見回り中
「ういっす! おつかれさまっす」
「ウン」
「お疲れさまです!」
「だからウンって」
「御疲れ様です! 班長ぉ!」
「だから班長ちがうって」
マギーを連れて動いていると、通路のあちこちで出くわしたΩ人の連中が、直立不動となって体育会系の挨拶を飛ばしてくる。細く込み入った通路のせいで、顔を付き合わせるまでお互いに気がつかなかったりする。二十四種族のほとんどは無重力慣れしていないから、たまに激突されたりもする。そんなときには前を行くマギーの胸がクッションがわりとなってくれる。だが一緒に歩いているジリオラだけは、曲がり角の向こうが見えているかのように、激突される三秒前にひとりで回避を完了していたりする。
「ほらほらそこおっ! 換気ダクトに詰まっていない!」
マギーが眼鏡をきらめかせた。光の差さない一角に、びしっと指を差し向ける。
巨大ウニのτ人だった。空気の吸いこみ口に挟まっていたのだが、その黒い体のせいで見落としていた。
とん、と床を蹴って、ジリオラが上がってゆく。
ポケットから出してきたグローブを両手にはめ、トゲトゲにもかまわず、両腕で抱えこんで引っぱり出してくる。
「んなにやってんのもうっ!」
マギーが食ってかかる。
「死なせてくれよう。もうだめだよう。クリピラ様がっ、俺のっ――俺たちのクリピラ様がっ」
「クリピラさま?」
「あああ、あの美しいトゲが、クリピラ様がっ、クリピラ様はっ。もう二度と、ちくちく、ぷちぷち、できなくて……、まだ俺、かけてないのに、うわーん」
引っぱりだされた勢いでウニは壁に三回ほど跳ね返り――宙を舞いながら、わけのわからないことを言っていた。
「クリピラってのは|《勇者》で、τ人の族長……、だったはず。それでこいつは、たぶん……」
「その婚約者だ」
ジリオラが言ってくる。
「夜の部のほうに、よく、飲みに来ていた。繁殖期が近いから、あれがああして、とても名誉なことなのだと、よく自慢していた」
族長の婚約者なら王族である。接客班で迷彩バニーをやっていたジリオラは上客の顔を覚えていたらしい。顔――というか、トゲというか、いったいどこでどう見分けているか、まるでわからないのだが。
「ふぅん。そう」
その同じ頃、整備班で油まみれになっていたマギーは口を尖らせる。
「死なせてくれよう」
「死ねっ」
凶器としても使えるクロムメッキの二十八番レンチが無造作に直撃する。トゲトゲが何本か砕けてその粉末が宙に舞う。
「ダクト詰まらせたら、みんなが困るでしょーが。中で腐ったらどーすんのっ」
「――し、死ぬだろっ。や、やめろよっ。い、痛いだろっ」
「だから死ねっての。いまトゲ折って、カラ剥いて、食物合成機の原料タンクに放りこんであげるから。ああ、いいやっ、そのままナマで海産物方面の材料にしたほうがいいよね。新鮮だし」
「ひ、人殺しっ。ひっ、人食いっ」
「ウニが。なに言ってるかね」
「ひ、人食いっ。ひっ、ヒトゴロシっ」
「死ぬ死ぬ言ってたやつが。なーに言ってるのかね」
銀色に光るレンチを手に、マギーは近づいていった。τ人は空中で器用に後じさってゆく。水中で動ける生物は、空中でもそこそこ動ける。
――が、すぐにマギーの胸に捕まってしまう。
「んもう」
手放したレンチを宙に浮かべ、マギーは両腕でしっかりと巨大ウニを抱きしめていた。
「生きてりゃいいことあるんだから。死ぬなんて言ってちゃだめだよ。王族なんでしょ? みんなのためにも、あなたがしっかりしなきゃ。――ね?」
「……お、おう」
トゲトゲの表面を波打たせ、τ人は心なしかしっかりとした声で、そう返してきた。
「ほら。みんなのとこ。行きんさい」
押し出されたτ人は、空中をふわふわと漂っていった。
途中でくるりと向きを変え、トゲトゲの生えそろった表面がざわめいたあとでぱくりとめくれる。目と口とが現れた。
もとは同じ人間。笑う顔もまた同じであった。
「Hブロックの無重力区画のほう――触手持ち、探してたよー。ウニみんなで手伝いに行ってよねー」
ひらひらと手を振ってτ人を見送り終えてから、マギーはツナギの胸元を指でつまんで引っぱった。
「あーあ……、穴あいちゃった。あ痛たたた……、血も出てら」
見ている前で無造作に胸元を開くものだから、ジークは光速で顔を背けねばならなかった。
「んなキタナイもの見たような劇的な反応しなくたって。――前のときもそうだけど、ちょお~っと、傷ついちゃうかな~」
「ま、ま、まえってなんだよ前ってのは」
「ジャングル惑星で水浴びしようとしてたとき」
「い、い、いっか月も前のことじゃないかそんなことは」
「だから前のときって言ったけど」
ジリオラが気になって顔を向ける。こちらなどまるで気にしてなくて、袖をまくって自分の腕を見つめている。
「ジルも刺さった?」
「ノー・プロブレム」
女二人で並んで先に行ってしまう。
「あ……。おーい……」
ジークはのろのろと二人のお尻を追いかけた。
「で、さぁ――。これ、いったいなんの見回りなわけ? あとわたしらに、なにしてほしいわけ? ジル聞いてる?」
「聞いていない」
ジリオラが答える。
――と、二人の視線がくるりとジークに向く。
二人から視線を浴びせられて、ジークは肩をすくめて返した。
連れてきただけの二人には、まだなにも説明をしていない。その必要もなさそうだ。
人選は――間違っていなかった。
同志キースの言うことは――まったくもって正しい。
それを証明する第二の事例が、そろそろ見えつつあった。
「あー、いけない。間違えちゃった」
通路はそこで途切れていた。行き止まりに出たわけではなく、広々とした格納庫規模の空間が広がっていた。
――が、開けた場所のわりには、ひどく息苦しい。妙な熱気が立ちこめている。
「首畑に出ちゃったよ。戻んなきゃ。ジル地図持ってない? 覚えてる? さっきのとこ、右だったっけ?」
ジリオラは指で作った輪っかを目の前に当ててきた。眼鏡を見ろと云っている。
止まって宙を見上げはじめたマギーを通り過ぎて、ジークはその場所に入っていった。微小重力がやがて足を床に付けてくれる。二、三百グラムしかない体重を、足の指を開いてしっかりと捕まえる。もちろん裸足だ。
広場に目を向ける。
平面の床に、幾つもの〝首〟が生えていた。縦横に等間隔の列を作って〝首〟が立ち並んでいる。
まさに〝首畑〟であった。
一個一個の〝首〟は軽トラックほどのサイズがあり、窓と同じ面積を持つ口から、荒々しく二酸化炭素が吐き出されている。熱気と息苦しさの源は、それであった。
首畑の果てのほうで、小さな影がくるりと動く。
「――あーっ! やたっ! ねぇねぇねぇっ!? 交代ーっ!? ねぇ交代ーっ!?」
こちらを見つけてきたのはテレサであった。仕事道具を置き去りにして、ミサイルのようにすっ飛んでくる。二メートルもある巨大なスプーンが、貯水タンクのごとき巨大なバケツの横で回転している。
ジェニーも首畑の合間から首を出してきた。こちらは急がず騒がず、スプーンを手にしたまま、とーん、とーんと足先で床をつついて、白鳥のように優雅に体を運んでくる。しばらく見ていないうちに、低重力下の動きはだいぶうまくなっていた。
立ち並ぶΖ人の巨大首を足蹴にして、下品な軌道修正を何度かいれて飛んできたテレサより、ジェニーのほうが先に到着する。
ジークの前に立ったジェニーは、身長よりも高いスプーンをその細身に抱えこんで、きょとんと小首を傾げた。
「――ねぇ交代っ!?」
その背中にテレサが飛びついて、ふたり、そのまま流れてゆく。
「交代しない。道に迷っただけ。あー、ちょうどいいや。メインホールって、どっちだか教えて」
「知るか。メガネ見ろ」
「なんだと。この」
ぷうとむくれて、テレサが言う。
その首根っこをマギーが掴んで、二人ごと運んでくる。
「あー、もう、ばっちいなぁ」
投げだすように、ぽいと手放す。
「なんだとー! だれのおかげで空気吸えると思ってんだー! このっこのっ!」
手足を振り回して、飛沫を浴びせかける。
「あーもうっ、汚い、キタナイってば。――きたねーっていってんだろ! やめろこのクソガキども」
マギーの怒声が聞こえてくる。
見れば――。ジェニーまでテレサに加勢して、大きなスプーンでもって、ぽこぺんとマギーのことを叩いていた。
ジークはそのあたりで目を背けた。テレサとジェニー――ふたりの格好に気づいてしまったからである。しばらくじゃれ合う音が聞こえてくる。そのうちに静かになる。そのあいだもジークはずっと背中を向けていた。
「しっかし――。あんたら、なんかエロくね?」
マギーの声が聞こえる。
「だからキタナくないってば。これオートミールだってば」
「いや汚いって言ってないって。――ね。ジーク君は、どう思う?」
「うん。まあね。そのね。二人とも子供じゃないんだからね。あんまりね」
ジークは背中を向けたままでそう言った。
「いつもお子様扱いするくせに。オトナって都合いいよね。キタナイよね。ねぇジェニー?」
ジェニーがうなずく気配があった。
それがみぞおちに決まって――、ジークは勇気を出して振り返った。
テレサとジェニー。二人の体は見つめないようにしていた。気づいてすぐに背中を向けた。しかしいまは正面から見つめている。
二人とも、手足といわず顔といわず肌といわず服といわず、全身を白い粘液まみれにさせていた。ところどころ半固形物が混じった粘液である。
着ているツナギは作業着用なのだろう。自分色に染めていない無印の灰色のものである。色がついていればよかったのだが。白に近い灰色はとても良くない。なぜか下着を着けていない。それはもっと良くない。下のほうはパンツのラインで守られているが、上のほうは、わずかな丸みと、かすかに色づいた先端部分までもが透けてしまっている。
なけなしの勇気は、三秒しか続かなかった。
背中を向ける――と、声が投げかけられる。
「エロっ。――見たよ。いま見てたよ。エロい目で見てたよ。ねぇジェニー」
「かんべんしてくれ」
ジェニーにうなずかれてしまう前に、ジークは降参した。
「じゃあ次からはオンナのコ扱いすること」
「わかった。わかったから」
「ちいさな、びじんたち、おなかがすいた。おで、もう、二十時間、たべてない」
首畑の首の一つからだろう。轟音が響いた。Ζ人の声は囁き声でも轟音となって響きわたった。
「あー、はいはい」
テレサのうんざりした声が応じる。
彼女たち二人の仕事は、連中に食事を与える仕事であった。Ζ人は戦闘機が人型に変形したぐらいの肉体を持っている。その肉体を収めるには格納庫級のスペースが必要となった。用意したのは母艦級の艦船の基幹殻だが、それでも全員を収容すると、身動きするスペースはなくなってしまった。よって食事の世話をしてやらなければならない。誰もやりたがらないその仕事に任命されたのは、彼らΖ人のアイドルであるテレサたち――ユニット名「小美人」であった。
彼らΖ人は、ただ収容されているだけではなく、彼らにしかできない重労働に就いていた。
ジークたちがいま立っているこの床は、Ζ人たちの首の高さに張り渡された板である。その下では、オートミール状合成食によって与えられた化学エネルギーが、回転運動エネルギーへと転換されていた。
ようするに――、自転車こぎをしているのだ。
電力は豊富であった。船の融合炉から引っぱってくれば、湯水のように使うことができる。実際に|《にょろQ》一隻のアイドリング出力で、イカダ都市の半分以上の電力需要を賄っている。動く炉心なら他にもいくらでもあり、電力面では困っていない。
人工重力パネルやら酸素還元装置であれば、電力だけで動いてくれるのだが、空気を循環させる部分はファンを回さなくてはならない。ファンを回すためにはモーターが必要となる。そのモーターが足りないのだ。連中の船はすべてが一体整形されていて、部品をおいそれと外してくるわけにはいかない。
そのモーターのかわりを、Ζ人がやっているのである。この部屋から発した一本のメインシャフトが、ギアとベルトによって無数に分岐しつつ、イカダ都市のあらゆる場所に回転力を直接送り届けていた。そこでファンを回したりエレベーターを動かしたりしているのだ。
「あたしら仕事あるんだから、用なくて、交代してもくれないんだったら、とっとと帰った帰った。エロ見も禁止」
「だから見てないって」
背中を向けてジークは言った。くすくすと、誰のものかわからない笑いが響く。ジェニーだったらショックである。
「夕方――一八:〇〇ぐらいには交代要員回したげるから、がんばんなさい」
「期待しないで待ってる。メインホール戻りたいなら、二本目右、三本目左ね」
「あー、それそれ。おっかしいんだよねー。マップによると二十メートル手前に直通の脇道があることになっててさー」
「それ、昨日なくなった。Kブロック作る資材がいるっていって、持ってかれた。だから遠回りしないと帰れないよ」
「Kブロック? なにそれ? マップにないでしょ。ブロックはJまででしょ?」
「だから新しく作ったブロックだってば。子供専用らしいけど」
「子供専用?」
「ああ。保育所だな」
ジークは言った。アニーがそんなようなことを言っていた気がする。いろいろと任せきっていて、なにがどうなっているのか、細かく把握はしていない。
「各種族の子供だけ集めた場所。無気力な保護者のもとに置いておけないだろ。仕事に出ようって気になっても、子供がいると身動きできない。だから預かる。あと高齢者用の施設も隣に――」
「ジジババどもか。とっとと死ねばいいのに」
「おいこら」
とっつかまえようとすると、テレサはするりと逃げだしていった。
荒い息を吐きかける首畑のなかで、二匹の子ウサギがあられもない格好で跳びまわる。血走った無数の眼差しが、その一挙手一投足を追いかけている。給餌してくれるのが彼らのアイドルでなかったら、Ζ人たちは失意のどん底にあったかもしれない。
「しかし、あれ、いいんかいな」
ジークは肩越しに振り向きながら、そうつぶやいた。
「うん?」
単なるつぶやきにマギーが返事を返してきたので、またつぶやきっぽく返事を返す。
「床の下で、なにやってるか、わかったもんじゃねーよな」
「なにって? 発電……じゃなくって、シャフト回してるんだよね」
「それだけならいいんだけどな」
「だからなんなのよう」
「いや。わかんないならいいんだけど――」
と、ジリオラが顔を背けていって、速度を上げて先に立った。
あれは、わかったらしい。




