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星くず英雄伝  作者: 新木伸
EP2「パンドラの乙女」  第一章 新入社員
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風呂にて

 熱めの湯を満たした浴槽に、ジークはゆっくりと身を沈めていった。

 もともと大人数で入るための風呂だ。ジークひとりが入っただけでは湯もこぼれない。


「まったく、えらいめにあったよなぁ……」


 ジークが社長で船長だということを認めてもらうために、いろいろなものを持ちださなければならなかった。


 女の子は船籍証明書の所有者欄と、ジークの1等航宙士免許を見比べ、立体写真ホログラフまで確認してようやく納得したのか、クリップボードを持って引きあげていった。


 だがそうした出来事も、こうして肩まで湯につかっていると忘れられそうな気がする。

 1日じゅう船を整備していた疲れとともに、なにもかもが流されてゆくようだ。


「いいさ、オレは心が広いんだ」

「自分で言うかね、こいつはサ」

「うわわっ!」


 何気ないつぶやきに返答されて、ジークはひどく驚いた。


 あわてて横を向くと、そこにカンナの姿があった。


「よう」


 カンナは片手をあげてみせた。

 手に持ったタオル以外、なにひとつその身にまとってはいない。つまりは全裸ということだ。


「なっ、なんだよ! なんでおまえが入ってくんだよ!?」


 ジークはカンナの体から顔をそむけた。


 まだ8歳かそこらで薄っぺらい体つきをしているとはいえ、いちおうは女の子だ。

 男と違って、あるべきはずの場所に、あるべきはずのモノがない。


 そのかわりに変な縦割れがついている。

 そんなモノを見ていると、くすぐったいような恥ずかしいような、妙な気分になってくるのだ。


「おッ……ひょっとしていま、ヨクジョーしなかったか? コドモにヨクジョーするのは変態だゾ、ヘンタイ」

「ちがわいっ!」

「ヨッコラしょ」


 掛け声とともに、カンナが浴槽をまたいでくる。

 脚がぱかっと開いて、女の子のすべてが丸見えになる。ジークはまたも顔をそむけなくてはならなかった。


「フーッ、いい湯だワサ……」

「だいたい、なんでこっちに入りに来るんだよ。女風呂があるだろうが」

「だってサ――。あっちのほう、狭いんだもん。みんなで入るともーキュウキュウだぜ」


 長期の航海にはレクリエーションが必須ということで、《サラマンドラ》の船内にはふたつの風呂が備わっている。


 どちらも並々と湯を満たす東洋式の共同風呂だ。


 絞ったタオルを頭の上に乗せ、カンナはすっかりくつろいでいた。

 その可愛い顔に、ぽつりとオイルの染みがついている。指を伸ばして拭おうとすると、かすれて余計に汚くなってしまう。


「きたねぇなぁ、もう」

「仕方ないだロ。ジルとふたりでボロエンジンの世話してたんだからサ。けどありゃダメだね、いくら手を入れたって、すぐに他からイカれてくる。朝飯のナットーを賭けてもいいゾ」


 ジークとアニーが下回りの整備をしていたように、カンナとジリオラのふたりは機関部を担当していた。

 カンナが指示を出して、元女傭兵であるジリオラが力仕事をする。

 こう見えてもカンナは、年齢に見合わぬ途方もない知識量を誇っていた。総合科学者ネクシャリストの名は伊達ではない。


「だいたいおまえ、いきなり湯船に飛びこんできたろ。洗ってから入れよな。湯が汚れるじゃないか」

「そうか。ならオマエが洗え」


 カンナは上機嫌のようだった。

 せっかくのいい天気に嵐を呼びよせることもない。ジークは湯の中で腰にタオルを巻きつけると、ざばりと立ちあがった。カンナを手で招く。


「ほれ、洗ってやるから……。いっかい出ろ」


 ――と、その時。


 ジークの目は、風呂場の入口に立つ褐色の肌の美女と真正面から合ってしまった。


「ジ、ジルっ!?」


 慌てて湯船の中に身を沈めてから、ジークは目を何度もしばたいた。

 見間違いなどではない。

 そこに立っているのはまぎれもなく、『SSS』の女社員のひとり――ジリオラだった。


 この会社に来るまで傭兵をしていたという彼女は、さすがに引き締まった身体をしていた。

 褐色の肌の下で鍛えられた筋肉がしなやかにうねる。

 それでいて女性らしい曲線も失ってはいない。


 ジークのことを一瞥しただけで、ジリオラはすたすたと歩きはじめた。

 野生の動物のように優雅な足取りで、まじまじと見つめるジークの前を横切ってゆく。黒々とした下草を隠そうともしない。


「ふうっ」

 湯船に肩まで沈めてから、彼女は満足そうに吐息をもらした。


「お……、おいこら! ジルっ!! 『ふうっ』、じゃないっ! ここは男湯だぞっ、わかってんのか! おいっ!?」


「――ん?」


 何か問題でもあるのかという顔で、ジリオラは切れ長の目をジークに向けた。


「だぁかぁ、らぁーっ!」


 前から一般常識に欠けているとは思っていたが、これほどまでとは思わなかった。


「お、男湯にずけずけと入ってくるなんて、そんなの……アニーだってしないぞ!」


 ジリオラは合点を得たのか、こくりとうなずいた。そして言う。


「ノー・プロブレム。――あれを見ろ」


 彼女が顎をしゃくったその方向に、ジークは顔を向けた。

 湯気の向こうに、ふたつの人影が見えている。


「ほら、やっぱりあたしの言った通り! ジルにまかせたってダメだって」

「あら、ほんと――カンナをお願いって言ったのに、困ったものね」


 アニーとエレナのふたりだった。


 ジークは硬直したまま、歩いてくるふたりの姿に目を奪われていた。いつもは服の下に隠されているすべてが、惜し気もなくさらけ出されている。


 髪の毛とあちらのほうが、ともにおなじ色をしていることをジークは初めて知った。エレナさんは鳶色で、アニーのほうは金色だ。


「カンナ、こっちにいらっしゃい。ほら、洗ってあげるから――」

「おうともサ」


 立ち尽くしたままのジークの脇をすり抜け、カンナがエレナの元に向かう。


「やっぱおっきいお風呂のほうがいいよねー! ひゃっほうっ!」


 体を洗いもせず、アニーが湯船に飛びこむ。

 その飛沫を顔に浴びて、ジークは我に返った。


「ちょおっと待ていっ!」

「――なによ?」


 平泳ぎで湯船の中を泳ぎはじめていたアニーが、顔だけを向けてジークに言う。


「だからなんで男湯に入ってくるんだってばっ! 女湯があるだろ! 女湯がっ!」

「だって、こっちのほうがおっきいんだもん。だいたいあんたずるいわよ。いつもいつもおっきいほうを独り占めしちゃってさ」


 ぷいとアニーは唇をとがらせた。


「そーゆー問題じゃないだろっ! おまえはっ、おまえはっ――!」

「あたしだけじゃないでしょ? ジルだってエレナさんだって、カンナだっているじゃないさ」


「ナニか呼んだか?」


 エレナにシャンプーされているカンナが、目を閉じたまま顔を向ける。


「ほらほら、動いちゃだめよ」


 エレナがカンナの頭を引きよせる。

 4人の誰よりも豊かな乳房が、ぶるんと揺れる。カンナの長い髪を洗ってやりながら、エレナはなんでもないことのように言葉を足し添えた。


「ああ、社長。わたくしたちは気にしませんから――楽になさってくださいな」

「こっちが気にするんだってば!」

「だいたいあっちのお風呂、今日はお湯張ってないんだから。それともなに? あたしたちに油まみれのまま、あんたが出るまで待ってろっていうの?」

「えいくそっ! ならオレのほうが出てってやるっ!」


 立ち上がりかけたジークに、アニーが不敵な笑いを浮かべる。


「あら、いいの? そんなんで、出ていけるのかなー?」

「はうっ!?」


 ジークは大慌てで身を沈めた。すこし遅かったかもしれない。

 おそるおそる、たずねてみる。


「……見た?」

「見なかったことに、してあげよっか?」


 勝ち誇った顔で、アニーが言う。


「ううっ……」


 このあと数十分に渡り、ジークは女たちの嬌声を聞きながら、湯船の隅でちぢこまることになるだった。


    ◇


 すっかりのぼせてふらふらになりながら、ジークは脱衣所に足を踏みいれた。


 女たちの甘い体臭が部屋の中に立ちこめている。

 ぶっ倒れたいところをぐっとこらえ、ジークは足音も荒々しく部屋の中を通っていった。拠所ない事情により数十分にわたって延期されていた「オレが出ていく」という行動を、いままさに実行しているところなのだ。


 顔を伏せて足元だけを見るようにして、すっぱだかのまま腰に手をあててミルクを飲みほしているアニーやら、前屈みになってブラのホックを止めているエレナなどを視界から追いだすようにする。


「あ、ちょっと――」


 脱衣所のドアまであと数歩というところで、背後からアニーが呼びとめてくる。


 下を向いたまま、ジークは答えた。


「い、いまさらあやまったって……、ム、ムダだぞ。無駄なんだからな……」

「なによ? あたしがなにを謝るっていうの? そんなことよか、そこにあるカゴ持ってってよ。今日からあんたが当番のはずよね」


 アニーは顎先で部屋の一角を示した。

 そこにあるのは、山のように衣類の詰めこまれた脱衣カゴだった。山のてっぺんには、丸まったショーツがちょこんと乗っかっている。


「そうそう、エレナさんのはシルクのレースなんだから、ちゃんと手で洗うのよ」

「……」

「あと柄物とかは入れるまえに仕分けして――洗濯機の分類機能、死んでるから信用しちゃだめ。それから――」


「黙れ」


「えっ?」


 ぱちくりとまばたきをしてみせるアニーに、ゆっくりと区切るようにジークは言った。


「黙れと言った」

「な、なによ――」

「おッ、ノビタくんが怒ったゾ」


 カンナはすっかり見物を決めこんでいた。

 引きずるほどに長い黒髪をバスタオルではさんで乾かしつつ、特等席のソファーに移動してくる。


 怯みをみせたアニーに向けて、たたみかけるように声を張りあげる。


 この瞬間が肝心なのだ。

 最近になって、アニーとの口喧嘩のコツがわかりかけてきた。


「だいたい当番ってなァ、なんだ!? いつ決まった!? 何月何日何時何分何秒だ!? さあ答えてみろっ!」

「う…ウソよ。だってこのあいだ決めたよ? ね? ほらほらっ、べつべつに洗濯してたんじゃ効率わるいから、まとめて当番の人が洗濯するようにしようって、多数決でさ……」

「だから知らないって言ってるだろ!」

「あ、そっか!」


 アニーは、ぽんと手を打ちあわせた。


「4人とも賛成だったから、それで決まっちゃったんだっけ。そうそう!」

「そうそう――じゃないっ! なんでオレの意見を聞かないんだよ!? それのどこが多数決なんだよ!?」


「だってほら。あんたの1票をいれたって、4対1で、どのみち決まってるしさ……でしょ?」

「う……。けど、だっ、だけどオレは反対っ! ぜったい反対ッ! 自分のものは自分で洗う! それでいいの、それで決まり! はいっ!」


 にやり――と、アニーが薄笑いを浮かべた。


「ふん、なに言ってんのさ。先週はあたしが当番だったんですからね。あんたがベッドの下に隠してたガビガビのパンツ、いったい誰が洗ってやったと思ってんの?」

「なっ――!?」


 絶句するジークに、アニーはたたみかけるように返してくる。


「人にそんなモン洗わせといて、自分だけ当番は嫌だなんて勝手すぎやしない? たいへんだったんですからね、あんなとこにしまっとくから、マットにカビなんか生えちゃっててさ」

「あ…あぅ! あぅあぅっ! あぅっ!」


 ジークは、ぱくぱくと口を開いた。

 だが口から出るのは、動物の鳴き声のような奇妙な音ばかりだ。


「なによ? 言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」

「あうっ、あうあうっ!」

「ちぇっ。なーんだ、もうおしまいかい」


 口喧嘩の行く末を横で見守っていたカンナが、小さく舌を鳴らす。


「今日はつまンなかったナ」

「あら、でも途中での駆け引きなんていい線いっていたと思うけど?」


 髪にブラシを入れながら、エレナが言ってくる。


「ケド、あいかわらず乱戦に弱いさね。一度ひっくり返されると、もう踏んばりが利きゃしない。精神的に弱っちい証拠だワサ」


 女たちは口々に勝手なことを言っていた。

 ジークはうつむいて、ただこぶしを握りしめていた。


「さァて、メシだメシだ。今夜の食事当番は誰だっけか?」

「ジルでしょ、たしか」

「ゲーっ、また温めただけのレーションかヨ。カンベンしてほしいゼ、まったく」


 女たちが次々と部屋から出てゆく。

 最後になったジリオラは、ジークの肩にぽんと手を置き、ジークにだけ聞こえるように小さく言った。


「がんばれ」


 思いもかけず、涙が浮かぶ。

 ひとり部屋に残ったジークは、ようやく動くようになった口で静かにつぶやいた。


「か…かってに、人の部屋に、はいるなよなぁ……」

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