明役を求めて顔をさまよわせると、まずいものに出会ってしまった。


 期待する視線だ。


 延々と続く悲惨な殴り合いに、野次馬の目は見物を楽しむというより、セーラが止めてくれることを願う色になっている。


 殴られた片方が、ちょうどセーラのところにふっ飛んでくる。その背中を受け止めて、ともに後方に漂いつつ、セーラは抱きとめた男に詰問した。


「ラァフ――! あなた何をやっていらっしゃるのっ!?」


 親衛隊の娘たちとはやや違う――彼女しか使わない愛称で呼びかけると、闘争中の男も、誰に声をかけられているのか、気がついたようだった。


「単なるケンカさ」


 と、振り向いてきた男は、口と鼻から流れる血を拭いもせず、言ってきた。


「ケ、ケンカ……って」


 本人の口から臆面もなく告げられて、セーラは言葉を失った。


 ラファエルはすぐまた殴り合いに戻っていこうとする。


「およしなさい――二人ともっ!」


 セーラは叫んで、その肩を掴みにいった。


「放してくれたまえセーラ。僕はそいつを殴らなくてはならない。そいつに――あの言葉を撤回させなければ、僕の気が済まない。僕は君を殴るッ! 君が撤回するまで、殴るのをやめないッ!」

「おやめなさい――ラフっ!」


 後ろから羽交い締めにしようとするのだが、男の力には、まったくかなわない。ラファエルは抵抗らしい抵抗もみせず、ただエキサイトしているだけだというのに、セーラは振り回されるばかりだった。体重で二倍近い格差がある。筋肉量ではもっと大きな差がついてしまうだろう。


「撤回はしない。何度でも言ってやる」


 キースも口元の血を拭いつつ、言ってくる。


「俺はあいつがこのまま帰ってこないほうがいいと、そう言った。撤回はしない。なぜなら本当にそう思っているからだ」

「まだ言うかッ!」


 セーラを首に吊したまま、ラファエルが飛びだす。


「きゃぁっ!」


 大きな背中にしがみつき、セーラは少女のように悲鳴をあげた。


 キースの拳がラファエルの顔面を捉えにくる。その拳を顔面で受け止め、ラファエルはさらに押しこんでいった。強烈な頭突きを食らわせる。


 男と男の体が激突をする。


 セーラの小さな体は跳ね飛ばされた。


 通路の壁に足をつき、蹴り出して、すぐに戻る。


「おやめなさい!」


 二人のあいだに体を割り込ませてゆく。


「見損なったぞ、同志キース! それが仲間に対して言う言葉か!」

「俺はあいつを仲間と思ったことはない!」

「貴様ぁ!」


 ラファエルが殴りかかる。キースも拳を握り固めて応じる。


「やめなさい! やめてっ! やめ――」


 セーラは割って入った。


 その瞬間、両頬に衝撃を感じた。


 鼻の奥が熱くなる。目にちかちかと閃光が飛んで、自分がどちらを向いているのかわからなくなった。


 手近なものにしがみついて、体の回転をまず止める。


 口の中がなにか熱いもので溢れかえっていた。鼻から上 唇に向かっても、熱く濡れる感触が広がってゆく。


 歯がうまく噛み合ってくれない。顎を動かそうとすると、耳の付け根がぎしぎしと鳴った。


「あ……」


 指を入れてさぐると、血まみれの口の中から、ころんと白い塊が転がり出してきた。


 ケンカはいつのまにか止まっていた。


 ラファエルも――そしてキースも、セーラのことを見つめている。


 口の中から出てきた奥歯を後ろ手に隠し、セーラは二人に視線を定めた。


「ケ、ケンカなんて――おやめなさい! ゆ――、許しませんことよ!」

「あ、ああ……」

「す、すまない……」


 キースもラファエルも、短く言ってきただけで、すぐセーラから顔を背けていってしまう。


「わ、わかれば……、いいのです」


 セーラは鷹揚にうなずいてみせたが、虚勢であると、自分でもわかっていた。止めようと割って入って、二人からパンチを食らって、歯が折れて鼻血も流して――。


 ケンカを止めたのではなく、止めてもらえただけだった。


 自分の器量で止めたわけではない。


 男性の考えることはよくわからないけれど、たぶん、女の顔を殴ってしまって、それで続けられなくなってしまったのだろう。


 そんなこと――、べつに自分でなくとも――セーラ・バーニンガムでなくとも、女でありさえすれば、誰でもできてしまえることだった。


「キース、ラファエル。二人とも持ち場に戻りなさい」


 二人に対して、そう言った。


 最低限の体裁を整えるために、そう言った。


 セーラの考えることは、一刻も早く、この場から逃げ出すことだけだった。


「皆も持ち場にお戻りなさい!」


 集まっているギャラリーを一喝して、人垣を割るようにして、セーラはその場をあとにした。

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