マツシバの姫君、きたる
メインストリートから二本ほど離れた広場が、会合の場として選ばれた。
壁に埋もれていたエアロックは、十倍スケールのΖ人用であり、使節団を迎え入れるに充分な大きさであった。それが理由だ。
店のいくつかが撤去され、エアロックの周囲が剥き出しにされていた。
アルミナ繊維の赤い反物がまっすぐに転がされて絨毯がわりとなっていた。緩やかに下る段に、赤い道ができあがっている。
広場には大勢が詰めかけていた。
Z人スケールの区画とはいえ、二十万人いる人口のうち、ほんの何パーセントかが押し寄せただけで、パンクしてしまうのは確実なところだ。
発足したばかりの元老院の最初の仕事は、野次馬の人選という、情けないものとなっていた。
ジークたちは特例で、二百人すべてに観覧許可が下りていたが、子守が大変になるので、ブリッジの正副要員くらいしか連れてきていない。
「――で、誰が来るんですって?」
「宇宙一の金持ち」
セーラが訊いて、テレサが言っている。この二人の姉妹がいるだけで、子守は充分に大変そうである。
「そんなこと、聞こえるように言うんじゃないぞ」
「まだ誰も出てきてないじゃん」
ざわめく人壁の後ろに、ジークたちは場所を取っていた。
前に行きたがる連中の不満を押さえてのことである。
確認するだけでいい。じっくり見れなくてもかまわない。
「見えねー」
「見えませんわねぇ」
さして背丈の変わらない二人が、違う口で同じことを言っている。暗にジークへの非難を込めているところも同じであった。
「マギー。肩車してよ。ジルでもいいから」
「キース。ちょっとそこに這いつくばって、踏み台におなりなさい」
テレサの〝お願い〟は聞き入れられて、セーラの〝命令〟は無視される。
「やっぱまだ出てきてないや。あの金庫の扉みたいなの、まだ赤ランプー」
ジリオラに肩車されて、頭一つ高いところから、テレサが言ってくる。
エアロックはまだ開かない。群衆のいらつきを表してか、周囲のざわめきは段々と大きくなってきている。
ジークたちは他の群衆のように、興味本位で野次馬にきているわけではなかった。
どうしても確認したいことがある。
武侠星に向かっていた頃には、表の宇宙のマツシバと、あのマツシバとが、同一のものだと考えていた。だがいまでは裏の宇宙のマツシバであり、別なのだと、きちんと理解している。
マリリンあたりの提唱しているパラレルワールド説を真に受けるのであれば――。二つの宇宙が分岐したのは、英雄暦元年あたりのことだろうと推定されていた。百四十二年ほど前というと、汎銀河戦争の真っ最中である。
《ザ・ファースト》が宇宙に現れて《ヒロニウム》をもたらし、百と八人の《ヒーロー》が、泥沼化していた戦争を終結させたと伝えられている。
二つの宇宙を分ける決定的な出来事が、そのあたりの時代で起きたのだろう。――あるいは、起きなかったか、だ。
英雄暦のはじまりは百四十二年ほど前のことだが、放浪惑星マツシバの歴史は三百年を遡ることができる。宇宙の分岐以前からすでに存在していたモノは、こちらの宇宙にも存在しているのが、道理というものである。
ただし――。
それはジークの知るマツシバではなく、その指導者――社長が、ジークの知る彼女であるとは限らない。
二つの世界は、分岐点からそれぞれ百四十二年ほどの独自の歴史を持っているのだ。
「しっかし。ここの連中、能天気だよねー。脳ミソ、花でも咲いてんじゃないの?」
周囲を見回しながら、テレサが言い放つ。
「自分らの惑星、食われたんでしょ? 最後のよりどころだった武侠星も食われたんでしょ? その敵のトップがやってくるんでしょ? ふつー、暴動ぐらい起こすもんでしょー? さもなきゃテロでも企てるとかさぁ。――ねえジェニー?」
肩車から降りたテレサは、いつもの定位置に――つまり隣にいるジェニーに、いつものように話を振った。ジェニーのほうは、いつものように、ふるふると首を横に振って返している。
「食料やら物資やら、色々と、支援してくれるそうなのよ」
エレナが言う。
元老院が発足したからには、物資の確保も向こうの仕事となっていた。最後にジークたちが見たときには、金属資源が不足ぎみだった。廃船を苗床にしてナノ樹を植えつけたが、金属成分を吸い上げて実をつけるのは、しばらく先の話だ。
食料のほうは再生可能なものであるため、味さえ気にしなければ心配はない。そもそも食料の必要がない種族も多い。
もっとも足りない資源というのは、意外なことに空気であった。一気圧の標準空気は、一立方メートルにつき、およそ二百グラムの酸素と、八百グラムの窒素を含んでいる。酸素のほうは金属や石から遊離させればけっこう得られるのだが、窒素のほうが得にくい資源であった。窒素は食料の材料としても共用しているので、さらに必要な元素となっている。ナノテクも万能ではなく、ない元素は作れない。核種変換までは行えない。
もっとも――、その空気さえも必要ない種族も多いわけだが。
「誇りはどーした。武士は食わねど高楊枝って――おいそこの武士ロボっ。武士三原則、言ってみろォ」
テレサが向こう臑に蹴りを入れている。κ人はレンズの奧で光を瞬かせて抗議の意を示している。
完全機械化歩兵のκ人などは、空気も食料も必要ないタイプだ。電気のみで稼働できてしまえる。親指の先ほどの量の生体脳は、密閉型循環系に浸っているので、耐用年数がやってくるまで完全にメンテナンスフリーだ。
「なんでおまえが怒ってんだよ? だいたい静かにするって言うから連れてきたんだろ。騒ぐなら帰るぞ。どうする? 帰るのか? 静かにするのか?」
「あっ、それそれ。よくママが言うよね。コドモに」
「いいッ?」
マギーの言葉に、ジークは目を剥いた。誰がママだ。なんでママだ。どこがママだ。誰のママだ。
テレサはおとなしくなっていた。ジークの言葉が効いたのか、マギーの言葉が効いたのか、ただの一発で、騒いだり喚いたりしなくなっていた。
ジェニーが袖を引いてくるので、顔を前に戻すと、エアロック脇の赤ランプが、いま青ランプへと変わってゆくところであった。エアロックの中に空気が充填されて、気圧が等しくなったことを示す合図だ。
しかしジェニーはランプの色が変わることをどうして気づいたのか。袖を引いて教えてきたのは、青ランプになる数秒前だったが――。
――と、そんなことを考えていると、エアロックの扉が動き始めた。
テレサがジリオラの背中をよじのぼってゆく。セーラがそれをうらめしそうに見つめる。
「金庫の扉」とテレサの言っていた巨大な丸いドアが、ゆっくりと動きつつあった。ビルの一面くらいあるような鋼鉄の塊が、ずずずと壁から抜けてくる。手前に向けていつまでも滑りつづけ、壁の中から抜けきってこない。さすがはΖ人の戦闘艦。外壁まわりの装甲は、数メートルもの厚みがあるようだった。
七、八メートルも突出してから、ドアはようやく開き始めた。隙間が広がりはじめ、ゆっくりと片側に向けて開いてゆく。
気の早い連中は、もう歓声を上げはじめている。
物資をめぐんでくれるから歓迎しているわけではないだろう。
どうもここの連中には、自分たちを完膚無きまでに叩き伏せたマツシバに対して、敬意を抱いている節がある。
敵意ではなく――敬意だ。
こちらの宇宙は、汎銀河戦争が集結することなく、終わりなき闘争を百数十年間も続けてきた世界である。戦いが日常となりすぎて、誰もが、なんの悲壮感もなく戦っている。
彼らとずっと一緒にいてわかってきたことだが、彼らにとって「戦い」とは、つまり「祭り」のようなものなのだ。
こちらの宇宙では、生活するだけなら、なんの苦労も困難もない。
惑星の環境安定はテラフォーミング用のナノマシンが勝手に行っている。食料に衣服に、道具に乗り物に、さらには家まで――生活に必要なものはすべてナノ樹によってまかなわれる。彼らは生きるために仕事をする必要はない。彼らにとっては、〝宇宙船〟さえ地面から生えてくるものなのだ。木の枝からもいでくるものなのだ。
生きることにまったく不足のない彼らが、なにをするのかといえば――戦争だ。
星系単位、惑星単位での、陣取り合戦を続けている。
この「戦争」という言葉も、じつは正しくはない。本来の戦争というものは領土拡張のために行われるものであり、つまりは、民族単位で「生きる」ために行われるものだ。しかし彼らは、生きるためには、なにも必要としていない。
彼らにとって、戦争は〝祭り〟の気分で行われる。退屈を吹き払ってくれるのが「お祭り」というものなのである。
戦いに満ちる日々が淘汰圧として働くのか、ここに集う二十四種族は、戦闘種族ばかりであった。ボール羊のτ人や、最弱種族のΩ人、商売人のΟ人など、いくつかの例外はあるものの、基本的にはすべて戦闘種族で構成されている。いま銀河にいる数千とも数万ともいわれる種族も、構成比は似たようなものらしく、ほぼ九割が戦闘種族であるのだという。
扉が完全に開ききった。
パーン――!
破裂音がした。閃光がはしる。まっ白な煙が吹き出してくる。
そして大音響でコマーシャルソングが流れてきたとき――ジークはそれが〝事故〟ではなく、なにかのパフォーマンスであるのだと、ようやく気がついた。
「なにしてんの?」
「こらー! ジェニー放せー! エロっ!」
アニーが隣からシラけた目線を送ってきて、テレサの怒声が、ジリオラの肩の上から降ってくる。
腕の中にいたジェニーを解放してやると、彼女はのびをして、テレサの近くに戻っていった。体が反射的に動いて、手近な保護対象を庇いに行ってしまっていた。
手をにぎにぎとやって、ばつの悪さをごまかしていると、歓声が高まり、ジークは扉のほうに目を戻した。
濃厚なスモークの合間――十倍サイズのエアロックの内側に、小型艇の姿がちらりと見えている。
そこから一人の少女が歩き出てくる。
急、ステージとなってしまった広場の中央まで、少女は赤い絨毯の上をまっすぐに歩いてきた。
腰から下でスモークを切り開き、緩やかに下る段をおりてくる。その足取りはこの上なく優雅なものであった。
衣装は白とも銀ともつかぬ色をしている。布地の上できらきらと無数の星が輝いている。
「あれダイヤじゃないのかな?」
「ダイヤかどうかは分からないけど、成分は炭素百パーセントみたい」
「それってつまりダイヤじゃん」
アニーがめざとく見つけ、マギーが眼鏡を走らせ、テレサが突っこみを入れている。セーラはそれがどうかしましたか、とばかりに、澄ました顔である。その家がかなりの金持ちであることは、ジークも知っていることだった。しかしダイヤに眉を動かさないくらいの金持ちであったとは――。
女にとって、ダイヤというものは、高価な品であったり、素晴らしい装飾品であったりするのだろう。アニーとマギーとテレサの目の色を見ればわかる。だがジークにとっては、単なる炭素の結晶という意味しかない。せいぜいが、けっこう硬い鉱物、ぐらいなものである。
それよりもジークは、ステージの上の少女の姿を見つめていた。
遠目にも表情くらいはわかる。穏やかな笑顔を上品に振りまいている。
その笑顔は見覚えのあるものだった。
しかしジークの知っている彼女は――ラセリアは、ダイヤを全身にまぶして現れるような、そんな破廉恥な女ではなかったはずだ。ジークの知るラセリアは、私利私欲とは無縁の人間であった。清廉潔白という言葉は、彼女のために存在している言葉であった。
彼女は聴衆に対して手を振ってみせ、なにかを語りかけている。マイクの用意がまだなのか、声はここからでは聞こえない。
見事な金髪が背中で揺れる。ほっそりとした肢体でありながら、胸だけは例外的に豊かだった。そこも揺れている。
どこからどこまで、まるで同じに見えている。
「あー、エロい目で見てるう」
「み――見てねえ」
とテレサに言う。どうしてこう、女の子というのは、目線に敏感なのか。
たしかにいま胸元を見ていたわけだが。
「プリンセス・ラセリアがタイプだっていう情報、あれ、ほんとだったんだー」
「どっ――どこから仕入れたんだよ、そんなネタ」
「ジーク君が、自分で言ったんじゃーん。オリエンタルなところが好きだ、って」
マギーがにんまりと笑っている。
「あれは……、別人だよ」
ジークはそう言うと、女の子たちに背を向けた。
「さあ……、帰るぞ」
背後に向けて、声をかける。
「ねえねえ。〝オリエンタル〟って、どういう意味?」
「さー、こいつのことだから、奥ゆかしいとか、控えめだとか、か弱くて、守ってやりたい感じとか、なんかそんなんじゃないの?」
テレサの言葉にアニーが答えている。
三歩歩いたところで、ジークは足を止めて振り返った。だれひとりとして、ついてきていない。
「えー。わたしー、弱い女なんて、これまでの人生のなかで、ひとりも見たことないんですけどー」
マギーがうさんくさそうに眉をひそめている。女の子全員が、その言葉に、うなずいている。
アマリリスあたりまでもが、隅っこのほうで小さくうなずいているのを見て、ジークはショックを受けていた。いちばん弱くて控えめに見える彼女が――。
「女の子は慎み深くあるもんだ――なんて、あたし、まえに言われたことがある」
アニーが調子づいて、余計なことを言いはじめる。
「あはははは。いないいないいない」
テレサが三回も断言している。〝清純〟がウリのアイドルのはずなのだが。
ジークは助けを求めるように、ジェニーに顔を向けた。慎み深い女の子はいるのだろう? 頼む。いると言ってくれ。――願いをこめて、そう視線を送る。
だが最後の砦も、ふるふると首を横に振って返してきた。
ジークはがくりと肩を落とした。そうか。いないのか。
「帰るぞ」
そう言って、ふたたび歩き出す。
「なんかまだ、話、やってるみたいだよー」
テレサがステージを指差す。ステージの上では、ラセリアにマイクが渡るところだった。これまでは肉声でなにかを言っていただけだが、いまからは広場全体に声が届くのだろう。
いつのまにか設置されたスポットライトが、彼女に光を集めている。見れば――広場のあちこちを黒い影が走り抜けている。視認できるかできないかといったあたりの超高速で、視野の隅にしか人影が映らない。
社長専属の忍者軍団だろう。何人いるのかさえわからないほどだった。黒子のように働いて、照明とスピーカーとを設置しているのだろう。そして警備もしているわけだ。
彼ら(彼女らかもしれない)の恐ろしさは、以前、マツシバを訪れたときに知っていた。
集まった光の中、ラセリアの姿は、神々しいばかりの輝きを放っていた。
ドレスの生地が光をまとって、後光が射したように見えている。ダイヤモンドの輝きは七色で、たしかにガラス玉とは違っていた。
忍者部隊が配電盤に侵入を果たしたのか、広場の灯りがつぎつぎと落とされてゆく。周囲が暗くなる、輝いている彼女に自然と視線が集まるようになる。
「手際のよろしいこと」
セーラが吐き捨てるように言う。キースを前に押しだして、人垣を掻きわけさせて道を切り開かせてゆく。
ジークたちは最後尾にいたはずなのだが、どんどんと人が詰めかけてきていて、人波に埋まりつつあった。
「おい。いくぞ。ラファエル」
「美しい……」
ラファエルは惚けた顔で、ステージを見つめていた。ずっと前から、ずっとそんな感じであった。
「アマリリス。連れていってくれ」
親衛隊であるはずの彼女にそう言う。
彼女はひとつうなずくと、やつの脇腹を思いきりつねりにいった。それから腕を抱えこんで、ぐいと引っぱってくる。か弱く、控えめであるはずの彼女が、ラファエルをずるずると引っぱってゆく様を目にして、ジークは心のどこかでなにかと決別をして、大きく、ため息をついた。
ユーリのやつが、エレナの前に立ってナイト役を務めている。あれはエレナ一筋なので、どんな美少女でも聖女であっても、一切目に入れない。
「ほーら。ジーク、行っくよー」
アニーが呼んでくる。
「わかってる」
『ジーク様――』
「だーら、わかってるって!」
二度も呼ばれて、ジークは苛立つ声で返事を返した。
――と、二度目に呼んできた声が、アニーのものではなかったことに気づく。
知った声だ。聞いたことのある声だ。
『そこにいらっしゃるのは、ジークフリード様ではありませんか?』
声は――すぐ近くから、耳元に語りかけるように聞こえてきた。
違和感を感じつつも、ジークは振り返った。何十メートルも離れたステージの上に、ラセリアは立っていて、こちらを見つめている。
視線が合った気がした。彼女の顔に微笑みが浮かぶ。彼女が小首を傾げると、卵形の頭から、金色の髪が一房――さらりと流れ落ちてくる。
「なに? どーしたの? 見とれてる? ひょっとして、名残惜しいわけ?」
アニーの手がひらひらと、視界の中で揺れていた。
「いや。いま――、呼び止められて」
目の焦点をアニーの顔に合わせて、ジークはそう言った。
「はぁ?」
聞き返してくるアニーをみると、あの呼びかけは、ジークだけにしか聞こえていなかったらしい。広場の周囲に目をやると、黒く輝くマツシバ製のスピーカーが、ぐるりと取り巻くように置かれている。忍者集団の設置していったものだった。音を操り、ジークの耳元だけに聞こえるように声を送りこんできたのだろう。
「凝ったことを」
「あん?」
不審な顔をするアニーに、手を差しだす。
アニーはするりと自然な動きで、ジークの腕を絡め取った。
最後に一度だけ、振り返ろうと思ったが――それは許されず、ジークは引きずられていった。